君は、理性を消し去る。



「…っ、」


愛情を示すかのように、長い腕に包み込まれて、耳にキスが落とされる。

ビリッと体が痺れて、思わず掴んでいた土生の服を強く握りしめた。
それに土生が気づいたのかは分からないけれど、耳元で繰り返される熱い呼吸が、くっと詰まった音が届いた。


「はぶ、ちゃ…待ってっ」

「好き、みいちゃん…」

「んっ、…!」

「すき…っ、!」


土生の籠った声に、熱を持った吐息に、
脳が絆されていくようで…。
必死に力を込めるのに、どんどん力が入らなくなっていく。熱を上げ続ける空気に飲まれる、

その、瞬間。



「ーー…、」


ふと、目に入ったのは壁に掛かった時計。
……、こんなのは知らない。
土生の家とは違う、視界の映る部屋…。

覆い被さってくる土生を他所に、小池の頭は血の気が引くように現実に引き戻された。


「っ!!」

「っうわぁ!?」

「待って!ほんま待って!!ここどこ!?」

「………ーー、ゆっかーの家……」

「っ!他人様の家で何考えてんのや!あほ!!」

「えー、だってさぁ」

「だってやあらへんねん!」


突き飛ばされて間抜けな格好の土生に、白い肌を真っ赤にした小池が声を荒らげる。
物音に何事かと腰を上げたリビングに居た2人は、小池の叫ぶ内容に、何が起きていたのか気づいて、また座り直した。



理佐「……良かったね、友香。小池さん気づいてくれて」

友香「……、うん」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇













「みいちゃん?」

「あ、土生ちゃん。見て。桜ー」

「……ほんとだ。もうそんな時期なんだね」



自宅の窓から、小池が外を眺めていて
土生は不思議に声をかける。
小池に示された先には、自宅から少し先にある公園の桜の木がその身をピンク色に染めていて、
その背の高さから、ふたりにまで春の知らせを送っていた。



「来週には新学期やで。てちが入学してくるんやろ?」

「うん」


あの後、愛佳から連絡が来て
小池は土生と共に平手と顔合わせを行った。

真性の番という肩書きに、小池は終始顔を曇らせていて
土生は罪悪感に襲われたけれど、
それでも、平手邸を出てから『雰囲気あるなぁ』とぐっと体を伸ばしながら自分に顔を綻ばせるのを見て安心したのを覚えている。


「なんや、みんなキャーキャー言いそうやなぁ」

「あはは。雰囲気漂ってるもんね、ああいうのに若い子は弱いかもね」

「若い子って!土生ちゃんは高校生やで!」

「そうだった」


小池から、吸血鬼になったことも今後についても、責められることや迷いを打ち明けられることすら、いまだない。
小池にとって現実味がないのか、既に受容しきったのか。土生にはまだ、問いただしにそこに踏み入る勇気がなかった。

笑顔を見れば安心する。
それでも、確信がない以上心の中でどう思っているのか不安でしかない。



「でも、番候補って誰なんやろ」

「うーん。真祖が来ないことにはね……まだ分からないかな、」

「……、」

「?」


じ、と見つめられて首を傾げる。
番候補を知りたいのだろうか。自分と同じ境遇になる相手を…。

そう思ってそこを切り口に話をしようとした時、小池のスマホが着信を知らせに音を響かせた。


「!」

「あ、理佐や」

「…何かあったのかな、」

「ちょっと出るな?」

「うん」

「ーーー、」



いつの間にか、小池は理佐のことを呼び捨てするようになっていて
気づいた時こそどこかモヤついたけれど、今は安心すらする。

自分ではない誰か、は。小池にとって救いになることもあるだろう…。


「………」



『みいちゃんのすべては、私が背負うよ』


「ーー……っ、」


胸が苦しくなって、小池の背中を見ながら眉間に皺が寄ってしまう。無意識に住み着いた黒いモヤのような不安は、影のようにずっとどこかに潜んでいて
ちょっとした隙間から這い出てくる。



時々、振り払うことが出来ずに酷く不安になって自分の言葉に押しつぶされそうになる。

君を巻き込んだこれまでの選択は、どれだけの幸せを奪ってしまったんだろうか。



ーーみいちゃんの命は、私が背負う。
みいちゃんが長い命に絶望して、死を望んだら。
みいちゃんが、人間でないことに絶望してその存在を消したいと望んだなら。


それが君にとって最大の苦痛になるなら、
責任をもって、それを叶えよう。

吸血鬼となって、得る苦痛も悲痛も、全て私が背負おう。


そう誓ったことに、嘘はない。
その覚悟は、心の内に。彼女の見えないところにちゃんとしまってある。
無くさないように、薄れないように。

君の笑顔を見る度に、それを守ろうと。
君が涙を流すなら、自分を奮い立たせる為に。


ただ、それを疑う自分がいる。

お前にできるのか、
そんな価値などあるのか、


そうして、影も何も分からない真っ暗い中に立たされる。


これから先、君との幸せが続くかなんて分からない。

運命や、番は
君と私を結ぶ、ひとつの形でしかない。

その結び目が歪になるか千切れるか

綺麗なまま紡いでいられるのか


…そんなのは、覚悟も思考も関係ない。
この先のことなんて、誰にも分からないんだ。


でも、
穴だらけになりそうな心に、いつも君が笑顔を咲かせてやってくる。

私の手を取って、名前を呼んでくれる。


ただそれだけで、
空っぽになりかけた気持ちが、溢れんばかりに満たされて
誰かが私の背を叩くんだ。



君の代わりはいない。
君と変わるものなんてない。

運命の相手は君で
私の番は君しかいない。






なら、

すべきことも、見るべき先も決まっている。





「土生ちゃん」

「!」

「どうしたん?体調悪いん?」

「ううん。なんでもないよ」





胸が締め付けられるほど、愛しい声。

息が詰まるほどの、笑顔。

理性を消し去る、その存在。







『ねえ、ふたりとも』




みいちゃんの手によって、届ける範囲を広くしたスマホから
理佐の声が響く。

それでも、みいちゃんは気を使って近くに寄ってきて、

その香りに、いつだって喉が詰まる。





『今週末、桜祭り行こう』ーーー





君が欲しいと願った本能に、私はこれからも突き動かされるんだ。



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