傷つけたくない。
「舞美!!」「っ矢島センパイ!」
桃子と栞菜、2つの声が重なる。指し示すのは、ただ一人。
しかし、その声に応えたのは笑顔を咲かせた早貴だった。
「ほら。舞美ちゃん本人がこう言ってるんだよ。」
二人の目は舞美のまま。しかし、早貴は気にも止めなかった。早貴の対象は愛理だったから。
「鈴木愛理。あなたも私と同じで舞美ちゃんが好きなら、纏わりついて迷惑かけるのやめるべきじゃなぁい?」
「………」
愛理は何も答えない。表情も俯いたことで髪が隠していた。かろうじて見えるのは固く閉じた口元だけ。
その様子を鼻で笑うと早貴は舞美の手を引いた。
「行こう。舞美ちゃん」
「待って」
そのまま出ようとする早貴達を桃子が止めた。正確には舞美を。
「なんですか?嗣永先輩。もういい加減に「どいて」
言葉を遮る。声の低さに先程の恐怖を思い出したのか早貴は怯んだように半歩下がり、舞の正面に桃子が立った。
「舞美」
「……」
「本気なの?」
「…うん」
「こっち見て。ちゃんと」
舞美の顔は上がらない。愛理と同じ、口元だけが意志を示す。
「矢島センパイッ!」
声を上げたのは栞菜。
桃子とは違う、舞美に対しての感情は早貴に向けた怒りに限りなく近い。
舞美が何を思おうと、何に縛られていようと、そんなこと栞菜には関係ない。あるのは愛理がそれに対してどう感じるかだけ。
舞美だけが分かっていない。早貴に囚われ、自分がなにをしているのか。だから偽りを口にしてそんな、最愛でない人の側に立っているのだ。
栞菜が舞美の元へ行くために愛理を越そうと並んだ時、腕を引かれ遮られた。振り返れば愛理の両手に掴まれていた。
「愛理っ」
こんなことになっていていいのか。いい訳がない。目の前で愛理はふるふると力なく首を振るけれど、そんなこと許せなかった。
それなのに。
こんなことになる理由なんて、ないのに。
もう、諦めようとしているのだろうか…
「…もう、いいですよね。行こ、舞美ちゃん」
再び出ようとする早貴に引かれ、舞美は出口へ近づく。
それを正面にいた桃子はもどかしくも苛立ちを含めた心境で見送るしかなくなっていた。
もし桃子自身が舞美と同じことになったとしても、早貴を只じゃ済まさないだろう。その上で想い人との全てを確立する。
だが、舞美がそういう性格じゃないことは桃子はよく分かっていた。
一歩、一歩と早貴に引かれて歩く。
この一時間に充たない時間で色んなものがひどく消耗した。
気持ちはぐちゃぐちゃだ。空が一段と暗く感じる。掴まれた腕は、愛理が微かに触れたあの時から冷える一方だった。
停止し始める思考に伴って頭がぼうっと感じる。
―――『』
遠くに聴こえた音に、停止しかけていた脳が一気に起きる。
足が進むことを止める。引く力など対抗するに値しない。
音がした方へ振り返った……いや、聞き覚えのあるその音は愛理のものだと確信し、目が追った。
――頭が真っ白になる。
背を向けていた舞美を愛理はしっかりと見つめていた。見えなかった、見ないようにしていたんだ。
――早貴に突きつけられた選択も
――自ら選んだ現実も
――自分を保つための杭も
――自制も、理性も、良心も
全て真っ白に掻き消された
愛理の なみだに…――
早貴の手に在ったものが消える。
「――え?」
桃子に風が届く。
「……もぅ。」
その風は栞菜にも吹き、
涙を流す愛理を
際限なく包み込んだ。
苦しいほどのそれに、愛理も手を伸ばす。
抱きしめるなんて甘いものになんてなれなかった。
「…っ、まぃッみちゃ、ん…!」
「………っ」
もう二度と逃がさないように、力の限り掴んだ。