火種が弾けて、世界は回り始める。
ゆっくり流れる、その時間は
間違いなく平等で。
早くも、遅くもない。
いつでも、同じペースでその時を刻む。
でも、確かに。
その時は、時が止まったようで
でも、息をつくまもなく流れさってしまった。
「……、」
「ねる、タピオカ口から見えてるよ」
「えっ!?」
タピオカが口から見えてるのはやばいよ。気をつけなよ、とてちに真顔で言われて
さすがにキツいものがあると反省する。
うん、どう考えてもやばい。
グロい。
「まぁた『りっちゃん』?」
「………」
「そんなさぁ、名前しか…むしろ愛称しかわかんない人見つかんないって」
「………やって、またねって言っとった」
「そんなの、合コンの話でしょ。そんなのに行ってる人の言葉なんて信用しちゃだめだよ!」
「てち、それは偏見やない?」
まだ幼さの残るてちは幼なじみだけど、少しだけ偏った考え方も残っていて
他人への壁が厚い。
そんな子に心許されるのはとても嬉しいけど、あんまり自分以外の人といるのを見ないのも不安の種だった。
「てちは?友達。できた?」
高校と大学が併設するそこに、編入してきた幼なじみはよく会いに来てくれる。
今も、講義の休みのねるにてちはサボりだと顔を見せに来ていた。
「え?別に、ねるがいればいいし、困ってない」
「そうやなくてさ、もっと話せる人出来たら楽しいやん」
「……それこそ偏見だよ、ねる」
「………、」
幼さが残る、なのに、時々すごく大人びる。でも、それはどこか臆病な姿にも見えて。
必死な背伸びなのか、そういう環境にそうならざるを得なかったのか
言葉を選びすぎて、何も言えなくなる。
「…『りっちゃん』なんてさ、どこにでもいるじゃん」
「……そういうこと言わんでよ」
「りつ、りか、りえ、り……りんご?」
「バカにしとるやろ!」
「えー。考えてるのに!」
『りっちゃん、行くよ』
『ああ、うん。じゃあね、ねる。またね』
それは、人数合わせで行った合コン。
慣れない環境に、お酒を進めてしまって
ボヤけた意識の中で、低い男の人の声がやけに近いなって思った。
誰かに体を支えられているけど、あまりにしっかりしていて嫌な気持ちになって
でも、お酒の回った体は思い通りにならなかった。
気づけば、見知った顔は消えて
始まりにいた男の人に連れられていることに気づく。
幸いにも、まだ店の中だった。
「……あの、離してください、」
「ん?あ、大丈夫?」
「はい、すみません。あの、ふーちゃんは、」
「向こうの席で飲んでるよ。ねるちゃん辛そうだったから休ませようと思ってさ、」
「あの、いいです。ふーちゃんのところ戻ります」
「ええ?でも顔色悪いし、休もうよ、すぐそこだし、大丈夫だって」
「離して、戻りますっ」
握りしめられた腕が、痛いくらいになって不安が恐怖になる。怖くて、心臓がどかどかと動いて拍車をかける。
力の入らない体をぐいっと強く引かれて、連れ込まれる瞬間、
『なにしてんだよ』
「はっ、!?」
『ざけたことしてんじゃねーよ』
背の高くて、細い。
でも、芯の強い、口調と目付き。
なのに、支えてくれる手は酷く優しかった。
「な、んだ、お前!」
「…ちょっと愛佳、けーさつ」
「はいよー」
「は!?なんでだよ!」
「やましいことしてなきゃ別にいいでしょ」
その人口調に苛立った男の人が掴み掛かってくる。
胸ぐらを掴まれたその人は、至近距離で睨み合って
一息吸い込んだ。
「すいませーーん!助けてくださーーい!」
「っ!??」
その瞬間にカメラの音がして、『まなか』と呼ばれたその人が、現場を収めていた。
「殴る?いいよ、人も来るしね」
「っくそ!」
「……、」
乱暴に離されて、突き飛ばされたようにも見えた。
けど、その人は。
なんでもないようにねるに背を向けている。
「りっちゃんやめなよー、綺麗な顔に傷付けるようなことしないでー。」
「はいはい、」
「顔好みなんだって言ってんじゃん!」
「うるさいな、愛佳には彼女いるんだからそういうのやめなよ」
「………あの、」
「「ん?」」
「あの、ありがとうございました…」
「気をつけなよ、危ないじゃん」
「、はい、」
「……何も無くてよかった、」
「え?」
安堵したような優しい声が聞こえて、思わず胸が締め付けられる。
顔を上げれば、視線がぶつかって、
この時ようやく
顔を、姿を、自分の視界に写し込んだ。
「…………、」
「大丈夫?」
「あ、、はい、」
綺麗で、可愛い。
でも、その仕草や口調は紳士的な気もした。
「……」
「…………」
視線が外せないままの私に、その人は微笑んでくれて、
でも、それ以上なにがあるわけでもなく
その時間は終わってしまう。
「りっちゃん、行くよ。」
「ああ、うん。じゃあね、ねる。またね」
「……………」
ねるは言葉を発せなくて
棒立ちしていると、遅れてやってきた店員に呼ばれたふーちゃんが、大慌てで抱きついてきた。
色々言われた気もするけれど、頭の中は『りっちゃん』でいっぱいで。
まともな返事も出来なかった。
「りっちゃん、」
「はぁ。ねる、それさぁヤバいやつじゃないの?」
「え?タピオカ出とる?」
「違う!その『りっちゃん』て人だよ!」
てちは心配してくれているのか、知らない人への警戒心か、どうしても『りっちゃん』をいい方に解釈してくれん。
「だって男の人に掴まれても平気だったんでしょ」
「かっこよかよね」
「そういうのに慣れてるってことはヤンキーとかだったりするわけじゃん!」
「うーん。そんな感じはせんかったけど」
ヤンキー……。
でも、『りっちゃん』は優しかった。
守ってくれたし、別にヤンキーだからってヤバい人にはならんと思うけど。
ねるには友達なんていないって言ったけど、それはまるっきり本当ではなくて。
でもその人を友達という括りにしていいのか分からないとも思う。
「よ、平手。黄昏てんなー」
「……うるさいな、」
「かわいくなっ、」
ねるが講義に行っている間に、サークルの一部屋に入り込む。何をするわけでもないけれど、人のいない静まり返った空間は嫌いじゃない。
ねるに内緒で入り込んだ先で、『志田愛佳』に会った。
いい距離感で話してくれる、年上のその人はここのサークルの人らしい。
「ぴっぴ、この間チャラい人と絡んだ?」
「んえ?チャラいやつ?……えー……?」
「………、」
友達がいる、話す人がいる、
それが大切なことは分かる。
でも。
それが、楽しいに直結するかは、頷けない。
「ああ!」
嫌な、予感しかしない。
世界は、嫌な予感は当たる癖に、いい事は当たらない。
そんなもんだ、と思う。
「この間呑みに行った先でチャラいかどうかは知らないけど、女の子連れ込もうとした男がいたね」
「………」
「…それがどうかした?」
「それ、どうしたの」
「平手が気にすんの珍しくない?」
「………」
「まなかー、」
自分と友人。それと、もうひとつの声が混ざる。
聞き慣れた、声。
でも別に、友達じゃない。
「なにー、」
「やっぱりここに居た。スマホくらい持ち歩いてよ」
「ごめんごめん」
呆れ声とともに現れたのは、
背が高くて
芯の強そうな目。
自分とは少し違う、低い声。
「あ、この間チャラいやつに絡んでたの、平手が知りたいって」
「……平手ちゃんが?」
「………」
友人じゃない。
友人の、親友。
話すことはあったけど、愛佳という存在がなきゃ
きっと関わることもなかった。
どこにでもいる、『りっちゃん』の愛称を持つ人。
「別に、大したことしてないけど」
どこか照れくさそうに、表情を崩す。
口元を隠して、そんな回答をしてくる。
微笑んでるのに、心がモヤついて言葉が出ていかなかった。
その思い出された記憶の中に、あの人がいるんでしょう?
「………、」
会話したことのある、程度の知り合い。
互いの名前も肩書きも知ってるけど、プライベートなことはほとんど知らない。
高校生と大学生。
成人と未成年。
学生と社会人。
交友関係だって違う。たまたま1人重なってる存在がいただけ。
互いの世界は、触れる程度の関わり。
でも、その人と『友達』だったとして
これからの出来事が楽しくなるかって言ったら
それはNOだろう。
「平手ちゃんが気にするなんて珍しいね」
「……知り合い、だったんで。」
えっ、て少し驚いた顔。
まさか、そのチャラい人が知り合いなんて勘違い、しないですよね?
「………」
言葉が出なくなるのは、今度は理佐の方。
「渡しませんよ、」
「…………。」
友達なんて、親しいものじゃない。
知り合いなんて、遠いものじゃない。
「え?なに、なんか面白そうだね」
そんな、呑気な愛佳の声は
何かの火種が弾けた合図だった。