Unforgettable.
「なにしてるの?理佐」
「……」
似たような台詞を前にも聞いたな、と思い出す。自分はそんなにも不可解なことをしているのだろうか。
「……平手こそ、屋上に来るなんて珍しいじゃん」
「ん?うん。理佐のこと探しに来たんだよ、ぴっぴがここだって」
「そう」
やってることは不可解でも、行動は読まれているらしかった。
1拍置いて、平手が話し出す。
理佐はなんとなく、何を言われるか分かっていた。
「ねるの傷、消してないよね?」
「……うん」
「理佐しか消せないからさ、どうしたんだろと思って」
「………ごめん。ちゃんとやる」
「………」
理佐の予感は当たっていた。けれど、口から出るのは自分でもがっかりする言葉ばかりで嫌になる。
『ごめん』、て誰に対してなのだろう。
平手に?
ねるに?
それそのものの仕来りに対してだったら最低だと思う。
そういえば、この間最低なことをしたばかりだった。
ねるにも、愛佳にも、小池にも。
「……ねるの血、理佐のこと想ってるとすごく美味しいんだよね」
平手の言葉に、心臓が鷲掴みにされたような気さえした。
「だからやっぱり、私より『理佐に』襲われてた方がいいと思う」
「……ひらて」
平手が言うのはわざとだと分かる。けれど、心は追いついてこなかった。
ギリギリと、音を立てて締め付けられていく。
「…傷消したら、ちゃんと記憶も書換えて置いてね。あの夜も、襲ったのは理佐だって」
「………わたし、もうさ」
限界だ。
そう言いたかったのに、何かが口に蓋をする。
平手は、そんな理佐に気づいている素振りも見せずに言葉を続けた。
「今度は理佐もねるの血を飲んでみたら?きっと、止められないよ」
いつの間にか、あの時望んだ夕立が理佐を襲っていた。
制服が耐えられずに体を濡らしていて、ようやく雨に打たれていることに思考がたどり着く。
春はまだ、寒い。
身体の熱が、消えていく感じがした。
その熱と共に『渡邉理佐』という存在も消えていけたらいいのに、と思う。
しかしそれと同時に、反対方向に進む思考があって。それは確かに『消えない未来』を望んでいた。
…あの桜は、もう咲いただろか。この雨で散ってしまうかもしれない。
なんて、変にリアルなことを考えていて。
ぼんやりと、まだ咲いていないことを願った。
そうでなければ、あの夜の約束は果たせなくなってしまう。『咲いた頃にまた来よう?』そう言ったねるの言葉は、想いは。確かに自分に向けられていたはずなんだ。
その場にいたのは、平手だったとしても。
ああ、でも。
もうそんなこと、ねるは覚えていないかもしれない。
「理佐!?」
屋上のドアが音を立てて開くと同時、自分の名前がひびく。
その人は血相を変えてこっちに来るのに、理佐は他人事のようにしか見えなかった。
「おまえ、何してんだよ!中入れ!」
「……ごめん。愛佳」
「は?おい、」
腕を引く愛佳に、抵抗する。
自分のために何かをすることが、ひどく苦痛だった。
それが、ただ雨を避けることであっても。
「平手に、言われたんだ」
「………」
「ねるの血は美味しいって。今度は、理佐も飲んでみたらいいって。」
「……っ、あのバカ…」
「そんなこと、出来ない。ねるのことこれ以上傷つけたくない…」
でも、
「でも、もう。ねるの中で、ねるを襲ったのは私で。もうずっと、わたしは……、。っなんで、こんなことしてるんだろう」
自分はねるを襲ってない。そう思ってきた。
ただ、課せられた使命を遂行しているだけだって。
でもそれって。平手が襲うのを容認して、ねるの記憶をいじって。
平手に言われて気づいたんだ。
私はもう、平手と同じ。
ねるを襲った当事者だ。
「もう、消えたい、、、愛佳…」
「…うん」
「こんな自分…いやだよ」
「……理佐」
震える理佐の肩を、愛佳が抱く。
お互いの熱は、届かなかった。
「覚悟出来ないなら一緒に行くって前から言ってるでしょ」
顔をあげれば、愛佳は理佐と同様に雨に打たれてずぶ濡れだった。
それでも、愛佳は笑顔を見せる。
「ごめん、、ごめんね、愛佳…」
「…最後に1個、ウチの言うこと聞いたらゆるしてやるよ」
そして、
夕立が止み、晴れ間が入り込む。
そんな空を、ねるは図書室の窓から見上げていた。
「……」
ねるは自分自身が今どこに向かって進んでいるのかよく分からなかった。
そんなことは初めてだったし、自分はもっと、先を見て効率的に、かつ計画的に物事を進めたい人間だったと思う。
それなのに、イレギュラーだったとはいえこと理佐に関しては思考よりも感情が先走っているような状況だった。
先なんか今は見えなくていい。
理佐に近づくために。離されないために。目の前のそれを掴んで追いかけていくしか出来なかった。
消えてしまいそうな理佐を見て、気ばかりが焦る。
菅井はそれに気づいているのか。
もしかしたら、随分と前から知っているのかもしれない。
だとしたら、自分に出来ることなんてないのかもしれなかった。
それでも、
何もしないなんて出来なかった。
ねるは図書室から出て、ゆっくりとドアを閉めた。