Wolf blood
愛佳「遅くに悪いね、」
理佐「ううん。寧ろありがたいよ」
愛佳の自宅を訪れた時には、日が暮れてから時間が経っていて。 それでも、『夜』と指定を出していたせいか愛佳から先に謝罪の言葉が出てきた。
お互い、恒例の挨拶を交わして
愛佳の自宅に入る。
あまり生活感のない印象を受けるのは、立場上平手邸にいることが多いからだろうか。
出されたお茶に目を落としていると、愛佳から会話を切り出してくれた。
愛佳「ねるも、わざわざ理佐のこと連れ出してくれたんでしょ?ありがとね」
ねる「なんか、みんな同じこと言うんやね。りっちゃんどれだけ引きこもっとったん」
理佐「……、」
愛佳「まあ、理佐に限らず行事ごとにはみんな関心なくなるからさ、助かるよ。人の中に紛れて暮らすには、そういうの大事だからね」
ねる「………、」
生活感がないのは、もしかしたらただ不在が多いからだけではなくて、
そういったものに関心がなくなってしまうからなのかもしれない。
そんなことが頭をよぎった時、愛佳は唐突に理佐を部屋の外に追いやった。
話を聞いていなかったけれど、部屋の外から理佐の不満気な声が聞こえて
何かを頼まれたことだけは分かった。
「…で?ねるが元気ないのは理佐のせい?りっちゃん今度は何したの?」
「へ、!」
「志田様をナメちゃいけないよー」
愛佳はお茶の入ったコップを避けて、頬杖をつく。善意なのか好奇心なのか分からない笑顔がねるに向けられていた。
「……理佐がなんかした訳やなかよ」
「そうなの?」
「…ただ、不安ったい。理佐がまた、不安に駆られてねるの前から消えちゃうんやないかって」
「……ねるは苦労するよね」
「……でも、みんなに会って理佐とこうして時間をかけていけば、少しずつ解消していけるんじゃないかって思って。でも…」
…でも結局、感じられたのは
理佐に根付いた拭いきれない自己否定と、
無意識に取られる他人との距離。
分かり合えない、理佐との溝。
それは、頑張って取り除くものじゃない。
自然に溶けていくのを待っていたい。
頑張ってどうにかして、取り繕って。
そうしたらきっと、あの時みたいに理佐は離れていってしまう気がする。
番への信頼性は、理佐に嘘をつかれている以上、低いままだ。
でも、それを待つ間の不安をどう扱ったらいいのか、分からない。
「………、」
「相変わらず、めんどくさい生き方してんね」
「!」
「んー。りっちゃんはなぁ、悪気はないんだよね…染み付いちゃったもんだから」
「…わかっとる」
「……。理佐はまだ、人を信用しきれないんだと思うよ」
前かがみだった姿勢から、背中を逸らしてどこか思考を巡らせるように、誤魔化すように体を動かした。
「ねるのことは好きなんだよ。大切で失いたくない存在になってるのは間違いない。だから番としての契りも交わした。それは理佐の中でとんでもなくでかいことだよ」
椅子の座面に手を付いて、体を傾ける。背もたれに体重を預けて、視線を天井や照明へさ迷わせた。
「…ただ、だからって全てを許すほど他人に信頼も信用も出来ないんだ。それは、ねるに限ったことじゃない。悲しいけど”うちら”もそう。むしろ、ねるはそこらのやつじゃ到底たどり着けない位置に在る」
そうしてまた、テーブルに体を戻す。
落ち着かないように見えたその行動も、お茶をこぼすことなくまた、体は綺麗にコップを避けていて
この人の掴みどころのなさを表現された気がした。
「……話して、いいと思うよ。りっちゃんの中で迷うかもしれない。悩むかもしれない。でも、それでいいの。りっちゃんは今までそんなことにすら気づくことは出来なかったんだから」
「……うん、」
「今日一日で、否定ばっかじゃなかったでしょ?」
「ーー……。」
それでも、愛佳の言葉はどこかすんなり自分の中へ入ってきて、思考は今日1日の中へ吸い込まれていった。
一緒に、みんなに会いに行って。
その間、たくさん笑って。
隣を歩いて、同じ目的地に向かった。
色んな人に想われて、優しい言葉と眼を向けられた。
「……人の心にはいくら良いことがあっても悪いことばかり残っちゃうもんだよ。でも、大丈夫。現実、悪いことばっかじゃない」
今日一日の出来事は、
なにも不安の種を拾うばかりじゃなかった。
「うん、」
種を拾うのに夢中になって、それをどう咲かせて散らせるのかばかり考えて。
隣に、いてくれることも。
手を、引いてくれることも。
笑顔を見せてくれることも。
ただ、当然のようにそこにいてくれることも。
意識の外側に追いやられてしまっていた。
けど。
これは、きっと、すごく幸せなことなんだ。
「ねる?」
戻ってきた理佐に、声をかけられて
いつの間にか俯いていた顔を上げる。
優しい、理佐がねるのことを見てくれていた。
ねる「……理佐ぁ、」
理佐「何泣かしてんの」
愛佳「泣かしてねぇわ、このネガティブへたれめ」
理佐「……」
りっちゃん、
そう声をかければ、不安げな目が私を映す。
理佐は、優しくて。
誰にでも、優しくて。
ねるだけに、優しいなんてことはきっとない。
泣いてる人がいたら、泣かした相手をけしかける事くらいやるかもしれん。
それでも、その感情の大きさは誰にも負けんって思っとるよ。
ねる「大丈夫やけん」
理佐「……、」
ねる「愛佳にブスって言われただけばい」
愛佳「はっ!?」
理佐「……愛佳…」
黒いオーラを出し始めた理佐から逃れるべく、愛佳が椅子から立ち上がる。
そんなバタバタしたやり取りを笑顔で見た。
由依さんとの時もそうやったけど、表情が出やすいのはきっと気のせいじゃない。
ねる「愛佳、」
愛佳「えっ!なに?」
ねる「愛佳も、誰にも追いつけんとこにおるよ」
愛佳「ーー……」
理佐「愛佳?」
愛佳「そうかな、」
ねる「間違いなか」
ねるの言葉に、何故か愛佳は。
泣きそうな顔で笑っていた。
「挨拶回りしてたんだって?」
「うん」
年明けからこの人は。そう思うくらい、話し中もその人の手は止まらずに書類を処理していく。
それでも、ねるへの相手は抜けることがなくてさすがだな、と思ってしまう。
「どうだった?」
「大変やった。でも、みんなに会えて良かったと」
「ふふ。そう、良かったね」
視線は落ちているけれど、口角が上がって柔らかい頬がふわりと持ち上がる。
てっちゃんにも、理佐と2人で会いに来たかったな、と叶わない願いを込めてしまった。
「……てち、」
「ん?」
「今年もよろしくね、」
「………、」
ねるの言葉に、てちはやっと視線を上げてくれて。
大人びて見えることもあるけれど、それでもやっぱり年相応の幼さが、ぽかんとした顔に浮かび上がった。
……でも、てちは真祖やけん、昔から生きてきたんやろか。何百歳とかやったらねるどうしたらいいんやろ。
「来年も、再来年も来るったい」
「……ありがとう」
「あと、これ」
「なにこれ?」
「……わからん。けど、ねるからの年賀状」
「手渡し(笑)」
手渡しの年賀状に吹き出すてっちゃんに、ねるは頬を膨らませる。
年賀状には、ねるにも分からん何やら不思議なイラストが書いてある。
きっと、書いた本人なら答えは容易に出ただろうけれど
ねるからの年賀状は、ねるには解読困難だった。
「……はは。ねるからの、ね。……嬉しいよ。ありがとう、今年もよろしくね」
「うん、」
てちは、その年賀状に少し切なげに目を落としていて。
ねるは、案内で一緒に来てくれた愛佳を合わせて3人でお茶を交わして、たくさんの話をした。
それでも日付が変わる前に、その場を後にした。
理佐「……おかえり」
ねる「待っとったの?寒かったやろ」
理佐「…待ってたくて」
愛佳「…じゃあ、私も帰るよ。またね」
ねる「うん、ありがとう」
理佐「ありがとう、気をつけてね」
自宅に帰る途中で、理佐が待っていて。
赤く染る頬にその寒さを痛感する。
ねるたちのやり取りを見て、帰りを付き添ってくれていた愛佳も帰路に着いた。
「……話、出来た?」
「うん、元気そうやったよ」
「良かった」
「理佐の書いたイラスト、てっちゃん何これって言っとった」
「ちゃんとねずみって言った?」
「え?ねずみやったの?分からんかった」
「ちょっと!」
「ふふ、りっちゃんの絵独特なんやもん」
「ねえ、ねる」
「んー?」
「私は、ねると一緒にいたいって思ってるよ」
「!」
「ねるを泣かせなくないって思ってる」
「それが、ちゃんとねるに安心してもらうのには時間がかかると思うけど、そう、思ってるから…」
「……りっちゃん、」
「……好きだよ、ねる」
「っ、!」
真っ暗に染る、寒空の下。
強い、真っ直ぐな眼に魅せられて。
こぼれる涙を、綺麗な指に拭われる。
たった、一言。
それだけで、胸は軽くなるくらい単純で。
でも、それが
その一言が理佐の中でどれだけ大きなものなのかを今日一日で知れたから
だから、今、涙が零れるくらい感情が溢れてしまうんだと思う。
心配する理佐に手を回して、
苦しいっていう言葉を無視して、
その細い体を目一杯抱きしめた。