♪ 嫌よ嫌よも好きと言え。
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それからというもの、監督生とフロイドの行動はすっかり以前と逆転していた。
具体的に言えば、課題をやらせるべく追いかけていた監督生が逃げる側に、そして逃げる側だったフロイドが今度は監督生を追いかける側に回ったということだ。
だがしかし、そもそも監督生とフロイドでは立場も性格も身体能力も何もかもが異なる。嫌々追いかけていた監督生とは違い、フロイドの追いかけようには遠慮が一切存在しなかった。
ある時は休み時間に一年生の教室に現れ、挨拶ついでに監督生を軽く締めてやる。またある時は授業中にしれっと監督生の隣に座っては居眠りをし、トレインに一喝された。
そして今は、休日のオンボロ寮に談話室の窓からお邪魔様をしている真っ只中である。
ソファに座りババ抜きに興じていた監督生含むいつもの三人+一匹は、背後から顔を覗かせるフロイドを見るや否や「ぎゃー! 出た!」と大声を上げた。真っ昼間でありながら、ゴーストに遭遇したかのような見事な悲鳴だ。その元凶であるフロイドは素知らぬ顔で窓を跨ぎ、監督生とエースの間を無理くりこじ開けて腰掛けた。
「ねーねー、オレも仲間に入れてよ〜」
「いきなり侵入してきた人にいきなり言われましてもね……」
監督生の肩に腕を回したフロイドは、渋い顔で唸る監督生を急かすようにゆさゆさと揺らす。
「途中参加は無しっスよ。それにフロイド先輩、殺しそうな目して強制的にババ引かせるからババ抜きのルールが破綻するし……」
「あ゛? カニちゃんの意見とか聞いてねぇよ」
「ひどっ!?」
「この先輩、横暴すぎる」と呟いて肩を落とすエースを二人と一匹が憐みの目で見る。
後輩たちの抵抗虚しく、結局フロイドも加わり改めてババ抜きが再開された。三戦ほど繰り広げられた勝負の一抜けはいずれもフロイド。先輩にババがいかないように密かに神経を尖らせていた後輩たちは、無邪気に喜ぶ先輩を見てホッと胸を撫で下ろした。
「オレ一回もババ引かなかったし、めちゃくちゃ冴えてんじゃん。なぁ?」
「ほ、ほんとですね。すごいですっ」
ご満悦の笑顔を浮かべるフロイドに、監督生は若干声を裏返らせながら褒め称えた。隠し事は得意なほうではないのだろう。当然フロイドは挙動不審な様を怪訝に思い、その顔をじーっと覗き込む。逃げるように視線を泳がせる姿はやはり怪しさ全開だ。いよいよ問い詰めようとすれば、監督生はハッとしたように顔を上げた。
「そうだ! 先輩、そろそろ喉が渇いてきませんか?」
「別に……」
「きましたよね? きたはずですよね? むしろ渇かないわけないですよね? 気の利かない後輩ですみません、すぐに紅茶をご用意しますね〜!」
後輩なりの気遣いと思いきや、その実自問自答を一方的に聞かされただけである。
紅茶よりトニックウォーターがいいんだけど、と先輩様が注文を付ける前に、監督生は脱兎の如く談話室を出て行ってしまった。気が利くんだか利かないんだかよく分からない後輩である。
「変な小エビちゃん」
フロイドは言葉に出してから『変なのはいつもか』と心の中で付け加えた。
途端に談話室の空気はシンと静まり返る。とても一人が退室しただけとは思えないほどの静寂だ。手持ち無沙汰になったフロイドのパラパラとトランプの束を切る音だけがいやに響いていた。
「先輩、先輩」
ふと小さい呼び声が横から聞こえ、フロイドが欠伸交じりに返事をする。生理的な涙を目尻に滲ませながら右隣を向くと、エースがにんまりと悪戯に笑っていた。
「先輩って、もしかして監督生のこと好きなんスか?」
刹那、フロイドは「はぁ?」と眉を顰める。そして好奇心を瞳に宿したエースを見ると、持っていたトランプをサイドテーブルに置いた。
「キライだけど?」
一片の迷いもなくフロイドは言い放った。おまけに『何を当たり前のことを』とでも付いてきそうな口ぶりだ。
質問したエースには予想外の答えだったらしく、面食らった表情を浮かべる。
「えぇ? なら、なんでわざわざ嫌いな人間に会いにくるんスか?」
「そんなの見ててムカつくから嫌がらせに来てるに決まってんじゃん。それに〜小エビちゃんのうんざりした顔ってちょーおもしれぇし」
純粋無垢な笑顔で言うが、その内容は全く可愛げがなかった。聞かされた全員は、揃って口元を引き攣らせる。その心の中では「今度美味いもん(高級ツナ缶)でもご馳走してやろう」と不憫な監督生を憐んだ。
表では世渡り上手なエースが「フロイド先輩らしいですね」と当たり障りのない台詞であしらう傍ら、
「コイツ、だいぶ性格悪ぃんだゾ」
「先輩には申し訳ないが……僕も同じ意見だな」
グリムとデュースは小声で本心を吐き出していた。彼らはエースという肉壁に甘え過ぎていたのだろう。もしくはウツボの人魚の聴覚を侮っていたせいか。自身の膝に頬杖をついたフロイドは、鋭い目つきでデュースたちを覗き込んでいた。
「サバちゃんとアザラシちゃんはコソコソなに話してんの? もしかしてぇ、誰かの悪口とか?」
語尾に向かうにつれ低くなる声色。それを耳にしたデュースとグリムは、ギクリと大袈裟に肩を揺らした。
「オッ、オレ様はフロイドの悪口なんて言ってねーんだゾ! デュースは知らねぇけどな!」
「はっ!? 堂々とダチを売るなんて見損なったぞ!」
墓穴をマントルまで掘りながら、もはや意味の無い言い争いを始めるデュースとグリム。それを眺めていたフロイドの気分は、急速に右下がりに傾いでいく。
――めんどくせぇし、纏めて締めてやろうかな。
その長身がゆらりと立ち上がりかけた時、扉の開く音と共に「お待たせしました!」と一際明るい声が飛び込んでくる。扉の前にはティーセットとクッキーを乗せたトレーを手に持った監督生がニコニコと立っていた。
「にゃはー! 美味そうなクッキーなんだゾ!」
「こら、みんなの分なんだから独り占めしないっ」
突撃するグリムを華麗に躱しながら、監督生はソファの前のサイドテーブルにトレーを置く。片膝をつき紅茶を注ぎ始める監督生に、フロイドは浮かせかけた腰を下ろした。
「随分賑やかだったけど、またトランプでもしてた?」
「してねぇよ。でも監督生のタイミングは完璧だわ」
「ああ。ありがとな、監督生」
「……どういたしまして?」
ホッとした表情でお礼を述べるエースとデュースに、何がなんだか分からない様子で首を傾げる監督生。それを横目に見ていたフロイドは何となく面白くなく、不貞腐れた声で「小エビちゃん、早く紅茶ちょーだい」と欲しくもない紅茶を急かした。
「やっぱり喉渇いてたんじゃないですか」
ふふふ、と勝ち誇った笑みを浮かべ、監督生は紅茶の入ったカップをソーサーごと差し出す。生意気な後輩は締めてやるのがフロイドの通例だが、今はそうしてやる気にはならなかった。フン、と鼻であしらいカップだけを手に取る。
他の二人にもカップを配る様子をジーッと見ていると、フロイドの頭にいつかの記憶が思い出された。
「そういえばさぁ、サバちゃんって女の子苦手なんじゃなかった?」
傍迷惑な花嫁ゴーストによる学園占拠事件。あの中で立てられたプロポーズ作戦の一員として参加していたデュースは、ゴーストである彼女とすら一言も会話が出来ずに散っていった。それが生身の女子相手ともあれば、卒倒してしまってもおかしくはない。なのに監督生と普通に友達として接している状況は、女子だと知るフロイドにはひどく不自然に見えていた。
「苦手じゃないです! ただ、何を話せばいいか頭が真っ白になっちまうだけで……」
「それを苦手って言うんだよ」
何故か頑なに否定するデュースに、エースが横から突っ込む。フロイドは「ふーん」と据わらせた目で、自分の分の紅茶を注ぎながらちらちらと様子を窺う監督生を見る。
「じゃあ何で小エビちゃんと仲良くしてるわけ?」
「何でって……監督生はダチですし、おと――」
「あー! フロイド先輩! ちょーっと二人だけでお話したいことがあるのでお時間よろしいでしょうか!?」
突然大声を出した監督生は、カップを持つフロイドの手首を強く掴んだ。反射的に振り解こうとしたフロイドだったが、〝二人だけで〟という台詞を脳内で反芻すると、静かにカップをテーブルに置いた。ちょうど彼らの顔にも飽きてきたところだった上、また一つ彼女の秘密を握れるかもしれないと思うと満更ではなかった。
「なになに〜? なんの話?」
手を引かれるがままフロイドはソファから立ち上がる。監督生に身を委ねている風に見せながら、そのほとんどは自らの意思だ。監督生も気づいているようだったが、今はそれどころではないのだろう。
「お、おう……?」
「いってらっしゃい……?」
呆気にとられる後輩たちに、フロイドは「バイバーイ」と笑顔で手を振り、談話室を後にした。
*
振り返ることもなく無言でずんずん突き進む監督生。連れてこられたのはオンボロ寮の裏手だった。
監督生は警戒するように周囲を確認すると、目尻をキッと吊り上げてフロイドを見上げた。
「さっきのやり取りは反則スレスレですよ!?」
「どこが? 小エビちゃんが女の子とは言ってないじゃん」
「匂わせるのもダメなんですっ」
「え〜……ケチ」
監督生は顔の前で腕をクロスすると、遺憾の意を主張する。イエローカードを突きつけられたフロイドはいかにも不満そうに口を尖らせた。
「だぁって小エビちゃんあいつらとばっかつるんでんだもん。休みの日までオンボロ寮で遊んじゃってさぁ。なんか見ててイラッとするんだよねぇ」
「そんなこと言われても……友達ですからつるみもしますよ。フロイド先輩だって、ジェイド先輩やアズール先輩とよく一緒に居るじゃないですか」
「オレらはいーの。小エビちゃんたちほどじゃねぇし。それにさぁ、前はオレのことしつこく追っかけてたじゃん」
「あれは課題をやってもらう為で……って、どうしたんです? 今日のフロイド先輩、何か変ですよ」
つまらないわけでも、まして怒っているわけでもない。だが確実に存在する何かが、フロイドの中でわだかまっていた。監督生にはそれが体調を崩しているように見えたのだろう。吊り上げられていた眉は今やなだらかな丘を象り、心配の色を濃くした表情で覗き込む。
自身を映すその瞳は、フロイドの混沌とした心情とは反対に清流のように透き通っていた。ぐちゃぐちゃにかき混ぜて濁らせてやりたいような、優しく掬い取って閉じ込めておきたいような――相反する欲がフロイドの内側で鬩ぎ合い、いつもの明朗且つシンプルな思考を鈍らせていた。
「……ねえ、小エビちゃん」
「何です? あ、保健室行きますか?」
「ううん。ちょっとだけ締めさせてくんね」
「えぇっ? 嫌で──うわっ!」
元より監督生の意思など聞くつもりは無かった。抵抗される前に、フロイドは小さな身体を腕の中に閉じ込める。
髪から香る彼女だけが纏う匂い。緊張に強張った肩。胸元にかかる吐息。監督生から感じうる全てがどうしようもなく気になり、自分の手の中に収めたくなる。
「ビクビクしちゃって、小エビちゃんはほんと小エビちゃんだねぇ」
いつものように逃げるかと思いきや、監督生は怯えながらもじっとその場に留まっていた。それをいいことに、フロイドは満足のいくまで締めておくことにした。
どのぐらいの時間が経過したか。恐らく誰にも分からない。ただ、腕の中の監督生が恐る恐る身じろぐのを感じ、フロイドはゆっくりと身体を離した。
「あは。小エビちゃん顔真っ赤〜。そんなに苦しかったの?」
耳まで真っ赤に染める様はまるで茹でエビだ。フロイドが揶揄うと、監督生は罰が悪そうに顔を逸らしてしまう。
「……苦しいですよ、すごく」
眉根を寄せ、言葉通り苦しそうに呟く。
「オレもねぇ、心臓ギュッて締められてるみてーに苦しい。なんでだろ」
「あ、それ分かります。私も同じ……」
その苦しさはフロイドも同じだった。正直に打ち明ければ、監督生は困ったように微笑む。
自分と同じ感覚を共有している。その事実に益々息苦しさに襲われたフロイドは、徐に持ち上げた手で監督生の顎を掬い上げる。
「先輩……?」
戸惑いに揺れる丸い瞳。そこに映っているのは自分だけ――自覚するほどに全身が満ち足りていく一方で、息苦しさだけは変わらなかった。
「んっ……!?」
どうしたものかと考える前に、気づけばフロイドは唇を重ねていた。そこに酸素など存在しないことは分かっている。しかし、今一番求めているものは確かにそこにある気がしたのだ。
相当に驚いたのだろう。監督生は突き飛ばすでも受け入れるでもなく、岩のように身体を固まらせてしまっていた。
やがてどちらからともなく唇を離すと、前髪を触れ合わせたまま互いの顔を見合わせる。
「さっきより赤くなってんじゃん」
「っだ、誰のせいだと……!」
非難を込めた目でフロイドを見るその頬は、もはや熟れた林檎のようだ。甘いそれを味わうように垂れ目を蕩けさせたフロイドは、親指で柔らかな下唇をなぞる。
「小エビちゃんさぁ、リップぐらいは塗ったほうがいいんじゃね?」
「えと……昨日失くしちゃったから、今日購買部で買おうと思ってて、その……す、すみません」
「なんで謝ってんの? ウケる」
クク、と喉を鳴らして笑いを堪える。女子にあるまじき指摘をされては、余程居た堪れなかったのだろう。何を血迷ったのか「今すぐ購買部に行ってきます……!」と意気込む監督生を、フロイドは再び胸に抱き込む。
「いーよ、オレの塗ってあげるし。その代わりー……もうちょっとしてから、ね?」
――えっ、と驚きに見開く瞳を見詰めながら、フロイドは再び唇を寄せた。
さすがに二度目ともなれば監督生も目の前の胸を軽く叩き、抵抗の意思を示す。だがぴくりとも動かない様子を見て早々に諦めたのだろう。徐々に降ろされていく監督生の目蓋を見送った後で、フロイドも目を閉じた。
唇の表面を触れ合わせているだけでありながら、全身に浸透していく生温かい感覚。それは今まで経験してきた面白いことの中でも味わったことがなく、フロイドを夢中にさせるには十分だった。
遠くから呼ぶ声が聞こえてくるまで、フロイドと監督生はひっそりと唇を重ね続けた。
具体的に言えば、課題をやらせるべく追いかけていた監督生が逃げる側に、そして逃げる側だったフロイドが今度は監督生を追いかける側に回ったということだ。
だがしかし、そもそも監督生とフロイドでは立場も性格も身体能力も何もかもが異なる。嫌々追いかけていた監督生とは違い、フロイドの追いかけようには遠慮が一切存在しなかった。
ある時は休み時間に一年生の教室に現れ、挨拶ついでに監督生を軽く締めてやる。またある時は授業中にしれっと監督生の隣に座っては居眠りをし、トレインに一喝された。
そして今は、休日のオンボロ寮に談話室の窓からお邪魔様をしている真っ只中である。
ソファに座りババ抜きに興じていた監督生含むいつもの三人+一匹は、背後から顔を覗かせるフロイドを見るや否や「ぎゃー! 出た!」と大声を上げた。真っ昼間でありながら、ゴーストに遭遇したかのような見事な悲鳴だ。その元凶であるフロイドは素知らぬ顔で窓を跨ぎ、監督生とエースの間を無理くりこじ開けて腰掛けた。
「ねーねー、オレも仲間に入れてよ〜」
「いきなり侵入してきた人にいきなり言われましてもね……」
監督生の肩に腕を回したフロイドは、渋い顔で唸る監督生を急かすようにゆさゆさと揺らす。
「途中参加は無しっスよ。それにフロイド先輩、殺しそうな目して強制的にババ引かせるからババ抜きのルールが破綻するし……」
「あ゛? カニちゃんの意見とか聞いてねぇよ」
「ひどっ!?」
「この先輩、横暴すぎる」と呟いて肩を落とすエースを二人と一匹が憐みの目で見る。
後輩たちの抵抗虚しく、結局フロイドも加わり改めてババ抜きが再開された。三戦ほど繰り広げられた勝負の一抜けはいずれもフロイド。先輩にババがいかないように密かに神経を尖らせていた後輩たちは、無邪気に喜ぶ先輩を見てホッと胸を撫で下ろした。
「オレ一回もババ引かなかったし、めちゃくちゃ冴えてんじゃん。なぁ?」
「ほ、ほんとですね。すごいですっ」
ご満悦の笑顔を浮かべるフロイドに、監督生は若干声を裏返らせながら褒め称えた。隠し事は得意なほうではないのだろう。当然フロイドは挙動不審な様を怪訝に思い、その顔をじーっと覗き込む。逃げるように視線を泳がせる姿はやはり怪しさ全開だ。いよいよ問い詰めようとすれば、監督生はハッとしたように顔を上げた。
「そうだ! 先輩、そろそろ喉が渇いてきませんか?」
「別に……」
「きましたよね? きたはずですよね? むしろ渇かないわけないですよね? 気の利かない後輩ですみません、すぐに紅茶をご用意しますね〜!」
後輩なりの気遣いと思いきや、その実自問自答を一方的に聞かされただけである。
紅茶よりトニックウォーターがいいんだけど、と先輩様が注文を付ける前に、監督生は脱兎の如く談話室を出て行ってしまった。気が利くんだか利かないんだかよく分からない後輩である。
「変な小エビちゃん」
フロイドは言葉に出してから『変なのはいつもか』と心の中で付け加えた。
途端に談話室の空気はシンと静まり返る。とても一人が退室しただけとは思えないほどの静寂だ。手持ち無沙汰になったフロイドのパラパラとトランプの束を切る音だけがいやに響いていた。
「先輩、先輩」
ふと小さい呼び声が横から聞こえ、フロイドが欠伸交じりに返事をする。生理的な涙を目尻に滲ませながら右隣を向くと、エースがにんまりと悪戯に笑っていた。
「先輩って、もしかして監督生のこと好きなんスか?」
刹那、フロイドは「はぁ?」と眉を顰める。そして好奇心を瞳に宿したエースを見ると、持っていたトランプをサイドテーブルに置いた。
「キライだけど?」
一片の迷いもなくフロイドは言い放った。おまけに『何を当たり前のことを』とでも付いてきそうな口ぶりだ。
質問したエースには予想外の答えだったらしく、面食らった表情を浮かべる。
「えぇ? なら、なんでわざわざ嫌いな人間に会いにくるんスか?」
「そんなの見ててムカつくから嫌がらせに来てるに決まってんじゃん。それに〜小エビちゃんのうんざりした顔ってちょーおもしれぇし」
純粋無垢な笑顔で言うが、その内容は全く可愛げがなかった。聞かされた全員は、揃って口元を引き攣らせる。その心の中では「今度美味いもん(高級ツナ缶)でもご馳走してやろう」と不憫な監督生を憐んだ。
表では世渡り上手なエースが「フロイド先輩らしいですね」と当たり障りのない台詞であしらう傍ら、
「コイツ、だいぶ性格悪ぃんだゾ」
「先輩には申し訳ないが……僕も同じ意見だな」
グリムとデュースは小声で本心を吐き出していた。彼らはエースという肉壁に甘え過ぎていたのだろう。もしくはウツボの人魚の聴覚を侮っていたせいか。自身の膝に頬杖をついたフロイドは、鋭い目つきでデュースたちを覗き込んでいた。
「サバちゃんとアザラシちゃんはコソコソなに話してんの? もしかしてぇ、誰かの悪口とか?」
語尾に向かうにつれ低くなる声色。それを耳にしたデュースとグリムは、ギクリと大袈裟に肩を揺らした。
「オッ、オレ様はフロイドの悪口なんて言ってねーんだゾ! デュースは知らねぇけどな!」
「はっ!? 堂々とダチを売るなんて見損なったぞ!」
墓穴をマントルまで掘りながら、もはや意味の無い言い争いを始めるデュースとグリム。それを眺めていたフロイドの気分は、急速に右下がりに傾いでいく。
――めんどくせぇし、纏めて締めてやろうかな。
その長身がゆらりと立ち上がりかけた時、扉の開く音と共に「お待たせしました!」と一際明るい声が飛び込んでくる。扉の前にはティーセットとクッキーを乗せたトレーを手に持った監督生がニコニコと立っていた。
「にゃはー! 美味そうなクッキーなんだゾ!」
「こら、みんなの分なんだから独り占めしないっ」
突撃するグリムを華麗に躱しながら、監督生はソファの前のサイドテーブルにトレーを置く。片膝をつき紅茶を注ぎ始める監督生に、フロイドは浮かせかけた腰を下ろした。
「随分賑やかだったけど、またトランプでもしてた?」
「してねぇよ。でも監督生のタイミングは完璧だわ」
「ああ。ありがとな、監督生」
「……どういたしまして?」
ホッとした表情でお礼を述べるエースとデュースに、何がなんだか分からない様子で首を傾げる監督生。それを横目に見ていたフロイドは何となく面白くなく、不貞腐れた声で「小エビちゃん、早く紅茶ちょーだい」と欲しくもない紅茶を急かした。
「やっぱり喉渇いてたんじゃないですか」
ふふふ、と勝ち誇った笑みを浮かべ、監督生は紅茶の入ったカップをソーサーごと差し出す。生意気な後輩は締めてやるのがフロイドの通例だが、今はそうしてやる気にはならなかった。フン、と鼻であしらいカップだけを手に取る。
他の二人にもカップを配る様子をジーッと見ていると、フロイドの頭にいつかの記憶が思い出された。
「そういえばさぁ、サバちゃんって女の子苦手なんじゃなかった?」
傍迷惑な花嫁ゴーストによる学園占拠事件。あの中で立てられたプロポーズ作戦の一員として参加していたデュースは、ゴーストである彼女とすら一言も会話が出来ずに散っていった。それが生身の女子相手ともあれば、卒倒してしまってもおかしくはない。なのに監督生と普通に友達として接している状況は、女子だと知るフロイドにはひどく不自然に見えていた。
「苦手じゃないです! ただ、何を話せばいいか頭が真っ白になっちまうだけで……」
「それを苦手って言うんだよ」
何故か頑なに否定するデュースに、エースが横から突っ込む。フロイドは「ふーん」と据わらせた目で、自分の分の紅茶を注ぎながらちらちらと様子を窺う監督生を見る。
「じゃあ何で小エビちゃんと仲良くしてるわけ?」
「何でって……監督生はダチですし、おと――」
「あー! フロイド先輩! ちょーっと二人だけでお話したいことがあるのでお時間よろしいでしょうか!?」
突然大声を出した監督生は、カップを持つフロイドの手首を強く掴んだ。反射的に振り解こうとしたフロイドだったが、〝二人だけで〟という台詞を脳内で反芻すると、静かにカップをテーブルに置いた。ちょうど彼らの顔にも飽きてきたところだった上、また一つ彼女の秘密を握れるかもしれないと思うと満更ではなかった。
「なになに〜? なんの話?」
手を引かれるがままフロイドはソファから立ち上がる。監督生に身を委ねている風に見せながら、そのほとんどは自らの意思だ。監督生も気づいているようだったが、今はそれどころではないのだろう。
「お、おう……?」
「いってらっしゃい……?」
呆気にとられる後輩たちに、フロイドは「バイバーイ」と笑顔で手を振り、談話室を後にした。
*
振り返ることもなく無言でずんずん突き進む監督生。連れてこられたのはオンボロ寮の裏手だった。
監督生は警戒するように周囲を確認すると、目尻をキッと吊り上げてフロイドを見上げた。
「さっきのやり取りは反則スレスレですよ!?」
「どこが? 小エビちゃんが女の子とは言ってないじゃん」
「匂わせるのもダメなんですっ」
「え〜……ケチ」
監督生は顔の前で腕をクロスすると、遺憾の意を主張する。イエローカードを突きつけられたフロイドはいかにも不満そうに口を尖らせた。
「だぁって小エビちゃんあいつらとばっかつるんでんだもん。休みの日までオンボロ寮で遊んじゃってさぁ。なんか見ててイラッとするんだよねぇ」
「そんなこと言われても……友達ですからつるみもしますよ。フロイド先輩だって、ジェイド先輩やアズール先輩とよく一緒に居るじゃないですか」
「オレらはいーの。小エビちゃんたちほどじゃねぇし。それにさぁ、前はオレのことしつこく追っかけてたじゃん」
「あれは課題をやってもらう為で……って、どうしたんです? 今日のフロイド先輩、何か変ですよ」
つまらないわけでも、まして怒っているわけでもない。だが確実に存在する何かが、フロイドの中でわだかまっていた。監督生にはそれが体調を崩しているように見えたのだろう。吊り上げられていた眉は今やなだらかな丘を象り、心配の色を濃くした表情で覗き込む。
自身を映すその瞳は、フロイドの混沌とした心情とは反対に清流のように透き通っていた。ぐちゃぐちゃにかき混ぜて濁らせてやりたいような、優しく掬い取って閉じ込めておきたいような――相反する欲がフロイドの内側で鬩ぎ合い、いつもの明朗且つシンプルな思考を鈍らせていた。
「……ねえ、小エビちゃん」
「何です? あ、保健室行きますか?」
「ううん。ちょっとだけ締めさせてくんね」
「えぇっ? 嫌で──うわっ!」
元より監督生の意思など聞くつもりは無かった。抵抗される前に、フロイドは小さな身体を腕の中に閉じ込める。
髪から香る彼女だけが纏う匂い。緊張に強張った肩。胸元にかかる吐息。監督生から感じうる全てがどうしようもなく気になり、自分の手の中に収めたくなる。
「ビクビクしちゃって、小エビちゃんはほんと小エビちゃんだねぇ」
いつものように逃げるかと思いきや、監督生は怯えながらもじっとその場に留まっていた。それをいいことに、フロイドは満足のいくまで締めておくことにした。
どのぐらいの時間が経過したか。恐らく誰にも分からない。ただ、腕の中の監督生が恐る恐る身じろぐのを感じ、フロイドはゆっくりと身体を離した。
「あは。小エビちゃん顔真っ赤〜。そんなに苦しかったの?」
耳まで真っ赤に染める様はまるで茹でエビだ。フロイドが揶揄うと、監督生は罰が悪そうに顔を逸らしてしまう。
「……苦しいですよ、すごく」
眉根を寄せ、言葉通り苦しそうに呟く。
「オレもねぇ、心臓ギュッて締められてるみてーに苦しい。なんでだろ」
「あ、それ分かります。私も同じ……」
その苦しさはフロイドも同じだった。正直に打ち明ければ、監督生は困ったように微笑む。
自分と同じ感覚を共有している。その事実に益々息苦しさに襲われたフロイドは、徐に持ち上げた手で監督生の顎を掬い上げる。
「先輩……?」
戸惑いに揺れる丸い瞳。そこに映っているのは自分だけ――自覚するほどに全身が満ち足りていく一方で、息苦しさだけは変わらなかった。
「んっ……!?」
どうしたものかと考える前に、気づけばフロイドは唇を重ねていた。そこに酸素など存在しないことは分かっている。しかし、今一番求めているものは確かにそこにある気がしたのだ。
相当に驚いたのだろう。監督生は突き飛ばすでも受け入れるでもなく、岩のように身体を固まらせてしまっていた。
やがてどちらからともなく唇を離すと、前髪を触れ合わせたまま互いの顔を見合わせる。
「さっきより赤くなってんじゃん」
「っだ、誰のせいだと……!」
非難を込めた目でフロイドを見るその頬は、もはや熟れた林檎のようだ。甘いそれを味わうように垂れ目を蕩けさせたフロイドは、親指で柔らかな下唇をなぞる。
「小エビちゃんさぁ、リップぐらいは塗ったほうがいいんじゃね?」
「えと……昨日失くしちゃったから、今日購買部で買おうと思ってて、その……す、すみません」
「なんで謝ってんの? ウケる」
クク、と喉を鳴らして笑いを堪える。女子にあるまじき指摘をされては、余程居た堪れなかったのだろう。何を血迷ったのか「今すぐ購買部に行ってきます……!」と意気込む監督生を、フロイドは再び胸に抱き込む。
「いーよ、オレの塗ってあげるし。その代わりー……もうちょっとしてから、ね?」
――えっ、と驚きに見開く瞳を見詰めながら、フロイドは再び唇を寄せた。
さすがに二度目ともなれば監督生も目の前の胸を軽く叩き、抵抗の意思を示す。だがぴくりとも動かない様子を見て早々に諦めたのだろう。徐々に降ろされていく監督生の目蓋を見送った後で、フロイドも目を閉じた。
唇の表面を触れ合わせているだけでありながら、全身に浸透していく生温かい感覚。それは今まで経験してきた面白いことの中でも味わったことがなく、フロイドを夢中にさせるには十分だった。
遠くから呼ぶ声が聞こえてくるまで、フロイドと監督生はひっそりと唇を重ね続けた。
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