君は、理性を消し去る。

ぐじゅ、

と表現し難い生々しい音が響く。
教室に似つかわしくないそれは、自分の口元から。愛しいその人を喰らう音だった。

今まで何度も飲み下してきた血は、全く別物のように今までに味わったことの無い快感を連れてくる。鼻息を荒くして、吸えるだけこの身に奪い尽くす。
本能と欲求が重なり合い、力の加減も出来ずに相手の体を捕まえる。
逃げられるわけがない力で捕まえているのに、逃がしてしまう恐怖感に煽られて、君を必死に抑えつけていた。



細く、浅く途切れる呼吸が、生々しい音に紛れていることに気づいたのは
欲が満たされて僅かばかりに理性が戻ってきてからだった。


「ーーー…、……」

「……っ、」


本能に支配されて行動が抑制できなかったなんてただの言い訳だ。
どこかで冷静な自分はいたはずで、彼女を襲うことを是とした吸血鬼の自我は、ハッキリと自分を肯定した。

だから、襲った。

だから、

君は今、私の目の前でその血に染められている。





「……、…ぁ……ぅ、」

「………、」


熱の篭った息が漏れでる。
バクバクと心臓が歓喜の声を上げている。
高揚した気分は、まだ君を飲み込もうのする。

きっと、今の自分は口元を紅く汚し、獲物を喰らうただの化け物だ。 自分が何者なのか、見せつけられている気さえする。

それでも、血の気の引いた顔を見て
そんなのは間違っていると遠くで警鐘がなる。


このままでは、間違いなく君を殺してしまう…。


必死に理性を呼び起こし、君の体を逃がそうとした。掴んでいた手をそのままに引き離そうとした。
けれど、それは何かに拒まれてしまう。

肩をつかんだまま距離を取る事が出来なかった。まだ、タリナイと言うのか。こんなにも奪っておいて…。

ギリッと歯が鳴ったのは自分の中からだった。細い糸でかろうじて繋がる理性が本能と戦う。
けれど。理性は、本能と対等ですらない。

酷く血を貪ったこの体は、今はまだ意思が繋がる。思考は鮮明だ。頭は気持ち悪いくらいにクリアだった。


だから、まだ、君を逃すことが出来るはずだと思った。


「っ、!!」


なのに。

視線を移した先で
真実に気づいて、バクン、と心臓が跳ね上がり意思の回線をぶち壊そうとする。


「…っ、」



離れるのを拒んだのは、誰でもない
みいちゃんだった。


拘束していた私の腕の下を、交差するようにみいちゃんの腕が回り
私の服を握りしめていた。


「みいちゃん、っ離して」

「………、…」

「みいちゃん、!」


細い呼吸が、届く距離。近すぎる距離は、いつ理性が消えるのかも分からなくて、張り詰めた糸は思考を繋ぐにはあまりに頼りなかった。

離そうとする私に、しがみついてくる手は弱々しいのに緩まない。
みいちゃんの力に負けるはずはないのに、何故かその手を引き離すことが出来なかった。





けれど、脳裏に浮かぶのは君を喰い殺した後の映像で。それだけは、避けたくて
目を閉じて力を込める。
私の引き離す力に、みいちゃんの手が剥がれた。そうしたのは自分なのに、一瞬にして喪失感に襲われる。


哀しみに目を閉じていた、その瞬間、


「……ぃややっ!」

「!?」



甘い、けれど泣きそうな声と
悲痛に歪んだ顔が届いて、
分かっていたことなのに、目の前の絶望に落胆してしまう。


拒まれる、怖がられる、…

もう二度と………この手に君を、…






「!?」

「ーーー」









気づけば。


視界はみいちゃんで埋められていて。

頬に触れる冷たさは、冷えたみいちゃんの手と指先だと分かる。

唇に触れるのは………、



「………みいちゃ…」

「ぃやや、、土生ちゃん…」


ゆっくりと離れていくみいちゃんの唇は私に付いた紅が移っていて。
驚き戸惑う私は、それでもみいちゃんから目が逸らせなくて。

潤んだ瞳は、あまりに綺麗だった。


「離れんで……、もう嫌や、土生ちゃん…!」

「………っ!!」


頬を触れる程度だったみいちゃんの指先に力が入り、私を逃がさないように捕まえる。


なんで。

逃げなきゃ死んじゃうかもしれないんだよ?
こんな化け物みたいに貪る相手から、なんで離れないの、?

こんなの、君を傷つけて、共にいるなんて……



「血を、あげるなんて…そんなん、誰にでもせんよ」

「………、」


まっすぐな目が、見つめてくる。


「あの時、土生ちゃんが…死んでしまうんやないかって…消えてしまうんやないかって、恐くて…」


血に汚れた状況には、あまりにそぐわない想いを乗せた言葉たち。


「もう、会えへんのが悲しくてっ、」

「………っ」


喉が詰まる。
鼻の奥が痛む。

泣きそうなんだって、冷静な自分が指さした。


「うちに出来ること、なら、何でもええからしたかった…!」


綺麗なその想いは、
理性を呼び覚まし、幾度となく消し去る。


「ねぇ、土生ちゃんっ!」

「………、」



君を、傍に置くべきじゃないって思ってたんだ。

いくら番だって、こんな、自制も効かない状態で
自分でも限りを知らない欲をぶつけて

君を傷つけていつか殺すと、思っていた。


だから、好きなら逃がさなきゃいけないって
思っていて。

でも。


君を追い続ける欲も、君を奪いつくそうとする欲も
番への欲望も、ごぼごぼと溢れて追いつけない。

真逆の願望が、ぶつかり合って、張り裂けそうなくらい相反して
自分でもどうしたいのか分からなくなる。


君が欲しい。

君を守りたい。


そのふたつは、たったひとつじゃ叶えられない。
叶えられるわけが無い。

どちらか、ひとつなんだ。








なのに。





「………、みいちゃん…、」





ともにいることを、許してくれるの?

その覚悟を、信じてくれるの、?



「……好きって、言うたやんか…」

「……、」

「うちも、好き…。土生ちゃん、」




たった一言。
その柔らかい、甘い声。
優しい表情。

頬に触れる、指先さえ。

言い尽くせないほどに、君の存在が。



私が必死に取り繕う理性を、消し去ってしまう。












「……また、いなくなったら…許さへんからな…、」

「……みいちゃん、?」


弱々しくなる声とともに、頬に触れていた指先が落ちていく。
力なく落ちた先は、冷たい床の上だった。

意味が、分からなくて。
落ちた手から視線をあげる。
でも、その瞳は閉じられていて、あの優しい瞳と重なることはなかった。


「………、」

「ッみいちゃん!!」


1度は枯渇したその身が欲に飲まれて下した血は、どれほどだっただろう。


酷く貪られたその身は、どれだけの血を失ったのだろう。


意識を失う、その生理的反応を要するほどの苦痛はどれほどだったのだろう。




君を失いたくないはずなのに。

君を傷つけることしか出来ない……。


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