An-Regret.
──私より由依の言ったことを信じるんならもうそれで構わない。私の意思は誰にも通じなくていい。
番破棄とともに投げられた言葉を最後に、何も事情が分からないままねるは黒衣装の人達に引き離されてしまった。
夏鈴と呼ばれるそのひとに抱えられて身動き取れない中必死に抵抗するけれど、夏鈴は落とす気配も感じさせなかった。
ねる「離して!理佐のとこ戻るったい!!」
松田『大人しくしてください。また眠らせますよー』
夏鈴『うあー。こいつもう寝かせようやー』
松田『だめだって。あんまりやったら脳に支障が出るって言われたでしょ 』
夏鈴『ほんなら能力使わなええんやろ』
松田『また力づく?それ尾関さんに怒られたんだからね!ダメです!』
ねる「あんたらなんなん!理佐に何したと!?」
松田『夏鈴は殴りましたけど私は何もしてないですよ』
夏鈴『嘘あかんで。天井からのしかかったやろ』
松田『夏鈴ちゃんがやられそ〜だったから助けてあげたんじゃん』
ねる「そんなんどうでもいいったい!」
『……長濱ねるさん、』
『『!』』
「…、?」
移動中、急に現れたその人に、夏鈴と松田は動きを止める。纏っていた霧は、黒衣装の人たちと同じものだった。
けれどそれより、自身を抱える夏鈴の身体が、止まったというよりも、体を強ばらせた、という印象の強く脳にこびり付いた。
『…はじめまして』
ねる「……だれ?」
目の前で澄ます、表情は。
うっすらと口角を上げ、目を弧に描く。
柔く上がった頬。
それらは全て、好印象を与えるはずのものたち。にも関わらず、ねるは無意識に、手に触れる夏鈴の服を縋るように握りしめた。
夏鈴はその人の指示に従って、ねるを降ろす。
縋ることすら許されず、1人立たされる孤独が
目の前の得体の知れない恐怖を増強させた。
『…渡邉理佐』
「!!」
柔らかい声に、紡がれたのは
愛しく、大切な。唯一無二の存在。
ねるの反応に、描かれる弧が深くなる。
『あんなに優しい人が、なんで番を破棄することを選んだか…本当に分からない?』
「……、っ、」
『ずっと見てたよ。優しいやさしい渡邉理佐は、あなたから離れようとしてたのに、あなたは引き止めて、つなぎ止めて』
目の前の人の言葉に、嘘はない。
『足枷なんて付けさせて、その傲慢を満たしてる』
理佐の気持ちに確信がない今、それは何の防衛も立てられず
心に突き刺さり、抉っていく。
『あなたは選択を間違った。だから今、渡邉理佐は苦しんでる…』
「、っ!」
『本当に、破棄された理由分からないの? 』
……”本当に”?
本当は……どこかで抱えてきた。
自分が否定される意味を。離れようとする姿は何を映しているのかを。
きっと違うと言い聞かせてきた事実を、目の前の口がなんの繕いもなく吐き出していく。
美しいと言われるであろうその唇が動くことが、酷く気持ち悪かった。
『最初にその血を喰べたのは誰? それを反逆して別の人と番結ぶなんて有り得ない。しかもそのせいで、もう二度と名前も呼べないようになるなんて』
『ねぇ、長濱ねる』
『好き、なんて言って。優しい理佐を《好意》に縛りつけたのはあなたでしょう?』
『なのに、その血を番以外の半端者に与えた…』
心臓は、どんどん音を大きくして
なのに、心臓から離れる手も足も脳も血が足りない。
視界が砂嵐にまみれて、耳鳴りと共に、雑音が、世界を占めていく。
『理佐も真祖も苦しめてるのは、だれ?』
『真祖の番候補がどれだけ重要か分かる?それを収奪する罪の重さが分かる?…理佐は殺されても仕方がないことをしてるんだよ、あなたのせいでね?』
「違う!理佐は……!」
必死に絞り出した声は、遠く、あまりに頼りない。
私は私を、肯定できない───、
『───だから』
あぁ、だから…、
『だから、あなたは今、捨てられた』
「───……、、、」
『だから、渡邉理佐は死ぬ』
心とシンクロする言葉は、色を変えて
私と同化して、ゆっくりと別の色に染め上げる。
気づかない。
それは、元からそういう色だったと、思ってしまう。
『……気づいてたくせに』
「!」
ドン、と音を立て、私の心にのしかかる。
その重圧に、耐えられる気がしなかった。
『番候補に手を出した時点で、渡邉理佐に存在は許されない』
『あなたは周りを不幸にした。渡邉理佐は真祖の側近としての唯一の居場所を失い、真祖は選択の余地を失った』
『あなたという存在が、すべてを壊したんだよ』
「──……、っ、りさ、は…、ちがぅ」
『本当はぜーんぶ、分かってるんでしょ?ねるちゃんは、賢い子だもんね?』
「、、っ、」
ぐわん、と世界が歪んで、酷い浮遊感に襲われる。
呼吸が、できなくなる。
胸が、心臓が。きつく、きつく、締め付けられる。
目は、宙を見つめてる。
それを頭の中で理解してるのに、何を見ることも出来ない。
頬を伝うのは、なに?
視界が歪むのはなぜ?
心臓が冷え込むのは、どうしてだろう。
私の脳は……生きているのか、?
ただの世界が広がって、思考はどこかに飛散したようで……
深い深い奥底に、底の知れない沼の中へ、とぷん、と落としてしまったようだった。
松田『怖っ』
夏鈴『えらく憎まれとるなぁあの人』
松田『話し終わったら寝かせて尾関さんのとこ行くんだよね、』
夏鈴『結局眠らすやんか、』
黒い衣装のひとたちが、ねるの視界に手を添える。
ねる「………、」
沈む意識は、現実から逃げ出せる気がして
心地よかった…。
───………ねるはね、りっちゃん。
理佐とてちの、架け橋になれると思っていたの。
ねるたちが選んだ道は、苦しくても一緒に歩んでいける道だと思っていた。
てちも、愛佳も
理佐を大切にしてて。
ねるやって、理佐を大切にしたくて……
好きで。
だから、一緒にいる道を選んだ。
はずだった。
『ねる、番を破棄する』
苦しかったんかなぁ、りっちゃん。
ねるのせいで、大切な人に会えなくなって。
ねるが縋ったせいで、優しいりっちゃんは離せなくなったと?
何度も離れようとしたんは、ネガティブでヘタレてたんやなくて
ほんとに離れたかったんかな。
ねるが、理佐を選んだせいで。
ねるが………
優しい理佐が浮かんでは
あの重く突き刺すような言葉が打ち消していく。
愛を確かめあった時間が、尽く否定されて
温もりは冷たく色褪せてしまう。
信じたい。
理佐がそんなこと、思ってないと。
でも。
ねるの選択が、理佐を苦しめてしまったことは否定できなかった。
てちと関われなくなったのも
てちと共にいる愛佳とは会えなくなったのも事実だ。
本来ならもっと厳しい処罰があったはずだと、理佐に言われたこともある。
由依さんとの件だって
血を自分の意思で許したことは、どんなに理佐を思ったとしても、知らなかったとしても
理佐を深く傷つけた。
その後だって、てちにも理佐にも、周囲の人達にだって多くの迷惑をかけた。
そして、今。
番を結んでしまったせいで
そして、番を破棄することで理佐に苦痛を強いることになってしまった。
りっちゃん、ごめんなさい。
ねるは何もできんで、やな事ばっかり引き寄せて、辛い思いさせたばい。
でも、叶うなら
また、名前を呼んで欲しい。
ねる、って、その声で紡いで。
そしたら、ねるは。
ねるの意思で、理佐から離れるけん…
理佐が傷つかんなら、ねるの痛みなんてどうだっていい。
もう、これ以上。理佐に傷ついて欲しくない。