観月
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忍び者にとって月明かりとは厄介な敵である。
闇に身を隠す自分達は、僅かな月明かりですら命取り。
だからこそ満月の夜は、息を潜めて月入りの時刻を待つのが忍び者にとっては当たり前の事だった。
それは忍び者……くノ一のたまごである名無子にも当てはまる事柄。
けれど、彼女は太陽が沈んだ薄明の世界にゆっくりと姿を現した“それ”を見上げて
嬉しそうに微笑む。
「今宵も綺麗だろうなぁ。」
呟く声は甘い響きを含み、名無子は見上げていた“それ”から視線を外した。
彼女が見ていたモノ。
それは、秋旻に浮かぶ
まんまるに膨らんだ
お月様。
一晩中“それ”が天に居座る望月の夜は
忍び者には不自由な時であるけれど
彼女にとっては
大切な人と過ごす特別な時である。
月に一度廻ってくる彼との時間。
その、きっかけなんて些細な事だった。
月明かりに照らされた彼に
名無子の心臓が見事に撃ち抜かれたのだ。
しかし、その事を彼に告げた事はない。
くノ一のたまごである名無子が、それを口にするのは
許されざる事であるから。
忍者の三禁。それは彼や彼女を縛る引き千切れない鎖のようなモノ。
けれど、二人で過ごすあの時間だけは
その鎖を見て見ぬ振りをすることが出来た。
それはきっと、夜空を照す
月明かりのおかげだと思う。
忍び者なら避けるのが当たり前、だけどそれを利用する私達は
その時だけは、“忍者のたまご”でも“くノ一のたまご”でもない
ただの“少年”と“少女”で居られた。
++ 観月ーカンゲツー ++
開け放たれた窓からは、様々な虫の唄声と共に月明かりがさし込む。
その窓の下に、二つの人影を作っていた。
真っ黒な室内でその場所だけが仄かに明るく。
その人影はお互いに背中合わせで座っていた。
ふいに背中から重みが消えて、中在家長次は本をめくる手を止めた。
振り返れば、名無子が本を閉じて窓の外を眺めている。
背が軽くなったのは彼女が僅かに自分から離れてしまったせいだ。
長次が彼女に言葉を掛ける前に、名無子がこちらに振り向いた。
「長次。相変わらず君は本が好きだよね。」
そう呟く彼女も相当な本好きである。
この学園の書庫に置いてある殆どの書物を彼女は既に読破しているからだ。
現在、長次の周りに積み上げられている書物は、本日届けられた新しい書物である。
それさえも、彼女は読破しつつある。
「もう、読み終えたのか。」
名無子の手元に視線を向けて呟く。
長次が話す言葉は人よりずっと静で小さい声音である。
その為、他人はその声を聞き取る事が出来ず、よく首を傾げ聞き直す事が多いいのだけれど、彼女はそんな素振りを一度も見せた事がない。
現に今も、秋の虫の音に負けてしまいそうな呟きにすら、笑顔を向けて返事をする。
「さすがの私でも、まだ読み終えられないよ。ちょっと休憩してただけ。」
彼女の柔らかい笑みは、この月明かりの中でもよく映えた。
彼女のその笑みを見る度に、ドクン、ドクンと大きく脈打つ心臓は以前から長次の中に巣くっている。
こんな風に名無子と二人で過ごすようになったのは、数年前から。
火気厳禁の書庫で、火を使わずに本を読む方法を思いついたのは、下級生の時だった。
+++
図書委員会に入ったばかりの頃、整理もされず積み上げられていた書物が気になっていた。
とは言え、その頃の図書委員会委員長は戦う事が好きな人種で、やたらと委員会のメンバーを外に連れ出していた。
書物の管理に手を抜いているわけではないけれど、貸出しの当番になっていなければ、即座に委員長の鍛練へと付き合うはめになる。
貴重な書物を守るには、戦う強さを持っていなければならないと委員長は思っているらしい。
そんな日常に慣れ始めた頃、あの放置された書物の山を切り崩す強者が現れた。
くノたまの図書委員である、名無子だ。
彼女も例外なく委員長に引っ張り回されているにも関わらず、山をなしていた書物をそれぞれの分類の棚へと片付けていた。
書物の分類など内容を知らなければ分ける事は出来ない。
つまり彼女はそれらの本を読破していると言う事だ。
長次は少し悔しかった。否、少しではなくかなり悔しいと思った。
同じように委員長に振り回されている身であるのに、そのくノたまに負けているような気がしたのだ。
普段の長次は他人に関心を持つ事は少ない。
他人が何をしていようが、あまり興味がないのだ。
けれど、彼女がやっている事は長次がやりたい事の一つであった。
まだ読んでない書物が積み上がっている本の山は、本の虫と呼ばれる長次にとって宝の山である。
先を越された事が悔しい。
あの本をどうやったら委員長に邪魔されず読めたのか気になった。
悔しい、気になる。読んでみたい。
それらの本は整理されてないので借りれないし、図書委員会で活動している昼間では読む時間もないのだ。
特に今の時期は、夏が終わり秋と呼ばれる季節。
太陽が沈むのが夏に比べると早くなっていた。
夜が長くなる分、日が差す時間は短くなった。
それに書庫は火気厳禁で夜の書庫では蝋燭を使う照明は使えない。
それでも、あの本が読みたくて一生懸命考えた。
ある提案を図書委員会の顧問の先生に訊ねると、先生は苦笑しながらも書庫のカギを貸してくれた。
真っ黒な闇夜でなく、薄く明かりが照すその夜に長次は一人図書室のカギを開けた。
窓を開け放つと仄かな明るさを伴い長次を月光が照す。
長次が見上げた先にあるのは、丸く満ちた月が夜空へと昇っている最中であった。
窓辺へ座り、一冊の本を開く。
火を使わずに本を読む方法、それは満月の月明かりを利用するしか思いつかなかった。
その後、開いた窓から現れた名無子が「同じ事を考えた奴がいたなんて…。」
と頬を膨らまして拗ねたのは、同じ図書委員会の中でも長次しか知り得ない出来事だった。
+++
ほんの少し、窓の外を眺めていたら、後に居た長次が穏やかな声音で話しかけてきた。
「……。ちょっと休憩してただけ。」
そう返事をしながら、後の彼を見る。
こちら側を向く彼は、何時もの無表情だ。
それでも私の頬は柔らかく緩むのであった。
澄んだ虫の音を聞きながら、名無子が再び大きな背中に寄りかかった。
すると彼もこちらの方に寄りかかり、背中に僅な重みを感じた。
可もなく不可もない、お互いにちょうど良い力加減である。
その事に気づいて、名無子は読み始めた本のページから視線をはずす。
胸を締め付けるほどの幸福感。
じんわりと温かくなるのは背中だけではない。身体の奥から温かくなるのだ。
こんな思いを抱える様になったのは、数年前の突然の出来事だった。
二人して未整理だった本の山を片付けたにも関わらず、私達は夜の図書室へと通うのを止めなかった。
月に一度、月明かりが明るい満月の夜に、二人して図書室へと向かうのだ。
私もくノ一教室では本の虫と呼ばれるほど有名な読書好きであり。
彼もまた、同じく有名な読書家であった。
そんな二人だったから、忍術学園の図書室は読んだ事のない本ばかりで、時間があるなら読み尽くしたかった。
なので、忍たまとくノたまの確執とかも気にならないし、図書委員会だから意地を張る事もない。
二人共に本好き少年と少女であっただけ。
ある日、窓辺に佇む彼の目と私の目が偶然にもカチ合った事がある。
何時もの夜の図書室、彼とは別に今まででもこんな風に視線が交わる事は何度もあった、格別に珍しい出来事でもなかったはずである。
それなのに、月明かりの中で彼の真っ直ぐな視線を受け止めた私の心臓は勢いよく跳ねた。
彼の黒く鋭い瞳も、引き結ばれた唇も、頬にある傷痕さえも
私の心臓を撃ち抜くモノでしかなくて
私はその時になって初めて彼、中在家長次と言う少年を意識した。
今までの単なる本好き仲間ではなくて、異性としての彼を。
きっかけなんて些細な事。
でも、意識してしまうといくらでも彼の良い所を見つけて好きになっていた。
忍者の三禁なんて無ければいいのにと思ってしまう私はもう既にくノたま失格なのかもしれない。
忍たまの彼に思いを告げたらきっと迷惑だと思うと怖くて告白することも出来ない。
月影の闇の中に私は恋心を押し込んで、月明かりのほんの僅な幸福を選んだ。
はずした視線をまた読んでいた本へと戻す。
文字を追う視線がぼやけるように滲む。
背中合わせだからこそ、彼に私の気持ちはきっと見えていないのだろう。
天中を過ぎた月が緩やかに降りはじめれば、残り時間も後僅か。
パタンと本を閉じる音が図書室の中に響く。
「………名無子。そっちの本はどうだ。」
「もう、読み終えたよ。今日はこの本が最後かな。長次の方は。」
「今日はもういい。………名無子のと合わせれば、明日にでも分類できる。」
長次の言葉に名無子はクックッと小さく笑う。
「結局、図書委員会の仕事になってしまったのね。」
「そうだな。付き合わせて・・・。」
長次の呟きは途中で遮られた。
「違う。私が好きで……、ここにいるの。謝らないでよ。」
そう言って名無子が、長次に背を向けると散らばった本をまとめるように片付けた。
そんな彼女を見つめれば、その後ろ姿は小さい。
あの小さな背が今まで自分の大きな背を支えていたのかと思うと長次の心は深くつまった。
彼女を愛しいと思うのはごく自然である。
いつから彼女を好きだなんて境は思い当たらない。
もしかしたら、初めて図書委員会であった時かもしれないし、あの本の山を整理している時かもしれない。
二人で過ごすようになった夜の図書室の時なのか、いつからとは断言できなくても、確かに彼女への気持ちは自分の中にしっかりとあった。
その背中になんて言葉を掛ければいいのだろうか。
多くの書物を読んでも、巻物を広げても正しい答えは載っていない。
忍者のたまごの自分、くノ一のたまごの彼女。
この気持ちは秘するべきモノであり、告げるべきではない。が私達にとって正しい答えなのかもしれない。
長次は堅く唇を引き結んだ。
二人して読んでいた全ての書物を片付けると彼女は長次と視線を会わせる事なく図書室を去った。
開け放たれた窓からは、光を弱めた月光が静かに長次を照していた。
+++
名無子は駆けていた屋根の上で唐突に立ち止まった。
「私は・・・。」
唇を噛み締める。
「重荷にしかなりえない……。」
自分に言い聞かせるように言葉を吐き出した。
頭の中は先程の長次の言葉がこだましている。
彼の言葉を遮らなければ、きっと『付き合わせて、悪かった』と続いていただろう。
彼が謝る事はない。あの場所にいるのは、私の我が儘だ。
けれど、名無子の心を深く抉ったのは、長次にとって、自分は謝るような立ち位置にいるのだと気づいてしまった事。
私が夜の図書室に行くのは、彼にとって付き合いで行っているだけと思われているのだ。
思いを告げたらきっと彼の重荷になる、迷惑なるからとこの思いを口に出さなかった。
今までずっと思いを隠してきた報いである。
分かっていても切なかった。
何も遮るもののない屋根の上。
秋特有の澄んだ空気、雲一つ無い夜空には、まん丸の大きな満月。
その月に手が届きそうなほど近くに感じた。
手を伸ばしても、空をきり手は何も掴めない。
近く見えても遠すぎた。
月も彼もこの手には捕まってくれない。
うつ向けばポタリポタリと雫が溢れ頬をつたう。
「どうしたら、貴方を……。」
名無子の声に重なるように
「捕まえられるのだろう。」
低い声音がポツリと名無子の耳元で囁いた。
瞬間、向かい合うように抱き締められて 驚いた名無子は一瞬呼吸を止めた。
まさか、長次がこんな所にいるなんて。
「どっ、どうして!!。」
ここにいるの!と続ける前に彼が緩やかに言葉を紡ぐ。
「月を捕まえる方法はいくらでもある。鏡に映してもいい。酒を注いだ杯に映せば飲みほせる事だって出来る。」
ポカンと固まる名無子に長次は向き合いさらに告げる。
「その瞳に映した時点て既に身の内に月を捕らえるも同じ。なぁ、名無子。今宵は月が綺麗だ。」
彼にそう呟かれて、今や私の心臓は張り裂けんばかりに暴れまわる。
耳に届く彼の声が、見つめる真剣な黒い瞳が私を射抜く。
+++
窓の外、夜空は月光により漆黒よりも紫紺の深い色合いを持つ。
見上げたその夜空に月は憎らしいほど綺麗であった。
今や心音に乱れはない。長次は一つゆっくりと息を吐き出した。
図書室を去った名無子。
彼女を追い掛けなければ、そんな気がして長次も図書室を抜け出した。
後を追い掛ければ、彼女が立ち止っていた。
「重荷にしかなりえない……。」
ひどく悲しい呟き。
この人は思い違いをしている。自分にとって名無子は重荷などではない。
共に歩み、お互いを支えて合える存在だ。
けれど、忍び者に愛を語る口は無い。ならば…
「死んでもいい…。」
長次は静かに呟いた。
もしも、名無子と忍者の三禁を破ったせいで自らの命を落とすような事が起きたのならば、その時はこの命を手放してもいい。
そして、長次は月に手を伸ばす名無子を抱き締めた。
+++
「月が綺麗だ。」
彼のその言葉に“愛してる”と告げられたような錯覚を起こす。
綺麗だと囁かれる度に、まるで自分に言われているような気持ちになる。
だって、彼はちっとも月なんて見上げていない。
バカな私の勘違いでもいい。
月を見上げもせずに、名無子はその言葉を呟く。
私が捕らわれたように
もしも、この言葉で貴方を捕まえれるなら、どんなに幸せだろう。
滲んだ視界。頬を静かに雫がつたう。それでも、口は弧を描き笑みを作る。
「今夜は月が綺麗ですね。」
「あぁ。」
強く、強く長次に抱き締められた。
彼と背中を合わせた事はいっぱいあったけど、抱き締められた事は今までに一度もなかった。
ストンと音をたてて心に落ちるものがある。
あぁ、そうか。私は長次に愛されている。
素直にそう思う事が出来た。
+++
この先、どんな出来事を二人で共に過ごしても
あの夜、貴方と眺めた
秋旻に浮かぶ満月を
生涯きっと忘れはしない。
*
闇に身を隠す自分達は、僅かな月明かりですら命取り。
だからこそ満月の夜は、息を潜めて月入りの時刻を待つのが忍び者にとっては当たり前の事だった。
それは忍び者……くノ一のたまごである名無子にも当てはまる事柄。
けれど、彼女は太陽が沈んだ薄明の世界にゆっくりと姿を現した“それ”を見上げて
嬉しそうに微笑む。
「今宵も綺麗だろうなぁ。」
呟く声は甘い響きを含み、名無子は見上げていた“それ”から視線を外した。
彼女が見ていたモノ。
それは、秋旻に浮かぶ
まんまるに膨らんだ
お月様。
一晩中“それ”が天に居座る望月の夜は
忍び者には不自由な時であるけれど
彼女にとっては
大切な人と過ごす特別な時である。
月に一度廻ってくる彼との時間。
その、きっかけなんて些細な事だった。
月明かりに照らされた彼に
名無子の心臓が見事に撃ち抜かれたのだ。
しかし、その事を彼に告げた事はない。
くノ一のたまごである名無子が、それを口にするのは
許されざる事であるから。
忍者の三禁。それは彼や彼女を縛る引き千切れない鎖のようなモノ。
けれど、二人で過ごすあの時間だけは
その鎖を見て見ぬ振りをすることが出来た。
それはきっと、夜空を照す
月明かりのおかげだと思う。
忍び者なら避けるのが当たり前、だけどそれを利用する私達は
その時だけは、“忍者のたまご”でも“くノ一のたまご”でもない
ただの“少年”と“少女”で居られた。
++ 観月ーカンゲツー ++
開け放たれた窓からは、様々な虫の唄声と共に月明かりがさし込む。
その窓の下に、二つの人影を作っていた。
真っ黒な室内でその場所だけが仄かに明るく。
その人影はお互いに背中合わせで座っていた。
ふいに背中から重みが消えて、中在家長次は本をめくる手を止めた。
振り返れば、名無子が本を閉じて窓の外を眺めている。
背が軽くなったのは彼女が僅かに自分から離れてしまったせいだ。
長次が彼女に言葉を掛ける前に、名無子がこちらに振り向いた。
「長次。相変わらず君は本が好きだよね。」
そう呟く彼女も相当な本好きである。
この学園の書庫に置いてある殆どの書物を彼女は既に読破しているからだ。
現在、長次の周りに積み上げられている書物は、本日届けられた新しい書物である。
それさえも、彼女は読破しつつある。
「もう、読み終えたのか。」
名無子の手元に視線を向けて呟く。
長次が話す言葉は人よりずっと静で小さい声音である。
その為、他人はその声を聞き取る事が出来ず、よく首を傾げ聞き直す事が多いいのだけれど、彼女はそんな素振りを一度も見せた事がない。
現に今も、秋の虫の音に負けてしまいそうな呟きにすら、笑顔を向けて返事をする。
「さすがの私でも、まだ読み終えられないよ。ちょっと休憩してただけ。」
彼女の柔らかい笑みは、この月明かりの中でもよく映えた。
彼女のその笑みを見る度に、ドクン、ドクンと大きく脈打つ心臓は以前から長次の中に巣くっている。
こんな風に名無子と二人で過ごすようになったのは、数年前から。
火気厳禁の書庫で、火を使わずに本を読む方法を思いついたのは、下級生の時だった。
+++
図書委員会に入ったばかりの頃、整理もされず積み上げられていた書物が気になっていた。
とは言え、その頃の図書委員会委員長は戦う事が好きな人種で、やたらと委員会のメンバーを外に連れ出していた。
書物の管理に手を抜いているわけではないけれど、貸出しの当番になっていなければ、即座に委員長の鍛練へと付き合うはめになる。
貴重な書物を守るには、戦う強さを持っていなければならないと委員長は思っているらしい。
そんな日常に慣れ始めた頃、あの放置された書物の山を切り崩す強者が現れた。
くノたまの図書委員である、名無子だ。
彼女も例外なく委員長に引っ張り回されているにも関わらず、山をなしていた書物をそれぞれの分類の棚へと片付けていた。
書物の分類など内容を知らなければ分ける事は出来ない。
つまり彼女はそれらの本を読破していると言う事だ。
長次は少し悔しかった。否、少しではなくかなり悔しいと思った。
同じように委員長に振り回されている身であるのに、そのくノたまに負けているような気がしたのだ。
普段の長次は他人に関心を持つ事は少ない。
他人が何をしていようが、あまり興味がないのだ。
けれど、彼女がやっている事は長次がやりたい事の一つであった。
まだ読んでない書物が積み上がっている本の山は、本の虫と呼ばれる長次にとって宝の山である。
先を越された事が悔しい。
あの本をどうやったら委員長に邪魔されず読めたのか気になった。
悔しい、気になる。読んでみたい。
それらの本は整理されてないので借りれないし、図書委員会で活動している昼間では読む時間もないのだ。
特に今の時期は、夏が終わり秋と呼ばれる季節。
太陽が沈むのが夏に比べると早くなっていた。
夜が長くなる分、日が差す時間は短くなった。
それに書庫は火気厳禁で夜の書庫では蝋燭を使う照明は使えない。
それでも、あの本が読みたくて一生懸命考えた。
ある提案を図書委員会の顧問の先生に訊ねると、先生は苦笑しながらも書庫のカギを貸してくれた。
真っ黒な闇夜でなく、薄く明かりが照すその夜に長次は一人図書室のカギを開けた。
窓を開け放つと仄かな明るさを伴い長次を月光が照す。
長次が見上げた先にあるのは、丸く満ちた月が夜空へと昇っている最中であった。
窓辺へ座り、一冊の本を開く。
火を使わずに本を読む方法、それは満月の月明かりを利用するしか思いつかなかった。
その後、開いた窓から現れた名無子が「同じ事を考えた奴がいたなんて…。」
と頬を膨らまして拗ねたのは、同じ図書委員会の中でも長次しか知り得ない出来事だった。
+++
ほんの少し、窓の外を眺めていたら、後に居た長次が穏やかな声音で話しかけてきた。
「……。ちょっと休憩してただけ。」
そう返事をしながら、後の彼を見る。
こちら側を向く彼は、何時もの無表情だ。
それでも私の頬は柔らかく緩むのであった。
澄んだ虫の音を聞きながら、名無子が再び大きな背中に寄りかかった。
すると彼もこちらの方に寄りかかり、背中に僅な重みを感じた。
可もなく不可もない、お互いにちょうど良い力加減である。
その事に気づいて、名無子は読み始めた本のページから視線をはずす。
胸を締め付けるほどの幸福感。
じんわりと温かくなるのは背中だけではない。身体の奥から温かくなるのだ。
こんな思いを抱える様になったのは、数年前の突然の出来事だった。
二人して未整理だった本の山を片付けたにも関わらず、私達は夜の図書室へと通うのを止めなかった。
月に一度、月明かりが明るい満月の夜に、二人して図書室へと向かうのだ。
私もくノ一教室では本の虫と呼ばれるほど有名な読書好きであり。
彼もまた、同じく有名な読書家であった。
そんな二人だったから、忍術学園の図書室は読んだ事のない本ばかりで、時間があるなら読み尽くしたかった。
なので、忍たまとくノたまの確執とかも気にならないし、図書委員会だから意地を張る事もない。
二人共に本好き少年と少女であっただけ。
ある日、窓辺に佇む彼の目と私の目が偶然にもカチ合った事がある。
何時もの夜の図書室、彼とは別に今まででもこんな風に視線が交わる事は何度もあった、格別に珍しい出来事でもなかったはずである。
それなのに、月明かりの中で彼の真っ直ぐな視線を受け止めた私の心臓は勢いよく跳ねた。
彼の黒く鋭い瞳も、引き結ばれた唇も、頬にある傷痕さえも
私の心臓を撃ち抜くモノでしかなくて
私はその時になって初めて彼、中在家長次と言う少年を意識した。
今までの単なる本好き仲間ではなくて、異性としての彼を。
きっかけなんて些細な事。
でも、意識してしまうといくらでも彼の良い所を見つけて好きになっていた。
忍者の三禁なんて無ければいいのにと思ってしまう私はもう既にくノたま失格なのかもしれない。
忍たまの彼に思いを告げたらきっと迷惑だと思うと怖くて告白することも出来ない。
月影の闇の中に私は恋心を押し込んで、月明かりのほんの僅な幸福を選んだ。
はずした視線をまた読んでいた本へと戻す。
文字を追う視線がぼやけるように滲む。
背中合わせだからこそ、彼に私の気持ちはきっと見えていないのだろう。
天中を過ぎた月が緩やかに降りはじめれば、残り時間も後僅か。
パタンと本を閉じる音が図書室の中に響く。
「………名無子。そっちの本はどうだ。」
「もう、読み終えたよ。今日はこの本が最後かな。長次の方は。」
「今日はもういい。………名無子のと合わせれば、明日にでも分類できる。」
長次の言葉に名無子はクックッと小さく笑う。
「結局、図書委員会の仕事になってしまったのね。」
「そうだな。付き合わせて・・・。」
長次の呟きは途中で遮られた。
「違う。私が好きで……、ここにいるの。謝らないでよ。」
そう言って名無子が、長次に背を向けると散らばった本をまとめるように片付けた。
そんな彼女を見つめれば、その後ろ姿は小さい。
あの小さな背が今まで自分の大きな背を支えていたのかと思うと長次の心は深くつまった。
彼女を愛しいと思うのはごく自然である。
いつから彼女を好きだなんて境は思い当たらない。
もしかしたら、初めて図書委員会であった時かもしれないし、あの本の山を整理している時かもしれない。
二人で過ごすようになった夜の図書室の時なのか、いつからとは断言できなくても、確かに彼女への気持ちは自分の中にしっかりとあった。
その背中になんて言葉を掛ければいいのだろうか。
多くの書物を読んでも、巻物を広げても正しい答えは載っていない。
忍者のたまごの自分、くノ一のたまごの彼女。
この気持ちは秘するべきモノであり、告げるべきではない。が私達にとって正しい答えなのかもしれない。
長次は堅く唇を引き結んだ。
二人して読んでいた全ての書物を片付けると彼女は長次と視線を会わせる事なく図書室を去った。
開け放たれた窓からは、光を弱めた月光が静かに長次を照していた。
+++
名無子は駆けていた屋根の上で唐突に立ち止まった。
「私は・・・。」
唇を噛み締める。
「重荷にしかなりえない……。」
自分に言い聞かせるように言葉を吐き出した。
頭の中は先程の長次の言葉がこだましている。
彼の言葉を遮らなければ、きっと『付き合わせて、悪かった』と続いていただろう。
彼が謝る事はない。あの場所にいるのは、私の我が儘だ。
けれど、名無子の心を深く抉ったのは、長次にとって、自分は謝るような立ち位置にいるのだと気づいてしまった事。
私が夜の図書室に行くのは、彼にとって付き合いで行っているだけと思われているのだ。
思いを告げたらきっと彼の重荷になる、迷惑なるからとこの思いを口に出さなかった。
今までずっと思いを隠してきた報いである。
分かっていても切なかった。
何も遮るもののない屋根の上。
秋特有の澄んだ空気、雲一つ無い夜空には、まん丸の大きな満月。
その月に手が届きそうなほど近くに感じた。
手を伸ばしても、空をきり手は何も掴めない。
近く見えても遠すぎた。
月も彼もこの手には捕まってくれない。
うつ向けばポタリポタリと雫が溢れ頬をつたう。
「どうしたら、貴方を……。」
名無子の声に重なるように
「捕まえられるのだろう。」
低い声音がポツリと名無子の耳元で囁いた。
瞬間、向かい合うように抱き締められて 驚いた名無子は一瞬呼吸を止めた。
まさか、長次がこんな所にいるなんて。
「どっ、どうして!!。」
ここにいるの!と続ける前に彼が緩やかに言葉を紡ぐ。
「月を捕まえる方法はいくらでもある。鏡に映してもいい。酒を注いだ杯に映せば飲みほせる事だって出来る。」
ポカンと固まる名無子に長次は向き合いさらに告げる。
「その瞳に映した時点て既に身の内に月を捕らえるも同じ。なぁ、名無子。今宵は月が綺麗だ。」
彼にそう呟かれて、今や私の心臓は張り裂けんばかりに暴れまわる。
耳に届く彼の声が、見つめる真剣な黒い瞳が私を射抜く。
+++
窓の外、夜空は月光により漆黒よりも紫紺の深い色合いを持つ。
見上げたその夜空に月は憎らしいほど綺麗であった。
今や心音に乱れはない。長次は一つゆっくりと息を吐き出した。
図書室を去った名無子。
彼女を追い掛けなければ、そんな気がして長次も図書室を抜け出した。
後を追い掛ければ、彼女が立ち止っていた。
「重荷にしかなりえない……。」
ひどく悲しい呟き。
この人は思い違いをしている。自分にとって名無子は重荷などではない。
共に歩み、お互いを支えて合える存在だ。
けれど、忍び者に愛を語る口は無い。ならば…
「死んでもいい…。」
長次は静かに呟いた。
もしも、名無子と忍者の三禁を破ったせいで自らの命を落とすような事が起きたのならば、その時はこの命を手放してもいい。
そして、長次は月に手を伸ばす名無子を抱き締めた。
+++
「月が綺麗だ。」
彼のその言葉に“愛してる”と告げられたような錯覚を起こす。
綺麗だと囁かれる度に、まるで自分に言われているような気持ちになる。
だって、彼はちっとも月なんて見上げていない。
バカな私の勘違いでもいい。
月を見上げもせずに、名無子はその言葉を呟く。
私が捕らわれたように
もしも、この言葉で貴方を捕まえれるなら、どんなに幸せだろう。
滲んだ視界。頬を静かに雫がつたう。それでも、口は弧を描き笑みを作る。
「今夜は月が綺麗ですね。」
「あぁ。」
強く、強く長次に抱き締められた。
彼と背中を合わせた事はいっぱいあったけど、抱き締められた事は今までに一度もなかった。
ストンと音をたてて心に落ちるものがある。
あぁ、そうか。私は長次に愛されている。
素直にそう思う事が出来た。
+++
この先、どんな出来事を二人で共に過ごしても
あの夜、貴方と眺めた
秋旻に浮かぶ満月を
生涯きっと忘れはしない。
*
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