傷つけたくない。


「舞美!」


屋上へ向かう途中、自身の名を呼ばれて立ち止まる。
休み時間で行き交う生徒の中から背の低い影……桃子が見えた。


「ちょっといい?」


廊下の隅に移動すると、桃子が少し頭を下げた。


「へ?えッ、なに?」

「この間はごめん。もも、完全に自制が外れちゃってて…」

「…あ」


桃子が言うのは、早貴に『あの人』を話に引き出された時のこと。舞美が間に入り桃子を引き戻したのだった。


「その、『あの人』は大丈夫だったの?」

「うん。あの子も何もしてないって言ってたし、本人は…なんか、何も知らないって言ってたから平気」

「良かった」

「…あの人は、何かあっても何もないに出来る人だからその辺は心配してないんだけどね」

「え?それで怒ったんじゃないの?」

「うーん。何ていうのかな…」


舞美を見上げていた目が考える様に下へ降りる。
俯き加減がとても綺麗だった。

見入っていると桃子が思い付いたように言い表した。

 
 

「あの子の中に佐紀ちゃんがいるのが許せなかったんだ」

 
 

「…え?」


首を傾げる舞美。良く分からない、と言わんばかりの表情と仕草に、桃子は苦笑いをこぼす。


「舞美は独占欲薄そうだもんね」

「えっ、なに?どういうこと?」

「…もう。
あのね、自分の好きな人が他人の中…、中っていうか心かな、記憶とかね」

「?うん。」

「そこに存在してるのが許せないの。」


――わかんない…。だって、居るんだから誰かの中には在るでしょ、絶対。


「舞美には分かんないかな。
まぁ、ももだけの考えかも知れないし。良いよ、無理に分かろうとしなくて」


桃子が笑って話を終わらせようとする。
そこに、何故かふと愛理がよぎった。


――あれ?


「ねっねえ!ももっ」

「いたっ痛いよ!なに?」


舞美は考えを巡らせながら桃子の肩を叩く。考えていたせいで加減が出来ずに強くなってしまったようだった。


「ぎゃく!逆だったらもっと嫌だ?」

「……」


桃子がびっくりしたように舞美を見る。


「鈍感な舞美にしては鋭いね」


感心したような笑顔が舞美に寒気を走らせる。


「そんなことになったら、もも相手になにするか分かんないなぁ」

――だって佐紀ちゃんはもものだもん



全て聞き終わる前に舞美は走り出した。
あの子の元へ――
 
 
ーーーーーーーー
 
 
「愛理!!!」


来た道を走り抜け、向かった先はさっき別れた愛理の元。


「っ舞美ちゃん?」


いきなり飛び込んだせいか愛理の身体が跳ねた。

早足で教室の入口から愛理の席まで行き、驚いたままの愛理に告げる。


「やっぱり行かない!」

「――え、なんで。良いよ、行ってきてよ」

「やだ。行かないって決めたの」

「言いたいことがあるって言ってたじゃん」

「うん。でも行かない」

「なんで」

「行きたくないから」


行かないと言う舞美の真意が分からない愛理の目はだんだんと潤んでくる。舞美に残る早貴を消したくて蓋をした気持ちに抑えが利かなくなりそうだった。

押し問答のような会話に栞菜が呆れたように口を出す。


「矢島センパイ、意味わかんないです。愛理は行ってきてって言ってるんですよ?」

「分かってる。でも行かない」

「だから、理由を言ってください。ちゃんと」

「だって、愛理を傷つけたくない。」

「――」


まっすぐと愛理に差さる舞美の眼。愛理もなんとかそれを受け止める。


「ももが言ってたんだ。誰かの心に自分の好きな人が在るのが許せなかったって。
あたし、それはちょっとわかんないんだけどさ、」

「……」

「でも、逆は嫌だって思ったの」

「逆…?」


「好きな人の中に誰かがいたり、誰かのことを想ってること」

「…っ」


それは正に、ついさっきの舞美自身だった。愛理が目の前にいるのに早貴を優先しようとしていたのだから。

愛理の口元がきつく閉まる。俯いてしまった目線に合わせるように舞美が膝をつき愛理の手に自身の手を重ねた。

それは、


「あたし、やっぱり行かないよ」


まるで数分前に戻ったかのような、その時と酷似した形――


「…っでもぉ」


愛理の体が震え、声が揺れる。今度は舞美が手に力を込めた。


「行かないでって言って、愛理。」

「っ」

「愛理が嫌なこと、もうしたくないから教えてほしいんだ。難しいと思うけど

でも―」
「っ舞美ちゃん!」


重なっていた手を払い、抱きつくように愛理の腕が舞美の首に回った。
応えるように舞美の手が愛理の腰を抱く。


「行かないで…っ」

「うん」

「いっしょにっいて、誰かのとこ…に、なんかっ、行かないで…!」

「うん」

「…ぅうーっ」

「ごめんね、愛理」 
 

舞美の制服が愛理の涙で濡れた。
 
 




 

 
 
消えない傷は

身体に

 
 

癒えない疵は

心に

 
 

傷つけたくない。

叶わないことだとしても、望まずにはいられない。

 
 


―1つだけ、願いに近づく方法を知った。

相手の気持ちを知ることと、聞くこと。


どんなに想ってした行動も、相手の気持ち次第では大きく傷つけてしまうから


「愛理。


――好きだよ」

 
 

傷つけたくないから……君の気持ちを聞かせて

 
 

「舞美ちゃん…っ…、
…大好き。」

 
 

そして、


私を知ってくれた君に、

ありがとうを――

 
 
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