火種が弾けて、世界は回り始める。
「ねる」
名前が呼ばれて、心臓が締め付けられて痛くなる。
てちが、ねるの体に絡みつくなら
理佐は、ねるの心に絡みついて、
離さない。
ねる「……っ、」
理佐「……おいで、」
下がった視界ぎりぎりに、理佐の手が見える。手を伸ばしてくれているのが分かる。
理佐に包み込まれるような行為に、苦しくなる。客観的に考えれば、誰かに触れられた体を好きな人に会わせるなんて
その手を取るなんて、すべきじゃない。
だって、きっと恋人同士のねるたちから考えれば
それは紛れもない浮気で。どうあっても拒否しなきゃいけなかった。
てちにキスをされた、その時。
心が動かされたのは嘘にできない。
そんなやつが、この手を取っていいはずない。
そんなこと、分かってるのに。
ねるは最低だ。
目の前の、優しい理佐に縋りたい。
その手に包まれたい…。
酷く勝手な思考は固まった体を動かして、
小さく足が前に引きずられる。けれど
ねる「!」
平手「無視しないでよ、ねるは渡さないって言ったじゃん」
理佐「……ねるを離して」
てちに引き止められて体が固まる。
腕を掴まれて、さっきまでの行為を思い出させてくる。
心臓がバクバクとして、現実を押し付けてくる。
そういうことをしてしまったねるを知っても、理佐のこの手は未だねるに伸ばされるのか。
その手を取って……そんなこと、していいのだろうか。
理佐の真っ直ぐに向かうその瞳に映る資格は、ねるにはない、。
平手「ねる」
ねる「!」
平手「理佐のとこいくの?」
ねる「……っ、」
平手「私と、したのに?」
その一言に全身が冷えるのが分かる。
どこかで誤魔化せるんじゃないかと
あまりに楽観的な思考が塵に消えた。
てちに投げられた事実は、ねるの目の前を暗くする。
「平手!」
強い声が鼓膜を揺らす。
居酒屋でのときとはまるで違う。聞いたことの無い、感情に任せた理佐の声に驚いて体がビリビリと痺れた。
理佐「黙って。自分がしたことを人に押し付けんなよ」
平手「……」
理佐「ねるが、平手といることを選ぶのと、そうやって選ばせられるのは違う。今の平手に、ねるは渡せない」
ねる「……理佐、」
ねるを掴む平手の手を、理佐が引き離す。
そのまま、ねるの腕を掴んだ。
「まだ、ねるは私のだ。返してもらうよ」
理佐に引かれて、体がもつれる。
それでも、足を前に出して理佐へ付いていく。
それ以上、てっちゃんに引き止められることは無かったけれど
少しだけ振り返った先で、てちは寂しそうに
でも、まっすぐな瞳でこっちを見ていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「……大丈夫?」
「……ごめんなさい、」
「……。」
ねるを引いて着いた先は
いつかねると体を重ねた、あのホテルだった。
「……シャワー、浴びておいで」
「……っ、りさ」
「いいから」
何か言いたげなねるの先を遮る。わかりやすいくらいに余裕が無い。
気分を変えてほしい。
そんなのはただの上辺で。早く、平手の痕跡を消したい。平手の感覚を忘れて欲しい。
ねるの中から少しでも早く、たった僅かでいいから平手に消えて欲しい。
許されるなら、上から塗りつぶしてさえしてしまいたい。
動く音がして、目をあげるとシャワーに向かうねるの後ろ姿が映る。
肺にひゅっと空気が入り込む。息を止めるように歯を食いしばる。
この、身体を
平手は、、触れたーーー。
唐突に襲う事実。
ぎり、と音が鳴るほどの食いしばりは、なんの足しにもならなくて。
私は本能のままに、乱暴な足取りのままねるへ近づく。
それに気づいてねるは振り返ろうとしたけれど、それより先にねるを抱きしめた。
「っ、理佐、?」
「ーーっ!」
力いっぱい抱きしめる。力の加減なんて出来なくて
そのままねるのうなじに鼻先を埋めた。
「んっ!」
「ーー」
ーーーにおいが、違う。
鼻腔を埋めた香りがいつものねるのものじゃなくて、お腹の奥から感情が音を立てて上り詰め爆発する。
ねるの体をベッドに投げて、落ちた体に馬乗りになった。
「っ!!?」
「…平手に、抱かれたの、?」
「理佐、っ!」
「名前、呼ばないでよ」
私の声に、ねるの瞳が悲しげになる。
でも、この醜い嫉妬は、怒りは。
誰に、なんと言われたって。
止められない。
私は、感情のままねるの服を鷲掴みにする。
ねるが反射的に止めに入った手なんて邪魔以外の何者でもなくて、イラつきは助長される。
私はそのまま
力任せに服を引っ張りボタンを引きちぎった。
ブチブチと、聞きなれない乱暴な音は
その一室に大きく響いて
遅れて、カツン、とボタンの落ちる音がした。
「ーーー……、」
「っ、りっちゃ、、」
頭が、真っ白になる。
服の下から見せた、ねるの肌。
白い、綺麗な肌に
まばらに残る紅が、爆発していた感情に氷水をぶちかける。
呼吸が止まって、口の中に唾が溜まる。
心臓ばかりが慌ただしく動く。
無意識に、震える指先で紅に触れる
瞬間、ねるがぴくりと反応して
息を途切れさせた。
それは、なぜか。
平手に影を誇示されているようで
私は、理性も思考も投げ出してしまう。
「………気持ち、よかった、?」
「!」
「反応しちゃってさ…、平手は……」
そこまで言って、言葉が止まる。
その先を口にしちゃいけない。そんなこと分かっていたけど
そんなの追いつかなくて。
最悪なことに
それを止めたのは理性でも良心でもなく、電話が鳴るとか奇跡に近い偶然なんてものでもない。
それを止めたのは…酷く傷ついた、ねるだった。
口にはしなかった。
言葉にならなかった。
そんな事実は無意味だ。
私が何を言おうとしたのか、どれだけ酷い言葉をぶつけようとしたのか
それはねるに伝わってしまった。
「……ごめん、」
「ごめん、なさい…っ、」
互いに謝罪の言葉を口にする。
最低だ。感情なんてただの言い訳でしかない。
ねるはずっと、謝ってばかりで
なんの言い訳も繕いもしていないのに。
その言葉は、自分の責めている証拠なのに。
平手に立ち向かうより
平手の手からねるを奪うよりも、
私は何を差し置いてでも、ねるを抱きしめなきゃいけなかったのに……。