An-Regret.
『なぁ、』
───、
『不良品』
──それは、トラウマか。現実か。いつも、ハッキリしない意識の中では分からなくなる。
いや、でももう、どっちでもいいのかもしれない。
だって。
もう、私は。
何も
『長濱ねるが壊されるで』
「──!!!」
たった一言。それだけで、下を向いていた世界を置き去りに、意識が這い上がろうとする。
けれど何かに押し付けられるように、意識は蓋をされもどかしさが募る。聴覚からの刺激は酷くダイレクトに伝わるのに、それ以外は塞がれ、目を開けることも起き上がることも、声を出すことも出来なかった。
それて下を向いた私が言う。
不良品の証拠だと───
「理佐はどうした」
『だれも要求に応じるなんて言ってないよ』
「……」
ねるが、愛佳たちの元に送られてから数日が経ち、その膠着状態を崩しに来たのは尾関たちだった。
それでも、尾関は保乃と同じ格好を子を数人連れて来ただけで、理佐の姿はなかった。
それで理佐が現れるなんてあまりに楽観的過ぎだと、心の内で戒めた。
尾関『それで?長濱ねるは真祖との契約はいつに するつもり?』
愛佳「平手とねるに番契約はさせない。お前らの指示には従わないし、どっちにも破棄の手順は踏ませない」
尾関『よくよく絡んでくるね。…あなたはどういう立ち位置なの?』
愛佳「ただの異物だろ。それ以上お前らに知ってもらう意味は無いね」
尾関『……』
愛佳「理佐を連れてこい。話はそれからだ」
尾関『黙っててよ。あなたは異物であって、当事者でもなんでもない。第一、渡邉理佐はこっちにあるのに破棄の手順は取らせないって状況わかってないでしょ』
揚げ足の取り合いのようにも聞こえる、そのやり取りは
互いに牽制しあっているようだった。
ねるは、その会話を見ていることしか出来なくて
吸血鬼という存在が埋める世界を、本当に何も知らないんだと無力感に襲われる。
夏鈴「なぁ、井上来おへんの?」
松田「それが連絡してるんだけど来ないんだよね。あっちでなんかあったかな」
夏鈴「…そんな面倒な感じやなかったはずやけど、」
松田「あの子のことだから、大丈夫だとは思うんだけどね」
こそこそと話されるそれが耳につくほどの無音の中、尾関は少し考えるようにして呆れたように腰に手を当てた。
『ねぇ、真祖がここにいないのはそういうこと?いくら求められても渡邉理佐はここには来ないよ。真祖との番成立が目的なんだ、それについて答えてもらわなきゃ。真祖を呼んでよ、私たちだってなんの意思もなくこういう行動をしてるわけじゃない』
ねる「…」
愛佳「少なくともその黒いやつらはなんの意思もないんだろ。拾われただけの使い捨てだ」
夏鈴『言い方悪…』
松田『うーん。私達も理解はしてるけどこう言われるとやな感じだね』
尾関『……はぁ。こっちの関係性なんて関係ないじゃん。話をずらさないで。こっちの目的は真祖との番成立。渡邉理佐はここには来ないし、番破棄は既に詰み。ならもう諦めるしかないでしょ』
ねる「……っ、理佐ともう1回話をしたい」
詰まっていた声をひねり出す。
愛佳にばかり頼って任せて。何も出来ないのと、何もしないのは違う。理佐を追わなきゃいけないのは自分だ。
尾関『……』
ねる「話をさせて。会わせて!」
尾関『長濱ねる、それを私たちが承諾しないことくらい分かるよね?』
ねる「…それでも、あなた達が求めることも、理佐に会わせてもらえないなら叶わない」
尾関『力づくでの契約成立をさせることだって出来る。それでもその要求を下ろす気は無いの?』
ねる「っ、」
愛佳「ない。そんな脅しは通じないよ。お前らは平手に会った時、自分から敵わないと口にした。それが嘘だとは思えないね」
ねる「愛佳…」
尾関『つくづく邪魔をするんだね、』
愛佳の態度にイラつきを見せていた尾関は、一息吐いて仕切り直すようにねるへと視線を向けた。
尾関『番について、長濱ねるはどこまで聞いている?』
ねる「……、それは、」
尾関『あの不良品は、どこまで知ってるのかな』
愛佳「理佐をそう呼ぶのはやめろ」
けど、理佐の扱いに愛佳は口を閉じることはなくて。
ねるには愛佳のその態度は違和感だったけれど、今まで愛佳の前で理佐を不良品だと口にする人はいなかったと気づいた。
尾関『うるさいなぁ。何をムキになるんだよ、今更、根付いた呼び方を変えたところで現実はなにも変わらないよ』
愛佳「そんな話はしてない。理佐を侮辱するような呼び方をするなって言ってるんだ」
尾関『ああもう、話が進まないなぁ。分かったよ、代わりにあなたも黙ってくれる?』
愛佳「……、」
その言葉に、愛佳は険しい顔のまま黙る。
その姿に尾関は、何度目かのため息をついて
聞きなれたそれを、ねるへ口にした。
尾関『……番は、絶対的唯一。誰も代わることは出来ず、変えることなど叶わない』
ねる「……」
尾関『それは、なんでか。考えたことはある?』
ねる「え?」
ねるの反応に、尾関は嬉しそうに口角を上げる。
漠然とされる質問に、ねるはそれこそ疑問しか浮かばなかった。
尾関『吸血鬼の長い命の上で、ただ1人なんてありえないと思わない?』
尾関『人間は固い生き物だよ。生命の繁栄や命の紡を考えるなら、1対1なんて効率が悪い。なのに、結婚やら伝統やら儀式めいたものを重視する。それでも、人間は弱いから、そうしなければ命は生きてきけないんだ。でも人間だって離婚も再婚も許されているでしょ?』
ねる「……」
今の時代の形になる前は、もっと生産的だったと尾関は語ったけれど
途中でそんなことはどうでもいいと話を終わりにした。
尾関『なら、番はどう?』
『生命なんてほとんど関係ない。吸血鬼は半永久的だからね。にも関わらず”ただ1人”。吸血鬼同士ならまだしも、吸血鬼と人間に、番関係は必要かな?そこで人間を絶対的唯一と決められたなら、吸血鬼は血を薄くし、その存在価値を失っていくだけなのに』
それは、その思考は危険だと
本能が体へ変調を起こし訴えてくる。
なにが、という訳でもなく
気分が悪くなっていく。
『ここで、ふたつの可能性が現れると思うんだ』
『ひとつは、人間は1対1を大事にするが故に、1対1で生命を紡いできた故に、強く、多くの”人間”が世を埋めている』
『それを是とすることで、人間に紛れて生きていくこと。それが吸血鬼が生き延びる術とし、人間との番も関係なく唯一だとした』
1を示していた指が増え、次を示す2が表され
ふたつめの可能性が述べられると分かる。
1つ目はただの布石だとでも言うように、彼女は面白そうに笑みを深くした。
『その文言は、偶然か、』
それでも、私から目を逸らすことはなく
私の反応を見定めているようだったけれど、私には彼女の口が何を紡ぐのかを考えるばかりで
理佐のたったひとつ残した”嘘”の真相が分かるんじゃないかと、胸を高鳴らせた。
『もしくは誰かの意図によって、番の定義自体がねじ曲げられたか』
「は、!?」
それは、なにを、どう、ねじ曲げられることが
この話に繋がるというんだろうか。
『長濱ねる、君は、攫われ存在を変えられた小林由依と、吸血鬼として不良品の渡邉理佐から、まるで違う”番”を言い表されているはずだ』
「っ、」
『それは、どちらも嘘ではなく、事実だとしたなら、この可能性は肯定的になる』
そして、尾関はその可能性を高く見積っている様子で『だとするなら、私たちの言う番破棄は、到底不可能とは言えない』と続けた。
由依さんの言っていた絶対的唯一だとするのなら
番破棄などできるはずがない。
それは、吸血鬼たちが1番わかっていることだ。
ただ、理佐の言う、『人間と同じ』ならば。
本当は、ただの形式だけの話ならば。
「っ、ちがう。理佐やって番は絶対やって言っとった!」
『けれど、人間の結婚と同義だと言われたでしょ?』
「それは、!」
それは、絡みついて離れない、真実と示されながら嘘だと疑う、理佐が伝えた事実。
尾関『長濱ねる、私はね。渡邉理佐の言う形が真実だと思ってるんだ。けれど、吸血鬼のほとんどが伝承のように、”番”は変えのないただ一つだと認識している』
尾関『絶対だと、番破棄などできないと分かっていたなら、私たちにひれ伏すことなどなかったはずだよ』
ねる「──っ、そんなの」
尾関『知ってるんだ、渡邉理佐は』
ねる「──え?」
夏鈴『……、』
尾関『他の吸血鬼が真実だと信じて疑わないその事実が、本当は虚実だと』
それは、。
『───番は、絶対的唯一などではないんだって』
理佐は、
番は絶対的唯一で、
誰にも変えられず代われないのだと言っていた。
それでも1度だって、人間で言う結婚や浮気と変わらないという言葉を否定してくれたことはなかったんだ。
ねるは、理佐が唯一繋いでくれた”番”が酷く脆いものに感じられてしまって。
そのことばかりに気を取られて、尾関の繋いだ言葉の隙間や落とし穴に気づくことは出来なかった。