♪ 嫌よ嫌よも好きと言え。
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フロイドと監督生の耐久合戦が始まり早一週間が経過した。日数を重ねても尚、戦況は平行線を描いている。
全ては夢の冷蔵庫の為とはいえ、いい加減に監督生の心的疲労は許容量を超えかけていた。
ーー風呂上がりに食うキンッキンに冷えたツナ缶がたまらねぇんだゾ!
そう活き活きと語るのは、ツナ缶が主食と化しているグリムだ。すっかり冷製ツナ缶の虜になってしまった彼のおかげで、近頃の庫内は更に圧迫されていた。
詰め込みすぎると不調を起こしやすくなるから、と説明すれば渋々減らしてはくれるものの、こんなことを言わなくてはいけない現状にはさすがに辟易としてしまう。
昼休みで活気付いている食堂の中。ハンバーグランチの乗ったトレーを持って歩く後ろ姿からは哀愁が漂っていた。
色々考えねばならないことはあるが、せめて昼食ぐらいはゆっくり楽しみたいものである。デラックスメンチカツサンド争奪戦に参戦中のマブとグリムたちの為にも、空いてる席は無いかキョロキョロと見回していれば、いやに空いているテーブルが目につく。
――なぜ誰も座らないんだろう。そんな疑問を考える前に、ちょうど四席空いているのを確認した監督生は、躊躇うことなくそこに近づいた。
前後左右に作られた空席。その中心に居たのは、すっかり見慣れた一人の男だった。
「あ。れい……」
「なぁに?」
「えーと、れ、れ〜……冷静沈着でクールでイカすフロイド先輩! こんにちは!」
うっかり心の声を漏らしそうになった監督生は、慌てて言い繕う。まさか「貴方の大きな身体が冷蔵庫に見えました」なんて言えるわけがない。
さすがに強引すぎたかと恐々していたが、当のフロイドは知らん顔で最後の一口であるピラフを頬張る。
ややこしいことにならずホッと息を吐いた監督生は、気を取り直して「ご一緒してもいいですか?」と声をかけた。
「やだ、って言われたらどうするわけ?」
「ありがとうございます。失礼しますね」
監督生はトレーを置くと、向かいの席に腰掛ける。「小エビちゃん図々し〜」と非難しながらも、今の彼はそれなりに機嫌が良いらしくけらけらと笑っている。
「今日は先輩お一人なんですか?」
「そ〜。アズールにはラッコちゃんに勉強教えるから邪魔するなって追っ払われるし、ジェイドも野暮用があるのでっつって授業終わったらさっさと植物園に行っちゃうんだもん。もう超つまんねぇの」
口を尖らせて話す様は、親に構ってもらえず拗ねた子どものよう。「残念でしたね」と監督生は苦笑いで場を濁していれば、「でも〜」とフロイドは笑みを浮かべた。
「小エビちゃんが構ってくれるなら悪くねぇかも」
その笑顔はにっこり、と形容するにはあまりにも悪どい。嫌な予感を感じた監督生は聞こえなかった振りをして「いただきます」と手を合わせた。
「えぇ〜、小エビちゃんまでつめてぇの」
ブーイングの声も聞き流し、食器を手に取る。若干冷めてしまったハンバーグにナイフを入れれば、断面からじゅわっと肉汁が溢れる。空きっ腹にはあまりにも魅力的すぎる画に、目の前の彼のことなどすっかり頭の隅に追いやられてしまった。
細かく切り取ったそれを口に運べば、噛む度に肉汁が染み出しトマトの酸味が効いたデミグラスソースと混ざり合う。口内で奏でられる美味しさのハーモニーに、自ずと頬が緩んでしまう。
幸せを噛みしめるようにモグモグと咀嚼していると、ふと監督生は刺すような視線を注がれていることに気づく。向かい側に目を遣れば、頬杖をついたフロイドが無言でじっと眺めていた。
――動物園にいる動物たちもこんな気持ちなのだろうか。見られているだけとはいえ、一度気になり始めると素直に目の前のご馳走を楽しめなくなるものだ。
監督生は二口目を運びかけて、手に持っていた食器を下ろした。そして渋々といった具合で「何でしょうか」と問えば、フロイドは気怠げな声色で「別にー」と答える。
「なんで小エビちゃんが必死になってオレに課題をやらせようとしてるのかなって思っただけ」
フロイドの疑問を受けた監督生は、ギクリと肩を揺らした。
監督するよう先生に言われたという建前があっても、一週間も付き纏うほど必死になっていればさすがに不自然に思われても仕方ない。
仮に今何とか誤魔化すことは出来ても、勘の鋭い彼相手ではいずれボロが出るかもしれない。先々のことを考えた監督生は、一か八か正直に明かすことにした。
「……冷蔵庫の為です」
「はァ? 冷蔵庫?」
まるで理解ができないといった彼の表情も、監督生が淡々と事のあらましを説明し終える頃には、憐みの籠もったそれに変わる。
「苦労してんね。はい、オレからの差し入れ」
そう言ってフロイドはスプーンを持った手を徐に伸ばし、ハンバーグの乗った皿の脇で傾けた。
スプーンから何かがパラパラと滑り落ちては小山を作る。一体なんだと監督生がよくよく観察してみれば、山を作っているのは細かく刻まれた椎茸だった。
――果たしてこれを差し入れと呼んでいいのだろうか。よくこんなに丁寧に取り除いたものだという感心と、絶対嫌いなだけだろうという非難の入り混じった目でフロイドを見る。
「最初から別のメニューを選べば良かったじゃないですか」
「今日はピラフの気分だったんだからしょうがねぇじゃん。それにしいたけ入ってるとか聞いてねぇし、残すとアズールはうるせーし」
あ~ジェイドもだわ、と付け足してうんざりした表情を作る。
どちらともこの場に居ないのだから食べずに捨てても良かったのでは。疑問に思ったが、口をへの字にして不貞腐れるフロイドに、敢えて言及するのは止めておいた。
自分本位で生きているようにしか見えない彼も、二人のことは少なからず大事に思っているんだろう。そう考えたら少しだけフロイドという人物が身近な存在に思えた気がして、監督生は気づかれないようにくすりと笑う。
差し入れ(という名の余り物)を一方的に押し付けられたとはいえ、このまま残してしまうのは食堂のゴーストや椎茸に申し訳ないものだ。監督生は小山を纏めてフォークの上に乗せると、口の中に放り込んだ。するとフロイドは信じられないものを見るような顔で「げぇ」と声を漏らす。ゲテモノを食べてるわけではないというのに、なかなかひどいリアクションである。
「……私としては、差し入れを下さるぐらいなら課題をお願いしたいんですけど」
「またそれ? 何回言われても嫌なもんはイーヤ。しかも小エビちゃんに都合がいいだけで、オレにはなーんの得も旨味も無いじゃん」
「何を仰いますか。極上の単位が取れるチャンスなのに」
「単位じゃ腹は膨れませーん」
風船のように頰を丸くしたフロイドはプイッとそっぽを向いてしまう。
――この調子では彼に音を上げさせる前に、冷蔵庫のほうが先にKO負けしてしまいそうだ。監督生は嘆息する。
ただ一点。彼の言う通り、自身の都合を押し付けていることだけは彼女にも否定はしきれなかった。
元を辿れば身から出た錆である。あの日、廊下を走らずに前をよく見て歩いていればと何度後悔したことか。しかし今となっては譲歩が許されない状況なのも確かだ。
板挟みの思考に、監督生は食べかけのハンバーグの存在も忘れてうーんと唸る。
「じゃあ……フロイド先輩の欲しいものって何ですか」
「なになに? 小エビちゃんがご褒美くれんの?」
世間話がてら振ってみた話題にフロイドは身を乗り出し目を輝かせた。予想以上の彼の食いつきように、監督生は狼狽る。
「そ、そこまでは言ってないです」
「んだよ。なら教えなーい」
遠慮という単語すら辞書から省いてそうな彼のことだ。ご褒美にかこつけて何を要求されるか分かったものではない。危惧した監督生が自身の発言を訂正すれば、フロイドはまた顔を逸らしてしまう。
教えないということは、欲しいものがあることを暗に示している。そして興味はどうあれ出し惜しみされれば一層気になってしまうのが人間の性というやつだろう。
「なら聞いてから考えます」
「えぇ〜、それって狡くね? ……まぁいいや。オレはね〜」
監督生の逃げ腰な発言に不満を漏らしながらも、フロイドはポケットからスマホを取り出すと鼻歌混じりに指を滑らせる。ややあって「コレ」と見せられた画面には、スニーカーの写真が表示されていた。
合皮ではない見るからに高そうな生地。白をベースにして彼の髪色と似た色味のブルーがおしゃれにあしらわれている。また、画像の下に表示されている数字の桁がスニーカーの丈夫さを示していた。
目の前の人物がそれを履いて動き回っている姿は、あまりにもあっさり想像出来てしまった。
「わぁ……かっこいいですね。フロイド先輩に似合いそうです」
「でしょでしょ〜。小エビちゃんも意外と見る目あんじゃん」
意外と、は余計だが。ニコニコと嬉しそうに笑うフロイドの様子を見て、不思議と悪い気はしなかった。むしろつられて頬が緩んでしまうぐらいだ。
体格と相まって凄まれると怖いものの、感情表現が素直な分、嬉しいと感じている時の笑顔には一切の淀みが無い。彼のことを恐れていても、監督生が心の底から嫌いになれずにいるのはこういうところがあるからだった。
「小エビちゃんだったらねぇ、うーん……ぜんぶ似合わねぇや」
「バッサリきましたね」
いっそ清々しいほどである。はは、と苦笑いを溢すのを横目に、フロイドはスマホの画面に指を置き難しい顔をしている。
何となしに時計を見上げた監督生は、もう休憩時間が半分過ぎていることに気づいた。
すっかり冷めてしまった食事を忙しなく口に運んでいると、「あっ」と前方から声が上がった。
視線を上げようとするも、「監督生!」とちょうど重なった声に後ろを振り向く。そこにはいつもの二人とグリムがトレーを持って立っていた。どうやらデラックスメンチカツサンドは勝ち取れなかったようだ。
「悪いな、遅くなっちまって」
「ううん。大丈夫だよ」
「ん? 監督生は誰と飯食って……げ。フロイド先輩ちーっす!」
エースが挨拶をすれば、フロイドは「んー」と返事になっていない返事で返す。余計な一文字にはどうやら気づいていないようだった。デュースも続いて挨拶をするが変わらず気の抜けた返事しか返ってこないようだ。
鬱陶しく思っているのかも、と考えた監督生は席を立ってわずかに距離を取る。
「まったく、オマエらのせいでデラックスメンチカツサンド争奪戦に出遅れちまったんだゾ」
「ハァ? 元凶が何言ってんだっつーの。グリムが大窯爆発させて、せっかく上手くいってた俺らの窯まで巻き込んだから片付けに時間食っちまったんだよ」
「なんだと!? そもそも爆発させたのはエースがオレ様に嘘の材料を教えたからなんだゾ! 卑怯じゃねーかっ」
「その嘘も見抜けなかったおバカさんに言われたくないですー」
「ふなっ、大魔法士グリム様を馬鹿にすんじゃねー!」
やいのやいのと言い合う二人を見て、監督生はやれやれと呆れながらもどこか安心感を覚える。
等身大の高校生らしい微笑ましく、温かい空間。何処か元の世界を思い出すこの光景が、彼女の細やかな癒しとなっていた。
とはいえ収拾がつかなくなってしまったらさすがに困る。ヒートアップするエースとグリムの間に介入しようと、監督生が一歩前に進み出た時だった。
――ふわりと鼻を掠めた優しい香り。それとは正反対の、凶器に等しい腕が首元に回される。
「ねぇ。オレ、小エビちゃんとオハナシしてたんだけど」
地を這うような声色が頭上で響く。監督生が咄嗟に見上げれば、泣く子も黙るような睨み顔がそこにあった。
「カニちゃんたち飯まだなんでしょ? 早く食べないと休憩終わっちゃうよ」
「なっ……!」
デュースが食って掛かろうとするのを、監督生は「大丈夫。食べてきて」と笑みを作りながら遮る。
状況を察したらしいエースが二人を連れて席の方へと離れていく。監督生は横目に見送るが、三人が離れて行っても首に回されたそれは解けない。
周囲からは「ご愁傷様」と言わんばかりの眼が向けられるものの、助けはしてくれない。自身にとって利がなければ、彼らに他人を助ける道理は無いからだ。
ふう、とため息を吐きつつ再び上を見上げれば、彼は相変わらず不機嫌を全面に押し出した顔をしていた。
「騒がしくしてすみません……?」
とりあえず口にしてみた謝罪に、視線は合わせてくれるものの表情に変化は無い。
一体自分たちの何が彼の反感を買ってしまったのか、監督生には皆目見当がつかなかった。
「あ。もしかして、ジェイド先輩たちが居ないから拗ねてるんですか?」
「ちげーし。口の減らねえ小エビだなァ?」
ぐぐ、と腕に力が込められる。
「あだだだだ! 暴力反対! 弱いものいじめ良くないです!」
「あはっ。弱ぇ奴が悪いんだからしょうがないじゃん。嫌なら抵抗しなよ、ほらほら〜。ま、ちっこくて細っこくてお馬鹿な小エビちゃんには出来ねえと思うけど」
クスクスとさも可笑しげに口を歪める。監督生が手を引き剥がそうと躍起になるほど、その笑みは深くなっているようだった。
こうして絞められるのは今までも何度となくされてきた。ただ、覗き込む瞳は底冷えしてしまうほどに冷ややかで。まるで存在自体を軽蔑し拒絶しているような、そんな目を向けられるのは初めてのことだった。
怪我さえしなければいい、という考えは甘かったのかもしれない。獲物をいたぶるようにじわじわと絞まる腕に、怪我どころか命の終わりすら予感し始める。
「おまけに魔法も使えないとかやばくね。オレだったらつまんなすぎてぜーったい耐えらんない。
そんなんで生きてて楽しい?」
――瞬間、抵抗していた監督生の手から力が抜けた。
突然無抵抗になった相手に、フロイドは首を傾げ腕の中で項垂れる監督生の後頭部を眺める。
「――けない」
「あ? 何、聞こえねぇんだけど」
「っ……楽しいわけないじゃないですか!」
身体をかがめた監督生はわずかに緩んだ腕から抜け出すと、正面切ってフロイドを睨む。
怒りを露わにする目尻とは裏腹に、その瞳は悲しみに揺れていた。
「どうせ私は、魔力も無ければ頭も良くないし、運動も人並みだし、その上寮はオンボロで雨漏りは凄いし、強風の日には吹き飛ばされるんじゃないかって心配でおちおち寝ていられないし、ろくに冷蔵庫も買えないし、そもそもここに私の――っ!」
感情に押し出されるがまま最後まで言いきろうとして、監督生はハッと我に返る。鳩が豆鉄砲を食らったように目を瞬いているフロイドを見て、否応なしに今の自分の状況を理解した。
悲哀の滲む声はわいわいと食事を楽しむ空間にはそぐわない。周囲を見れば、自分たちが好奇の視線を集めていることに気付く。
――やってしまった。監督生は羞恥に燃える頬を隠すように俯ける。彼の顔なんて見れたものではなかった。
「取り乱してしまってすみませんでした。一方的に課題を強要したことも謝ります。これからはしつこく追い回すのは止めますので……失礼しました」
矢継ぎ早に口にした監督生は、引き留めるマブたちの声を背に受けながら逃げるようにその場を立ち去る。これ以上、フロイドの言葉を聞いたら何を口走ってしまうかわからなかったからだ。
*
逃げ込むように入った空き教室で、監督生は上がった息を整えながら力無く床にしゃがみ込んだ。
「……何やってんだろ」
――最近の私は、マブダチと呼んでくれる仲間が出来て、事件に巻き込まれながらも楽しく賑やかな日々を送ったりして自惚れていたのかもしれない。
この世界の人たちにとって自身の存在は〝異物〟だということをすっかり失念していた。それを先輩は改めて私に教えてくれただけだというのに。
八つ当たりなんてまったく情けない。しかしあのフロイド先輩相手に出来たのだから、なかなか自分の神経も太くなったものだ。
自嘲に笑む口元とは裏腹に、監督生の視界は涙で歪んだ。
全ては夢の冷蔵庫の為とはいえ、いい加減に監督生の心的疲労は許容量を超えかけていた。
ーー風呂上がりに食うキンッキンに冷えたツナ缶がたまらねぇんだゾ!
そう活き活きと語るのは、ツナ缶が主食と化しているグリムだ。すっかり冷製ツナ缶の虜になってしまった彼のおかげで、近頃の庫内は更に圧迫されていた。
詰め込みすぎると不調を起こしやすくなるから、と説明すれば渋々減らしてはくれるものの、こんなことを言わなくてはいけない現状にはさすがに辟易としてしまう。
昼休みで活気付いている食堂の中。ハンバーグランチの乗ったトレーを持って歩く後ろ姿からは哀愁が漂っていた。
色々考えねばならないことはあるが、せめて昼食ぐらいはゆっくり楽しみたいものである。デラックスメンチカツサンド争奪戦に参戦中のマブとグリムたちの為にも、空いてる席は無いかキョロキョロと見回していれば、いやに空いているテーブルが目につく。
――なぜ誰も座らないんだろう。そんな疑問を考える前に、ちょうど四席空いているのを確認した監督生は、躊躇うことなくそこに近づいた。
前後左右に作られた空席。その中心に居たのは、すっかり見慣れた一人の男だった。
「あ。れい……」
「なぁに?」
「えーと、れ、れ〜……冷静沈着でクールでイカすフロイド先輩! こんにちは!」
うっかり心の声を漏らしそうになった監督生は、慌てて言い繕う。まさか「貴方の大きな身体が冷蔵庫に見えました」なんて言えるわけがない。
さすがに強引すぎたかと恐々していたが、当のフロイドは知らん顔で最後の一口であるピラフを頬張る。
ややこしいことにならずホッと息を吐いた監督生は、気を取り直して「ご一緒してもいいですか?」と声をかけた。
「やだ、って言われたらどうするわけ?」
「ありがとうございます。失礼しますね」
監督生はトレーを置くと、向かいの席に腰掛ける。「小エビちゃん図々し〜」と非難しながらも、今の彼はそれなりに機嫌が良いらしくけらけらと笑っている。
「今日は先輩お一人なんですか?」
「そ〜。アズールにはラッコちゃんに勉強教えるから邪魔するなって追っ払われるし、ジェイドも野暮用があるのでっつって授業終わったらさっさと植物園に行っちゃうんだもん。もう超つまんねぇの」
口を尖らせて話す様は、親に構ってもらえず拗ねた子どものよう。「残念でしたね」と監督生は苦笑いで場を濁していれば、「でも〜」とフロイドは笑みを浮かべた。
「小エビちゃんが構ってくれるなら悪くねぇかも」
その笑顔はにっこり、と形容するにはあまりにも悪どい。嫌な予感を感じた監督生は聞こえなかった振りをして「いただきます」と手を合わせた。
「えぇ〜、小エビちゃんまでつめてぇの」
ブーイングの声も聞き流し、食器を手に取る。若干冷めてしまったハンバーグにナイフを入れれば、断面からじゅわっと肉汁が溢れる。空きっ腹にはあまりにも魅力的すぎる画に、目の前の彼のことなどすっかり頭の隅に追いやられてしまった。
細かく切り取ったそれを口に運べば、噛む度に肉汁が染み出しトマトの酸味が効いたデミグラスソースと混ざり合う。口内で奏でられる美味しさのハーモニーに、自ずと頬が緩んでしまう。
幸せを噛みしめるようにモグモグと咀嚼していると、ふと監督生は刺すような視線を注がれていることに気づく。向かい側に目を遣れば、頬杖をついたフロイドが無言でじっと眺めていた。
――動物園にいる動物たちもこんな気持ちなのだろうか。見られているだけとはいえ、一度気になり始めると素直に目の前のご馳走を楽しめなくなるものだ。
監督生は二口目を運びかけて、手に持っていた食器を下ろした。そして渋々といった具合で「何でしょうか」と問えば、フロイドは気怠げな声色で「別にー」と答える。
「なんで小エビちゃんが必死になってオレに課題をやらせようとしてるのかなって思っただけ」
フロイドの疑問を受けた監督生は、ギクリと肩を揺らした。
監督するよう先生に言われたという建前があっても、一週間も付き纏うほど必死になっていればさすがに不自然に思われても仕方ない。
仮に今何とか誤魔化すことは出来ても、勘の鋭い彼相手ではいずれボロが出るかもしれない。先々のことを考えた監督生は、一か八か正直に明かすことにした。
「……冷蔵庫の為です」
「はァ? 冷蔵庫?」
まるで理解ができないといった彼の表情も、監督生が淡々と事のあらましを説明し終える頃には、憐みの籠もったそれに変わる。
「苦労してんね。はい、オレからの差し入れ」
そう言ってフロイドはスプーンを持った手を徐に伸ばし、ハンバーグの乗った皿の脇で傾けた。
スプーンから何かがパラパラと滑り落ちては小山を作る。一体なんだと監督生がよくよく観察してみれば、山を作っているのは細かく刻まれた椎茸だった。
――果たしてこれを差し入れと呼んでいいのだろうか。よくこんなに丁寧に取り除いたものだという感心と、絶対嫌いなだけだろうという非難の入り混じった目でフロイドを見る。
「最初から別のメニューを選べば良かったじゃないですか」
「今日はピラフの気分だったんだからしょうがねぇじゃん。それにしいたけ入ってるとか聞いてねぇし、残すとアズールはうるせーし」
あ~ジェイドもだわ、と付け足してうんざりした表情を作る。
どちらともこの場に居ないのだから食べずに捨てても良かったのでは。疑問に思ったが、口をへの字にして不貞腐れるフロイドに、敢えて言及するのは止めておいた。
自分本位で生きているようにしか見えない彼も、二人のことは少なからず大事に思っているんだろう。そう考えたら少しだけフロイドという人物が身近な存在に思えた気がして、監督生は気づかれないようにくすりと笑う。
差し入れ(という名の余り物)を一方的に押し付けられたとはいえ、このまま残してしまうのは食堂のゴーストや椎茸に申し訳ないものだ。監督生は小山を纏めてフォークの上に乗せると、口の中に放り込んだ。するとフロイドは信じられないものを見るような顔で「げぇ」と声を漏らす。ゲテモノを食べてるわけではないというのに、なかなかひどいリアクションである。
「……私としては、差し入れを下さるぐらいなら課題をお願いしたいんですけど」
「またそれ? 何回言われても嫌なもんはイーヤ。しかも小エビちゃんに都合がいいだけで、オレにはなーんの得も旨味も無いじゃん」
「何を仰いますか。極上の単位が取れるチャンスなのに」
「単位じゃ腹は膨れませーん」
風船のように頰を丸くしたフロイドはプイッとそっぽを向いてしまう。
――この調子では彼に音を上げさせる前に、冷蔵庫のほうが先にKO負けしてしまいそうだ。監督生は嘆息する。
ただ一点。彼の言う通り、自身の都合を押し付けていることだけは彼女にも否定はしきれなかった。
元を辿れば身から出た錆である。あの日、廊下を走らずに前をよく見て歩いていればと何度後悔したことか。しかし今となっては譲歩が許されない状況なのも確かだ。
板挟みの思考に、監督生は食べかけのハンバーグの存在も忘れてうーんと唸る。
「じゃあ……フロイド先輩の欲しいものって何ですか」
「なになに? 小エビちゃんがご褒美くれんの?」
世間話がてら振ってみた話題にフロイドは身を乗り出し目を輝かせた。予想以上の彼の食いつきように、監督生は狼狽る。
「そ、そこまでは言ってないです」
「んだよ。なら教えなーい」
遠慮という単語すら辞書から省いてそうな彼のことだ。ご褒美にかこつけて何を要求されるか分かったものではない。危惧した監督生が自身の発言を訂正すれば、フロイドはまた顔を逸らしてしまう。
教えないということは、欲しいものがあることを暗に示している。そして興味はどうあれ出し惜しみされれば一層気になってしまうのが人間の性というやつだろう。
「なら聞いてから考えます」
「えぇ〜、それって狡くね? ……まぁいいや。オレはね〜」
監督生の逃げ腰な発言に不満を漏らしながらも、フロイドはポケットからスマホを取り出すと鼻歌混じりに指を滑らせる。ややあって「コレ」と見せられた画面には、スニーカーの写真が表示されていた。
合皮ではない見るからに高そうな生地。白をベースにして彼の髪色と似た色味のブルーがおしゃれにあしらわれている。また、画像の下に表示されている数字の桁がスニーカーの丈夫さを示していた。
目の前の人物がそれを履いて動き回っている姿は、あまりにもあっさり想像出来てしまった。
「わぁ……かっこいいですね。フロイド先輩に似合いそうです」
「でしょでしょ〜。小エビちゃんも意外と見る目あんじゃん」
意外と、は余計だが。ニコニコと嬉しそうに笑うフロイドの様子を見て、不思議と悪い気はしなかった。むしろつられて頬が緩んでしまうぐらいだ。
体格と相まって凄まれると怖いものの、感情表現が素直な分、嬉しいと感じている時の笑顔には一切の淀みが無い。彼のことを恐れていても、監督生が心の底から嫌いになれずにいるのはこういうところがあるからだった。
「小エビちゃんだったらねぇ、うーん……ぜんぶ似合わねぇや」
「バッサリきましたね」
いっそ清々しいほどである。はは、と苦笑いを溢すのを横目に、フロイドはスマホの画面に指を置き難しい顔をしている。
何となしに時計を見上げた監督生は、もう休憩時間が半分過ぎていることに気づいた。
すっかり冷めてしまった食事を忙しなく口に運んでいると、「あっ」と前方から声が上がった。
視線を上げようとするも、「監督生!」とちょうど重なった声に後ろを振り向く。そこにはいつもの二人とグリムがトレーを持って立っていた。どうやらデラックスメンチカツサンドは勝ち取れなかったようだ。
「悪いな、遅くなっちまって」
「ううん。大丈夫だよ」
「ん? 監督生は誰と飯食って……げ。フロイド先輩ちーっす!」
エースが挨拶をすれば、フロイドは「んー」と返事になっていない返事で返す。余計な一文字にはどうやら気づいていないようだった。デュースも続いて挨拶をするが変わらず気の抜けた返事しか返ってこないようだ。
鬱陶しく思っているのかも、と考えた監督生は席を立ってわずかに距離を取る。
「まったく、オマエらのせいでデラックスメンチカツサンド争奪戦に出遅れちまったんだゾ」
「ハァ? 元凶が何言ってんだっつーの。グリムが大窯爆発させて、せっかく上手くいってた俺らの窯まで巻き込んだから片付けに時間食っちまったんだよ」
「なんだと!? そもそも爆発させたのはエースがオレ様に嘘の材料を教えたからなんだゾ! 卑怯じゃねーかっ」
「その嘘も見抜けなかったおバカさんに言われたくないですー」
「ふなっ、大魔法士グリム様を馬鹿にすんじゃねー!」
やいのやいのと言い合う二人を見て、監督生はやれやれと呆れながらもどこか安心感を覚える。
等身大の高校生らしい微笑ましく、温かい空間。何処か元の世界を思い出すこの光景が、彼女の細やかな癒しとなっていた。
とはいえ収拾がつかなくなってしまったらさすがに困る。ヒートアップするエースとグリムの間に介入しようと、監督生が一歩前に進み出た時だった。
――ふわりと鼻を掠めた優しい香り。それとは正反対の、凶器に等しい腕が首元に回される。
「ねぇ。オレ、小エビちゃんとオハナシしてたんだけど」
地を這うような声色が頭上で響く。監督生が咄嗟に見上げれば、泣く子も黙るような睨み顔がそこにあった。
「カニちゃんたち飯まだなんでしょ? 早く食べないと休憩終わっちゃうよ」
「なっ……!」
デュースが食って掛かろうとするのを、監督生は「大丈夫。食べてきて」と笑みを作りながら遮る。
状況を察したらしいエースが二人を連れて席の方へと離れていく。監督生は横目に見送るが、三人が離れて行っても首に回されたそれは解けない。
周囲からは「ご愁傷様」と言わんばかりの眼が向けられるものの、助けはしてくれない。自身にとって利がなければ、彼らに他人を助ける道理は無いからだ。
ふう、とため息を吐きつつ再び上を見上げれば、彼は相変わらず不機嫌を全面に押し出した顔をしていた。
「騒がしくしてすみません……?」
とりあえず口にしてみた謝罪に、視線は合わせてくれるものの表情に変化は無い。
一体自分たちの何が彼の反感を買ってしまったのか、監督生には皆目見当がつかなかった。
「あ。もしかして、ジェイド先輩たちが居ないから拗ねてるんですか?」
「ちげーし。口の減らねえ小エビだなァ?」
ぐぐ、と腕に力が込められる。
「あだだだだ! 暴力反対! 弱いものいじめ良くないです!」
「あはっ。弱ぇ奴が悪いんだからしょうがないじゃん。嫌なら抵抗しなよ、ほらほら〜。ま、ちっこくて細っこくてお馬鹿な小エビちゃんには出来ねえと思うけど」
クスクスとさも可笑しげに口を歪める。監督生が手を引き剥がそうと躍起になるほど、その笑みは深くなっているようだった。
こうして絞められるのは今までも何度となくされてきた。ただ、覗き込む瞳は底冷えしてしまうほどに冷ややかで。まるで存在自体を軽蔑し拒絶しているような、そんな目を向けられるのは初めてのことだった。
怪我さえしなければいい、という考えは甘かったのかもしれない。獲物をいたぶるようにじわじわと絞まる腕に、怪我どころか命の終わりすら予感し始める。
「おまけに魔法も使えないとかやばくね。オレだったらつまんなすぎてぜーったい耐えらんない。
そんなんで生きてて楽しい?」
――瞬間、抵抗していた監督生の手から力が抜けた。
突然無抵抗になった相手に、フロイドは首を傾げ腕の中で項垂れる監督生の後頭部を眺める。
「――けない」
「あ? 何、聞こえねぇんだけど」
「っ……楽しいわけないじゃないですか!」
身体をかがめた監督生はわずかに緩んだ腕から抜け出すと、正面切ってフロイドを睨む。
怒りを露わにする目尻とは裏腹に、その瞳は悲しみに揺れていた。
「どうせ私は、魔力も無ければ頭も良くないし、運動も人並みだし、その上寮はオンボロで雨漏りは凄いし、強風の日には吹き飛ばされるんじゃないかって心配でおちおち寝ていられないし、ろくに冷蔵庫も買えないし、そもそもここに私の――っ!」
感情に押し出されるがまま最後まで言いきろうとして、監督生はハッと我に返る。鳩が豆鉄砲を食らったように目を瞬いているフロイドを見て、否応なしに今の自分の状況を理解した。
悲哀の滲む声はわいわいと食事を楽しむ空間にはそぐわない。周囲を見れば、自分たちが好奇の視線を集めていることに気付く。
――やってしまった。監督生は羞恥に燃える頬を隠すように俯ける。彼の顔なんて見れたものではなかった。
「取り乱してしまってすみませんでした。一方的に課題を強要したことも謝ります。これからはしつこく追い回すのは止めますので……失礼しました」
矢継ぎ早に口にした監督生は、引き留めるマブたちの声を背に受けながら逃げるようにその場を立ち去る。これ以上、フロイドの言葉を聞いたら何を口走ってしまうかわからなかったからだ。
*
逃げ込むように入った空き教室で、監督生は上がった息を整えながら力無く床にしゃがみ込んだ。
「……何やってんだろ」
――最近の私は、マブダチと呼んでくれる仲間が出来て、事件に巻き込まれながらも楽しく賑やかな日々を送ったりして自惚れていたのかもしれない。
この世界の人たちにとって自身の存在は〝異物〟だということをすっかり失念していた。それを先輩は改めて私に教えてくれただけだというのに。
八つ当たりなんてまったく情けない。しかしあのフロイド先輩相手に出来たのだから、なかなか自分の神経も太くなったものだ。
自嘲に笑む口元とは裏腹に、監督生の視界は涙で歪んだ。