An-Regret.

─お待ちください!
──小林様っ、平手様へお取次ぎしますから!


邪魔する輩を退かし、制止する声を押しのける。
身につけたごつく硬い靴が、いつも以上に音を鳴らして私の存在を奥にいるお偉いさんへ知らせた。

けど、そんなことはなんの意味にもならなかったみたいで
強引に開けた扉の先では、いつも通りでかい机と、山のように積み上がった書類の奥に退屈そうな顔があった。


「…なにしてんの」

「…こば、ドア壊れてるよ、なにしてんの。」

「聞いてんのは私。あんた、ここでなにしてる!」

「……、」

「理佐とねるが消えた。土生らの所には変なガキが現れてる。ここにも、誰か来ただろ」

「……だったらなに」

「!っ」


挑発するような言葉に、感情に任せて腕を振り降ろし、平手の手にあった書類諸共『雑多な仕事』をなぎ飛ばす。
それでも、平手は眉ひとつ動かすことはなく、その冷静さが余計に苛立たせてきてそのまま胸ぐらを掴んで強引に引き寄せた。
バサバサと紙の音だけが響く。平手と睨み合う感情とは裏腹に
舞う紙たちに意識を傾ける自分も確かにいて、まるで自分が真っ二つ分かれたみたいだった。


「…小林。止めろ、真祖だぞ」


そこに、ため息混じりの愛佳の声がして
怒りに震える自分がバカにされている感覚と
理佐への感情がよく分からない感覚に陥れてくる。

愛佳から見る私は、さぞ人相が悪いだろう。それでもそんなこと繕いもしたくなかった。


由依「…愛佳、なにしてんのあんたまで」

平手「……」

愛佳「とりあえず、平手から手を離せよ。真祖相手にそんなことすんな。ひかるが待ってるだろ」


ここでひかるを出してくる愛佳は卑怯だ。
『ひかる』の言葉に、紙に耳を傾けていた自分が意識を染め始めて
それでも、奥歯を鳴らしながら、私は平手から手を離した。


愛佳「…あいつのことへの関わりは制限されてるんだ。ねるを探しにも行ったけど間に合わなかった。今回仕掛けてきてるヤツらがここに来たのと、ねるや土生たちのとこに現れたのは同時刻だ。間に合うわけない」

由依「……本気でそんなこと考えてるわけ?」


愛佳のセリフに、腹の奥が啄かれるようだった。
そんな話をしてるんじゃない。
最初に間に合わなかったからってなんだっていうんだ。


愛佳「なんだよ、何か出来るわけじゃねーんだよ今は」

由依「そういう考えだから、私はこんなことになってるんだ」

愛佳「は?」

平手「………、」


他人のせいにしていることは分かっている。誰も助けてくれなかったと未だに駄々をこねていると指さされても仕方がないと自覚してる。
けれど、自分に起きたそれそのものを自分のせいに出来るわけがない。

反逆が起きたその時、私は攫われた。
そうして、体を作り替えられ、吸血鬼とも、オオカミともなれない存在になった。

もしもあの時、周りが探してくれたら
助けてくれたなら
あんな苦しい思いはしなかった。

今のひかるとの在り方を否定するわけじゃない。
今はこれでいいと思えるようにもなった。

けど。だからって。
あの苦痛があって良かったなんて思えるわけが無い。自己否定は変わらない。
存在への不安は、影のようにまとわりついて身体が気持ち悪くて仕方なくなるときだってある。

暴力的な存在否定。
死が救いと化す、そんな絶望。

周りが、”真祖”が。
動いてくれていたなら、小さな犠牲だと捨て去らなければ
もっと違う、生き方をしていたかもしれないんだ──


由依「…今度はあいつを犠牲にするの」

平手「……私を神かなにかだとでも思ってるの?私に出来ることなんて知れてるよ。誰も救うことなんてできない」

由依「守ったんじゃないの、あの時、救いたかったんだろ。だからこうなった」

平手「…できる事だったから、やったんだ。私は、……、」

由依「………っ」

理佐をネガティブでへたれだと、誰もが知る事実だ。
けど、目の前で視線を落とすこいつだって形が違うだけでとても似ている。

平手にしか出来ないことがある。
平手だからやれることがある。
他の誰も代われやしない。
そこにある存在を誰も揺るがせられないんだ。

なのに、なぜ。

自分は『これしかない』と手のひらを眺める。
その、出来ることが、他人に出来ないとなぜ認められない。

それを遂行することが、周りにとってどれだけ救いになってるのかを
どうして、受け入れられないんだ。

















「……どうしたらいい」

『従う気になった?』

「……ねるにも、平手にも……これ以上苦しい思いはさせたくない」


私の存在で、
私の番であるせいで、

悲痛も苦痛も、背負わせたくない。

ねるによって晴れていた世界は、今や曇天で。
終わりを迎えるなら、ねるの傍が良かった、なんて他人事のように思う。
君がいたなら、どんな悲しい出来事にも心穏やかにいられる気がした。


『夏鈴、長濱ねるを起こして』

『ん、』

「っ!言うこと聞くって言ってるでしょ!ねるに手を出すな!」

『何もしないよ。ただ恨まれたくないからね。あなたの意思で番を破棄することを、ちゃんと伝えて』

「……っ、、」


心臓が、潰れそうだと思った。いっその事潰れてしまった方が楽だとも思える。
…自分を守るために、逃げるために記憶を消したあの時とは違う。

ねるのため。

そんなことを言ったらきっと、君は怒るだろう。きっと、ぼろぼろと涙を流して…私なんかじゃ考えつかない答えを持って掲げてくれる。

そんな君に、救われてきた…。


『あ、記憶は消しちゃダメだよ。後々弊害が出るし。なんだかあなたのことに関しては思い出せちゃうんでしょ?』

「……ーー」


あんな最低なことをしておいて、君は私を見つけてくれた。探し出して、手を伸ばしてくれた。最後の最後まで、君に救われて……一緒に生きる道を歩ませてくれた。

愛することも、愛されることも
君が教えてくれたんだ。


「……っ、」

「……、りさ、?」


夏鈴がねるを撫でるように触れてすぐ、ねるは目を覚ました。

柔らかい声が、耳に届いて、痺れる。
黒い瞳が私を映して、心臓が大きく震えた。

溢れそうな感情を、頬の裏を噛んで押し込む。零れた血は、君とはかけ離れていた。


「ねるを出して」

『…何かしたら、分かってるよね』

「分かってる。ねるが傷つくようなことはしたくない、」

『…。夏鈴、やってあげて』

『……』


解錠されたドアが開く。邪魔だった格子が抜け、私とねるは互いに足を進めた。
ねるの後ろには夏鈴が立っている。それでも今は、攻撃するような姿勢は見せなかった。


「……ねる、大丈夫?」

「っ、理佐!怪我なか?身体平気と!?」

「うん、平気」


目が覚めてすぐ、私の心配をしてくれる。
いつも、そうだった。

そんな反射的に表されることが、たまらなく嬉しかった。


「……ここ、どこ?」

「……私にも分からない。私たち攫われたんだ、」

「え?」


どこも、傷ついてない。私みたいに手荒な対応はされてないようで、夏鈴の言う『大事に扱え』という命令は守られていて安心した。


「理佐、?」

「……ねるが無事でよかった。」


腕を伸ばして抱きしめる。
この、温もりも、香りも柔らかさも、最後だとわかってるのに実感なんてなくて
ただ、それでも後悔しないように。
いつもより強く力を込めて、体に刷り込ませるように抱きしめた。


「……理佐?」

「…ねる。よく聞いて」

「え?」

「……、」


お別れだ。ねる。
こんな形が来るなんて、想像もしてなかった。
もっと足掻くべきだとも思ってる。

けど、それだけ君は危険に晒される。
足掻くだけ、抵抗するだけ
君への苦痛が増大される。

なら、君は平手の元にあるべきで。
私の抵抗こそ……あってはならない。

この状況にこれほどに落ち着いているのはきっと、君に愛されたからだ。

なのに、


「………、」

「りっちゃん、どうしたと?」


どうして、言葉が出ていかないんだろう。
喉が痛くて、言葉が出ない。
そんなもの、無視して、例え声帯が潰れたとしたって君を守るべきだとわかってるのに。

苦しさを誤魔化すように、力を込めれば、
ねるに爪を立ててしまって、顔が苦痛に歪んだ。そうしてやっと突きつけられる。

私の抵抗なんて、君を傷つけるだけだ、と。

喉よりも心臓が痛くなって、やっと言葉が出せるようになった。


「……君はこれから、平手の元に行く。この子たちが平手のところまで案内してくれるから、心配しないで」

「理佐は?」

「……私は行けない」

「っ、なんで!?」

『………、』


あいつらの視線が刺さる。
自分の口から言わなければ……。
君との、別れを。


「ねる、」


心の蓋を押さえつけて
私の気配を消して、君を支えることだけを考えよう。

君への危害はすべて、私に流れてきたらいい。

君のためならなんだって、耐え凌いでみせる。


「───番を、破棄する。」

「……え、?」


どんな理不尽にも、
暴力にも、

だから───





「でもねるの身体が人間に戻れるわけじゃないから、平手の元に行くんだ。ちゃんと守ってくれるから」

「なん、言っとると、?番は別れられんって言ったばい!」

「浮気や不倫と同じだって言ったでしょ?今回は別れる、それだけだよ」

「嘘つかんで!!」

「!」

「そんな嘘に騙されると思っとる?そんな覚悟で理佐といると思っとる? 理佐と生きるって決めたんは、そんな軽いもんじゃなか!」


ねるは私の腕を掴んで、逃がさないとでも言うように力を込める。
言葉は一見責めるようだけど、ねるの顔は怒ってるだけじゃなくて、私が何を思っているのか探ろうとしているようだった。


「由依さんは、そんなん言っとらんかった!そんなもんと比べられんって言っとった!!またねるに嘘つくと!? なんでそんなんばっかするん!」


「───ね、」


ねるの言葉は、やっと絞り出した別れをちぎろうとする。心の蓋が開いて、君を捕まえようとしてしまう。

けれど、その瞬間、冷たい声がした。


『長濱ねるさん、』

「!」

『痴話喧嘩はやめときましょ〜。萎えます』

夏鈴『ほんま、鬱陶しいわ』

井上『こんな好きなら別に無理に離さなくても、いたっ』


3人が寄ってきて、心臓が冷える。
ねるに何かが起こると、不安と焦燥感に襲われる。
これが恐怖なのだと、叩きつけられる感覚だった。


「なんっ、なんなん、あんたら」

井上『んーと、理佐さんの、…番の望みは叶えんとやないですか?』

ねる「理佐がなんて言ってもねるは番解消なんてせん!」

井上『あかんなぁ、ねるさん。今までどれだけ辛い思いしてきた?今回もまた別れ言われて苦しいやろ?せやから、もっと大事にしてくれる人んとこ行くんや。傷ついてばっかなんて疲れるだけやろ?』

ねる「……っ、ちが、ぅ。ねるは…っ?」

井上『安心してええで、番破棄の代償は─』

理佐「もういいでしょ!ねるを連れて行って」

井上『おぉ』

理佐「ねる、私より由依の言ったことを信じるんならもうそれで構わない。私の意思は誰にも通じなくていい」

ねる「理佐!?」


平手が危ないと言えば…君は選択を迫られる。

私か、平手か。

君はきっと選べない。私も、平手も捨てることなんて出来なくて
きっとその選択を一生背負うことになるだろう。

そんな苦痛は背負わなくていい。
私が勝手に別れを選んで、その代償を受ける。

君はこれからその苦痛を背負うかもしれないけど
どこかで降ろせる日がくる。背負い続ける日の中で、自分を責める時間は少しは少ないんじゃないかと思うんだ。

相手を失った悲しみより
自分を責める苦痛の方が大きいと、知ってるから。

そして、平手が……一緒に歩んでくれることを願ってる。

ねるは、

私の人生で愛した、ただ1人の存在だから。

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