火種が弾けて、世界は回り始める。

居酒屋で君を見つけて、その体に回る腕に嫉妬した。もしかしたら君の好みの相手かもしれないとブレーキをかけたけれど
拒否する声がして、それに被る男の声に自分でも驚くくらい低い声を出した。

人って、好きな人相手には自分じゃ想像できないくらいの行動を取ってしまうんだと気づいたんだ。




「ばっっっっかじゃないの」


平手とのやり取りの翌日。大学で愛佳に話をした。
飲み潰れたねるを平手に返したと言ったら『ありえない』って顔を歪まされて、ちょっと引く。


「いやだって!好きな娘が目の前で寝てたんだろ?んでもって酔って抱きついたんだろ!?チューくらいしとけって!!!」

「…愛佳、さいてい」

「……いやキスじゃ足んないよ!『家わかんないんじゃ泊まるしかないね』ってホテル行けよ。んでしちゃえよ」


腕をブンブン振って力説する愛佳を私はどこか他人事のように見てきて。
自分のことだと思い返して、思考を引っ張り戻す。そんなこと出来ただろうか、と昨日のねるを想像してみる。……お酒に染められた頬と、柔らかそうな唇。人気のない夜の街。

私が足を進めたなら、愛佳の言うホテルへ行く未来があっただろう。

そして。

ねるに、キスをして
その柔らかい唇を堪能して。

柔肌に触れて………




と、考えてため息をついた。



「…………、、、」

「なんだよー。平手と女の取り合いしてんならそれくらいしなきゃ」

「……ねるはかっこいい私を追いかけてるんだよ。愛佳みたいにチャラいことしないの」

「へぇ〜。それで?紳士でかっこいいりっちゃんは、片思いのお姫様をライバルに差し出したわけですか」

「……なに」

「いや。意外とああいう子は刺激を求めてんじゃないの?じゃなきゃ、男と喧嘩しかけたヤンキーみたいなのに一目惚れする?夜な夜な飲み屋歩いたりする?ねるちゃんはホテル行ってかっこよく快楽に落としてくれる『りっちゃん』を期待してたかもよー?」

「………。」


『寝てたのも演技だったりして』なんて愛佳の声を聞き流しながら、考える。

そりゃ、ちょっとくらいは。そういう展開も期待したし。
平手とねるの後ろ姿に後悔した。そして、それに負けないように(ねるの好きな私)を演じた自分を必死に褒めていた。

あんなに平手に啖呵をきったのに。
でも、だからこそ
平手に正面から向かえたような気もする。あの子には、嘘や虚勢は意味が無いんだ。


「まぁ、へたれなりっちゃんらしいけど」

「……ヘタレとか言わないでよ」

「あの子の前では紳士でかっこいいりっちゃんだからね」

「もういいって」


また、小さくため息をつく。
そういえば。いつもはひょっこり現れるあの子は未だ姿を見ていない。
会いたい訳では無いけれど、あのあとだからこそなんとなく気になってしまう。


「……今日は平手ちゃん来てないの?」

「あいつもふらっと来るからなぁ。理佐を意識して来ないのか、ただなんとなくやる事あるのか…」

「…そう」


来ない、のかな。私のせいで平手が来づらくなるのなら何だか申し訳ない。
そんなこと考えていたら、愛佳の視線が自分に固定されてるのに気づいた。


「なに」

「頭ん中でエロい事妄想してないで、現実にしなよ」

「は!!?」


さっきのホテルのくだりを思い出す。まさか、気づかれてたなんて。
一気に恥ずかしくなって、愛佳の言葉をろくに否定も出来なかった。



「あ、理佐」

「わあ!」

「うわ。なに?」


急にかけられた言葉に、過剰に驚いてしまう。
教室の入口には、友人の小林由依がいた。伝達ではない用件があるのか、教室の中に足を進めてきていた。


「お。モテ女小林。どうしたの」

「何それ。そんなんじゃないから」


呆れたような顔をしながら適当な距離で足を止める。以前、同期や後輩から告白されたのを知られてから
由依は愛佳にそれを弄られるようになった。

いい加減止めればいいのに、同性に好かれるもの同士何か絡みたいのかもしれない。


由依「さっき理佐のこと探しに来た娘がいてさ。言っていいのかわかんなくて、来てないって言ったけど」

愛佳「ほら来た」

理佐「え?なんでバレたんだろ、?」

愛佳「平手ちゃんがちっちゃな口滑らせちゃったんじゃない?」


そういうタイプには見えなかったけどな。
あの後、何かあったのだろうか。

どの道平手がいなければ、真実は分からないし
いたとしても教えてくれない気がした。


理佐「その子、何か言ってた?」

由依「来てないって言ったら帰ってったよ」

理佐「そっか、わざわざありがとう」


由依自身、苦労したこともあるから、あまり勝手には情報を流すことはしないからありがたい。
ねるとは関係なく、ただ大学に来ているだけで追われたり嗅ぎつけられるのは窮屈だ。


べつに、ねると大学で会いたくない訳ではないけど
なんとなくストーカーっぽく思われる気がして
その日はサークルの教室からそのまま帰ろうと決めた。



◇◇◇◇◇◇◇◇



「……ねる、また行くの」

「てっちゃんが『りっちゃん』のこと教えてくれんけん、仕方なかやろ」

「……危ないって」

「なら教えてくれると?」

「……」


あの日。ねるに何を問われても、答えることが出来なかった。
否定をして嘘をつきたくもなくて
でも、理佐の情報をねるに渡すこともしたくない。

こどもだな、と嫌気がさしたけれど
だからって言葉が出ることもなかった。


授業を抜け出してねるに会いに来てみれば、ねるはまた理佐に会った居酒屋に行こうとしていた。

自分の一言のせいで、ねるの理佐への行動を助長させている気がして焦ってしまう。


「…その人が、悪い人だったらどうすんの」

「りっちゃんは守ってくれたと。お酒飲むんも優しくしてくれたったい」

「それが罠だったら?」

「てっちゃん、」

「っ、人の考えてることなんてわかんないよ。優しくして漬け込むやつだっているじゃん」


心の中で、理佐が言う。
『なら、平手ちゃんが止めたらいい』

そんなこと出来ないって言われてる気分だった。

だって、こんなにも私の言葉はねるに届かなくて。思いばかりが空回りして。
出ていく言葉のせいで、ねるが遠ざかる気がしてしまう。


「りっちゃんはそんな人やなか」

「っねる!」

「てちが心配してくれとるのは分かるけど、りっちゃんのこと悪く言わんで。あの時、助けてくれたんは本当やよ」

「……っ、」

「無理に教えてって言わけん」


理佐がねるにした『ねるを守る』行為を、私はまだ出来ない。それに嫉妬したって仕方が無いのに悔しいんだ。

理佐が、ねるを酷く扱うとは思ってない。
むしろ、取られてしまいそうで怖いんだ。

だって。今、ねるの目には理佐しか映っていなくて
私の声は届かない。

理佐を知る情報すら、ねるは縋ってくれない。
ねるに背を向けられて、心が焦燥感に襲われる。

ここがどことか、ねるの中にいる理佐の存在とか
全てを、置き去りにして

私はねるに手を伸ばした。







◇◇◇◇◇◇◇◇


ーーーーー!!!

「っ!?」


教室を出ようとした時、悲鳴のような声が聞こえて振り返る。
サークルの教室から見えるラウンジを覗き込むとそこには

ねるを背中から抱きしめる平手が、注目を集めていた。



「へえ、平手やるじゃん」


隣から覗き込んだ愛佳の声が脳を直撃する。些細な言葉が鋭利な刃物のようだった。


「ーー………、」

「で?紳士なりっちゃんはどうすんの?」

「……、、」


言葉が。出ない。
ねるは、平手を拒否することもなく、その腕に手を添えている。

ああ。くそ。
愛佳が言うように、あの時
ねるに手を伸ばしていれば。

例え最低な行為だとしても、ねるは私に好意を持ってくれてるならーー……


そんな黒い感情が押し寄せてきて、それを振り払うように
ラウンジの反対ある廊下に出て、逃げるように足を進めた。



由依「なに?どうしたの?」

愛佳「へたれなりっちゃんに、青春が来てるんだよ」

由依「ふーん。あ、ねるだ」

愛佳「………ん?」

由依「え?」

愛佳「理佐のこと探しに来たのあの子じゃないの?」

由依「?違うよ、知らない子。私、ねるのことは知ってるし」

愛佳「ーー……、うわ。やな予感」

由依「?」







「理佐先輩!」

「え?」


ラウンジを避けるようにして大学の外へ向かう途中、知らない声に呼び止められる。
反射的に足を止めて反応すれば
緊張した面持ちの女の子がいた。どこかで会った気がするけれどハッキリしなくて、焦る頭で必死に記憶を探した。


「あの、!」

「……、?」












「てち、ここ、大学……みんな見とる」

「っ関係ない。行かないでよ、ねる」

「……」

「幼なじみとしてなんかじゃなくて、私の事見て。ずっと、私はねるのこと幼なじみになんて見てないよ」

「!」


包み込まれる、なんて優しいものじゃない。『行かないで』と言う言葉通り捕まえるような力強さは、痛いくらいだった。


「てっちゃん、離して。みんな見とるけん」

「……」

「……どこも行かんけん、」

「……、」


渋々、というようにゆっくりてっちゃんの腕から力が抜けて、拘束が解かれる。

振り返れば強い眼差しに射抜かれて、すぐには言葉が出なかった。
思考すら、まともに回っていなかった気さえする。


「……こっち」


それでも、周りの視線とざわつきに恥ずかしくなって
ねるはてっちゃんの手を掴んでその場から逃げるように離れた。


「ねる、どこ行くの」

「みんなが見よらんとこ!てちはおるだけで注目集めるの自覚して」

「……そんなのどうでもいいのに、」

「よくなか!」


顔が、熱い。赤くなっているのがわかる。
でも、それ以上に。

幼なじみの彼女が、大きく形を変えて。
あの眼差しに、胸が高鳴ったのは確かで。


あの場から逃げることを口実に、あの雰囲気から逃げなければ
その存在に、魅せられてしまう気さえした。

それくらい、惹き込む存在感だった。



でも、その行為を私は酷く後悔することになる。








「ちょっ、と……!」

「逃げんでください!っずっと探しとったんです……!」


「ねる、どこまで行くの」

「1回外出るったい…!」






そして。


その先で、

私たちは。



見たくないものを、見せ合い
互いにすれ違い、近づいたはずの距離が間違いだったと気付く。




回っていた世界が、軋む音を聞いた。
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