Unforgettable.


待たせちゃってごめんね、と自分に向けられた言葉にどう答えたらいいのか分からなかった。
菅井が本来いるべき場所にいないことで迷惑をかけてしまうのではないか、と今更ながら不安になる。


「あの、保健室、大丈夫ですか?」

「うん。小池さんがいてくれてるの。長濱さんと同じクラスだったよね?保健委員だからって言ってくれて」

「そうなんですか…」


確かにねるも、小池に世話になったことがあった。すぐに駆け寄ってきてくれるのは彼女の性格だけではなかったのだと改めて思う。

そんなことを考えながら居所なく立っていたねるに、菅井が椅子を出してくれる。
すみませんと発して、菅井が座るのを見てからねるも座った。



「………」

「………いざこうなると緊張しちゃうね」

「…すみません」

「ううん、気にしないで。えっと、聞きたいことがあれば、それに答えたいと思うけれどどうする?」



理佐のことが知りたい。
けれど、どこから聞けばいいのか、余るほどの時間を使ってもハッキリとした答えは出せなかった。


「…あの」

「うん?」

「……私、理佐のことが、好き、なんです」

「……うん」



そんなこと、言うべきじゃなかったかもしれない。それでも、その気持ちが自分の中心だとも思っている。好きじゃなかったら、理佐じゃなかったら…きっとこんなに悩まなかったしこんな行動もしていなかった。



「でも、理佐が離れていっちゃう気がして。最近気づいたんです、理佐は…もしかしたら消えたいんじゃないかって」

「……」

「先生は…気づいてましたか?」



菅井は視線を落とし、少し悩むように指先を動かした。
その動きは答えるのを躊躇っているようにも見えた。そして、ふぅ、と息を吐いて椅子の背もたれに少しだけ体重をあずけゆっくりと話し出す。


「気づいてたよ」

「………」

「そしてそれが、現実になってしまうんじゃないかって不安でもある」



じゃあ何故、それを見過ごしているのだろう。
消えたいなんて、ねるなら止めるのに。

菅井がふいに視線を上げて、ねると目が合った。考えが筒抜けてしまいそうで、ねるはつい目を逸らしてしまう。


「…長濱さんは理佐が何者なのか知りたいんだと思ってた」

「え?」

「『吸血鬼』って、信じられないでしょ?」

「ーーー……」



急に核心を突かれて、息が詰まる。
菅井の声は柔らかくて、なんの話しをしているのか分からなくなってしまう。

もっと慎重に触れてくるものだと思っていた。
本なんかで付けた知識と、吸血鬼の認識はズレているのだろうか。



「……っ、それも知りたかったですけど、」

「気づいてたかもしれないけど、私や理佐はそれほど血を必要としていなくて。欲求が低いともいうんだけど…心無い人からは不良品とか言われてしまったりするの」

「……不良品?」


「吸血鬼はその吸血行動を『神聖』なものだと捉える人もいてね。それが欠乏している吸血鬼を卑下する傾向もある。それによって、自分自身を否定して苦しんでしまう人もいる……。理佐はそれが根強く残ってしまったのだと思う」


理佐が消えてしまいたいと思う理由は周りから否定されてきたことも関わっているんじゃないかな、と菅井は続けた。
人は何かが違うことを、何故そんなにも責められなければいけないんだろう。それは吸血鬼だけじゃない。そんなこと、仕方がないじゃ済まされないことが多すぎて、自分を消してしまいたくなる。



「血を吸わない吸血鬼を吸血鬼とは呼ばない、でしょう?」

「それは……」

「私も随分悩んできたから、理佐の気持ちは分かるし、いくら他と比べて必要としてないと言っても全くいらない訳ではないし」

「……先生も、人を襲うんですか?」


今はしてないよ、と悲しげな笑顔が返ってきて、ねるは嫌な予感がした。


「私にもすごく好きな人がいてね。やっぱり普通の人だったんだけど。もう、だいぶ前に亡くなってて。その時に決めたの。他の人の血で生きていくのはやめようって」

「そんなの、」

「体が枯渇していってるのは分かっているけれど、あの子の血で生きていたい。あの子の血がこの体から消えたなら、私もあの子といく…」



保健医としての菅井友香からはとても知り得ない内容だった。
あんなに笑顔で、生徒と関わって。そんな、死を決めて過ごしてたなんて、分からなかった。




「ーーあ、でもそんなすぐ死ぬわけじゃないよ?幸いそんなに必要としてなかったから、人間よりは全然長生きなの」


ーー少し、寂しいけどね

ねるのことを気遣うように笑顔で話す菅井から、そんな言葉が聞こえた気がした。


「……話がズレちゃったね」

「いえ、」

「……理佐は、私より辛いと思う。私みたいに『吸血鬼』から離れることが出来ないから」


どういうことなのだろう、



「理佐の能力は、ひどい言い方になるけど利用価値がある。だから、いくら卑下されて扱われても必要とされてしまう…」

「理佐のちから…?」

「やっぱり、気づいてなかったのね……」



さっきとは違う、悲しげな目がねるに向けられる。
哀れんでいるような、同情するような…そんな眼だった。



「なん、、ですか」

「……『吸血鬼』に襲われたあと、頭がぼーっとしたり、記憶が飛んだり…しなかった?」

「……しました。」


あの世界は、あやふやで曖昧で。抜け出すのに数日かかった。


「それが、なにかあるんですか」

「……」

「……先生っ」

「それは、あの子があなたに力を使ったことによる後遺症、なの」



あの子って、だれ?
あなたって、私の事?


理佐は、ねるに、何かしらの能力を行使したってこと??



そういえば、
理佐は血を必要としないと言われた。

菅井先生も同じ。。。

その菅井先生は、『だいぶ前に亡くなった』後から血を飲んでないーー。



理佐は、と菅井の声が聞こえて、考えるのを止める。
大事な話を聴き逃してしまうと思った。



「理佐は、記憶の置き換えが出来る能力がある。それを利用して、より安全に……より良い血を得ようとする吸血鬼が、理佐を逃がしたりしない」

「……理佐は、私の記憶を…何かしらいじってるってこと、ですか」


「長濱さん…」

「……っ、わたし、理佐になら、いいって思っとったんです…」

「……」

「ねるの記憶、どこまでが本当になんですか…?」

「……ごめんなさい。それは、理佐にしか分からない…」

「っ、」






『夢でも見てたんじゃない』



理佐の言葉が降ってくる。

あの言葉の意味は、消えたかっただけじゃなかったのか。


理佐の作り上げた、現実になり得ない『夢』だったの?

自身の持つ記憶はどこまでが本当なのか。


自分が持つ唯一の真実が、根底から崩されていく。
理佐と過ごした日々は?あの笑顔は?

あの行為の記憶だけが、弄られていたとしたら
一体だれに襲われていたの?
それを理佐は知っていたんだ。

なのに、助けてくれなかったし、
理佐もそれに協力していたってこと……?



「ーー長濱さん」

「っ、はい…」

「理佐は、長濱さんを傷つけたかったわけじゃない。むしろ、守りたかったんだと思う。ただそれは、…理佐の状況が許してくれなかったっていうか…」

「…………」

「私の言葉だけじゃ、信じてもらえないと思うけど、理佐と話してあげてほしい。あの子は、逃げてしまうから」













話を終えて、菅井と別れた。

みいちゃんにも、あとでお礼言わなくちゃ。
何故だか分からないけれど、小池も今の自分の状況を知っていて保健室にいてくれたのだと思った。




土生や小池も吸血鬼と関係しているんだろうか。もしかして、愛佳も?

疑いだしたらキリがない。
しかし、自分の記憶に偽りがあるのなら何を信じて良いのかも分からなかった。





「あ、ねる。待ってたんだよ」


声がして、顔を向ける。
幼い頃からよく知っている存在があった。

小走りで近づいてくる。
いろんなことを知って。色んなことが分からなくなった。

声が震えたのは、多分気のせいじゃなくて。


「てち、」

「どうしたの?」

「もう、わからん…」

「………ねる、」





不安定に揺れる心は、自分を包む温もりに甘えてしまった。













ーーーーーー

「友香?いる?」

「愛佳……、どうだった?」


「んー、理佐はもう限界かな。これじゃあ平手も悪者になって終わりだわ。理佐に血を吸うよう言ったみたいだけど」


ガシガシと頭をかく仕草は、どうにも思い通りに進まない現状を体現していた。


「ねるも生きづらい生き方してっかんなー。なんでみんなそんな考えちゃうんだろー」


愛佳は保健室の椅子に座り、クルクルと回り始める。そんな子供みたいな行動に、菅井は笑みが零れた。


「ふふ、愛佳だってそういう時期あったんじゃないの?」

「えー?うーん。……どうだったかなぁ」




ーーーーー







友梨奈に映るねるの血は、美味しさを増していく。


壊さないように、
コワレナイヨウニ。



君の記憶に、残らないようにーーー………


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