【hkok】春うらら
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ここ数日で、俺の一日の過ごし方は大きく変わった。
睡眠から食事から厠まで何から何まで環境が変わってしまったが、それはまだ繰り返せば嫌でも慣れる。
最も困るのはこんな時。
「では、行ってきますね」
「ああ。気をつけてな」
すーつ、という窮屈そうな服に身を包み(いつも思うが仕事には不向きではないのだろうか)、彼女は笑顔で仕事場へと出向いて行った。
扉が閉まったのを確認すると、肩が上がるほど大きなため息をひとつ。
「…さて、どうすっか」
静まり返った空間に、独り言としてそれは響く。
今までひたすら仕事に打ち込んでいたこの時間を、俺は大いに持て余していたのだ。
とりあえずはテレビとやらを付けてみるが、どれも似たような番組ばかりで飽きた。
政治だなんだ、見ていて色々と思うところはあるが行動を起こせない現実に歯痒くなるだけだ。
やり切れない気持ちで天井を仰いだところでふと、窓の向こうの空が目に入った。
――手頃な暇潰しがこんなところにあったとは。
思い立ったが吉日、厚手の上着に袖を通し、引き出しに閉まっておいた鍵を取り出した。それを手に握り締め、瞬間も待たずに取手を捻り、扉を開く(もう笑われて堪るか)。
一歩外へ出れば、容赦無く寒気が肌を刺激する。だが、上着を着ているせいもあるだろうが、心なしかあっちよりかはまだ増しな気もした。
「変わっちまうもんなんだな…何もかも」
この景色にはもう慣れたつもりでいたが、一人で歩くとまた違う世界に見えるのはきっと気のせいではないはず。
俺一人が歩いていたところで誰にも怯えられない、殺し合いもない。当然それはこの上なく良いことなのだろう。
ただ俺にとってはそうではない。自分にあるのは刀だけだというのに、ここにいて何の意味がある。在ってよいはずの平穏は、自身を空間から疎外させるのだ。
誰もが喜び、また喜べることと理解しながら素直に喜べない己に嫌気が差す。
「――っ、…あ?」
沈みかけた気持ちと意識を浮上させれば、周りには見たことのない光景が広がっていた。どうやら物思いにふけっている間に、道を行き過ぎたらしい。
何をやってんだ俺ぁ、ため息を吐きながら踵を返す。
「とうっ」
「やぁー!」
「…?」
一際耳に濃く入ってくる威勢のよい声と、乾いた音。
以前名字に聞いたことがある“公園”とやらで子どもが棒のようなものを振り回して遊んでいた。
掛け声と構え方からするに、あの乾いた音をたてる棒は一応、刀に見立てていることが窺えた。
笑いながらただ振り回すだけのそれは、本当に“遊び”なのだということが分かる。分かってはいるのだが――不意に俺の中で昔から染み付いたあの感覚が疼き出してしまい、
「その構えじゃ駄目だ」
「えっ…」
「誰ー?」
「…いいか、よく見てろよ」
一人の坊主から棒(といってもただ紙を巻いただけのもの)を借り、構えて振るった。
久々の感覚に柄にもなく夢中で振るい、満足した頃に息を吐けば下から手のひらを叩く音がした。
「わー、本物の“さむらい”みたい!」
「すごいね、おじさん!」
「おじ…!?」
不服な単語に眉を寄せながらも、曇りのない笑顔で喜ばれれば素直に嬉しいと感じた。
俺を真似て再び棒を振り始める二人に、気付けば俺は時間も忘れて指導をしていた。
「トシちゃーん! ありがとー」
「トシ“さん”だ」
「また一緒にけーこしようねー! トシちゃん」
「ったく……気をつけて帰れよ」
短い腕を千切れんばかりに振る小さい後ろ姿がより小さくなっていくのを見届けた。
すっかり辺りは茜色に染まってしまい急いで俺も家路へ踏み出そうとすると、――行く手を遮るようにして一人の老人が前に立ちはだかった。
「なんだ、何か用か」
「そんな警戒しないどくれ。
しかし……ふむ。いい目じゃ」
顎に蓄えた髭を撫でながらじりじりと距離を詰めてくるじいさん。見定めるような鋭い目つきに俺は対抗して黙って見続ける。
やがてじいさんはにたりと口を歪めた。
「さっき子どもに稽古をつけとったのを見てたんだが、どうじゃ。
本格的に道場で師範として教えてみる気はないかね?」
「! …道場で…?」
無意識に復唱した俺に、じいさんはゆっくりと、力強く頷く。
刀を持ってはいけないというこの時代で、俺にとってそれは魅力的な響きだった。実際坊主に教えていた時も久々の感覚に全身で喜んでいたのが分かっていた。
やはり染み付いた本能には逆らえないということを悟ってしまったのだ。
それに、元の時代に戻る時腕を鈍らせないためにもいいかもしれない。
ただ一つ、二つ返事で返すには気になることがある。
引き受けることで名字に面倒はかからないだろうか、ということ。
疼く欲を押さえて返事は日を改めて、までに止どめておいた。じいさんはまるで分かっていたかのように「承知した」とだけ言い、地図を書いた紙を俺に握らせて去って行った。
「話さねぇと、な…」
握った手のひらをより強く握り締め、今度こそ家路をたどるための一歩を踏み出した。
「ただいま帰りまし、た?」
仕事帰りの身体を引きずりながらドアを開けると、そこにはここ最近見掛けなかった光景が在った。
真っ暗な部屋には人の気配を感じない。それはつまり、もう一人の同居人がいないことを差している。
――まさか。ドクリと一突き、心臓が嫌な高鳴りを上げる。
「…おかえり」
「! は、土方さん」
呆然と立ち尽くしていた私の背後から、先程受けるはずだった返事をいただいた。
幻聴かと一瞬耳を疑ったものの、後ろに目を向ければ少し疲れた様子の彼がいた。
やっと納得した途端に強張っていた身体から力が抜けていく。
よかった、いなくなっていたと思っ……
「(“よかった”?)」
自分の心中にわずかな違和感を感じる。もし本当にいなくなっていたら、私はどうしていただろう。確かに私は彼がここから“いなくなる”ことを望んでいたはずなのに。
「どうした?」
「っ、少しぼーっとしただけです」
――いや、理由はどうあれ同居人が突然いなくなったら心配するのは当然だろう。
何とか自己完結にこじつけて前を見ると、居心地悪そうに目を伏せる土方さんがいた。
さっきから気になってはいたけれど。…どこか土方さんの纏う空気がいつもと違う気がする。
靴を脱いで着替えに向かおうとしていると、「名字、」と歯切れ悪く呼ばれ足を止めた。
「話があるんだが、よ」
珍しい土方さんのさまに疑問符を浮かべながら、テーブルの前に腰を据えた彼と向かい合う形に座った。
しばらく黙した後に、何かを決意したらしい意志の籠った目が向けられる。
「俺も働こうと思う」
「働、く?」
情けないことに一度聞いただけでは理解できず、頭の中で噛み砕いていく。土方さんが、働く…?
とりあえず理解はできたが、その前に疑問が沸いてくる。
どこで、一体何の仕事なのだろうか。動揺をわずかに隠せないまま彼に問うと、“剣道の師範”をやるという。
それを聞いて妙に私の中で合点がいってしまった。
決して忘れるまいとでもいうかのように、しばしば彼は刀を持っては感触を確かめるような仕草を見せていたのだ。
どうしても堪えられなければ私の注意に歯向かってでも、外や室内で振えたはずだ。それができなかったのは土方さんの律義で誠実な性格の現れだろう。故に私としてもそんな彼を目にしては、いたたまれないような、申し訳ないような気持ちを密かに抱いていた。
それが今、恐らく最もベストな方法で解決されようとしている。
私の答えなんて決まったようなものだ。
やっとのことで仕事の話を切り出せば、名字は面を食らったような顔をした。俺は情けなくも一旦目線を逸らして答えを待った。
「いいじゃないですか!」
明るくはっきりと発せられた声が、俺を取り巻いていた重い空気を一瞬にして取り払った。
やっと名字を視界に入れると何故か俺よりも嬉しそうに笑っていた。「これでまた刀を持てるんですね」と目を輝かせながら言ってくるものだから、返事をする俺まで笑っちまった。
「明日、先方に返事をしてくる」
「…返事してなかったんですか?」
「ああ。名字にも相談しようと思ってよ」
何ともなしに述べたら、名字は途端に顔を伏せた。何か不都合なことを言ってしまっただろうか。真意を確かめるために名前を呼ぶと、ほのかに頬をほてらした名字が顔を起こした。
「その、わざわざ私に聞いて下さったのが嬉しくて」
なんてはにかみながら言うものだから、伝染したかのように俺までなんだか照れくさくなった。
柄にもない自分に苛立って。舌打ち混じりに出たのは、気持ちとは裏腹の冗談だった。
「断られると思って、言ったのかもしれないぜ?」
「…それは盲点でした」
『新たな生活』
分かりやすくうなだれる名字を見て笑うのもまた一興だとほざきながら、再びあの笑顔が見られるように種明しの言葉を探した。
睡眠から食事から厠まで何から何まで環境が変わってしまったが、それはまだ繰り返せば嫌でも慣れる。
最も困るのはこんな時。
「では、行ってきますね」
「ああ。気をつけてな」
すーつ、という窮屈そうな服に身を包み(いつも思うが仕事には不向きではないのだろうか)、彼女は笑顔で仕事場へと出向いて行った。
扉が閉まったのを確認すると、肩が上がるほど大きなため息をひとつ。
「…さて、どうすっか」
静まり返った空間に、独り言としてそれは響く。
今までひたすら仕事に打ち込んでいたこの時間を、俺は大いに持て余していたのだ。
とりあえずはテレビとやらを付けてみるが、どれも似たような番組ばかりで飽きた。
政治だなんだ、見ていて色々と思うところはあるが行動を起こせない現実に歯痒くなるだけだ。
やり切れない気持ちで天井を仰いだところでふと、窓の向こうの空が目に入った。
――手頃な暇潰しがこんなところにあったとは。
思い立ったが吉日、厚手の上着に袖を通し、引き出しに閉まっておいた鍵を取り出した。それを手に握り締め、瞬間も待たずに取手を捻り、扉を開く(もう笑われて堪るか)。
一歩外へ出れば、容赦無く寒気が肌を刺激する。だが、上着を着ているせいもあるだろうが、心なしかあっちよりかはまだ増しな気もした。
「変わっちまうもんなんだな…何もかも」
この景色にはもう慣れたつもりでいたが、一人で歩くとまた違う世界に見えるのはきっと気のせいではないはず。
俺一人が歩いていたところで誰にも怯えられない、殺し合いもない。当然それはこの上なく良いことなのだろう。
ただ俺にとってはそうではない。自分にあるのは刀だけだというのに、ここにいて何の意味がある。在ってよいはずの平穏は、自身を空間から疎外させるのだ。
誰もが喜び、また喜べることと理解しながら素直に喜べない己に嫌気が差す。
「――っ、…あ?」
沈みかけた気持ちと意識を浮上させれば、周りには見たことのない光景が広がっていた。どうやら物思いにふけっている間に、道を行き過ぎたらしい。
何をやってんだ俺ぁ、ため息を吐きながら踵を返す。
「とうっ」
「やぁー!」
「…?」
一際耳に濃く入ってくる威勢のよい声と、乾いた音。
以前名字に聞いたことがある“公園”とやらで子どもが棒のようなものを振り回して遊んでいた。
掛け声と構え方からするに、あの乾いた音をたてる棒は一応、刀に見立てていることが窺えた。
笑いながらただ振り回すだけのそれは、本当に“遊び”なのだということが分かる。分かってはいるのだが――不意に俺の中で昔から染み付いたあの感覚が疼き出してしまい、
「その構えじゃ駄目だ」
「えっ…」
「誰ー?」
「…いいか、よく見てろよ」
一人の坊主から棒(といってもただ紙を巻いただけのもの)を借り、構えて振るった。
久々の感覚に柄にもなく夢中で振るい、満足した頃に息を吐けば下から手のひらを叩く音がした。
「わー、本物の“さむらい”みたい!」
「すごいね、おじさん!」
「おじ…!?」
不服な単語に眉を寄せながらも、曇りのない笑顔で喜ばれれば素直に嬉しいと感じた。
俺を真似て再び棒を振り始める二人に、気付けば俺は時間も忘れて指導をしていた。
「トシちゃーん! ありがとー」
「トシ“さん”だ」
「また一緒にけーこしようねー! トシちゃん」
「ったく……気をつけて帰れよ」
短い腕を千切れんばかりに振る小さい後ろ姿がより小さくなっていくのを見届けた。
すっかり辺りは茜色に染まってしまい急いで俺も家路へ踏み出そうとすると、――行く手を遮るようにして一人の老人が前に立ちはだかった。
「なんだ、何か用か」
「そんな警戒しないどくれ。
しかし……ふむ。いい目じゃ」
顎に蓄えた髭を撫でながらじりじりと距離を詰めてくるじいさん。見定めるような鋭い目つきに俺は対抗して黙って見続ける。
やがてじいさんはにたりと口を歪めた。
「さっき子どもに稽古をつけとったのを見てたんだが、どうじゃ。
本格的に道場で師範として教えてみる気はないかね?」
「! …道場で…?」
無意識に復唱した俺に、じいさんはゆっくりと、力強く頷く。
刀を持ってはいけないというこの時代で、俺にとってそれは魅力的な響きだった。実際坊主に教えていた時も久々の感覚に全身で喜んでいたのが分かっていた。
やはり染み付いた本能には逆らえないということを悟ってしまったのだ。
それに、元の時代に戻る時腕を鈍らせないためにもいいかもしれない。
ただ一つ、二つ返事で返すには気になることがある。
引き受けることで名字に面倒はかからないだろうか、ということ。
疼く欲を押さえて返事は日を改めて、までに止どめておいた。じいさんはまるで分かっていたかのように「承知した」とだけ言い、地図を書いた紙を俺に握らせて去って行った。
「話さねぇと、な…」
握った手のひらをより強く握り締め、今度こそ家路をたどるための一歩を踏み出した。
「ただいま帰りまし、た?」
仕事帰りの身体を引きずりながらドアを開けると、そこにはここ最近見掛けなかった光景が在った。
真っ暗な部屋には人の気配を感じない。それはつまり、もう一人の同居人がいないことを差している。
――まさか。ドクリと一突き、心臓が嫌な高鳴りを上げる。
「…おかえり」
「! は、土方さん」
呆然と立ち尽くしていた私の背後から、先程受けるはずだった返事をいただいた。
幻聴かと一瞬耳を疑ったものの、後ろに目を向ければ少し疲れた様子の彼がいた。
やっと納得した途端に強張っていた身体から力が抜けていく。
よかった、いなくなっていたと思っ……
「(“よかった”?)」
自分の心中にわずかな違和感を感じる。もし本当にいなくなっていたら、私はどうしていただろう。確かに私は彼がここから“いなくなる”ことを望んでいたはずなのに。
「どうした?」
「っ、少しぼーっとしただけです」
――いや、理由はどうあれ同居人が突然いなくなったら心配するのは当然だろう。
何とか自己完結にこじつけて前を見ると、居心地悪そうに目を伏せる土方さんがいた。
さっきから気になってはいたけれど。…どこか土方さんの纏う空気がいつもと違う気がする。
靴を脱いで着替えに向かおうとしていると、「名字、」と歯切れ悪く呼ばれ足を止めた。
「話があるんだが、よ」
珍しい土方さんのさまに疑問符を浮かべながら、テーブルの前に腰を据えた彼と向かい合う形に座った。
しばらく黙した後に、何かを決意したらしい意志の籠った目が向けられる。
「俺も働こうと思う」
「働、く?」
情けないことに一度聞いただけでは理解できず、頭の中で噛み砕いていく。土方さんが、働く…?
とりあえず理解はできたが、その前に疑問が沸いてくる。
どこで、一体何の仕事なのだろうか。動揺をわずかに隠せないまま彼に問うと、“剣道の師範”をやるという。
それを聞いて妙に私の中で合点がいってしまった。
決して忘れるまいとでもいうかのように、しばしば彼は刀を持っては感触を確かめるような仕草を見せていたのだ。
どうしても堪えられなければ私の注意に歯向かってでも、外や室内で振えたはずだ。それができなかったのは土方さんの律義で誠実な性格の現れだろう。故に私としてもそんな彼を目にしては、いたたまれないような、申し訳ないような気持ちを密かに抱いていた。
それが今、恐らく最もベストな方法で解決されようとしている。
私の答えなんて決まったようなものだ。
やっとのことで仕事の話を切り出せば、名字は面を食らったような顔をした。俺は情けなくも一旦目線を逸らして答えを待った。
「いいじゃないですか!」
明るくはっきりと発せられた声が、俺を取り巻いていた重い空気を一瞬にして取り払った。
やっと名字を視界に入れると何故か俺よりも嬉しそうに笑っていた。「これでまた刀を持てるんですね」と目を輝かせながら言ってくるものだから、返事をする俺まで笑っちまった。
「明日、先方に返事をしてくる」
「…返事してなかったんですか?」
「ああ。名字にも相談しようと思ってよ」
何ともなしに述べたら、名字は途端に顔を伏せた。何か不都合なことを言ってしまっただろうか。真意を確かめるために名前を呼ぶと、ほのかに頬をほてらした名字が顔を起こした。
「その、わざわざ私に聞いて下さったのが嬉しくて」
なんてはにかみながら言うものだから、伝染したかのように俺までなんだか照れくさくなった。
柄にもない自分に苛立って。舌打ち混じりに出たのは、気持ちとは裏腹の冗談だった。
「断られると思って、言ったのかもしれないぜ?」
「…それは盲点でした」
『新たな生活』
分かりやすくうなだれる名字を見て笑うのもまた一興だとほざきながら、再びあの笑顔が見られるように種明しの言葉を探した。