君は、理性を消し去る。


あなたを見つけて、一瞬で、『この人が好き』だと思った。

この感情に気づけなかったことが馬鹿みたいで。でも、どこかで気づいていたけれど知らないふりをしたかったんだろと、誰かが指を指して言ってくる。

だって。

彼女はきっと、人ではなくて。
愛おしいけれど、怖い存在。

自分を、自分の中の『普通』という枠のバリアの中に置いておきたくて
気付かないふりも知らないふりもしてきた。

バリアの中に居れば、きっと傷つくこともないし安牌でいられる。 その見えないバリアとも殻とも、壁とも言えるそれを破る勇気があったなら

教室での1件で背を向けることは無かったし、
貴女に血を渡したその後、目を覚ました時に隣に居たのは私だったはずで。

もっと言うなら、
教室の隣の席という幸運に、声を掛けたりすることも出来たはずだった。




でも。


それをしなかったのは。
他でもない自分自身なんだ。














「ーーー………、」


引き上げられた意識の先で、
知らない天井が視界を埋める。


知らない匂い。
知らない感触。

……ここは、どこだろう。

無意識に体を起こしてすぐ、自分を見つめる存在に気づいた。



「……おはよ、みいちゃん」

「…………、」


澄んだその声に、生唾を飲む。
喉が乾いて仕方がない。

口の中はカラカラで、唾が通るだけで喉がなる。
上手く飲み込めてないのかもしれない。

だって、こんなにも、



くるしい。





「……小池、美波」

「こいけ、、?」

「あなたの名前。分かる?」

「………」


相手への言葉遣いに迷って、ただ頷く。
『小池美波』、私の名前。
分かる。

言葉が出ないのは、分からないんじゃなくて

ただただ、渇いて仕方が無いからだ。



「!!」

「苦しい、?」

「…っ、」



目の前のその人は、いつの間にか眼前に迫っていて
渇きが一段と強くなる。


「…欲しい?」


……何が? ……何を?


そんな疑問は一瞬で消える。
目の前のその人の眼に、捕らえられて目が逸らせなくなる。


「ーーー、」


怖い。

苦しい。

身体の違和感が酷い。
思考がまとまらなくて、次々襲ってくる変化に追いつけない。


「……、………、」


言葉が出ない。


否。



欲しいのは、状況への理解でも
正常に戻ることでもない。

言葉を交わすことでも、
目の前のその人に触れることでもない。



その、血を。

この身に。


得ることだけーー。



「みいちゃん」

「!」

「忘れないで。自分のこと、思い出して」

「ーー……、」

「君は、誰?」


そんなこと、どうだっていい。
ただ、………その血が、欲しい。


「みいちゃん。どんなに変わっても、君は何も変わらないよ」


血が、欲しいの。
このどうしようもない渇きを、満たすのはそれしかないって分かってるから。


「……みいちゃん」

「ーー……」

「……どこかに、行かないで。忘れないで。『小池美波』を、置いていかないで…」

「……」


小池美波は、自分の名前だ。
そんなの、忘れない。

なのに、なんで
そんなに泣きそうな顔をするの?

そんなことより、、


「……私は小池美波のことが好きだよ」


びくっ、と渇きとは違う衝動に襲われる。

好きとか嫌いとか。今はそれどころじゃなくて。
本能に突き動かされる欲望だけのはずなのに。


「ねぇ、みいちゃん」


その声が。
その言葉が。

渇きに襲われて失われる思考に、刺さる。


「ーー……」


『みいちゃん』と、呼ばれるのを
ずっと待っていた。

この人を、ずっと待ってた。

この人の紅い瞳に映るのを願っていて


『この人』と、離れないことを
薄れる意識の中で望んだ……、



「……みいちゃん、」

「……、」

「………、」


この人、を。

ただその存在に、惹かれて、惹き付けられて。

好きなのに、怖くて。
遠ざかりたいのに離れたくない。

『土生瑞穂』という存在を、この身は欲している。







「……はぶ、ちゃん、」






酷く掠れた声が、して。
届いたか不安になったけれど、土生ちゃんの顔が緩んで
声がちゃんと届いたんだと分かる。



「土生ちゃん…、」

「みいちゃん、ごめんね」


鍵を解錠されたように、少しずつ自分の世界が開けて状況への認識が始まる。
やっとまともに思考が回って、さっきまで渇きに占領されていた意識に気づいた。


「…これ、…なんなん?」


でもだからって、渇きは変わらない。
襲ってくる異常に、意識が乗っかっただけだった。


「……私の血を飲んで。みいちゃん」

「っ、そん、な」

「もう、分かってるよね?身体が渇いてること」

「っ!」

「その渇きは、枯渇と似てる。その身から血を飲まなきゃまた『みいちゃん』はいなくなっちゃう」

「なんで、!」

「……説明はする。責任も取る。なにも言い訳なんてしないから、」



「だから、今は」







ーーー血を、飲んで。






土生ちゃんから香るのは、私の血の匂い。

それに気づいて、引っ張られるようにして記憶が思い出されて

深く。
強引に。

命が吸われ奪われる感覚を思い出した。


「…っ!」

「みいちゃん、」

「嫌や、!そんなん出来ん!」


回転する思考は止められない。
なのに、すべてがぐちゃぐちゃにかき混ぜられて
何一つ答えもまとまりも得られない。

感情と意識と思考が全てバラバラに活動している。


「うちは人間や!土生ちゃんみたいに血なんて飲めん!!」

「!」


人を傷つける行為も言葉も、したくないのに。
否定することも、拒否することもしたくないのに。

あなたが、傷つく顔なんて……見たくないのに。



「近寄らんで…!!」

「……っ、」



ーー自制なんて効かん。

ーー渇きが抑えられへん。


目の前の、細い体を力いっぱい突き放す。
土生ちゃんは、後ろによろめいて前髪に顔を隠した。


「……っ!」



ーー傷つけたくない。

ーー近寄られたら、その皮膚を破る事しか想像できん。



かけられていたであろう、布団を体に引き寄せて抱きしめる。その欲を閉じ込めるように、抑え込むように
顔まで埋めて、土生ちゃんを見ないようにした。

そうしなければ、突き放した距離さえ腕を伸ばして引き寄せてしまいそうだった。


…離れたくないのに、近寄れない。
好きなのに、触れられない。

土生ちゃんのことが好きなのに、
今の状況が怖くて仕方がない。





ーーあなたが、理性を消し去ったんだ。



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