Unforgettable.
誰が聞いてるかもわからない学校で話すことは出来ず、結局理佐の自宅で話すことになった。
2人ならんで、歩道を歩く。
理佐はいつかのあの日のことを思い出す。しかしそれは理佐に限った話ではなかった。
「理佐、家反対なんやね」
「え?」
「学校から真逆やん。理佐の家。ねるのことを送ってくれたけん、同じ方向かと思っとった」
同じことを考えていたのだと思う。しかし、決して良い出来事ではなかったからなんと答えるべきかわからなかった。
「…………ありがとね」
ーーどこまでなら話していいんだろ…
逃げてはいけないとわかっていても、全てを話すことが良いとはとても思えなかった。
会話はそこで途切れて、また無言になる。
また傷つけてしまっただろうかと不安になりねるに視線を向けるけれど、全く気にしていないようにねるは前だけを見つめていた。
理佐の自宅に着くまで、会話はそれ以上始まることは無かった。
「どうぞ」
「お邪魔しまぁす」
「…だれもいないよ?」
「分かっとるけど言いよぉやろ」
理佐の自宅は明らかな単身者用のアパートだった。
理佐の言葉にねるが頬を膨らます。
そんな掛け合いが、長いことなかった気がして懐かしかった。
同時に、今日を最後にもう得られないかもしれないと悲しくなる。
「、ねる、なんか飲む?」
「あ、お構いなく」
「……お茶ね」
ねるの言葉を無視して、お茶を準備する。例えリクエストがあっても応えられるかは分からなかったからちょうど良かった。
テーブルを挟んでねると向かいに座る。
ふと、最近ここで、愛佳に抱きしめられたり喧嘩もしたなと思い出した。
そこに、ねるがいる。
自分の世界だった場所に、ねるがいる。
それだけで、幸せになれる気がした。
「……、えっと。どこから、話したらいいんだろ、」
「…………」
お茶を1口すすって喋る準備をした。
ねるもお茶を飲んでいて、緊張してるのだろうかと思うけれどそれどころじゃなかったと思い返す。
相変わらず、頭の中は答えが出せずにあっちこっちしていると思った。
「ねるは、さ。なんで私が消えたいなんて思ってると思ったの?」
結局、相手に託してしまう。
選択肢の与えられない選択は苦手だった。
「……理佐に『夢でも見てたんじゃない』って言われたけん」
「え?」
「そんときは訳分からんかったけど、ねるの覚えとること、夢にしたかったんかなって。」
理佐が言葉に詰まっていると、『けど』とねるの言葉が続いていく。
独白のようなものだった。
「ねるは自分の覚えよること夢なんて言われとぉなかったし。あの痛みも、音も、感覚全てで覚えとる。ただ、頭はぼやぼやしよぉし、あまりに現実的やなかったけん、悩んどったばい。けど、理佐に言われた時、見えんかったけど悲しそうやったけん…夢やって言いたくなかったやないかなって」
「…………」
「……菅井先生にも聞いたと……」
予想もしなかった人物の名前が出て、思わず顔を上げるとねるは申し訳なさそうに、理佐を見つめていた。
視線が重なっていることが何故か耐えられなくて目を逸らす。
ずっと下を向いていたんだとこの時に気がついた。
「理佐に拒否られるのか怖かったけん、菅井先生に教えてもらった。ごめん」
「……別に、いい、よ」
驚いたけれど、先にねるを拒絶したのは理佐だったし、その時の最低で最悪な言葉はハッキリ覚えている。
怖かったと言われれば、理佐は自分が悪かったことは承知していた。
「ねえ、理佐は……吸血鬼なん?」
ねるは本人の口から発することに意味があるとでも言いたげに、きっと友香から聞いたであろうことを理佐に問う。
意地悪でないことは分かっていた。
「…いちおう、ね」
「不良品やから?」
「………うん」
「だから、消えたいの?」
「ーーー……」
ずっと、そうだった。
蔑まれて、利用されて、そこに自分の意思がなかったかと言われれば嘘になる。その選択は、確かに自分でしてきたものだ。
血を飲まないことも、
力を使うことも。
そんな自分も、そんな環境も嫌だった。
けど、
今は。
それだけじゃない。
「…………私、ねるに…酷いことをした、から。きっと、最低なことだったから、…許されるとは思ってない…」
「………」
沈黙が苦しくて、体に何倍もの重力がかかっている気がする。気を抜けば身体が倒れてしまうような錯覚だった。
「ねるが襲われたのは、吸血鬼で…私も一応吸血鬼だけど、…ねるを襲ったのは私じゃない、」
「………うん」
「…でも、ねるを傷つけてるのも襲わせているのも………わたし、だった…」
声が掠れていく。
言わなきゃいけないのに、喉が締め付けられて痛い。
「ごめん、ねる…。ねるの記憶は、私が作ったんだ…」
「…………」
「全部じゃないけど、それでねるを苦しめてた」
こんな、ねるを傷つけてまで存在していたくない。
だからもう、消えたいーー……
「でもそれってさ」
ねるの割と明るい声が響いて、聞き間違いかと思った。
再び顔を上げると、さっきまでの深刻そうなねるの顔はどこかへ消えていた。
「今までもしてきよぉやろ?」
「は、……あ、うん」
当たり前のような口ぶりの言葉が、理佐に突き刺さる。
そう、今までもしてきた。
最低だ。
けど、今回はねるだったからーー
「なんでねるやと消えたいって思うと?」
え。
「今までみたいにふつーにいたらいいやん。菅井先生だって愛佳だって、今ならねるやって理佐のことわかるけん」
「ねる、自分が被害者だって分かってる?」
「分かっとるよ!失礼な!」
「じゃあ、なんでーー」
「ならなんで、ねるやとダメなん?」
「…………」
ねると見合わせて、しばらくして
ねるに僅かな笑みがあることに気づく。
ああ、そうか。
そういうことか。
「……意地悪だね、ねる」
「……いいけん、理佐の答えは?」
「……ねるのこと、好きだから、。大切にしたかったんだ……」
「うん、ねるも。だけん、消えるなんて言わんで。ずっと一緒におってよ。人間より長生きなんやろ?」
理佐は頭の隅で、ねるなら知っていたくせになんて青春みたいなことを思う。
けれど、ねるの答えに自分の存在が許された気がしてしまった。
こんなにも、世界は単純だったのだろうか。
「でも、」
「でもやない!ねるも好き。理佐も好き!ならなんも問題ないけん!」
「いや、」
否定しようとする理佐に、ねるが抱きついてくる。
お茶の入ったグラスがガチャっと音を立てたけれど倒れはしなかった。
「危ないよ、ねるーー」
衝撃から遅れて、じわじわと熱が届く。
ねるの両腕が理佐の首に回り、今までにない至近距離になる。
理佐の鼻がねるの香りでくすぐられて、理佐の体は今までにないほどに本能に駆られた。
「ーーーぁ、っ!」
ぎりっと音を立てて歯を食いしばる。
こんなにも枯渇していたのかと思う。
いや、枯渇して仕方なく吸血行動をした時もこんなにも欲にまみれることは無かったはずだった。
「っ、理佐、痛い…」
「ね、る、、、はなれて……!」
「理佐、?」
ねるの声で無意識に標的を捕らえていた本能に理性が気がつく。
精一杯の力でねるとの隙間を作り逃がそうとしたけれど、そんな理佐を見て、その隙間でしたねるの行為は真逆だった。
着ていた制服のネクタイを緩めて、ボタンを外す。ねるは理佐の眼前に、口元に。
首元を晒し近づけた。
「っ、!?」
「いいけん。理佐」
諭すような声が理佐の耳に届く。
別の欲さえもが理佐を襲おうとしていた。
「だめ、、、、っ」
「やだ。ずっと、思っとったと。理佐にならいいって」
ぐっと隙間なく体ごと押し付けられて、その肌に、理佐の唇が触れる。
理佐、好きだよーーー
その言葉と、抱きしめ返される腕、
ねるの香りに
理佐の理性は崩れ去った。
理佐の剥き出しの本能と牙が、ねるの肌に食い込み、
ねるの苦しげな息遣いを耳元で感じながら
ほかの誰でもない自分が
ねるの腕に包まれて、
その温かな血を
ねるそのものを
飲み込む。
喉を通り、体に飲み込まれ染み入る感覚は
今まで感じることの無い快感で。
どんどん身体が熱くなって灼かれているようだった。
それは
なにより苦痛で支配され、何より幸せに満ち足りていた。
初めて、
欲望と本能とともに
愛しい人の血を
貪ったんだ。