【hkok】小さな心は道連れに
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大きな幸せなんて望んじゃいない。
かと言って、不幸なんてもっとお呼び出ないのだけれど。
「だ、誰だぁ!?」
「え…うわ、露出狂!?」
随分と湿度の高い空間だ。さっきまでこんなところにいたっけな、よく覚えていない。
ただ目の前の人が知らない人だということはよく分かった、うん。少なくともちょんまげの知り合いなんて私にはいない。
恐らく露出狂なそのおっさんは顔を青くして転びそうになりながら奥へ逃げて行った。逃げたいのはこっちのほうでしょうが。ふう、と息を吐いて手で顔を扇ぐ。おかしいな、私の記憶だとまだ冬だった気がするんだけど。ていうか足だけが妙に温かくて風呂に浸かってるみた――
「あ、本当に浸かってるよ」
道理で極楽……っておい。
よく見ればその浴槽はいつも私が浸かっているそれではなかった。それどころか、この空間自体が知らないものだ。
ようやく状況を把握すると、途端に落ち着かなくなってきた。いそいそと知らぬ浴槽から出て忙しく辺りを見回す。どんなに目を凝らしたところで自分が此処にいる経緯は掴めない。フルパワーで働く頭に浮かんだのはさっきのおっさん。あの人が全ての元凶か…! あんのマゲめ!
怒りを原動力に戸に手を掛ける。すると間もなく奥からけたたましい足音が二つ聞こえ、私の手は反対側から勢いよく開かれたことによって弾かれた。
「い、今すぐう、うちから出て行け!」
露出狂のはずだったおっさんは、後ろのおばさんを庇いながら木の棒を私に向ける。小刻みに震える切っ先に、怯えていることが窺えた。いやだから、怖がりたいのは私のほうだろう。内心そう思いつつも気迫負けして両手を上げる。
おっさんは拍子抜けした表情をしたかと思えば、急に私の胸ぐらを掴んで実力行使に出やがった。仮にもレィディーにすることかい。女扱いされないことに対しての免疫は大なり小なりあるが、これは人として如何なものか。半ば引き摺られる状態で玄関らしきところまできたら、ペッとまるでゴミの如く放り出された。抵抗もろくにできなかった私は容赦なく地面に叩き付けられる。
「ったく、二度と来るんじゃないぞ!」
「いった…! こっちから願い下げだよっ」
大きな音をたてて閉められた戸に向かって吐き捨てたところで、虚しいだけだった。
まるで訳が分からない。いつの間にか人様の風呂に上がり込んで、何故か分からぬまま邪険に扱われ、日の下に晒され、そして道行く人々から変な目で見られる。
新手のどっきりとでもいうのだろうか? それにしたってエキストラ全員和服姿でセットも江戸のような町並を見事に表していて、随分と手が凝っている。
というかそもそも、私は芸能人じゃないのだが。
残念ながら至って普通の、受験に追われる真っ直中な高校生をやっている。そうだ、センターも差し迫っている今、一刻も早く家に帰って勉強しなければならない。
「…帰らなきゃ」
呼び寄せられるかのように私がゆらりと立ち上がると同時に、周囲のざわめきが小さくなる。息を殺すほどの中には悲鳴も混じっていて、只事ではないらしい雰囲気に首を捻ると、――刃が頬を掠めた。
「っ…!」
「何者だ」
血のしたるそこを手で押さえて、声のするほうを見据える。水色の羽織が印象的だが、何より私は目前にある切っ先とその奥にある冷たい瞳が、怖くて堪らなかった。
全身が粟立ち、小刻みに震える。さっきのおじさんなんて比にならないほどの気――人生で初めての殺気を感じたのだ。殺意を雰囲気で感じるなんて有り得ないと思っていたが、実際その状況に立っている自分がいる。
逃げるのが手っ取り早い手だが、言うことを聞いてくれそうにない身体ではそれは不可能だ。
その上実行できたところで待っているのは――死。この予想には妙な確信が持てた。何故なら全ては男の目で語られていたから。
「もう一度問う。…お前は、何者だ」
淡々と再び投げ掛けられる質問にほぼ条件反射で「名字、ユウ…です」と答えた。
「…異国の者ではないのか?」
「い、こく…?」
耳慣れない単語を反復したら思い切り眉を寄せられた。
一層怖くなり無意識の内に後退りすると、刀が眉間にまで突き付けられる。私は震える奥歯を必死に噛み締め、それ以上動くまいとした。
「詳しいことは屯所で聞く。…連れて行け」
いつの間にか控えていたらしい複数の同じ羽織を着た男たちが後ろ手に腕を拘束する。
なんで、私はただ名乗っただけのはずだ。この人たちに危害や迷惑をかけた覚えなんてない。本来なら刃を向けられる覚えだって。
本能が警鐘を鳴らしている気がした。付いて行けば一つの道しか残されていないぞ、と。
「や、やだ…! はな――っ」
抵抗空しく、お腹に衝撃が走って私の意識は何もかもの疑問を残したまま途切れてしまった。
唯一最後に見えたのは、私が絶望に突き落とされるのを物語ったような、……冷たい蒼の瞳。
『平凡希望者』
呆気なく、それは突然として打ち砕かれる。