♪ 嫌よ嫌よも好きと言え。
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――やっぱ何度見てもおもしれー。
大きな手に包まれたスマホを眺めながら、フロイドはニヤニヤと頬を緩ませた。
次の時間は移動教室の生徒が多いのだろう。混み合っている廊下で、立っているだけでも目立つ人物がそんな顔をしていれば、周囲の視線は自然とそちらに向いてしまう。その画面には何が映っているのか。気になったところで直接本人に訊く者はいないようだった。万が一彼の機嫌を損ねたら最期、気分屋な肉食魚の餌食になってしまう……それは学園に在籍する生徒にとって周知の事実であり、知っていながら積極的に関わろうとはまず思わないだろう。
「フロイド。先ほどから何を愉しそうに見ているんです?」
例外である、彼のたった一人の兄弟を除いて。
隣に並んでいたジェイドは、問い掛けながら画面を覗き込もうとした。しかしフロイドの手に握られたスマホは逃げるようにポケットの中へと隠されてしまう。
「ひみつ〜。オレがもらった対価だもん」
――これはダメだ。二人のやり取りに密かに聞き耳を立てていた生徒たちは、早々に追及を諦めたのだろう。フロイドに向けられていた視線はパラパラと散っていった。
だが尋ねた張本人はそうもいかなかったらしい。
「隠されると尚更気になってしまいますね。どうしても教えていただけませんか?」
他人の秘密は暴きたくなるのが人の性である。それに加え、ジェイドの面白いことへの追及心は飛びぬけていた。負けじと笑顔で食い下がるが、それに対してもフロイドは「ダメ」の一点張り。
いつもであれば、楽しいことは真っ先に兄弟と共有するのがこのリーチ兄弟の常だ。だが今回ばかりはスマホに映っている彼女との約束がある。それでなくとも今のフロイドは、自分しか知り得ない彼女の秘密を共有する気にはどうしてかなれなかった。
頑ななフロイドの様子に、ジェイドもようやく諦めがついたのだろう。心底がっかりだとでも言うように、当てつけがましいため息を吐き出す。
「回収した対価を眺めて楽しむだなんて、フロイドもアズールに似てきましたね」
「ハァ? オレあんな陰湿じゃねぇし」
眉間に皺を寄せ、不本意だとばかりにフロイドは反論する。初めから同意など期待していなかったらしく、ジェイドはどこ吹く風といった様子で「ふむ」と顎に手を添えた。
「それもそうですね。アズールほど陰湿で執念深い男はいませんから」
「そうそ。あと金にうるせーのもね」
「……おい、お前ら」
意気投合しキャッキャッと笑い合う二人に、ややドスの効いた声が割って入る。ぴたりと笑うのを止めた兄弟は、揃って左斜め下で睨みつけている顔を見た。
「おや。アズール、いつの間にこんなところにいらしたんですか?」
今しがた気づいた風を装いながらも、楽しげに歪められた口元は待ってましたと言わんばかりだ。そんな兄弟を横目に見たフロイドは、左のアズールへとまた視線を戻した。案の定そのこめかみにはうっすらと青筋が立っていた。
「ほう。もしや先ほどまで会話していたことも忘れてしまいましたか?無駄に 立派な体格をしているのに、ウツボの脳味噌は随分とお粗末なんですね」
「悪気は無いんですよ? 何せ会話をしていないと視界からアズールの姿が消えてしまうもので、すっかり記憶から抜け落ちてしまったみたいです。 粗末な脳味噌 が忘れないよう、これからは足元にも気を配らせていただきますね」
「いいえ、結構です。貴重な容量を消費するのは僕も心苦しいですから。それよりもその捻じ曲がった性格を今すぐ矯正したほうがいい」
「ふふ、お心遣い痛み入ります。アズールの狡猾さには負けますよ」
フロイドを挟んで繰り広げられる、寮長対副寮長の嫌味合戦。さぞかし煩わしいそれも幼馴染みには聞き慣れたもので、今となってはもはや環境音に等しい。フロイドは我関せずといった調子でジャケットのポケットをまさぐる。一個だけ入っていたキャンディを探り当てると、包み紙を剥がして口の中に放った。スーッと鼻を抜けていくペパーミントの香りは清々しく、両脇で奏でられる不協和音のようなBGMとも相性は抜群だ。
それから程なくして二人の間で決着もしくは一時休戦の目途がついたのだろう。飛び交っていた応酬が止み、アズールが仕切り直すかのように咳払いをする。
「ところで、僕もフロイドの掴んだ対価というのが気になりますね。もちろんタダでとは言いませんから、ぜひ見せてもら……」
「やだ」
全て言い終えるのを待つことなくバッサリと断ち切るフロイド。
あまりの即答ぶりに、意気揚々としたアズールの笑顔は石膏の如く固まり、その一部始終を見ていたジェイドも顔を逸らしながらぷっ、と吹き出す始末だ。
「さっきからアズールもジェイドもしつけーんだけど。オレ以外の奴には見せないって契約なんだからしょうがねぇじゃん」
もともと気分屋のフロイドだが、いやに追及してくる二人に段々と苛立ちが溜まっていく。
「は? 契約って、一体どこの誰としたんです? まさかいいように使われてるんじゃ――」
「ちげぇし。あーもう、とにかく嫌なもんは嫌なの!」
落ちるか落ちまいか絶妙なバランスを保っていたフロイドの機嫌は、アズールの非難を受け瞬く間に転げ落ちていった。体の内側で巡る不快感を発散するように、口の中で弄んでいた飴玉を噛み砕く。とてもそれだけでは発散しきれず、破片をゴリゴリと嚙み潰しながら両脇の二人から一歩進み出た――その時だった。
人が行き交う廊下の中で、一際小さなシルエットがフロイドの目に留まる。その姿はまさしく、さっきまでスマホに映していた人物だ。
途端、荒れに荒れていたフロイドの気分は魔法がかかったかのように、一片の雲すら残さず晴れた。
引き留めるアズールの声も無視して、その後ろ姿に向かって一直線に駆け出す。
「小エビちゃんみーっけ」
「うっ! あぶなっ……!」
挨拶代わりのハグもといタックルをお見舞いすると、腕の中にすっぽりと収まる小さな頭が恨めし気な眼でフロイドの顔を見上げる。
「フロイド先輩……用があるなら普通に呼んでもらえませんかね」
「別に用なんてねーけど。小エビちゃんが見えたから捕まえに来ただけ~」
けろりと悪びれる様子も無く話すフロイドに、監督生は諦めたようにため息を吐き出し肩を落とす。ただし、隙を見て腕の中から抜け出す技術すら身につけてしまうぐらいには、小エビも無駄に経験を積み重ねてはいなかったようだ。「あーあ」と口を尖らせるフロイドを尻目に、監督生は足元に置いてあった物を両腕に抱えた。
「なにそれ? てかこんなとこで何してんの?」
「人魚の模型ですよ。生物学の授業で使うので運び出してるんです」
よいしょ、と声に出しながら監督生は真っ二つに分かれた人魚の上半身を右手に、下半身を左手に抱えた。分かれているからと言って、くっつければ持ち主の身長と同じかそれ以上の大きさである。監督生は引きずらないようにするだけでもいっぱいいっぱいといった様子だ。
学園の授業は魔法を用いる授業とそうでない授業が半々に組み込まれている。魔法を用いない授業でも、教員が魔法でバーチャル映像のようなものを映し出したり、現物を創り出して行うこともある。だが教員も魔法士であり、人である。当然使える魔力量には限りがあるし、全クラスの授業で魔法を使っていればあっという間に魔力が底をついてしまう。その為、監督生の言う生物学然り、模型を用いる科目も少なくはない。
そして幸か不幸か、魔法士養成学校として名の知れた学園が所有している模型は、大きさも立派で尚且つ高価な品ばかり。全校生徒の平均身長より小さく、男子に比べれば非力なその身体では手こずるのも無理はない話だった。
「小エビが人魚抱えてんのウケんね」
「ウケないですよ、こっちは必死なんですから……!」
輪切りにされた人魚の断面を向けながら真剣に訴える図はやはりシュールだ。ハハハッと軽快に笑うフロイドを、監督生は歯を食いしばって睨みつける。
「こんなめんどいことカニちゃんにでも押し付けちゃえばよかったのに。また雑用係にでもなったの?」
「違います。今回は男の勝負に負けたからしょうがないんです」
あそこでパーを出しておけば、と小声で呟く監督生に、勝負の内容はすぐに察することが出来た。その勝敗についてはともかく、フロイドは〝勝負〟という単語の前に置かれた言葉がどうしても引っかかった。
――でも小エビちゃんは女じゃん。
声に出そうとしたフロイドの脇腹に、突然手刀を食らったかのような衝撃が襲う。
「ってぇな……」
舌打ちをしながら脇を見れば、そこには人魚の尾鰭があった。海中でもないこの場でその犯人(魚)はたった一人しかいない。
肉食魚の人魚はその垂れ目をスッと細め、青ざめた顔で小さい身体を一層縮みこませる小エビを見下ろす。
「オレに鰭キック喰らわすとかいい度胸してるじゃん。ねぇ、小エビちゃん?」
「あ……じ、準備室の扉に鍵かけようとしたら模型が当たっちゃって、け、決してわざとでは……すみませんでした!!」
弁解しながら一歩、また一歩と後退る監督生は、謝ると同時に背を向け走り出した。
フロイドは徐々に小さくなっていく後ろ姿を眺め、気怠げに後頭部を掻く。
「え~。追いかけっこかぁ。今はあんま気分じゃねぇんだけど、」
――オレに追いかけられてビビる小エビちゃんを見るのは、おもしれぇかも。
コキコキと首を鳴らし、屈伸を二回。ニヤリと捕食者の笑みを浮かべたフロイドは、懸命に小さな尾鰭を泳がせる後ろ姿に照準を合わせる。
自分の長い尾鰭で巻き取ったら、小エビはどんな顔を見せてくれるのだろうか。想像するだけでフロイドの心拍数は上がっていく。しかし〝捕まえ甲斐のある獲物ほど直ぐに捕えてしまったらつまらない〟というのが、フロイド式追いかけっこの流儀だ。逸る気持ちを抑えつけながら静かにその時を待つ。
そして頭の中のカウントがゼロになった瞬間。大きな身体は風を切るように駆け出した。
「あの二人はいつからあんなに仲良しになったんです?」
すっかりフロイドに置いてきぼりを食らい、遠巻きに様子を眺めていたアズールとジェイド。
「さぁ。フロイドが楽しいのならいいんじゃないでしょうか」
「……そうですね」
自身の兄弟を咎めるどころか完全に観察対象として面白がっているジェイドに、この時のアズールは珍しく本気で監督生に同情した。
大きな手に包まれたスマホを眺めながら、フロイドはニヤニヤと頬を緩ませた。
次の時間は移動教室の生徒が多いのだろう。混み合っている廊下で、立っているだけでも目立つ人物がそんな顔をしていれば、周囲の視線は自然とそちらに向いてしまう。その画面には何が映っているのか。気になったところで直接本人に訊く者はいないようだった。万が一彼の機嫌を損ねたら最期、気分屋な肉食魚の餌食になってしまう……それは学園に在籍する生徒にとって周知の事実であり、知っていながら積極的に関わろうとはまず思わないだろう。
「フロイド。先ほどから何を愉しそうに見ているんです?」
例外である、彼のたった一人の兄弟を除いて。
隣に並んでいたジェイドは、問い掛けながら画面を覗き込もうとした。しかしフロイドの手に握られたスマホは逃げるようにポケットの中へと隠されてしまう。
「ひみつ〜。オレがもらった対価だもん」
――これはダメだ。二人のやり取りに密かに聞き耳を立てていた生徒たちは、早々に追及を諦めたのだろう。フロイドに向けられていた視線はパラパラと散っていった。
だが尋ねた張本人はそうもいかなかったらしい。
「隠されると尚更気になってしまいますね。どうしても教えていただけませんか?」
他人の秘密は暴きたくなるのが人の性である。それに加え、ジェイドの面白いことへの追及心は飛びぬけていた。負けじと笑顔で食い下がるが、それに対してもフロイドは「ダメ」の一点張り。
いつもであれば、楽しいことは真っ先に兄弟と共有するのがこのリーチ兄弟の常だ。だが今回ばかりはスマホに映っている彼女との約束がある。それでなくとも今のフロイドは、自分しか知り得ない彼女の秘密を共有する気にはどうしてかなれなかった。
頑ななフロイドの様子に、ジェイドもようやく諦めがついたのだろう。心底がっかりだとでも言うように、当てつけがましいため息を吐き出す。
「回収した対価を眺めて楽しむだなんて、フロイドもアズールに似てきましたね」
「ハァ? オレあんな陰湿じゃねぇし」
眉間に皺を寄せ、不本意だとばかりにフロイドは反論する。初めから同意など期待していなかったらしく、ジェイドはどこ吹く風といった様子で「ふむ」と顎に手を添えた。
「それもそうですね。アズールほど陰湿で執念深い男はいませんから」
「そうそ。あと金にうるせーのもね」
「……おい、お前ら」
意気投合しキャッキャッと笑い合う二人に、ややドスの効いた声が割って入る。ぴたりと笑うのを止めた兄弟は、揃って左斜め下で睨みつけている顔を見た。
「おや。アズール、いつの間にこんなところにいらしたんですか?」
今しがた気づいた風を装いながらも、楽しげに歪められた口元は待ってましたと言わんばかりだ。そんな兄弟を横目に見たフロイドは、左のアズールへとまた視線を戻した。案の定そのこめかみにはうっすらと青筋が立っていた。
「ほう。もしや先ほどまで会話していたことも忘れてしまいましたか?
「悪気は無いんですよ? 何せ会話をしていないと視界からアズールの姿が消えてしまうもので、すっかり記憶から抜け落ちてしまったみたいです。
「いいえ、結構です。貴重な容量を消費するのは僕も心苦しいですから。それよりもその捻じ曲がった性格を今すぐ矯正したほうがいい」
「ふふ、お心遣い痛み入ります。アズールの狡猾さには負けますよ」
フロイドを挟んで繰り広げられる、寮長対副寮長の嫌味合戦。さぞかし煩わしいそれも幼馴染みには聞き慣れたもので、今となってはもはや環境音に等しい。フロイドは我関せずといった調子でジャケットのポケットをまさぐる。一個だけ入っていたキャンディを探り当てると、包み紙を剥がして口の中に放った。スーッと鼻を抜けていくペパーミントの香りは清々しく、両脇で奏でられる不協和音のようなBGMとも相性は抜群だ。
それから程なくして二人の間で決着もしくは一時休戦の目途がついたのだろう。飛び交っていた応酬が止み、アズールが仕切り直すかのように咳払いをする。
「ところで、僕もフロイドの掴んだ対価というのが気になりますね。もちろんタダでとは言いませんから、ぜひ見せてもら……」
「やだ」
全て言い終えるのを待つことなくバッサリと断ち切るフロイド。
あまりの即答ぶりに、意気揚々としたアズールの笑顔は石膏の如く固まり、その一部始終を見ていたジェイドも顔を逸らしながらぷっ、と吹き出す始末だ。
「さっきからアズールもジェイドもしつけーんだけど。オレ以外の奴には見せないって契約なんだからしょうがねぇじゃん」
もともと気分屋のフロイドだが、いやに追及してくる二人に段々と苛立ちが溜まっていく。
「は? 契約って、一体どこの誰としたんです? まさかいいように使われてるんじゃ――」
「ちげぇし。あーもう、とにかく嫌なもんは嫌なの!」
落ちるか落ちまいか絶妙なバランスを保っていたフロイドの機嫌は、アズールの非難を受け瞬く間に転げ落ちていった。体の内側で巡る不快感を発散するように、口の中で弄んでいた飴玉を噛み砕く。とてもそれだけでは発散しきれず、破片をゴリゴリと嚙み潰しながら両脇の二人から一歩進み出た――その時だった。
人が行き交う廊下の中で、一際小さなシルエットがフロイドの目に留まる。その姿はまさしく、さっきまでスマホに映していた人物だ。
途端、荒れに荒れていたフロイドの気分は魔法がかかったかのように、一片の雲すら残さず晴れた。
引き留めるアズールの声も無視して、その後ろ姿に向かって一直線に駆け出す。
「小エビちゃんみーっけ」
「うっ! あぶなっ……!」
挨拶代わりのハグもといタックルをお見舞いすると、腕の中にすっぽりと収まる小さな頭が恨めし気な眼でフロイドの顔を見上げる。
「フロイド先輩……用があるなら普通に呼んでもらえませんかね」
「別に用なんてねーけど。小エビちゃんが見えたから捕まえに来ただけ~」
けろりと悪びれる様子も無く話すフロイドに、監督生は諦めたようにため息を吐き出し肩を落とす。ただし、隙を見て腕の中から抜け出す技術すら身につけてしまうぐらいには、小エビも無駄に経験を積み重ねてはいなかったようだ。「あーあ」と口を尖らせるフロイドを尻目に、監督生は足元に置いてあった物を両腕に抱えた。
「なにそれ? てかこんなとこで何してんの?」
「人魚の模型ですよ。生物学の授業で使うので運び出してるんです」
よいしょ、と声に出しながら監督生は真っ二つに分かれた人魚の上半身を右手に、下半身を左手に抱えた。分かれているからと言って、くっつければ持ち主の身長と同じかそれ以上の大きさである。監督生は引きずらないようにするだけでもいっぱいいっぱいといった様子だ。
学園の授業は魔法を用いる授業とそうでない授業が半々に組み込まれている。魔法を用いない授業でも、教員が魔法でバーチャル映像のようなものを映し出したり、現物を創り出して行うこともある。だが教員も魔法士であり、人である。当然使える魔力量には限りがあるし、全クラスの授業で魔法を使っていればあっという間に魔力が底をついてしまう。その為、監督生の言う生物学然り、模型を用いる科目も少なくはない。
そして幸か不幸か、魔法士養成学校として名の知れた学園が所有している模型は、大きさも立派で尚且つ高価な品ばかり。全校生徒の平均身長より小さく、男子に比べれば非力なその身体では手こずるのも無理はない話だった。
「小エビが人魚抱えてんのウケんね」
「ウケないですよ、こっちは必死なんですから……!」
輪切りにされた人魚の断面を向けながら真剣に訴える図はやはりシュールだ。ハハハッと軽快に笑うフロイドを、監督生は歯を食いしばって睨みつける。
「こんなめんどいことカニちゃんにでも押し付けちゃえばよかったのに。また雑用係にでもなったの?」
「違います。今回は男の勝負に負けたからしょうがないんです」
あそこでパーを出しておけば、と小声で呟く監督生に、勝負の内容はすぐに察することが出来た。その勝敗についてはともかく、フロイドは〝勝負〟という単語の前に置かれた言葉がどうしても引っかかった。
――でも小エビちゃんは女じゃん。
声に出そうとしたフロイドの脇腹に、突然手刀を食らったかのような衝撃が襲う。
「ってぇな……」
舌打ちをしながら脇を見れば、そこには人魚の尾鰭があった。海中でもないこの場でその犯人(魚)はたった一人しかいない。
肉食魚の人魚はその垂れ目をスッと細め、青ざめた顔で小さい身体を一層縮みこませる小エビを見下ろす。
「オレに鰭キック喰らわすとかいい度胸してるじゃん。ねぇ、小エビちゃん?」
「あ……じ、準備室の扉に鍵かけようとしたら模型が当たっちゃって、け、決してわざとでは……すみませんでした!!」
弁解しながら一歩、また一歩と後退る監督生は、謝ると同時に背を向け走り出した。
フロイドは徐々に小さくなっていく後ろ姿を眺め、気怠げに後頭部を掻く。
「え~。追いかけっこかぁ。今はあんま気分じゃねぇんだけど、」
――オレに追いかけられてビビる小エビちゃんを見るのは、おもしれぇかも。
コキコキと首を鳴らし、屈伸を二回。ニヤリと捕食者の笑みを浮かべたフロイドは、懸命に小さな尾鰭を泳がせる後ろ姿に照準を合わせる。
自分の長い尾鰭で巻き取ったら、小エビはどんな顔を見せてくれるのだろうか。想像するだけでフロイドの心拍数は上がっていく。しかし〝捕まえ甲斐のある獲物ほど直ぐに捕えてしまったらつまらない〟というのが、フロイド式追いかけっこの流儀だ。逸る気持ちを抑えつけながら静かにその時を待つ。
そして頭の中のカウントがゼロになった瞬間。大きな身体は風を切るように駆け出した。
「あの二人はいつからあんなに仲良しになったんです?」
すっかりフロイドに置いてきぼりを食らい、遠巻きに様子を眺めていたアズールとジェイド。
「さぁ。フロイドが楽しいのならいいんじゃないでしょうか」
「……そうですね」
自身の兄弟を咎めるどころか完全に観察対象として面白がっているジェイドに、この時のアズールは珍しく本気で監督生に同情した。