Wolf blood


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「……ねる、おかえり」

「てっちゃん、」

「またひどく泣いたんだね。腫れてるよ」

「………、」


屋台が片付けられていく、その中で
友梨奈はねるを待っていた。

灯りが乏しくなって、表情を読むことが難しい。けれど、その声の優しさは変わらず。
ぼやけたねるの心を、正確に捉えていた。


「……帰ろっか、送るよ」

「……てち、」

「ん?」


けれど。ねるには確かめておきたいことがあった。
記憶が戻り、本来の自分の記憶と、『自分のものではない記憶』に気づいていたから。



「ねるの、記憶。…てっちゃんのやろ、?」

「………」

「……キス、したときから…いっぱい溢れてきとって、よく分からんかったけど…ねるのと違うのがあったけん、」

「よく、気がついたね」

「………」

「…好きな人には、好きな人といて欲しいんだ。ふたりともね」

「っ、!」


桜の木の下で送られた、友梨奈の言葉がきっと本当で。あのぶつけられた思いに嘘なんかないはずで。

だからこそ、目の前の柔らかい笑顔に、たまらなく、泣きそうになった。隠すように顔を俯かせる。泣きそうなのがバレるとは分かっていたけれど、涙を見せてはいけない気がしていた。


友梨奈はそんなねるに近づいて、その腕をゆっくりとねるに回す。
身長差のせいで、ねるには友梨奈の顔は見えなかったけれど
優しく撫でられるその仕草とあたたかさに、ねるはまた友梨奈の服を握りしめていた。


「てち、っ」

「なに?ねるちゃん」

「……ありがと、ぅ、」

「……、また遊びに来て。待ってるから」

「……ぅん、絶対行くけん、!」















ねるとのやり取りの後、ねるを帰し、その後ろ姿を送ってからしばらく、理佐は桜の木の下にいた。


「よ、」

「……、」

「久しぶり」

「……うん、」


足音なく現れたその人に驚かなかったのは、きっと来ると分かっていたからだった。

愛佳は当然のように理佐の隣まで近づいて、桜を見上げる。蕾であることに変わりはないのにふたりは視線を蕾に向けたまま、言葉を交わした。


「ねるとちゃんと話せたのか?」

「…泣かせちゃったけどね」

「どうせ、泣いたのはりっちゃんが先だろ?」

「うるさいな、」

「番、決めたの?」

「……うん」

「やっとか。ズルズルと契り交わさないからこっちとしては何してんだと思ってたけど、今回は理佐のへたれが幸いしたね」

「………」


もし、契りを済ませた『番』だったなら。
干渉した由依も、裏切りをしたねるも、無事ではなかっただろう。




理佐はまだ、ねるに嘘をついている。

ーー『人間で言う、浮気や不倫と同じ』


…番も契りも、そんな甘いことではない。

ニュアンスは似ているけれど、番でありながらその相手ではない者に血を差し出す行為は、裏切りそのものであり、契り抹消とともに相応の罰が待っている。


「……、」

「あぁ、小林の件も落ち着いたよ」

「…良かった。ありがとう」


由依がひかると生きる道を選んだあの時、理佐は愛佳に頼み事をしていた。



ーーーー


『愛佳、頼みたいことがあるんだ』

『ん?』

『由依の居場所を作って欲しい』

『……』

『ひかるちゃんが、由依の居場所になることは分かってる。けど、それだけじゃなくてーー』


吸血鬼としても狼としても生きられない由依に、吸血鬼とも狼とも生きられるように。
今回の件で、どちらからも追われることがないように采配を依頼していた。

友梨奈は理佐との関わりは持てない。元よりあの時は消えようとしていたから、その計らいを託していた。



「……ただ、逃げんなって言ってたぞ」

「ふふ、由依らしい、」

「義理堅いからな。ちゃんと、小林とも会って話しろよ」

「…勝手なことして怒られるかな」

「へたれか。逃げた方が怒られるわ」

「……うん」




ーーー『あと、』

『まだあんの?』

『これから先、何かあったらねるのこと頼みたいんだ』

『ん?ああ、そりゃあ何かあれば協力するけど…』

『良かった、』


もうひとつの頼み事を思い出して、理佐の中に小さく恨み言が生まれる。

あの時願ったのは、理佐のことを忘れたあとのフォローだったのに。





「…ねるのこと、頼んどいたのに」

「大事なヤツを人任せにすんなよ。あの時はあまりに抽象的だったからうなづいちゃったけど、どんどん消えてくからマジでビビったわ。平手には怒られるし。行使する前に言えよ。理佐の能力は思ってるより厄介なんだからさ、」

「……ごめん」


言ったら止められていただろうから言わなかった、とは言えない。
ねるとは比べ物にならない脅威が襲ってくることは容易に想像できた。


「……でも。私より、平手とか小林の方がよっぽど理佐のこと思い出せるように動いてたよ」

「………」

「理佐」


呼ばれて、視線を愛佳に下ろす。
既に、愛佳の目は理佐を見つめていて、それがあまりに真っ直ぐで、優しくて
ドキリとした。



「理佐なら、大丈夫だよ」

「ーーー、」


自分のことをよく知っている人が、
嘘も、繕いもしない、その人が言う『大丈夫』が、こんなにも衝撃的だとは思わなかった。


じわじわ、なんてものではない。

全ての凸凹が、穴が、くぼみが
ピッタリと埋められる。

『でも』も『だって』も入り込む隙間なんてない。
否定を許さない、その重み。

それはきっと、愛佳、だからだ。



「理佐だから、ねるは思い出したし、平手も小林も、私も。2人が戻れるように動いたんだ」

「……っ、」


愛佳の手が、理佐の背に届く。

こうして、たくさんの手が
理佐とねるに与えられて、差し出されて、支えられて……
背中を押してくれる。


今、ねるや自分はこうしていられるのは
他でもない、こうしてそばにいてくれるその人たちのおかげだ。


「な、理佐」

「っ、ありがとう…、」

「泣くなよ!ねるに怒られるだろー」

























ーーーーー

ーーーーーーーーー






「これ、飲むと?」

「そう。私の血だから、見た目悪いけど…」

「ううん、、。なんか、やな訳やないけど、グロいったい」

「注射もあるけど、」

「うう、飲むばい」


グラスに見える、紅い液体。
これが血だと思うと、それが愛しい人のものだとしても
本能的に、眉間にシワがよってしまう。



「でも、なんでここで飲むと?」

「………、」


契りを交わす、という少し重たげな言葉とは逆に
そこは理佐の部屋で。
今ふたりは、ベッドの上に座っている。

ねるの言葉に、理佐からの返答はなくてどこか困惑しているようにも見えた。


「?」

「あの、ほら、。体が変化するから結構辛かったりするんだよ。だから、」

「痛いと?」

「……痛くはない、かな。たぶん、」

「苦しい?」

「そう、だね。そう聞くよ」

「ー……」


倒れたり、もしかしてのたうち回ったりするのだろうか。
怪我しないために、とか?とねるの思考は、これから来るであろう危険に傾いていく。

難しい顔をするねるに、理佐は伺うように声をかけた。



「迷ってるなら、また今度でも…」

「理佐、」

「ん?」

「キスして」

「っえ!?」


けれど、理佐の不安とは別に、ねるからの要望が来て理佐の声が裏返る。
それが恥ずかしてくて、誤魔化すようにんん!と咳払いをして、喉を鳴らした。

けれど、ねるはそんなことは気にも止めていないようだった。


「……ぎゅってしてて 」

「っ、なんで、?」

「苦しいとやろ?りっちゃんにぎゅってしててほしか」

「ーー……うん。」














理佐は、ベッドに座り壁に寄りかかる。
理佐の組まれた足の上に、ねるを迎えて、お腹に手を回した。

ねるは、理佐に包まれながら

その血を飲み下し、



契りを、交わす。









番は絶対で。

代わりはなく、変わることもない。

絶対的唯一。




君は、唯一で。


私は、君の唯一になる。

















ねるの、熱の篭った声が

腕の中から聞こえる。







体の変化に、瞳を濡らして。

頬を染める。








君を、


私で。





君の細胞から、すべてが



私に染まるんだ。









愛する君を、もう二度と、離したりしない。





腕の中で泣く君を、
私は、想いをぶつけるように抱きしめた。






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