アズ監
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20時55分――つい数分前まで流れていた小粋なジャズの音楽が、ゆったりとしたオルゴール調のメロディーに切り変わる。それがここ、カフェモストロ・ラウンジの終業を告げる合図だった。店内には片づけに勤しむ従業員(もとい寮生)がせっせと働いていた。今日の売上を計上する者、床をモップ掛けする者、厨房で食器洗いを黙々とこなす者、各々が割り当てられた仕事をこなしていく。その中でもほかの従業員より明らかに一回りも二回りも小柄な人物が、最後のお客様を出入り口でお見送りする。
「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」
すっかり板についたとでもいう様子で挨拶に微笑を添え、お客様に向かって恭しくお辞儀をする。その後ろ姿が鏡の向こうに消えたのを確認してから、ふぅ、と一つ息を吐いた。
「本日もお疲れ様でした、ユウさん」
「お疲れ様です! 今日も大繁盛でしたね!」
後ろから掛けられた声に、ユウは斜め上を意識して振り向く。そこには予想通り、にっこりと一見して人のよさそうな笑みを浮かべた人物ーージェイドが立っていた。笑みを視界に入れるにはかなり首の角度を調整しなくてはいけないのが難点だ。元気いっぱいといった様子で返事をするユウに「おや、失礼。まだ”お疲れ”ではなかったようですね」と言って、折り曲げた人差し指を口元に添えながらクスクスとおかしそうにその人は笑う。
「ヘトヘトですよ、もう」
勘弁してくれとばかりに両腕を前に垂らして脱力すれば、ジェイドはまた笑みをこぼした。
「ジェイド~、と小エビちゃん~」
カウンターの奥からユラユラと大きな体を揺らし、ジェイドとそっくりな顔をした人物が間延びした声で二人を呼びかける。
「賄い作ったけどここで食べる? ほかの奴らは談話室で食うんだって行っちゃった」
「わあ、是非! いただきたいです」
「今日は調子が良いようですね」
「そうなの。気分がいいからアナゴもトッピングしといたよ♡」
「それはそれは、嬉し泣きしてしまいそうですね。お礼に明日はとっておきのキノコをプレゼントとして枕元に置いておきますね」
フロイドの言葉に、目には見えない青筋をこめかみに立てたのを横に並んでいたユウは察した。表情は涼しげに、話す内容には目いっぱいの嫌がらせを込めれば「冗談だし。キノコはマジで嫌。やめて」とげんなりした顔であっさり降参した。
ユウはそんな兄弟の遣り取りが一区切りついたのを見届け、フロイドのいるカウンターに向かって弾んだ歩調で近づいた。
「どんなお料理なんですか?」
「んとねぇ、エビとブロッコリーのクリームパスタだよ」
小エビちゃんは共食いになっちゃうねぇ、とカウンターに肘を付いたフロイドが口に弧を描きながら言う。一応人間やってるので共食いでは無いです、と当たり前の突っ込みをしようとするが、さも面白そうに笑う様を見てその突っ込みは飲み込んで代わりに下手くそな愛想笑いを浮かべた。下手ながらもどうやらそれは正解だったようで、「今、持ってくるかんね」と大きな体が海中を漂う海藻のように(実際は靭だが)揺れながら、厨房まで歩いて行った。フロイドは極端な気分屋だというのはこの学園では有名な話だ。機嫌が悪くなるのは予想がつかないし、逆もまた同じ。その為、話すときにはそれなりに神経を遣う。とりあえず窮地は脱したと一安心しながら、カウンターに沿って並べられた椅子の一つに腰掛ける。
「ユウさんもフロイドとの接し方が解ってきましたね」
「よして下さい。いっぱいいっぱい精一杯ですよ……」
カウンターに額を付けあからさまにうなだれれば、右隣の椅子に腰かけたジェイドが控えめな声量で笑う。よく言えば上品、悪く言えば得体が知れない、そんな隣の人物にやっぱり兄弟だなぁと決して口にはできないことを思いながら横目に見上げた。
「おまたせー。ハァイ、どうぞ」
賄いはほとんど完成していたらしく厨房に行ってから三分と経たないうちに、両手と両前腕に一つずつお皿を乗せたフロイドが再登場した。これは小エビちゃん、こっちはジェイドねと同じ料理が乗っているはずのお皿を何故か名指しで配られる。首を傾げながら自分のとジェイドの皿を見比べると、隣の皿にはユウの二倍、いや三倍近くの量のパスタが鎮座していた。これはある種の嫌がらせか?とユウは一瞬疑ったが「ありがとうございます、フロイド」と心底嬉しそうな笑顔を浮かべるジェイドに、これが通常運転なのだと理解した。
「人魚の方っていっぱい食べるんですね……?」
「は? 人魚は関係ないし。ジェイドが特別大食いなだけ」
「お恥ずかしながら、燃費が良くないもので」
彼の大食い人魚は口元に手を当てて恥ずかしそうな素振りをしてみせる。心からそうは思ってないんだろうなとわかっていつつも、ちょっと可愛いと思ってしまった自分がいてユウは少し悔しくなった。
謎が解明したところで、いざご飯だと「いただきます!」と意気揚々と声を上げる。いつの間にかユウの左隣に座っていたフロイドが「召し上がれ~」と合いの手をくれた。それを合図にフォークでパスタとエビ、ブロッコリーを丁寧に巻き取って口に運ぶ。濃厚なクリームとパスタが口の中で混ざり合い、絶妙なハーモニーを奏でる。また、エビの弾力とブロッコリーのほどよい歯ごたえが良いアクセントになって一層おいしさを引き立たせていた。
「~っおいしいです!」
口の中のものを飲み下してから左隣に向き直り、堪らないとばかりに一言を絞り出した。フロイドはユウの勢いに一瞬目を見張った後、目じりをゆるりと下げて「良かったねぇ」と返す。さあ、二口目を頬張るぞ、といったところでユウはあることに気が付く。
「そういえば、アズール先輩は?」
パスタが乗った皿は四つ運ばれてきた。ユウとジェイドとフロイドで三つは消化するとして、あと一つがぽつりと行く当てもなくカウンターの上に残されていた。アズール先輩――このモストロラウンジの支配人である彼の分であろうことはここでバイトを始めて幾分か経つユウは予想できていた。せっかくの美味しいパスタだが、冷めてしまってはその美味しさも多少なり損なわれてしまう。支配人という立場もさることながら、食に関してはこだわりがある彼にはなかなか許し難いことであろう。
「VIPルームに声掛けに行ったけど、何かピリピリしてやがんの。めんどくせーから放っといた」
「なんでも、ラウンジで使う食材の仕入れ先についてごたついているみたいですよ」
「そうだったんですか」
支配人というのは大変なんだなぁと改めて思い、「何かお手伝いできたらいいんですけど」と続けて言うと何故か両隣からため息が降ってくる。
「小エビちゃんさぁ、お人よしすぎ。ただでさえバイトでこき使われてるのに、その上アズールの手伝いまでしたいとか。マゾなの?」
「マッ……そんなドン引きしなくても」
「フロイドの言う通りですよ。わざわざご自身から面倒ごとを買って出るなんて。トラブルに巻き込まれ過ぎて感覚が麻痺しているのでは?」
「そこまで言います?」
何となしに放った言葉で双方から非難の声が飛んでくる現状に、ははは、と乾いた笑いを浮かべるしかなかった。この学園は利己主義な生徒がほとんどだと言うことはこの数か月で学んだつもりだったユウは、ジェイドとフロイドに言われたことで改めて認識を強めた。
――とはいえ、やはり何か力になりたいと思う気持ちは消えることは無かった。その辺の一生徒、ならまだしもバイトとはいえ自身の雇用主であるアズールだ。賃金を貰っている立場なら多少なり力になりたいと思うのが自然ではないだろうか? とユウは口には出さずに言い訳を考える。それに、彼アズール・アーシェングロットは生粋の努力家。本人は至って無自覚らしいがその熱量は尊敬に値するものだ。……例えそれがいじめた奴らに対する復讐のため、というのを差し引いても有り余るだろう。ユウはそんな彼だからこそ、ここでバイトすることをアズールに提案された際に二つ返事で了承したのだ(小さい割りに大食いな相棒の食費のためでもあるが)。
「そーだ。小エビちゃんが呼んできなよ」
「ふぇ?」
考え事をしながらパスタを巻いたフォークを口に入れたのと同時に話を振られ、間抜けな声が飛び出す。呼ぶ? 何を? と咀嚼しながら考えていると、ご馳走様でしたと手を合わせたジェイドが「アズールのことですよ」とフロイドの言葉を補った。何で私が、ていうかジェイド先輩もう食べ終わったの? 私まだ三分の一しか減ってないんだけど? と突っ込みどころが多すぎて若干混乱したユウは左右に視線をさ迷わせる。不気味なぐらいそっくりな笑顔に挟まれ、ユウは思わずヴッとたじろぐ。ほらほら早くと両隣から肩でせっつかれ、目の前のパスタを味わうどころではなくなってしまった。何なんだこの二人は。嫌な予感しかしない提案に断固として行くものかと背筋を伸ばして留まるが、一九〇センチオーバーの男×二の圧に段々と押し負けてきた頃だった。
「――何を仲良く遊んでいるんですか、貴方たちは」
「! アズール先輩」
「あれ、もう来ちゃったんだ」
「後一息だったのですが。残念です」
背後から聞こえた声に、両隣からの圧が消える。と同時に振り返るとそこには厭きれたとばかりの表情をいっぱいに浮かべたアズールが立っていた。二人の思惑から解放された安心感から、ユウはいっぱいの笑顔で「お疲れ様です」と目の前に佇むアズールに声を掛ける。それを一瞥したアズールは寮服のハットを右手で押さえ俯き、ややあってから「…お疲れ様です」と返した。
「嬉しいですねぇ、アズール」
「アズールってば照れてやんの~」
「っうるさいですよ! 何の話ですか!」
顔を赤くして二人に反論するアズールに、ユウは首を傾げるばかりだった。三人は三人にしか伝わらない会話をするのはよくあることの為、考えても仕方が無いと早々に思考を切り上げ成り行きを見守る。そんなユウとは反比例して徐々にヒートアップしていく(主にアズール)三人の会話。ふとカウンターの上の料理が視界に入り、あ、とユウは声を漏らした。
「あの、アズール先ぱ……」
「ここの席譲ってあげよーか? ん?」
「こちらでも構いませんよ」
「~っ、席なんてどこも同じでしょう!」
いよいよ真っ赤になってしまうアズールの顔に、さっき双子から聞いた”ピリピリしてる”、”ラウンジのことでごたついている”という話が頭を過り、内心焦り始めるユウ。これ以上のストレスを与えてはいけない、と思い切って三人の会話に飛び込んだ。
「席なら、ここをどうぞ!」
「いえ、結構です」
まさかの真顔で瞬殺。
あまりに呆気なくあしらわれて茫然としてしまう――のも束の間。変な意地が出てきてしまい、半ば勢いだけで「なら、こちらはいかがですか?」とポンポンと自身の太ももを両手で叩く。
怒るか、呆れるか想定できるパターンは二つだった。どちらにしてもその真顔を崩せれば、瞬殺された無念もいくらか晴れるというものだ。
おまけにニコッと笑みを添えてユウはアズールのほうを見れば、予想通りその真顔は崩されていた。
「なっ……!?」
予想外の赤面顔で。「わお、小エビちゃんてばだいたーん!」「ふふ、アズール。ユウさんに一本取られましたね」とさも楽し気な声が両隣から浴びせられる。自分が言った冗談とはいえそんなに面白いものかな、とユウは戸惑う。当のアズールは片手で顔を覆い隠すように眼鏡のブリッジを上げていた。
二人に茶化されユウは段々と恥ずかしさのほうが込み上げてきて、太ももに置いた手をギュッと握りこんだ。
「つまり、ユウさんは僕の椅子になりたいと? 人間の性癖は千差万別とは聞きますが、椅子になりたいだなんてなかなかの趣味をお持ちで。つくづく興味深いお方だ」
「ハイ!?」
「ですが生憎、僕は椅子には困っておりませんので。ご期待に沿えず申し訳ありません」
「ちょっと待って下さい、それは言葉の綾というか冗談に決まって……!?」
さっきまでの赤面顔はどこへやら。いつもの自信に満ち満ちた話し方で、ただでさえ恥ずかしさを覚え始めたユウを精神的に追いやる。
ジェイドとフロイドは主導権がアズールに渡ったことを悟り、玩具に飽きたとばかりにカウンターに向き直って食事を再開した。散々面白がってた癖に、という悪態は今になっては二人には届かない。ぐぬぬ、とユウが口を引き結んでいると勝機を見出だしたらしいアズールが、いつもの不敵な笑みを浮かべて一歩、また一歩と距離を縮める。逃げ場を失ったユウは小エビのように後ずさるわけにもいかず、ただただ目の前の人を見つめる。
ふわり、と爽やかな香りが鼻を掠めるぐらいに詰められた二人の距離。あ、アズール先輩のコロンの香りだと頭の隅で考えていると、
「僕にそういった趣味はありませんが、世間一般的にはこちらのほうが主流でしょう?」
言い終わるや否や、脇に差し込まれた両手にひょいと持ち上げられ、椅子からお尻が宙に浮く。突然の浮遊感に、わっとユウの口から思わず声が出た。浮遊感は数秒も経たないうちに無くなり、着地した先はお世辞にも座り心地が良いとは言えない椅子――もとい、アズールの膝の上だった。
「はっ、え、何故!? ちょっとアズール先輩!?」
「ふぅ、お腹が空きましたね。ほら、手が空いてるなら働いて下さい」
僕は生憎誰かさんのせいで両手が塞がっていますので、とわざとらしい溜息がユウの背後から聞こえてくる。
彼は疲れすぎてどうかしてしまったのか? その誰かさんのせいになった原因は自分でしょうが! という言葉を吐きだそうと首を後ろに捻るが、まさに目と鼻の先に鎮座した美しい顔に言葉どころか息も詰まる。眼鏡越し、水面のように輝く深みのある水色の瞳に、目が逸らせなくなってしまったのだ。綺麗だなぁなんて呑気に考えながら、その瞳に映る自分の顔まで凝視してしまい、その表情に今まで気づかなかった感情をユウは認めた。否、認めざるを得なかった。
ああ、そうか。私はアズール先輩が―――。
「ねぇ、まだちゅーしないの?」
突然、横から投下された爆弾の如しワードに、正気に戻った二人が勢いよく振り返る。
「っしません!!」
顔の色までお揃いにして見事にハモった。
「フロイド。お二人にもタイミングというものがあるのでしょう、気長に待って差し上げないと」
「えー、だって待ってたら朝になりそうだし」
両隣で交わされる会話に羞恥心がむくむくと湧き上がってくるのはごく自然なことで。それは二人とも同じはずなのにアズールは腰に回した腕を解くことはなく、またユウもその腕を無理に振りほどこうとは思わなかった。
そして、先に羞恥心の荒波から脱したのはユウのほうだった。
「そ、そうだ! アズール先輩の分の賄いが……アレ?」
「すみません。僕が美味しくいただいてしまいました」
「えぇ!?」
テヘペロ、と言わんばかりの茶目っ気たっぷりの表情でジェイドに言われ呆気にとられてしまう。彼は胃にブラックホールでも搭載しているんだろうか、なんて野暮な突っ込みはぐっと飲み込んだ。
「仕方がないので、ユウさんので我慢しますよ」
アズールがやれやれと言わんばかりの声色で言うや否や、ユウの横に顔を出し形の良い薄い唇を開ける。固まるユウだったが、目線で早くしろと急かされてはぎこちない手つきでパスタを巻き取り、その口に恐る恐る近づけた。パクリ、と口に含んで咀嚼する様をまじまじと眺めていると「見物料をいただきますよ」とジト目で言われる。表情はいつもの勝気で自信に満ち満ちていたが、朱が差した頬と耳に気づいたら自然と笑みがこぼれた。
「アズールばっかずるーい! オレにもちょーだい?」
「ふふ、では僕も」
「ジェイド先輩は無しです」
おや、悲しいです。と言って泣き真似をするジェイドに苦笑いを浮かべながらも、結局は皿が空になるまで三人に餌付けの如く分け与えるのだった。
「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」
すっかり板についたとでもいう様子で挨拶に微笑を添え、お客様に向かって恭しくお辞儀をする。その後ろ姿が鏡の向こうに消えたのを確認してから、ふぅ、と一つ息を吐いた。
「本日もお疲れ様でした、ユウさん」
「お疲れ様です! 今日も大繁盛でしたね!」
後ろから掛けられた声に、ユウは斜め上を意識して振り向く。そこには予想通り、にっこりと一見して人のよさそうな笑みを浮かべた人物ーージェイドが立っていた。笑みを視界に入れるにはかなり首の角度を調整しなくてはいけないのが難点だ。元気いっぱいといった様子で返事をするユウに「おや、失礼。まだ”お疲れ”ではなかったようですね」と言って、折り曲げた人差し指を口元に添えながらクスクスとおかしそうにその人は笑う。
「ヘトヘトですよ、もう」
勘弁してくれとばかりに両腕を前に垂らして脱力すれば、ジェイドはまた笑みをこぼした。
「ジェイド~、と小エビちゃん~」
カウンターの奥からユラユラと大きな体を揺らし、ジェイドとそっくりな顔をした人物が間延びした声で二人を呼びかける。
「賄い作ったけどここで食べる? ほかの奴らは談話室で食うんだって行っちゃった」
「わあ、是非! いただきたいです」
「今日は調子が良いようですね」
「そうなの。気分がいいからアナゴもトッピングしといたよ♡」
「それはそれは、嬉し泣きしてしまいそうですね。お礼に明日はとっておきのキノコをプレゼントとして枕元に置いておきますね」
フロイドの言葉に、目には見えない青筋をこめかみに立てたのを横に並んでいたユウは察した。表情は涼しげに、話す内容には目いっぱいの嫌がらせを込めれば「冗談だし。キノコはマジで嫌。やめて」とげんなりした顔であっさり降参した。
ユウはそんな兄弟の遣り取りが一区切りついたのを見届け、フロイドのいるカウンターに向かって弾んだ歩調で近づいた。
「どんなお料理なんですか?」
「んとねぇ、エビとブロッコリーのクリームパスタだよ」
小エビちゃんは共食いになっちゃうねぇ、とカウンターに肘を付いたフロイドが口に弧を描きながら言う。一応人間やってるので共食いでは無いです、と当たり前の突っ込みをしようとするが、さも面白そうに笑う様を見てその突っ込みは飲み込んで代わりに下手くそな愛想笑いを浮かべた。下手ながらもどうやらそれは正解だったようで、「今、持ってくるかんね」と大きな体が海中を漂う海藻のように(実際は靭だが)揺れながら、厨房まで歩いて行った。フロイドは極端な気分屋だというのはこの学園では有名な話だ。機嫌が悪くなるのは予想がつかないし、逆もまた同じ。その為、話すときにはそれなりに神経を遣う。とりあえず窮地は脱したと一安心しながら、カウンターに沿って並べられた椅子の一つに腰掛ける。
「ユウさんもフロイドとの接し方が解ってきましたね」
「よして下さい。いっぱいいっぱい精一杯ですよ……」
カウンターに額を付けあからさまにうなだれれば、右隣の椅子に腰かけたジェイドが控えめな声量で笑う。よく言えば上品、悪く言えば得体が知れない、そんな隣の人物にやっぱり兄弟だなぁと決して口にはできないことを思いながら横目に見上げた。
「おまたせー。ハァイ、どうぞ」
賄いはほとんど完成していたらしく厨房に行ってから三分と経たないうちに、両手と両前腕に一つずつお皿を乗せたフロイドが再登場した。これは小エビちゃん、こっちはジェイドねと同じ料理が乗っているはずのお皿を何故か名指しで配られる。首を傾げながら自分のとジェイドの皿を見比べると、隣の皿にはユウの二倍、いや三倍近くの量のパスタが鎮座していた。これはある種の嫌がらせか?とユウは一瞬疑ったが「ありがとうございます、フロイド」と心底嬉しそうな笑顔を浮かべるジェイドに、これが通常運転なのだと理解した。
「人魚の方っていっぱい食べるんですね……?」
「は? 人魚は関係ないし。ジェイドが特別大食いなだけ」
「お恥ずかしながら、燃費が良くないもので」
彼の大食い人魚は口元に手を当てて恥ずかしそうな素振りをしてみせる。心からそうは思ってないんだろうなとわかっていつつも、ちょっと可愛いと思ってしまった自分がいてユウは少し悔しくなった。
謎が解明したところで、いざご飯だと「いただきます!」と意気揚々と声を上げる。いつの間にかユウの左隣に座っていたフロイドが「召し上がれ~」と合いの手をくれた。それを合図にフォークでパスタとエビ、ブロッコリーを丁寧に巻き取って口に運ぶ。濃厚なクリームとパスタが口の中で混ざり合い、絶妙なハーモニーを奏でる。また、エビの弾力とブロッコリーのほどよい歯ごたえが良いアクセントになって一層おいしさを引き立たせていた。
「~っおいしいです!」
口の中のものを飲み下してから左隣に向き直り、堪らないとばかりに一言を絞り出した。フロイドはユウの勢いに一瞬目を見張った後、目じりをゆるりと下げて「良かったねぇ」と返す。さあ、二口目を頬張るぞ、といったところでユウはあることに気が付く。
「そういえば、アズール先輩は?」
パスタが乗った皿は四つ運ばれてきた。ユウとジェイドとフロイドで三つは消化するとして、あと一つがぽつりと行く当てもなくカウンターの上に残されていた。アズール先輩――このモストロラウンジの支配人である彼の分であろうことはここでバイトを始めて幾分か経つユウは予想できていた。せっかくの美味しいパスタだが、冷めてしまってはその美味しさも多少なり損なわれてしまう。支配人という立場もさることながら、食に関してはこだわりがある彼にはなかなか許し難いことであろう。
「VIPルームに声掛けに行ったけど、何かピリピリしてやがんの。めんどくせーから放っといた」
「なんでも、ラウンジで使う食材の仕入れ先についてごたついているみたいですよ」
「そうだったんですか」
支配人というのは大変なんだなぁと改めて思い、「何かお手伝いできたらいいんですけど」と続けて言うと何故か両隣からため息が降ってくる。
「小エビちゃんさぁ、お人よしすぎ。ただでさえバイトでこき使われてるのに、その上アズールの手伝いまでしたいとか。マゾなの?」
「マッ……そんなドン引きしなくても」
「フロイドの言う通りですよ。わざわざご自身から面倒ごとを買って出るなんて。トラブルに巻き込まれ過ぎて感覚が麻痺しているのでは?」
「そこまで言います?」
何となしに放った言葉で双方から非難の声が飛んでくる現状に、ははは、と乾いた笑いを浮かべるしかなかった。この学園は利己主義な生徒がほとんどだと言うことはこの数か月で学んだつもりだったユウは、ジェイドとフロイドに言われたことで改めて認識を強めた。
――とはいえ、やはり何か力になりたいと思う気持ちは消えることは無かった。その辺の一生徒、ならまだしもバイトとはいえ自身の雇用主であるアズールだ。賃金を貰っている立場なら多少なり力になりたいと思うのが自然ではないだろうか? とユウは口には出さずに言い訳を考える。それに、彼アズール・アーシェングロットは生粋の努力家。本人は至って無自覚らしいがその熱量は尊敬に値するものだ。……例えそれがいじめた奴らに対する復讐のため、というのを差し引いても有り余るだろう。ユウはそんな彼だからこそ、ここでバイトすることをアズールに提案された際に二つ返事で了承したのだ(小さい割りに大食いな相棒の食費のためでもあるが)。
「そーだ。小エビちゃんが呼んできなよ」
「ふぇ?」
考え事をしながらパスタを巻いたフォークを口に入れたのと同時に話を振られ、間抜けな声が飛び出す。呼ぶ? 何を? と咀嚼しながら考えていると、ご馳走様でしたと手を合わせたジェイドが「アズールのことですよ」とフロイドの言葉を補った。何で私が、ていうかジェイド先輩もう食べ終わったの? 私まだ三分の一しか減ってないんだけど? と突っ込みどころが多すぎて若干混乱したユウは左右に視線をさ迷わせる。不気味なぐらいそっくりな笑顔に挟まれ、ユウは思わずヴッとたじろぐ。ほらほら早くと両隣から肩でせっつかれ、目の前のパスタを味わうどころではなくなってしまった。何なんだこの二人は。嫌な予感しかしない提案に断固として行くものかと背筋を伸ばして留まるが、一九〇センチオーバーの男×二の圧に段々と押し負けてきた頃だった。
「――何を仲良く遊んでいるんですか、貴方たちは」
「! アズール先輩」
「あれ、もう来ちゃったんだ」
「後一息だったのですが。残念です」
背後から聞こえた声に、両隣からの圧が消える。と同時に振り返るとそこには厭きれたとばかりの表情をいっぱいに浮かべたアズールが立っていた。二人の思惑から解放された安心感から、ユウはいっぱいの笑顔で「お疲れ様です」と目の前に佇むアズールに声を掛ける。それを一瞥したアズールは寮服のハットを右手で押さえ俯き、ややあってから「…お疲れ様です」と返した。
「嬉しいですねぇ、アズール」
「アズールってば照れてやんの~」
「っうるさいですよ! 何の話ですか!」
顔を赤くして二人に反論するアズールに、ユウは首を傾げるばかりだった。三人は三人にしか伝わらない会話をするのはよくあることの為、考えても仕方が無いと早々に思考を切り上げ成り行きを見守る。そんなユウとは反比例して徐々にヒートアップしていく(主にアズール)三人の会話。ふとカウンターの上の料理が視界に入り、あ、とユウは声を漏らした。
「あの、アズール先ぱ……」
「ここの席譲ってあげよーか? ん?」
「こちらでも構いませんよ」
「~っ、席なんてどこも同じでしょう!」
いよいよ真っ赤になってしまうアズールの顔に、さっき双子から聞いた”ピリピリしてる”、”ラウンジのことでごたついている”という話が頭を過り、内心焦り始めるユウ。これ以上のストレスを与えてはいけない、と思い切って三人の会話に飛び込んだ。
「席なら、ここをどうぞ!」
「いえ、結構です」
まさかの真顔で瞬殺。
あまりに呆気なくあしらわれて茫然としてしまう――のも束の間。変な意地が出てきてしまい、半ば勢いだけで「なら、こちらはいかがですか?」とポンポンと自身の太ももを両手で叩く。
怒るか、呆れるか想定できるパターンは二つだった。どちらにしてもその真顔を崩せれば、瞬殺された無念もいくらか晴れるというものだ。
おまけにニコッと笑みを添えてユウはアズールのほうを見れば、予想通りその真顔は崩されていた。
「なっ……!?」
予想外の赤面顔で。「わお、小エビちゃんてばだいたーん!」「ふふ、アズール。ユウさんに一本取られましたね」とさも楽し気な声が両隣から浴びせられる。自分が言った冗談とはいえそんなに面白いものかな、とユウは戸惑う。当のアズールは片手で顔を覆い隠すように眼鏡のブリッジを上げていた。
二人に茶化されユウは段々と恥ずかしさのほうが込み上げてきて、太ももに置いた手をギュッと握りこんだ。
「つまり、ユウさんは僕の椅子になりたいと? 人間の性癖は千差万別とは聞きますが、椅子になりたいだなんてなかなかの趣味をお持ちで。つくづく興味深いお方だ」
「ハイ!?」
「ですが生憎、僕は椅子には困っておりませんので。ご期待に沿えず申し訳ありません」
「ちょっと待って下さい、それは言葉の綾というか冗談に決まって……!?」
さっきまでの赤面顔はどこへやら。いつもの自信に満ち満ちた話し方で、ただでさえ恥ずかしさを覚え始めたユウを精神的に追いやる。
ジェイドとフロイドは主導権がアズールに渡ったことを悟り、玩具に飽きたとばかりにカウンターに向き直って食事を再開した。散々面白がってた癖に、という悪態は今になっては二人には届かない。ぐぬぬ、とユウが口を引き結んでいると勝機を見出だしたらしいアズールが、いつもの不敵な笑みを浮かべて一歩、また一歩と距離を縮める。逃げ場を失ったユウは小エビのように後ずさるわけにもいかず、ただただ目の前の人を見つめる。
ふわり、と爽やかな香りが鼻を掠めるぐらいに詰められた二人の距離。あ、アズール先輩のコロンの香りだと頭の隅で考えていると、
「僕にそういった趣味はありませんが、世間一般的にはこちらのほうが主流でしょう?」
言い終わるや否や、脇に差し込まれた両手にひょいと持ち上げられ、椅子からお尻が宙に浮く。突然の浮遊感に、わっとユウの口から思わず声が出た。浮遊感は数秒も経たないうちに無くなり、着地した先はお世辞にも座り心地が良いとは言えない椅子――もとい、アズールの膝の上だった。
「はっ、え、何故!? ちょっとアズール先輩!?」
「ふぅ、お腹が空きましたね。ほら、手が空いてるなら働いて下さい」
僕は生憎誰かさんのせいで両手が塞がっていますので、とわざとらしい溜息がユウの背後から聞こえてくる。
彼は疲れすぎてどうかしてしまったのか? その誰かさんのせいになった原因は自分でしょうが! という言葉を吐きだそうと首を後ろに捻るが、まさに目と鼻の先に鎮座した美しい顔に言葉どころか息も詰まる。眼鏡越し、水面のように輝く深みのある水色の瞳に、目が逸らせなくなってしまったのだ。綺麗だなぁなんて呑気に考えながら、その瞳に映る自分の顔まで凝視してしまい、その表情に今まで気づかなかった感情をユウは認めた。否、認めざるを得なかった。
ああ、そうか。私はアズール先輩が―――。
「ねぇ、まだちゅーしないの?」
突然、横から投下された爆弾の如しワードに、正気に戻った二人が勢いよく振り返る。
「っしません!!」
顔の色までお揃いにして見事にハモった。
「フロイド。お二人にもタイミングというものがあるのでしょう、気長に待って差し上げないと」
「えー、だって待ってたら朝になりそうだし」
両隣で交わされる会話に羞恥心がむくむくと湧き上がってくるのはごく自然なことで。それは二人とも同じはずなのにアズールは腰に回した腕を解くことはなく、またユウもその腕を無理に振りほどこうとは思わなかった。
そして、先に羞恥心の荒波から脱したのはユウのほうだった。
「そ、そうだ! アズール先輩の分の賄いが……アレ?」
「すみません。僕が美味しくいただいてしまいました」
「えぇ!?」
テヘペロ、と言わんばかりの茶目っ気たっぷりの表情でジェイドに言われ呆気にとられてしまう。彼は胃にブラックホールでも搭載しているんだろうか、なんて野暮な突っ込みはぐっと飲み込んだ。
「仕方がないので、ユウさんので我慢しますよ」
アズールがやれやれと言わんばかりの声色で言うや否や、ユウの横に顔を出し形の良い薄い唇を開ける。固まるユウだったが、目線で早くしろと急かされてはぎこちない手つきでパスタを巻き取り、その口に恐る恐る近づけた。パクリ、と口に含んで咀嚼する様をまじまじと眺めていると「見物料をいただきますよ」とジト目で言われる。表情はいつもの勝気で自信に満ち満ちていたが、朱が差した頬と耳に気づいたら自然と笑みがこぼれた。
「アズールばっかずるーい! オレにもちょーだい?」
「ふふ、では僕も」
「ジェイド先輩は無しです」
おや、悲しいです。と言って泣き真似をするジェイドに苦笑いを浮かべながらも、結局は皿が空になるまで三人に餌付けの如く分け与えるのだった。
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