火種が弾けて、世界は回り始める。
愛佳といた教室を飛び出す。
後ろからかかる愛佳の声にも、走る私を気にする他人の目なんて無視して、
最初は人目のつかない所や死角になる場所へ走り回った。
校舎の裏、階段の影、講義を終えた教室、ねるを見かけたことのある教室…。
でも、ねるを見つけることができない。
「……、……っ、」
何も無いかもしれない。
友人に呼ばれたのかもしれないし、家族から帰るよう言われたのかもしれない。
ただどこかで笑っているかもしれない…。
けど、
『さっき、ねるが囲まれて移動してたけど、なんかあった?』
愛佳とのやり取りのしばらく後、由依が来てそんなことを言い放った。
ねるの声は、聞き間違いじゃなかったんだ。
あの時、ドアの前にいて。すぐ近くまで来てた。
ならドアを叩いて一言、声を掛けてくれてもおかしくない。だって、そこに居たってことは私に逢いに来てくれていたんだから。
「……っ、ねる…」
囲まれてたからって危険なわけじゃないのに、何かあったんじゃないかって怖い。
傷つけられてないか不安だ。
なのに。
君が見つけられない。
ーー『でも毎回なんて助けられない!理佐が間に合わない時だってある。どうするつもりだよ!』
「っくそ!」
平手の言葉が、心臓を貫く。
都合よく思っていた。ねるの危険な時には自分は駆けつけられるって。
甘くない現実に、喉が締め付けられるようだった。
ーー♪。
スマホが着信を知らせてきて慌てて画面をフリックして通話を受ける。
「!!、もしもし!」
『理佐どこにいんの?』
「愛佳…、?」
画面に表示されていたはずの名前を疑問形で返してしまう当たり、自分の慌て具合を自覚する。
愛佳はそんなこと気にしないように、用件を伝えてくれた。
『ねる囲ってた奴ら見つけたよ。ねるにはなにもしてないって』
「ほんとに…!?」
『、。』
「愛佳?」
『……平手が、ねるを連れてったらしい』
「!」
『東の建屋の方面に行ったとこまでは見たってよ。今、小林が教室にいてくれてるけどまだねるは来てないみたいだね』
「…良かった、」
『?』
「平手なら、ねるを傷つけるようなことはしないはずだよ…だから、安心した。ありがとう、愛佳。もう少し探してから戻るから」
『……分かった。』
通話を終えようとした時、理佐、と呼び止められてまたスマホを耳に当てる。
『適当にして帰ってこいよ』
その声は、何だか神妙だったけれど
ねるで頭がいっぱいだった私はその真意には気づかなかった。
……ねる、大丈夫かな。
平手が一緒なら、大丈夫だろうけど…。
何が、という訳では無いけれど、ここまで探したから一目見て安心したくて。
愛佳のところに戻ることを考えながら、空き教室を覗いて回る。
由依がいてくれてるから入れ違いになることも無いだろうという変な安心感もあった。
遠回りにした先で東側の建屋を回る。
放課後だったこともあり、昼間は空いていることが多い教室もサークル活動も相まって誰もいない教室は意外と少なかった。
少し歩いて、奥ばったところにたどり着く。人の気配はさっきとは打って変わってないに等しくなる。むしろ、あまりに気配がなくて恐怖すらあった。
「………、」
こんなところには来ないか、。
そう思って立ち止まったまま、視界に入るいくつかのドアを見やる。
手をかけるほど、ねるがいる可能性があるかを考えて、ため息をついた。
……戻ろう。
愛佳を待たせているし、ねるには平手がいることは分かった。
危険な目にはあっていないだろう。
何となくモヤがかかったまま、背を向けて歩きだす。
…
、
………、…………、。
「ーーー、」
さっきまで、気配すら感じなかったのに
僅かな音が、耳に届く。
それは、声なのか、物音なのかすら分からない。もしかしたら、心にかかったモヤが引き起こした空耳かもしれなかった、。
なのに。
なぜか、この時は。廊下に足が縫い付けられたように動かなくて。引かれるように体が止まる。
徐々に、形を成す音が、心臓を叩いた。
「ーーー………」
音を立てて、ドアが開く。
出てきたのは、平手だった。
私に気づいていないのか、立ち止まって振り返り、そのまま何かを待っている。
数秒置いて現れたのは、愛佳から聞いていた通りの、探していた相手だった。
「っ、ねる!」
「「!」」
良かった!会えた!
さっきまで、ホラー映画を見ているかのような不安と恐怖はどこかに飛散して
ねるの姿に、気持ちが上がる。
縫い付けられていた足は、引き上げられるように離れて。私は小走りでねるの元に駆け寄った。
「ねる、大丈夫ーー」
「っ!!」
「……、ぇ?」
「………。」
………なんだ?
近寄った、だけ。触れようとしただけ。
たったそれだけに、ねるは大きく体を跳ねさせて
顔を上げてくれない。
「……、」
「行こう、ねる」
「………、」
平手がねるの背に手を添える。
ねるは、1度だけ体を固めて、その手に促されるまま私の前から動く。
ーー唐突な、違和感。
理由を述べろと言われても、きっと具体的なことなんて言えない。
どれだけねるを知ってるのかと問われても、平手以上の返答なんて出せない。
けど。
感覚的な、唐突な違和感に駆られて
私は平手の腕を掴んだ。
「ーーなに?」
「……なにがあったの?」
「……別になんもないよ」
なにも、ない?
「平手」
「………」
そんなわけ、ないだろ。
「ねるに、何したの」
「…………。」
私の言葉に、平手の眼が上がる。
前髪から僅かに覗く眼は、感情が読めなかった。
ジリジリとぶつかる視線。無言の意思のぶつかり合い。
刺さるような眼に、脳がビリビリと痺れた。
危険を予知し、相手を警戒し、
攻撃への防御壁を張る。
なにかが、自分を貫くと、分かっていた。
「……理佐が言ったんだよ」
「……、」
「嫌なら、私がねるを止めたらいいって」
「…………。」
バクバクと、心臓が内側から私を叩き上げる。
相手への警戒と、自分の体の変化に頭は混乱していく。
「……、………、」
本能から襲う、警告に体はどんどん活動を増す。
呼吸が浅くなって、
視界が、何か膜を貼るように外側から見えずらくなる。
「……だから。ねるに、何したんだよ」
映るのは、必死に視線を固定した先にある、
攻撃を放つ、平手の口元だけだった。
「……ねるは、渡さないから」
いつかに、そのセリフを聞いた。
あの時、私は何も返せなかったんだーー。