♪ 好奇に躍る一週間(完結済)
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昨夜は夢見が悪すぎたおかげで、立派な寝不足人間がここに爆誕していた。そしてそんな人間には四限目の魔法史の授業はうってつけである。
トレイン先生の子守唄をBGMに、うとうとと舟を漕ぐ。沈没しそうなところで「あー!?」と真横から大声が聞こえ、現実に引き戻された。どうやら声の主はエースだったらしい。
先生に無言の圧を掛けられ、彼は気まずそうに頭を掻いて謝る。どうしたのか小声で聞けば「ハリネズミに飯あげるの忘れた」と項垂れながら話した。
「それは災難だね……ハリネズミが」
「ちょっとユウさん。寮長に怒られるかもしれない俺は?」
「自業自得」
あくびを噛み殺しながら言うと、ちぇっとへそを曲げてしまった。
昼休みになるや否や、エースは慌てて寮に戻っていった。上手いこと言いくるめたデュースとグリムも引き連れて。私は見るからに寝不足で役に立たないと踏んだのか、「飯食って休んどけ」とメンバーから外された。うーん、今日もマブの優しさが身に染みる。
*
「いただきます」
ぼうっとした頭に食堂の喧騒は些か厳しく、私は中庭で食事を摂ることにした。ベンチに腰掛け、半分寝ながら購買部で買った物を食べる。
本日私が頂くのは、BLT、ツナ、タマゴの三種のサンドウィッチ。サムさんオススメとあってその味はとても美味しい。ツナはとっくに胃の中に収め、今はBLTに舌鼓を打っていた。ふわふわのパンに新鮮で水々しいレタスとトマト、カリカリに焼かれたベーコン。何より特製のマヨネーズソースがこれまた絶品である。一口頬張る度に幸福感が溜まっていき、食べ終える頃には全身が満たされた。まさに夢見心地だ。
故に「あれ?」と正面から声をかけてくるその人も夢であって欲しかった。
「小エビちゃんだぁ」
「こ、こんにちは」
恐怖の対象としている彼を見たら嫌でも目が覚めた。表情筋を固まらせる私とは対照的に、フロイド先輩は愛嬌たっぷりの笑顔を浮かべる。
「ひとりなんだ。めずらしー」
「そういう気分だったので……」
「へぇ? じゃあオレもー、今は小エビちゃんの隣に座りたい気分」
言い終わる前にどかっと豪快に腰掛ける。衝撃にベンチが揺れ、危うく膝の上のサンドウィッチを落としてしまうところだった。長い手足にサイズ感が見合っておらず、三人がけのベンチがおもちゃの椅子のようだ。
今日のフロイド先輩はご機嫌らしい。鼻歌混じりにニコニコとこちらを見ている。私はひくつく口角で不器用に笑い返すと、「もーらい」とサンドウィッチを一切れ拐われてしまった。
それは最後のお楽しみにとっておいたタマゴサンド……! 追い縋る視線も虚しく、私のお楽しみは呆気なく鋭い歯に捕食される。
この世は弱肉強食ということをまざまざと見せつけられた気分だ。膝の上の空になったパッケージを見て切なくなった。フロイド先輩はペロリ、と舌を出し満足げに笑う。
「おいしかったぁ」
「ソレハソレハ、ヨカッタデスネ」
半熟タマゴがたっぷり詰まったサンドウィッチはさぞかし美味しかったでしょうな。食べ物の恨みは怖いんだぞ。ギリィと歯噛みしながら見てもその人は意に介さず、愉快そうに笑うだけ。のれんに腕押しとはこのことだ。本人には気づかれないように小さく嘆息した。
今日も今日とて彼はいつも通りの気分屋で、いつも通り周りは振り回されている。それは私も例外でない。
「……てっきりフロイド先輩には恨まれているかと思いました」
「なんで? オレに後ろめたいことでもあるの?」
ニィ、と細められた双眸に全力で否定する。「ジェイド先輩のことです」と慌てて弁解すると、きょとんとした後「あー」と気怠げな声を出す。
"仲の良い兄弟に失敗した魔法薬をかけた"。目に見える変化は無いが、その事実だけでも彼の恨みを買うには十分なように感じていた。「うちの兄弟に何してくれてんだコラ。けじめつけろやコラ」的なことがあっても不思議ではないとも。その図は安易に想像が出来過ぎた。私はキュッと庇うように手を握る。どうか指は勘弁してください。
「うちの寮は自己責任がモットーなの。だからジェイドのもジェイドの責任ってわけ」
「意外とドライなんですね」
フロイド先輩は左手をひらひらさせながらなんて事ない素振りで言う。裏を返せば、それだけジェイド先輩に信頼を置いているということだろう。
親しい友人と小さな相棒が出来たとはいえ、所詮はこの世界で独りの存在。そんな私には信頼できる身内がいることが羨ましいし、少し拗ねた気持ちになる。
だからこそそれは、うっかり口にしてしまったのかもしれない。
「もし、私がジェイド先輩に危害を加えてしまったらどうするんです?」
「……は?」
口に出した瞬間、我に返った。おい自分、八つ当たりするにしても人を選びなさいよ。
一度出した言葉は口の中には戻せない。せめて冗談として上書きしようとフロイド先輩の方を見るが、彼は発言の意図を探るようにじっと私を見つめていた。
この様子では冗談はおろか、既に昨日未遂はやらかしている、なんて絶対に言えない。いや、兄弟なのだからもう知っているかもしれないが。
視線を逸らした瞬間、噛み付かれそうな雰囲気が漂う。ただただ固まる私に対し、先輩はもう耐えきれないとばかりに「ぶはっ!」と破顔した。
「小エビちゃんが? ジェイドに? やってみてよ。ちょー面白そうじゃん!」
何故だかぎゃはは、と爆笑し始めてしまった。決して受け狙いで言ったつもりではなかったのだが。はは、と自身の失言を濁すように棒読みで笑う。何にせよキレていないなら良かった。結果オーライだ。
フロイド先輩は一頻り笑うと、「あー面白かった」と膝に頬杖を付く。心なしか纏う空気がまた色を変えたような気がして、私は無理やり上げていた口角を引き結んだ。
「小エビちゃんてさぁ……ビビリの癖にほんと、怖いもの知らずだよねぇ」
獲物に狙いを定めるかのように、鋭く細められた瞳は横目に私を捕らえた。
「もっと大事にしたほうがいいんじゃない?」
ココ、と胸の真ん中に人差し指を押し当てられる。
ーー誰が機嫌良いって? キレてないって? 馬鹿おっしゃい。機嫌の良し悪しに関わらず相手はあのフロイド先輩やぞ。
ただの指が、まるで心臓に銃口を突きつけられているかのようだった。体温は冷えていく一方で、全身の毛穴という毛穴から汗が噴き出してくる。脳内では数十秒前の自分をひたすら罵倒し、タコ殴りにしていた。
「……なーんちゃって。そんなビクビクしなくても取って食べたりしなーいよ」
胸に押し当てていた手を離し、パッと開いてみせる。その表情にはご機嫌なフロイド先輩が戻ってきていた。
どれが彼の本当の感情なのか? 凡人の私には到底分からなかった。ただ一つ言えるのは、遊園地に行かずとも彼と会話をしているだけで絶叫マシンに乗っているようなスリルを味わえるってこと。なんてお得だろう。はははは。
つまらない冗談を考えながら大暴れする心臓を鎮めていると、視界の端からするりと腕が伸びてきた。
「だから今日はぁ、ギュッと締めるだけで許したげる」
「ヴッ!?」
言うが早いか、長い腕に肩と腹をがっちりホールドされてしまう。出る、出ちゃう、消化されかけのサンドウィッチが出てしまう……!
白目を剥く私なんてお構いなしに「小エビちゃんはやらかいねー」と、後頭部に頬を擦り付けられる。
拝啓フロイド・リーチ様。いくら柔らかくても、人間の体には内臓と骨がしっかり詰まっていることを忘れていないでしょうか? 敬具。
言葉はおろか酸素も満足に取り込めない今、彼に伝わるはずがなかった。
「いいこと教えてあげよっか」
今すぐここから逃げ出す方法ですか? 違いますか、そうですか。
「オレもジェイドもアズールも、身内にはやさしーんだ」
子どもが内緒話をするように耳元で囁かれる。可愛らしいはずのその行為に、ぞぞぞ、と悪寒が走った。
それはつまり、他人だから容赦はしないと? "おめーの籍ねぇから!"ってか?
遠慮のない力加減に、いよいよ命の危険を感じてきた。もう誰でもいいから助けてくれ。
「フロイド。授業が始まりますよ」
ーー終わった、と思った。
離れたところに立っているのは、今自分を締めている彼と同じターコイズブルーの髪と縦に大きな身体を持つ男。確かに誰でもいいとは言ったが、私にとって要注意・要警戒人物のジェイド先輩は呼んじゃいなかった。
彼に助けを求めようものなら「楽しそうですね」と面白がられ、ますます状況が悪くなるに違いない。いや待てよ。もしかしてもう直ぐ授業が始まるのを口実に、さくっとトドメでも刺しにいらっしゃったのだろうか。
「えー。今そんな気分じゃねーしサボる。小エビちゃんも一緒ね」
ね? と相槌を求められるが、今の状態では否定も肯定も出来ない。生命維持活動に努めるのにいっぱいいっぱいだ。この際命さえあればサボりだろうが説教だろうが何でもいい。
「……はぁ」
酸素を求めるように上を向いていると、フロイド先輩の頭上から何かが落ちてくるのが見えた。頭をバウンドしたそれを、先輩は片手でキャッチする。大きな手の中に収まっているのは、なんの変哲もない棒付きのキャンディだった。
「……へぇ。やっぱりそうなんだぁ」
自ずと緩んだ腕から、私の体はやっと解放された。涙目で必死に吸っては吐いてを繰り返す。空気ってこんなに美味しかったんだ。
涙の膜の向こうでは、ジェイド先輩が変わらず立っているのが分かる。目が合っても彼はいつもの作り笑いも悪どい表情も作らず、何も感情の乗らない真顔のままだった。それに責められているかのような威圧感を感じ、視線を逸らす。
ーージェイド先輩の手にはマジカルペンが握られていた。故に、キャンディを出したのは十中八九彼だろう。それは理解できたが、いまいちその行動の理由が考えつかない。
フロイド先輩の好物だから? たまたまちょっかいを掛けたい気分だったから?
……もしや。私を助けてくれたのだろうか? いやいやそんな、まさかね。
フロイド先輩はキャンディを口に含み、「オレの言った通りでしょ?」とやけに嬉しそうな笑顔で言う。私は彼の機嫌を損ねないように、言葉の意味を考えることもせず笑い返した。もう締められるのは懲り懲りだ。
ぴょん、とベンチから降りたフロイド先輩はジェイド先輩のもとに歩いて行く。
「またあそぼーね、小エビちゃん」
もちろん。……丁重にお断りいたします。
そんなことを言えるはずもなく。頬を引きつらせながら、二人の後ろ姿にひらひらと手を振った。
「って、私も授業行かなきゃじゃん!」
*
「おや、サボりはいいのですか?」
「やっぱ気分いいから出るー」
トレイン先生の子守唄をBGMに、うとうとと舟を漕ぐ。沈没しそうなところで「あー!?」と真横から大声が聞こえ、現実に引き戻された。どうやら声の主はエースだったらしい。
先生に無言の圧を掛けられ、彼は気まずそうに頭を掻いて謝る。どうしたのか小声で聞けば「ハリネズミに飯あげるの忘れた」と項垂れながら話した。
「それは災難だね……ハリネズミが」
「ちょっとユウさん。寮長に怒られるかもしれない俺は?」
「自業自得」
あくびを噛み殺しながら言うと、ちぇっとへそを曲げてしまった。
昼休みになるや否や、エースは慌てて寮に戻っていった。上手いこと言いくるめたデュースとグリムも引き連れて。私は見るからに寝不足で役に立たないと踏んだのか、「飯食って休んどけ」とメンバーから外された。うーん、今日もマブの優しさが身に染みる。
*
「いただきます」
ぼうっとした頭に食堂の喧騒は些か厳しく、私は中庭で食事を摂ることにした。ベンチに腰掛け、半分寝ながら購買部で買った物を食べる。
本日私が頂くのは、BLT、ツナ、タマゴの三種のサンドウィッチ。サムさんオススメとあってその味はとても美味しい。ツナはとっくに胃の中に収め、今はBLTに舌鼓を打っていた。ふわふわのパンに新鮮で水々しいレタスとトマト、カリカリに焼かれたベーコン。何より特製のマヨネーズソースがこれまた絶品である。一口頬張る度に幸福感が溜まっていき、食べ終える頃には全身が満たされた。まさに夢見心地だ。
故に「あれ?」と正面から声をかけてくるその人も夢であって欲しかった。
「小エビちゃんだぁ」
「こ、こんにちは」
恐怖の対象としている彼を見たら嫌でも目が覚めた。表情筋を固まらせる私とは対照的に、フロイド先輩は愛嬌たっぷりの笑顔を浮かべる。
「ひとりなんだ。めずらしー」
「そういう気分だったので……」
「へぇ? じゃあオレもー、今は小エビちゃんの隣に座りたい気分」
言い終わる前にどかっと豪快に腰掛ける。衝撃にベンチが揺れ、危うく膝の上のサンドウィッチを落としてしまうところだった。長い手足にサイズ感が見合っておらず、三人がけのベンチがおもちゃの椅子のようだ。
今日のフロイド先輩はご機嫌らしい。鼻歌混じりにニコニコとこちらを見ている。私はひくつく口角で不器用に笑い返すと、「もーらい」とサンドウィッチを一切れ拐われてしまった。
それは最後のお楽しみにとっておいたタマゴサンド……! 追い縋る視線も虚しく、私のお楽しみは呆気なく鋭い歯に捕食される。
この世は弱肉強食ということをまざまざと見せつけられた気分だ。膝の上の空になったパッケージを見て切なくなった。フロイド先輩はペロリ、と舌を出し満足げに笑う。
「おいしかったぁ」
「ソレハソレハ、ヨカッタデスネ」
半熟タマゴがたっぷり詰まったサンドウィッチはさぞかし美味しかったでしょうな。食べ物の恨みは怖いんだぞ。ギリィと歯噛みしながら見てもその人は意に介さず、愉快そうに笑うだけ。のれんに腕押しとはこのことだ。本人には気づかれないように小さく嘆息した。
今日も今日とて彼はいつも通りの気分屋で、いつも通り周りは振り回されている。それは私も例外でない。
「……てっきりフロイド先輩には恨まれているかと思いました」
「なんで? オレに後ろめたいことでもあるの?」
ニィ、と細められた双眸に全力で否定する。「ジェイド先輩のことです」と慌てて弁解すると、きょとんとした後「あー」と気怠げな声を出す。
"仲の良い兄弟に失敗した魔法薬をかけた"。目に見える変化は無いが、その事実だけでも彼の恨みを買うには十分なように感じていた。「うちの兄弟に何してくれてんだコラ。けじめつけろやコラ」的なことがあっても不思議ではないとも。その図は安易に想像が出来過ぎた。私はキュッと庇うように手を握る。どうか指は勘弁してください。
「うちの寮は自己責任がモットーなの。だからジェイドのもジェイドの責任ってわけ」
「意外とドライなんですね」
フロイド先輩は左手をひらひらさせながらなんて事ない素振りで言う。裏を返せば、それだけジェイド先輩に信頼を置いているということだろう。
親しい友人と小さな相棒が出来たとはいえ、所詮はこの世界で独りの存在。そんな私には信頼できる身内がいることが羨ましいし、少し拗ねた気持ちになる。
だからこそそれは、うっかり口にしてしまったのかもしれない。
「もし、私がジェイド先輩に危害を加えてしまったらどうするんです?」
「……は?」
口に出した瞬間、我に返った。おい自分、八つ当たりするにしても人を選びなさいよ。
一度出した言葉は口の中には戻せない。せめて冗談として上書きしようとフロイド先輩の方を見るが、彼は発言の意図を探るようにじっと私を見つめていた。
この様子では冗談はおろか、既に昨日未遂はやらかしている、なんて絶対に言えない。いや、兄弟なのだからもう知っているかもしれないが。
視線を逸らした瞬間、噛み付かれそうな雰囲気が漂う。ただただ固まる私に対し、先輩はもう耐えきれないとばかりに「ぶはっ!」と破顔した。
「小エビちゃんが? ジェイドに? やってみてよ。ちょー面白そうじゃん!」
何故だかぎゃはは、と爆笑し始めてしまった。決して受け狙いで言ったつもりではなかったのだが。はは、と自身の失言を濁すように棒読みで笑う。何にせよキレていないなら良かった。結果オーライだ。
フロイド先輩は一頻り笑うと、「あー面白かった」と膝に頬杖を付く。心なしか纏う空気がまた色を変えたような気がして、私は無理やり上げていた口角を引き結んだ。
「小エビちゃんてさぁ……ビビリの癖にほんと、怖いもの知らずだよねぇ」
獲物に狙いを定めるかのように、鋭く細められた瞳は横目に私を捕らえた。
「もっと大事にしたほうがいいんじゃない?」
ココ、と胸の真ん中に人差し指を押し当てられる。
ーー誰が機嫌良いって? キレてないって? 馬鹿おっしゃい。機嫌の良し悪しに関わらず相手はあのフロイド先輩やぞ。
ただの指が、まるで心臓に銃口を突きつけられているかのようだった。体温は冷えていく一方で、全身の毛穴という毛穴から汗が噴き出してくる。脳内では数十秒前の自分をひたすら罵倒し、タコ殴りにしていた。
「……なーんちゃって。そんなビクビクしなくても取って食べたりしなーいよ」
胸に押し当てていた手を離し、パッと開いてみせる。その表情にはご機嫌なフロイド先輩が戻ってきていた。
どれが彼の本当の感情なのか? 凡人の私には到底分からなかった。ただ一つ言えるのは、遊園地に行かずとも彼と会話をしているだけで絶叫マシンに乗っているようなスリルを味わえるってこと。なんてお得だろう。はははは。
つまらない冗談を考えながら大暴れする心臓を鎮めていると、視界の端からするりと腕が伸びてきた。
「だから今日はぁ、ギュッと締めるだけで許したげる」
「ヴッ!?」
言うが早いか、長い腕に肩と腹をがっちりホールドされてしまう。出る、出ちゃう、消化されかけのサンドウィッチが出てしまう……!
白目を剥く私なんてお構いなしに「小エビちゃんはやらかいねー」と、後頭部に頬を擦り付けられる。
拝啓フロイド・リーチ様。いくら柔らかくても、人間の体には内臓と骨がしっかり詰まっていることを忘れていないでしょうか? 敬具。
言葉はおろか酸素も満足に取り込めない今、彼に伝わるはずがなかった。
「いいこと教えてあげよっか」
今すぐここから逃げ出す方法ですか? 違いますか、そうですか。
「オレもジェイドもアズールも、身内にはやさしーんだ」
子どもが内緒話をするように耳元で囁かれる。可愛らしいはずのその行為に、ぞぞぞ、と悪寒が走った。
それはつまり、他人だから容赦はしないと? "おめーの籍ねぇから!"ってか?
遠慮のない力加減に、いよいよ命の危険を感じてきた。もう誰でもいいから助けてくれ。
「フロイド。授業が始まりますよ」
ーー終わった、と思った。
離れたところに立っているのは、今自分を締めている彼と同じターコイズブルーの髪と縦に大きな身体を持つ男。確かに誰でもいいとは言ったが、私にとって要注意・要警戒人物のジェイド先輩は呼んじゃいなかった。
彼に助けを求めようものなら「楽しそうですね」と面白がられ、ますます状況が悪くなるに違いない。いや待てよ。もしかしてもう直ぐ授業が始まるのを口実に、さくっとトドメでも刺しにいらっしゃったのだろうか。
「えー。今そんな気分じゃねーしサボる。小エビちゃんも一緒ね」
ね? と相槌を求められるが、今の状態では否定も肯定も出来ない。生命維持活動に努めるのにいっぱいいっぱいだ。この際命さえあればサボりだろうが説教だろうが何でもいい。
「……はぁ」
酸素を求めるように上を向いていると、フロイド先輩の頭上から何かが落ちてくるのが見えた。頭をバウンドしたそれを、先輩は片手でキャッチする。大きな手の中に収まっているのは、なんの変哲もない棒付きのキャンディだった。
「……へぇ。やっぱりそうなんだぁ」
自ずと緩んだ腕から、私の体はやっと解放された。涙目で必死に吸っては吐いてを繰り返す。空気ってこんなに美味しかったんだ。
涙の膜の向こうでは、ジェイド先輩が変わらず立っているのが分かる。目が合っても彼はいつもの作り笑いも悪どい表情も作らず、何も感情の乗らない真顔のままだった。それに責められているかのような威圧感を感じ、視線を逸らす。
ーージェイド先輩の手にはマジカルペンが握られていた。故に、キャンディを出したのは十中八九彼だろう。それは理解できたが、いまいちその行動の理由が考えつかない。
フロイド先輩の好物だから? たまたまちょっかいを掛けたい気分だったから?
……もしや。私を助けてくれたのだろうか? いやいやそんな、まさかね。
フロイド先輩はキャンディを口に含み、「オレの言った通りでしょ?」とやけに嬉しそうな笑顔で言う。私は彼の機嫌を損ねないように、言葉の意味を考えることもせず笑い返した。もう締められるのは懲り懲りだ。
ぴょん、とベンチから降りたフロイド先輩はジェイド先輩のもとに歩いて行く。
「またあそぼーね、小エビちゃん」
もちろん。……丁重にお断りいたします。
そんなことを言えるはずもなく。頬を引きつらせながら、二人の後ろ姿にひらひらと手を振った。
「って、私も授業行かなきゃじゃん!」
*
「おや、サボりはいいのですか?」
「やっぱ気分いいから出るー」