Wolf blood
「由依さん」
「ん?」
「珍しいお客さんですよ」
「……ふふ。そうだね」
鼻をスンスン言わせながら『お客さん』と言ったひかるの声は、まだ柔らかかったけど
眉間に皺を寄せた、いかにも『嫌』な顔に笑みが零れてしまう。
それが隠せないひかるの可愛さを感じるけど、客と呼ばれたあいつはとことん嫌われてるんだな、と思った。
「お客さんにはその顔しちゃダメだよ、ひかる」
「………はい」
頭をぽんぽんと撫でれば、少し不服そうに、でも頬を染めながら返事をするひかる。
小柄な体なこともあってどこか幼さの残るこの子と今も共にいられるのは、あいつだけのおかげではないけれど、それでも
感謝しなければならないと思っている。
というか、してはいる。でも、ーー
電子的なインターホンが鳴って、玄関に向かう。思考は『でも、』と感謝している本心とは別の言い訳をし始めてから止まってしまった。
玄関を開ければ、そこには見知ったふたりが立っていた。
由依「…………、」
理佐「……久しぶり」
あいつ、もとい。理佐の顔を見ると、『でも、』の続きが、思考より感情で勝ってしまって言葉が出なくなる。感謝が言葉に出来ないのは自分もまだまだ幼いんだろうと思った。
由依「久しぶり。珍しいね」
理佐「………、」
由依「……なに。用があるんじゃないの?」
元々考えを言葉に出すタイプではなかったけれど、しばらく会わないうちに理佐は変わった。『へたれ』から『ネガティブのどへたれ』になっていた。
自分から来たくせに何も言わないし、でも何か言いたそうな雰囲気。顔は物言いしそうなのに、1歩引いたその態度。
ねるの一件ではバカみたいに行動化していたのに。
あーーーー、、、なんなんだろう、こいつは。
ねる「あのっ」
私の空気を悟ったのか、理佐の隣に立つねるが切り出してきた。助かる。理佐のことを待っていたら日が暮れるか、この玄関は客を通すことなく閉まるところだった。
由依「……何」
ねる「今日はお礼が言いたくて来たと…」
礼……ね。
理佐はそんな顔してないけど。
ねる「理佐のこと忘れとる時に、ねるに理佐のこと教えてくれたばい、ありがとう」
由依「……いいよ。私もねるの『血』のおかげで怪我治ったし、ありがとね」
ねる「っ!?、えと、由依さん、それは……!」
理佐「……………」
由依「記憶だってどこぞのへたれのせいだしね、ねるがお礼なんて言わなくていいよ」
理佐「……………………………。」
ねる「………えっ、と。」(なんやろか、これ)
理佐の眉間にシワがより、目付きが鋭くなる。こっちを睨むまでは行かないけれど、それもきっと、手を出すのを我慢するために目を向けないだけだ。
ーーーーー
……??
なんだか、どす黒く冷たい空気が見える。
由依さん、お客さんにはそんな顔するなって言ったのに顔怖い。笑ってるけど。
ちらっと顔を見せれば、ねるさんと目が合って。その瞬間、なんでかすごい勢いでこっちにきた。
「??えっ、ねるさん!?」
「ひかるちゃん!久しぶりー!元気やったと?」
「お久しぶりです!、元気ですよー」
「ほんと?ちょっと私にお部屋案内してほしか!新しい家やろ??」
ねるさん、ぐいぐい来る…。
野良として生活してきた私たちに家はなかったけれど
ねるさんたちとの一件から『志田さん』が来るようになって今住んでいる家を与えられた。その経緯はよく分からないけれど、由依さん曰く、吸血鬼と狼の繋ぎ役になったからだって言う。
由依さんが動き始めてるだけで、私はまだ帰りを待つことが多いけど…これからは由依さんと一緒に…いたたたた!!
「ね、ねるさん!?」
「奥どんなん?ひかるちゃんの部屋ある?」
ぐいぐい来てたねるさんは、いつの間にかぐいぐい引っ張ってきて
案内すると言うよりは私が奥に引きずり込まれているみたい、いた、痛いです…!
ーーーーー
………逃げたな。
どす黒く冷たい空気を発する理佐を尻目に、ひかるを引っ張るようにねるは部屋の奥に入っていった。
家主私なんだけど。入っていいとか言ってないんだけど。
「……由依、」
「なに」
「…………」
「……まただんまりかよ」
「……………………………ごめん、」
ぜったい思ってないよね。それ。
絞り出した感がすごいんだけど。
「思ってないこと言わなくていいから」
「……思ってる」
「はぁ。なら、なんに対して?殴ったこと?」
「それは、……思ってないけど」
へぇ。あんなボコボコにしといて思ってないんだ??
いい度胸してんじゃん。
「ねるに手出したのが悪い、」
「まぁね。でもねるの血は美味しかったよ?おかげであんなにボコボコにされたって元気だしね。ごちそーさま」
「………次やったら許さないから、」
「相方の記憶消して逃げるようなどへたれに言われたくない。どう考えても、そのネガティブでへたれな思考回路があんなことになったんでしょ」
「先にやったのは由依だよ…!」
「ねるが血差し出してきたって言ったよね。取られたくないんならちゃんと捕まえときなよ」
「…………!!」
………ねるが血を差し出してきたのは理佐を思ってのことだったのは分かってるけど、気づくまで教えてやらない。
というか、ねるに聞きたいけど
このどへたれと私のどこが似てるって言うんだ。
「………ロリコンのくせに、」
……………………………、。
「・・・はあ!?」
「ひかるちゃんみたいな小さい可愛い子に惚れて、身動き取れなかった由依にヘタレとか言われたくない!」
「ちょっ!ひかるを好きなのがなんでロリコンになんの!第一、理佐がへたれなのは間違いないでしょ!引き合いに出すのやめてよ。いつまで経ってもねるに手出せないくせに」
「っ関係ないじゃん!由依だってひかるちゃんに何も言ってないんでしょ?あんなくっついてるくせにさ」
「理佐、それブーメランになってんの分かってる?ねるにあんだけ言わせといてどうせまだ番ゴネてんでしょーが。時間埋めんのにこっちに来んのやめてよね」
「そっ、そんなんじゃないよ!」
ーーーーー
………なにしとんのやろ。あの2人。
言い合うふたりを、ひかるちゃんと影から見る。
「……ひかるちゃん、あれなん?」
「………うーん。喧嘩?ですかね。兄弟喧嘩みたい」
「どっちもどっちやけんなぁ」
由依さんの方がもっと、落ち着いとると思ったんけど……ふふ。
ほんと、兄弟喧嘩みたいや。
りっちゃんも取り繕いもせんで、言い合って。
でも、嫌な空気にはならん。
りっちゃんに、由依さんに血をあげた理由いつ言おうかな。
ネガティブりっちゃんやから、ちゃんと言ってあげんと変なこと考えちゃうけん。
「……ねるさんて、理佐さんにまだ手出されてないんですか?」
「っえ!??」
「番ゴネてるってそういうことですよね?」
「………ぁー、うーん。そう、やねぇ」
「……」
「あ、チューはしとるよ?」
「……、小学生じゃないんですから、」
あう。
ひかるちゃんに言われてしまうとは……。しかもため息まで。
りっちゃん、ねる悲しかぁ。
ーーーーー
理佐の落ち着いた空気は好ましい。
落ち着くし、波長も合う。
こうやって言い合うのは、いつかの幼い日のようで懐かしい。
それが、こんなネガティブどへたれになるとは思わなかったけど。
でも。
「………ねるとは、…番になる約束したよ」
「……それ、迷ってるんじゃないの」
「少し」
「…………」
「でも、ねると一緒に生きることから逃げることは、もうしない。」
「そんなこと言ってまた逃げんじゃないの?」
「……もうしない」
「………」
言い訳も、なにもない。
その言葉は、理佐にとってどんな意味があったのだろう。
それでも、やっと私を映した理佐の瞳は彷徨うことはなかった。
「……なら、いいけど」
理佐のひねくれた性格とは逆に、まっすぐな想い方は変わってなくて安心する。
私も、誤魔化してる場合じゃないよね。
「それで?」
「?」
「最初のごめんってなに?」
「……、余計なことしちゃったんじゃないかって」
「あぁ、」
そのことね。
「………まぁ、最初はね。仮にも番にあんなことした相手になんてことするんだとは思ったよ」
ねるとの1件のあと、愛佳がやってきて『役割』『仕事』の話を振られた時は意味がわからなかった。
罰はされても、そんな、自分にとって優遇と取られることが降ってくるとは思えなかったから。
『……理佐がね、頼んでったんだよ』
『理佐が?』
『付き合いあるなら分かるでしょ?そういう奴だって』
『……』
『長く野良として生きてきたってのもあるし、受ける受けないは自由だよ。ただ、ひかるちゃんにとっても小林にとっても、これで今後生きていきやすくはなると思う。……まぁ、答えが決まったら平手んとこ来て。』
それから。
数日後に話を受けに行って、平手のとこで、ねるに会った。
理佐のどへたれ行動を知ったのはその時で。
何も言わずに、消えようとする。逃げようとする理佐に腹が立って
ねると、話をしたんだ。
それはきっと、ひかるとの幸せの糸口をくれた分、理佐にも幸せになって欲しいから。
「……正直ね、ありがたいと思ってる。ひかるといられるのも、色んな助けがあったからだし」
「………」
素直に言えてない、な。まだまだ、幼い。
野良として生きてきた期間、ひかると生きてきた期間。
私はまだ、成長が足りないのかも。
「……、だから理佐に、逃げられるわけにいかない」
「………」
「愛されることから逃げんな。幸せになることを卑下すんじゃないよ」
「………うん、」
でも、そう思うけど、幸せや愛は理佐には重いのかもしれない。
だから。
「理佐がねるから離れたら、私もひかるとはいられない」
「えっ?」
「それくらい、周りのこと巻き込んでるって分かってなってこと」
「……、うん」
理佐の場合、自分を蔑ろにすることが、周りへの否定だと、周りを蔑ろにすることだと、知っていて欲しい。
私の言葉で理佐が止まるとも思えないけど、僅かなブレーキになればいいんだ。
引き止めるのも、抱きしめるのも。
それをするのはねるじゃなきゃダメだろうから。
そう、それは。
長濱ねるじゃないと、いけない。
「……理佐、」
「?」
「ねるの血飲んでどうだった?」
「……どういう意味?」
理佐は『平手にも言われた』と続ける。
……平手も、か。
「いいから。どうだったの」
「……耐えられなくなりそうだったよ」
「………」
「欲は少ないはずなのに、飲むことを止めることが出来なくなる感覚だった。真性の番でもないのに、」
「………そう」
好きだからかなぁ、なんて言う理佐に唾を吐きたくなったけどそんなことはしない。喧嘩になる。殴り合いの方の。
でも…ねるの血を飲んだ時、私にその感覚はなかった。
理佐のいう『想い』の関係かもしれない。ただだとしたら、理佐を想っていたねるの血はたしかに密度を上げるはずだ。
それか、私の体質の問題だろうか。
けど。
違和感はたしかにあった。
吸血鬼でもないこの身体は、血を飲んで傷が治った。
吸血のせいじゃないとしても、狼ともなりきれてない身体の傷が癒えるのは早かった。
逆に言えば、悲しいほどに欲求のなかった吸血行為、狼の忌み嫌うそれを体は受け付けていた。
………これは、自分の体質だけの話なのか?
それに、理佐の記憶操作は誰かに思い出されたことは無いと聞いた。ねる、以外には。
僅かに、少しづつ。滲み出るほどの微量でも、ねる自身の力で……
「……由依?ねるがどうかしたの、?」
「……なんでもない。どへたれな理佐の初恋初体験は、どうだったのかなって思っただけ」
「……思ってないこと言わなくていいよ、」
「……理佐に言われたくない」
ネガティブで、へたれなのは絶対似てないけど
どこか似てるところはあるのかもしれない。
互いの言葉をいい合って、そんなことを思った。
「ねる、どこに行ったんだろ」
話題に困ったのか、理佐からねるの名前が出てきて連れ去られるように消えていったひかるを思い出す。
「狼は吸血鬼のこと毛嫌いするからね、ひかるはねるのこと吸血鬼にさせたくないのかもよ?」
「………、」
「凹まないでよ。ひかる、理佐のことあんまり嫌いじゃないから」
「そうかな。由依にあんなことしたから怒ってるよ多分」
「それはね、間違いないけど」
あの『嫌』って顔はそういうことだけど。
前にひかるは、理佐の『優しい匂いが好き』って言ってたんだよ。
接したことなんてないのに。
しかも、相容れないはずのない吸血鬼に対して。
「…………、」
………この渦巻くような感情は、きっと嫉妬ってやつなんだろうな。なんて、他人事のように思って、それをまた他人事にして自分から遠ざけようとする自分に気づく。
理佐といるとつくづく、自分を気付かされて嫌になる。 似てるっているのは、そういうことなのかもしれない。
由依「……ちゃんと謝れば許してくれるって」
理佐「謝る気なんてないってば」
由依「余裕ないね。ひかるにくらい言いなよ」
空気が和らいだ頃合に、ふたりが家の奥から戻ってきて、ねるはそのまま帰ると言うから
靴を履いたままだった理佐は先に外に出た。
そして、ねるも靴を履く。
ひかるとその様子を見ていたら、少しだけ動作が止まって私は疑問に思った。
その後、顔を上げたねるはしっかりと前だけを見ていて
私を…、あの森で血を差し出した、あの時の顔で私を見ていた。
「由依さん、」
「なに?」
「……あの時言ってた、理佐を殺して私も罰せられたらいいって、どういう意味だったんですか?」
「…あぁ、」
そんなの、忘れていいのに。
酷く回りくどい、嫌味みたいなものなんだから。
「由依さんなりの、メッセージやったと思うんです」
「記憶戻ったんだし良くない?」
「良くなか」
「………頑固だね」
「そうやないと、りっちゃんとは居られんよ」
「…たしかに、そうだね」
思わず笑いが出る。たしかに。弱い子だったなら、あいつとは居られないだろうな。
「………、」
ーー『見つけたら殺してやったらいい。あいつはそれくらいの罪を犯したし、』
「……逃げてったネガティブでへたれなあいつのこと捕まえて、ぶっ飛ばして欲しい、そうしていいくらいには、ねるは傷つけられた」
「………」
ーー『あなたはその罪で罰せられるべきだ』
「でも、その代わり。その責任を持って、理佐と添い遂げて欲しい。その未来は、全て理佐のものになる、って意味だよ。その覚悟を持って欲しかったってだけ」
「………詩人さんやね」
「そんなんじゃない。ただのーー……」
酷く回りくどい、嫌味みたいなものだよ。
少しだけ、笑みをこぼして
理佐が外で怒り出す前に、別れを告げた。
「じゃあ、ひかるちゃん。またね」
「はい。お体に気をつけて」
「……、」
……ひかるも、さっきの理佐も、お互いに見えないしっぽが下がっている。
話したいなら話せばいいのに。
「ひかる、理佐と話さなくてよかったの、」
「……由依さんのこと殴った人と話したくありません。吸血鬼だし、」
「私は、理佐と仲良くして欲しいけど。ふたりとも大事な人だし、」
我ながら、自分を棚に上げた物言いだけど
ひかるは何も言わなくて。言葉をそのままに受け取っている様子だった。
素直で、まっすぐ。そんなひかるといると、その名の通り光に照らされている気がしてくる。
「………。」
「ひとりは、ひかるのことだよ?」
「……でも、」
「今度来たら、ひかるにお茶でも出してもらおうかな」
「……それくらいはしますけど、」
「よろしくね、」
きっと、それだけであいつは喜ぶと思うんだよね。
しっぽは見えないけれど、ひかるのそれは少しだけ持ち上がったような気がした。
ふたりの歩く後ろ姿を見る。
「………」
真祖の、『幼なじみ』
吸血鬼の枠から外れた、『理佐』
その吸血鬼の『番』
吸血欲の増大。
能力への、拮抗。
………真祖の、運命ごと引き寄せる力。。。
『……長濱ねるは、ただの人間か…?』
「ねえ、ひかる」
「はい」
長濱ねるはーーー……
「……由依さん?」
「ああ、うん。ごめん。なんでもない」
仮に、そうでなかったとして。
何も明かさなければならないこともない、。
結局、自分は吸血鬼には戻れなかったし、
だからって、今でも吸血鬼に戻ろうとも思ってない。
さっき見た共に歩くふたりの後ろ姿が、これから先も続いたらいい。
それだけを、願って
新しい家の玄関の鍵を閉めた。
「ん?」
「珍しいお客さんですよ」
「……ふふ。そうだね」
鼻をスンスン言わせながら『お客さん』と言ったひかるの声は、まだ柔らかかったけど
眉間に皺を寄せた、いかにも『嫌』な顔に笑みが零れてしまう。
それが隠せないひかるの可愛さを感じるけど、客と呼ばれたあいつはとことん嫌われてるんだな、と思った。
「お客さんにはその顔しちゃダメだよ、ひかる」
「………はい」
頭をぽんぽんと撫でれば、少し不服そうに、でも頬を染めながら返事をするひかる。
小柄な体なこともあってどこか幼さの残るこの子と今も共にいられるのは、あいつだけのおかげではないけれど、それでも
感謝しなければならないと思っている。
というか、してはいる。でも、ーー
電子的なインターホンが鳴って、玄関に向かう。思考は『でも、』と感謝している本心とは別の言い訳をし始めてから止まってしまった。
玄関を開ければ、そこには見知ったふたりが立っていた。
由依「…………、」
理佐「……久しぶり」
あいつ、もとい。理佐の顔を見ると、『でも、』の続きが、思考より感情で勝ってしまって言葉が出なくなる。感謝が言葉に出来ないのは自分もまだまだ幼いんだろうと思った。
由依「久しぶり。珍しいね」
理佐「………、」
由依「……なに。用があるんじゃないの?」
元々考えを言葉に出すタイプではなかったけれど、しばらく会わないうちに理佐は変わった。『へたれ』から『ネガティブのどへたれ』になっていた。
自分から来たくせに何も言わないし、でも何か言いたそうな雰囲気。顔は物言いしそうなのに、1歩引いたその態度。
ねるの一件ではバカみたいに行動化していたのに。
あーーーー、、、なんなんだろう、こいつは。
ねる「あのっ」
私の空気を悟ったのか、理佐の隣に立つねるが切り出してきた。助かる。理佐のことを待っていたら日が暮れるか、この玄関は客を通すことなく閉まるところだった。
由依「……何」
ねる「今日はお礼が言いたくて来たと…」
礼……ね。
理佐はそんな顔してないけど。
ねる「理佐のこと忘れとる時に、ねるに理佐のこと教えてくれたばい、ありがとう」
由依「……いいよ。私もねるの『血』のおかげで怪我治ったし、ありがとね」
ねる「っ!?、えと、由依さん、それは……!」
理佐「……………」
由依「記憶だってどこぞのへたれのせいだしね、ねるがお礼なんて言わなくていいよ」
理佐「……………………………。」
ねる「………えっ、と。」(なんやろか、これ)
理佐の眉間にシワがより、目付きが鋭くなる。こっちを睨むまでは行かないけれど、それもきっと、手を出すのを我慢するために目を向けないだけだ。
ーーーーー
……??
なんだか、どす黒く冷たい空気が見える。
由依さん、お客さんにはそんな顔するなって言ったのに顔怖い。笑ってるけど。
ちらっと顔を見せれば、ねるさんと目が合って。その瞬間、なんでかすごい勢いでこっちにきた。
「??えっ、ねるさん!?」
「ひかるちゃん!久しぶりー!元気やったと?」
「お久しぶりです!、元気ですよー」
「ほんと?ちょっと私にお部屋案内してほしか!新しい家やろ??」
ねるさん、ぐいぐい来る…。
野良として生活してきた私たちに家はなかったけれど
ねるさんたちとの一件から『志田さん』が来るようになって今住んでいる家を与えられた。その経緯はよく分からないけれど、由依さん曰く、吸血鬼と狼の繋ぎ役になったからだって言う。
由依さんが動き始めてるだけで、私はまだ帰りを待つことが多いけど…これからは由依さんと一緒に…いたたたた!!
「ね、ねるさん!?」
「奥どんなん?ひかるちゃんの部屋ある?」
ぐいぐい来てたねるさんは、いつの間にかぐいぐい引っ張ってきて
案内すると言うよりは私が奥に引きずり込まれているみたい、いた、痛いです…!
ーーーーー
………逃げたな。
どす黒く冷たい空気を発する理佐を尻目に、ひかるを引っ張るようにねるは部屋の奥に入っていった。
家主私なんだけど。入っていいとか言ってないんだけど。
「……由依、」
「なに」
「…………」
「……まただんまりかよ」
「……………………………ごめん、」
ぜったい思ってないよね。それ。
絞り出した感がすごいんだけど。
「思ってないこと言わなくていいから」
「……思ってる」
「はぁ。なら、なんに対して?殴ったこと?」
「それは、……思ってないけど」
へぇ。あんなボコボコにしといて思ってないんだ??
いい度胸してんじゃん。
「ねるに手出したのが悪い、」
「まぁね。でもねるの血は美味しかったよ?おかげであんなにボコボコにされたって元気だしね。ごちそーさま」
「………次やったら許さないから、」
「相方の記憶消して逃げるようなどへたれに言われたくない。どう考えても、そのネガティブでへたれな思考回路があんなことになったんでしょ」
「先にやったのは由依だよ…!」
「ねるが血差し出してきたって言ったよね。取られたくないんならちゃんと捕まえときなよ」
「…………!!」
………ねるが血を差し出してきたのは理佐を思ってのことだったのは分かってるけど、気づくまで教えてやらない。
というか、ねるに聞きたいけど
このどへたれと私のどこが似てるって言うんだ。
「………ロリコンのくせに、」
……………………………、。
「・・・はあ!?」
「ひかるちゃんみたいな小さい可愛い子に惚れて、身動き取れなかった由依にヘタレとか言われたくない!」
「ちょっ!ひかるを好きなのがなんでロリコンになんの!第一、理佐がへたれなのは間違いないでしょ!引き合いに出すのやめてよ。いつまで経ってもねるに手出せないくせに」
「っ関係ないじゃん!由依だってひかるちゃんに何も言ってないんでしょ?あんなくっついてるくせにさ」
「理佐、それブーメランになってんの分かってる?ねるにあんだけ言わせといてどうせまだ番ゴネてんでしょーが。時間埋めんのにこっちに来んのやめてよね」
「そっ、そんなんじゃないよ!」
ーーーーー
………なにしとんのやろ。あの2人。
言い合うふたりを、ひかるちゃんと影から見る。
「……ひかるちゃん、あれなん?」
「………うーん。喧嘩?ですかね。兄弟喧嘩みたい」
「どっちもどっちやけんなぁ」
由依さんの方がもっと、落ち着いとると思ったんけど……ふふ。
ほんと、兄弟喧嘩みたいや。
りっちゃんも取り繕いもせんで、言い合って。
でも、嫌な空気にはならん。
りっちゃんに、由依さんに血をあげた理由いつ言おうかな。
ネガティブりっちゃんやから、ちゃんと言ってあげんと変なこと考えちゃうけん。
「……ねるさんて、理佐さんにまだ手出されてないんですか?」
「っえ!??」
「番ゴネてるってそういうことですよね?」
「………ぁー、うーん。そう、やねぇ」
「……」
「あ、チューはしとるよ?」
「……、小学生じゃないんですから、」
あう。
ひかるちゃんに言われてしまうとは……。しかもため息まで。
りっちゃん、ねる悲しかぁ。
ーーーーー
理佐の落ち着いた空気は好ましい。
落ち着くし、波長も合う。
こうやって言い合うのは、いつかの幼い日のようで懐かしい。
それが、こんなネガティブどへたれになるとは思わなかったけど。
でも。
「………ねるとは、…番になる約束したよ」
「……それ、迷ってるんじゃないの」
「少し」
「…………」
「でも、ねると一緒に生きることから逃げることは、もうしない。」
「そんなこと言ってまた逃げんじゃないの?」
「……もうしない」
「………」
言い訳も、なにもない。
その言葉は、理佐にとってどんな意味があったのだろう。
それでも、やっと私を映した理佐の瞳は彷徨うことはなかった。
「……なら、いいけど」
理佐のひねくれた性格とは逆に、まっすぐな想い方は変わってなくて安心する。
私も、誤魔化してる場合じゃないよね。
「それで?」
「?」
「最初のごめんってなに?」
「……、余計なことしちゃったんじゃないかって」
「あぁ、」
そのことね。
「………まぁ、最初はね。仮にも番にあんなことした相手になんてことするんだとは思ったよ」
ねるとの1件のあと、愛佳がやってきて『役割』『仕事』の話を振られた時は意味がわからなかった。
罰はされても、そんな、自分にとって優遇と取られることが降ってくるとは思えなかったから。
『……理佐がね、頼んでったんだよ』
『理佐が?』
『付き合いあるなら分かるでしょ?そういう奴だって』
『……』
『長く野良として生きてきたってのもあるし、受ける受けないは自由だよ。ただ、ひかるちゃんにとっても小林にとっても、これで今後生きていきやすくはなると思う。……まぁ、答えが決まったら平手んとこ来て。』
それから。
数日後に話を受けに行って、平手のとこで、ねるに会った。
理佐のどへたれ行動を知ったのはその時で。
何も言わずに、消えようとする。逃げようとする理佐に腹が立って
ねると、話をしたんだ。
それはきっと、ひかるとの幸せの糸口をくれた分、理佐にも幸せになって欲しいから。
「……正直ね、ありがたいと思ってる。ひかるといられるのも、色んな助けがあったからだし」
「………」
素直に言えてない、な。まだまだ、幼い。
野良として生きてきた期間、ひかると生きてきた期間。
私はまだ、成長が足りないのかも。
「……、だから理佐に、逃げられるわけにいかない」
「………」
「愛されることから逃げんな。幸せになることを卑下すんじゃないよ」
「………うん、」
でも、そう思うけど、幸せや愛は理佐には重いのかもしれない。
だから。
「理佐がねるから離れたら、私もひかるとはいられない」
「えっ?」
「それくらい、周りのこと巻き込んでるって分かってなってこと」
「……、うん」
理佐の場合、自分を蔑ろにすることが、周りへの否定だと、周りを蔑ろにすることだと、知っていて欲しい。
私の言葉で理佐が止まるとも思えないけど、僅かなブレーキになればいいんだ。
引き止めるのも、抱きしめるのも。
それをするのはねるじゃなきゃダメだろうから。
そう、それは。
長濱ねるじゃないと、いけない。
「……理佐、」
「?」
「ねるの血飲んでどうだった?」
「……どういう意味?」
理佐は『平手にも言われた』と続ける。
……平手も、か。
「いいから。どうだったの」
「……耐えられなくなりそうだったよ」
「………」
「欲は少ないはずなのに、飲むことを止めることが出来なくなる感覚だった。真性の番でもないのに、」
「………そう」
好きだからかなぁ、なんて言う理佐に唾を吐きたくなったけどそんなことはしない。喧嘩になる。殴り合いの方の。
でも…ねるの血を飲んだ時、私にその感覚はなかった。
理佐のいう『想い』の関係かもしれない。ただだとしたら、理佐を想っていたねるの血はたしかに密度を上げるはずだ。
それか、私の体質の問題だろうか。
けど。
違和感はたしかにあった。
吸血鬼でもないこの身体は、血を飲んで傷が治った。
吸血のせいじゃないとしても、狼ともなりきれてない身体の傷が癒えるのは早かった。
逆に言えば、悲しいほどに欲求のなかった吸血行為、狼の忌み嫌うそれを体は受け付けていた。
………これは、自分の体質だけの話なのか?
それに、理佐の記憶操作は誰かに思い出されたことは無いと聞いた。ねる、以外には。
僅かに、少しづつ。滲み出るほどの微量でも、ねる自身の力で……
「……由依?ねるがどうかしたの、?」
「……なんでもない。どへたれな理佐の初恋初体験は、どうだったのかなって思っただけ」
「……思ってないこと言わなくていいよ、」
「……理佐に言われたくない」
ネガティブで、へたれなのは絶対似てないけど
どこか似てるところはあるのかもしれない。
互いの言葉をいい合って、そんなことを思った。
「ねる、どこに行ったんだろ」
話題に困ったのか、理佐からねるの名前が出てきて連れ去られるように消えていったひかるを思い出す。
「狼は吸血鬼のこと毛嫌いするからね、ひかるはねるのこと吸血鬼にさせたくないのかもよ?」
「………、」
「凹まないでよ。ひかる、理佐のことあんまり嫌いじゃないから」
「そうかな。由依にあんなことしたから怒ってるよ多分」
「それはね、間違いないけど」
あの『嫌』って顔はそういうことだけど。
前にひかるは、理佐の『優しい匂いが好き』って言ってたんだよ。
接したことなんてないのに。
しかも、相容れないはずのない吸血鬼に対して。
「…………、」
………この渦巻くような感情は、きっと嫉妬ってやつなんだろうな。なんて、他人事のように思って、それをまた他人事にして自分から遠ざけようとする自分に気づく。
理佐といるとつくづく、自分を気付かされて嫌になる。 似てるっているのは、そういうことなのかもしれない。
由依「……ちゃんと謝れば許してくれるって」
理佐「謝る気なんてないってば」
由依「余裕ないね。ひかるにくらい言いなよ」
空気が和らいだ頃合に、ふたりが家の奥から戻ってきて、ねるはそのまま帰ると言うから
靴を履いたままだった理佐は先に外に出た。
そして、ねるも靴を履く。
ひかるとその様子を見ていたら、少しだけ動作が止まって私は疑問に思った。
その後、顔を上げたねるはしっかりと前だけを見ていて
私を…、あの森で血を差し出した、あの時の顔で私を見ていた。
「由依さん、」
「なに?」
「……あの時言ってた、理佐を殺して私も罰せられたらいいって、どういう意味だったんですか?」
「…あぁ、」
そんなの、忘れていいのに。
酷く回りくどい、嫌味みたいなものなんだから。
「由依さんなりの、メッセージやったと思うんです」
「記憶戻ったんだし良くない?」
「良くなか」
「………頑固だね」
「そうやないと、りっちゃんとは居られんよ」
「…たしかに、そうだね」
思わず笑いが出る。たしかに。弱い子だったなら、あいつとは居られないだろうな。
「………、」
ーー『見つけたら殺してやったらいい。あいつはそれくらいの罪を犯したし、』
「……逃げてったネガティブでへたれなあいつのこと捕まえて、ぶっ飛ばして欲しい、そうしていいくらいには、ねるは傷つけられた」
「………」
ーー『あなたはその罪で罰せられるべきだ』
「でも、その代わり。その責任を持って、理佐と添い遂げて欲しい。その未来は、全て理佐のものになる、って意味だよ。その覚悟を持って欲しかったってだけ」
「………詩人さんやね」
「そんなんじゃない。ただのーー……」
酷く回りくどい、嫌味みたいなものだよ。
少しだけ、笑みをこぼして
理佐が外で怒り出す前に、別れを告げた。
「じゃあ、ひかるちゃん。またね」
「はい。お体に気をつけて」
「……、」
……ひかるも、さっきの理佐も、お互いに見えないしっぽが下がっている。
話したいなら話せばいいのに。
「ひかる、理佐と話さなくてよかったの、」
「……由依さんのこと殴った人と話したくありません。吸血鬼だし、」
「私は、理佐と仲良くして欲しいけど。ふたりとも大事な人だし、」
我ながら、自分を棚に上げた物言いだけど
ひかるは何も言わなくて。言葉をそのままに受け取っている様子だった。
素直で、まっすぐ。そんなひかるといると、その名の通り光に照らされている気がしてくる。
「………。」
「ひとりは、ひかるのことだよ?」
「……でも、」
「今度来たら、ひかるにお茶でも出してもらおうかな」
「……それくらいはしますけど、」
「よろしくね、」
きっと、それだけであいつは喜ぶと思うんだよね。
しっぽは見えないけれど、ひかるのそれは少しだけ持ち上がったような気がした。
ふたりの歩く後ろ姿を見る。
「………」
真祖の、『幼なじみ』
吸血鬼の枠から外れた、『理佐』
その吸血鬼の『番』
吸血欲の増大。
能力への、拮抗。
………真祖の、運命ごと引き寄せる力。。。
『……長濱ねるは、ただの人間か…?』
「ねえ、ひかる」
「はい」
長濱ねるはーーー……
「……由依さん?」
「ああ、うん。ごめん。なんでもない」
仮に、そうでなかったとして。
何も明かさなければならないこともない、。
結局、自分は吸血鬼には戻れなかったし、
だからって、今でも吸血鬼に戻ろうとも思ってない。
さっき見た共に歩くふたりの後ろ姿が、これから先も続いたらいい。
それだけを、願って
新しい家の玄関の鍵を閉めた。