【hkok】春うらら
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乾いた竹刀の音と威勢のよい声がこの空間を満たす。
腕を組んで一人一人の太刀筋、姿勢を見渡し、指導していく。
最初こそ流派の違いや、特殊な防具を付けるという決まりに戸惑ったものだが、時が経てば慣れるものだ。それにそんなものに囚われなくとも、子どもたちの成長を見ていくのは素直に面白い。
太刀筋の粗かったやつがみるみるうちに鋭く磨かれていく過程なんかを見ていると、言いようのない喜びが胸を満たした。また子どもたちもいい表情を浮かべるから、指導する側も思わず熱が入ってしまう。
時間も忘れるぐらいに入り込んでしまっていたらしく、師範の声を聞き既に終了時刻であることに気づいた。
どうにもこっちの時間の感覚には馴染めない。こうも細かく区切られて生活は苦にならないものかと時々疑問に思うほどだ。
帰りの掃除も終え、綺麗に整列した子どもたちは「ありがとうございました!」と大きく礼を述べて、各々が帰りの支度をし始める。
それを見送って自分も着替えに奥へ行こうと足をそちらに向けた。
「土方先生っ」
慌てた様子で二人の生徒が駆け寄ってくる。何かあったのか聞くと二人は答える前に、腕を引っ張ってとにかく早くと急かす。
されるがままに連れてこられたのは道場の玄関だった。そこには背中を丸めて座り込むもう一人の生徒がいた。
「荘介、どうした」
そいつの真正面に座り込んで目線を合わせる。顔を上げて俺を見たその表情は苦痛に歪んでいた。何故なのか理由を聞く前に、少しだけ視線を落とせばすぐに答えは見つかった。
右足首が真っ赤に腫れ上がっていたのだ。どうしてか聞くと、掃除中に捻ってしまったと掠れた声で呟いた。
「早く冷やさねぇとな。ちょっと待ってろ、今師範に聞いてくっから」
頷いたのを確認すると荘介の頭に軽く手を置いて、医療道具の在処を聞くため師範の元へ向かった。こういう時こそうちの秘薬があればいいんだがな。
「――よし、これで大丈夫じゃろ」
しっかり患部を固定したのを確かめると、師範はその場を立った。俺はというと、また一つ知ったこの時代の利器、“湿布”とやらに感心するばかりだ。
荘介と友人二人は笑顔で礼を言って師範を見送った。
「…ああ、そうじゃ。土方君、荘介のことを送ってやってはくれないか」
去り際に突然向けられた言葉に面食らいながらも、しっかりと頷き了承した。怪我の状況を見ればそれも致し方ないだろう。
それを見た師範は今度こそ別室へと真っ直ぐ向かった。放っておけばこのまま付いて来そうな二人も、
「荘介は俺が責任もって送ってくから二人も気をつけて帰れ」
と声をかけるとほっとした様子で俺と荘介に別れを告げた。
「土方先生…ごめんなさい」
「別に構いやしねぇよ。…ほら、乗れ」
普段は割と活発なほうの荘介だが、今はしおらしく肩を落としている。らしくない様に頭を強めに撫でつけて、目の前に背中を向ける。不満げな言葉をこぼしながらも、少しは明るくなった声色にひそかに笑んでしまった。
小さな体重を背中に受けると、ゆっくりと立つ。おおっ高い! という感嘆の声を耳元で聞きつつ、荘介の指し示す道をひたすら進んだ。
数十分後、見えてきたのは一つの建物(“アパート”っていったか)。
その建物の階段を上がり、少し進むと荘介が「ここ!」と声を上げた。確か脇の突起を押すんだったよな、最近知った知識を手繰り寄せて扉の横のそれを押した。扉の奥からは名字から教えてもらった通り、耳慣れない妙な音が響いている。
しかしここで想定外だったのは、肝心の家主が出てこない。疑問に思っていると背中の荘介の呟きが聞こえた。
「…まだお母さん帰ってきてないのかも」
心なしか影を落としている声に、眉間に力が入る。
鍵は持っていないのかと聞こうと口を開いた時だ――「荘介?」という女の声が聞こえたのは。
此処で荘介のことを呼んだってことは……答えを頭の中で浮かべるより早く、荘介は「お母さん!」と嬉しそうに反応を示した。不在だった家主も見つかり俺も胸を撫で下ろす。
「こんばんは。道場で指導をさせていただいている、土方です」
「あ…いつもお世話になっています。佐藤荘介の母です」
互いに礼を交わして、俺は荘介を背中から下ろした。よたよたと近寄る荘介を母親が抱き留める。確かに母親の元に送ったのを確認すると、今度こそ自らの家路に着こうとかかとを返すはずだったが、それは小さな手に掴まれかなわなかった。
「土方先生! 夕飯、うちで食べていってよ!」
「気持ちは有り難いが、遠慮する。家族団らんを邪魔しちゃ悪ぃからな」
言い聞かせるように頭を二回軽く叩けば、荘介の表情は一変して暗くなった。落ち込んじまったかと、腰をかがめて視線を合わせる。
「……団らんじゃない」
ぽつりと水を打つように聞こえた呟きは、胸に疑問という名の波紋を生んだ。その言葉にこんなにも荘介の表情を曇らせる原因があると思ったからだ。
先の言葉を待っていると、何かを察したらしい母親が慌てて荘介と俺の間を隔てようとする。ただそれは荘介の気持ちの前では意味を成さず、さっきよりかは小さい声で残りの言葉を呟いた。
「お父さんが、いないんだもん」
「……そうだったのか」
今にも泣きそうな荘介に、ただ俺は頭を撫でてやることしかできない。父親がいない、それは小さい子どもにとってどれほど心細いことなのか。
さっきまで止めに入っていた母親の表情も荘介には気付かれないようにしかめられている。見たところ俺より若いであろうその人も相当な思いをしただろう。所詮これは同情かもしれないが、それでもこの二人にしてやれることがあるならやりたいと思った。
「――夕飯、一緒にしてもいいか」
腕を組んで一人一人の太刀筋、姿勢を見渡し、指導していく。
最初こそ流派の違いや、特殊な防具を付けるという決まりに戸惑ったものだが、時が経てば慣れるものだ。それにそんなものに囚われなくとも、子どもたちの成長を見ていくのは素直に面白い。
太刀筋の粗かったやつがみるみるうちに鋭く磨かれていく過程なんかを見ていると、言いようのない喜びが胸を満たした。また子どもたちもいい表情を浮かべるから、指導する側も思わず熱が入ってしまう。
時間も忘れるぐらいに入り込んでしまっていたらしく、師範の声を聞き既に終了時刻であることに気づいた。
どうにもこっちの時間の感覚には馴染めない。こうも細かく区切られて生活は苦にならないものかと時々疑問に思うほどだ。
帰りの掃除も終え、綺麗に整列した子どもたちは「ありがとうございました!」と大きく礼を述べて、各々が帰りの支度をし始める。
それを見送って自分も着替えに奥へ行こうと足をそちらに向けた。
「土方先生っ」
慌てた様子で二人の生徒が駆け寄ってくる。何かあったのか聞くと二人は答える前に、腕を引っ張ってとにかく早くと急かす。
されるがままに連れてこられたのは道場の玄関だった。そこには背中を丸めて座り込むもう一人の生徒がいた。
「荘介、どうした」
そいつの真正面に座り込んで目線を合わせる。顔を上げて俺を見たその表情は苦痛に歪んでいた。何故なのか理由を聞く前に、少しだけ視線を落とせばすぐに答えは見つかった。
右足首が真っ赤に腫れ上がっていたのだ。どうしてか聞くと、掃除中に捻ってしまったと掠れた声で呟いた。
「早く冷やさねぇとな。ちょっと待ってろ、今師範に聞いてくっから」
頷いたのを確認すると荘介の頭に軽く手を置いて、医療道具の在処を聞くため師範の元へ向かった。こういう時こそうちの秘薬があればいいんだがな。
「――よし、これで大丈夫じゃろ」
しっかり患部を固定したのを確かめると、師範はその場を立った。俺はというと、また一つ知ったこの時代の利器、“湿布”とやらに感心するばかりだ。
荘介と友人二人は笑顔で礼を言って師範を見送った。
「…ああ、そうじゃ。土方君、荘介のことを送ってやってはくれないか」
去り際に突然向けられた言葉に面食らいながらも、しっかりと頷き了承した。怪我の状況を見ればそれも致し方ないだろう。
それを見た師範は今度こそ別室へと真っ直ぐ向かった。放っておけばこのまま付いて来そうな二人も、
「荘介は俺が責任もって送ってくから二人も気をつけて帰れ」
と声をかけるとほっとした様子で俺と荘介に別れを告げた。
「土方先生…ごめんなさい」
「別に構いやしねぇよ。…ほら、乗れ」
普段は割と活発なほうの荘介だが、今はしおらしく肩を落としている。らしくない様に頭を強めに撫でつけて、目の前に背中を向ける。不満げな言葉をこぼしながらも、少しは明るくなった声色にひそかに笑んでしまった。
小さな体重を背中に受けると、ゆっくりと立つ。おおっ高い! という感嘆の声を耳元で聞きつつ、荘介の指し示す道をひたすら進んだ。
数十分後、見えてきたのは一つの建物(“アパート”っていったか)。
その建物の階段を上がり、少し進むと荘介が「ここ!」と声を上げた。確か脇の突起を押すんだったよな、最近知った知識を手繰り寄せて扉の横のそれを押した。扉の奥からは名字から教えてもらった通り、耳慣れない妙な音が響いている。
しかしここで想定外だったのは、肝心の家主が出てこない。疑問に思っていると背中の荘介の呟きが聞こえた。
「…まだお母さん帰ってきてないのかも」
心なしか影を落としている声に、眉間に力が入る。
鍵は持っていないのかと聞こうと口を開いた時だ――「荘介?」という女の声が聞こえたのは。
此処で荘介のことを呼んだってことは……答えを頭の中で浮かべるより早く、荘介は「お母さん!」と嬉しそうに反応を示した。不在だった家主も見つかり俺も胸を撫で下ろす。
「こんばんは。道場で指導をさせていただいている、土方です」
「あ…いつもお世話になっています。佐藤荘介の母です」
互いに礼を交わして、俺は荘介を背中から下ろした。よたよたと近寄る荘介を母親が抱き留める。確かに母親の元に送ったのを確認すると、今度こそ自らの家路に着こうとかかとを返すはずだったが、それは小さな手に掴まれかなわなかった。
「土方先生! 夕飯、うちで食べていってよ!」
「気持ちは有り難いが、遠慮する。家族団らんを邪魔しちゃ悪ぃからな」
言い聞かせるように頭を二回軽く叩けば、荘介の表情は一変して暗くなった。落ち込んじまったかと、腰をかがめて視線を合わせる。
「……団らんじゃない」
ぽつりと水を打つように聞こえた呟きは、胸に疑問という名の波紋を生んだ。その言葉にこんなにも荘介の表情を曇らせる原因があると思ったからだ。
先の言葉を待っていると、何かを察したらしい母親が慌てて荘介と俺の間を隔てようとする。ただそれは荘介の気持ちの前では意味を成さず、さっきよりかは小さい声で残りの言葉を呟いた。
「お父さんが、いないんだもん」
「……そうだったのか」
今にも泣きそうな荘介に、ただ俺は頭を撫でてやることしかできない。父親がいない、それは小さい子どもにとってどれほど心細いことなのか。
さっきまで止めに入っていた母親の表情も荘介には気付かれないようにしかめられている。見たところ俺より若いであろうその人も相当な思いをしただろう。所詮これは同情かもしれないが、それでもこの二人にしてやれることがあるならやりたいと思った。
「――夕飯、一緒にしてもいいか」