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5・食満留三郎
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『あと、もうちょっと。』
そう言って西鶴は桶の中に雑巾を入れると桶の水は真っ黒になった。
今、西鶴はある物置小屋を掃除中だ。
最初、この小屋の戸を開けて、茫然とした。
その物置小屋は使われなくなってから、随分と年月が経っていたのだろう。
中の部屋は埃まみれだし、閉めきっていたせいかカビ臭く。
置かれているモノには蜘蛛の巣 まで張ってあった。
それでも、黙々と掃除をしたお陰か、最初よりは随分とキレイになっている。
『やっとここまで終わった。』
呟いた一言は口元を覆う手拭いでくぐもった声で吐き出される。
手にした箒で床を掃けば、窓からの光りでホコリがキラキラと舞っていた。
窓を開けて新鮮な空気を取り入れたので、カビ臭さは先程より消えたようだ。
西鶴は空いた窓から覗く青空を僅かに睨みつけた。
口元の手拭いを外すと自然と愚痴が溢れる。
『やっぱり今日は、ツイてなかったなぁ。』
一人、こんな物置小屋を掃除する羽目になってしまったのは、午後の授業に遅刻したからだ。
その先生は、遅刻したら罰がある事を前から知っていたのに。
今日はその授業に遅刻した。
普段から、目立つ行動は避けているため、遅刻など人から注目を浴びる行為はやらないよに気を付けていたのに。
西鶴は溜め息を付く。
よりによってあの先生の授業に遅刻だなんて。
目立つ事この上無い。皆の前で怒られたのはもちろん、その授業はやたらと先生に当てられた。
周りからは、同情やら好奇の目線が注がれ、居心地が物凄く悪かったのだ。
『あぁ、サボればよかった。』
どうせ、結果が同じなら、七松と一緒にあのまま授業をサボってしまえばよかったのだ。
今さら、後悔しても遅い。
西鶴は仕方なく気持ちを切り替えて、掃除に集中した。
ふと足元に視線を向けると窓からではない不自然な光が床を照している。
また、厄介事が増えそうだ。
+++
「食…満…先輩…。」
平太の涙声に修理していた桶から顔を上げて留三郎はギョッとした。
「平太!!。どうした、泣いたりして。」
慌てて平太に近寄る。すると
「食満せんぱーい。」
その横からも涙声の喜三太が留三郎を呼んだ。
そちらを見ると平太と同じくポロポロと涙を溢す喜三太の姿があった。
「お前達、二人してどうしたんだ。」
訳も分からず、留三郎が手拭いで二人の涙を拭こうとすると。
「食満センパイ・・・。」
しんべヱまでもが留三郎に泣きついた。
「しんべヱお前もか。」
泣きついたしんべヱの鼻水を拭く。
「先輩、なんだか…、目がチカチカします。」
平太が泣きながら訴える。
「鼻がツーンとして、涙がでるんですー。」
喜三太が目を擦る。
「喜三太、平太、目を擦るな赤くなるから。」
目を擦る二人を慌てて止めて、留三郎は息を小さく吐きだした。
今、用具委員会で使っているのは留三郎の自室だ。
ようするに一年生達には、この部屋に染み付いた薬の匂いがキツいのだろう。
―― オレはもうこの匂いに慣れててなんともないけれど、今日はいつもより匂いがキツかったのか。――
昨夜、何故か機嫌の良かった伊作が一晩中徹夜して、怪しげな薬を調合していたのを思い出し、自然と眉間に寄ったシワを手で押さえて元に戻す。
そうしながらも一年生、三人をなだめつつ留三郎は、もう一人の用具委員である後輩に心配そうに尋ねた。
「おい、作兵衛。お前は平気か?。」
「だ い゛じ ょ゛ふ゛て゛す゛。」
俯いて作業を続ける作兵衛なのだけれど、その声は完全に鼻声だ。
「全然、大丈夫じゃねぇじゃないか。」
つい怒鳴り声で留三郎がツッコむ。
「とりあえず、この部屋から全員退避だ、退避!!。」
留三郎が、そう叫ぶと
スパーンと入口の引き戸が勝手に開いた。
『何事だ!!、食満。』
驚いた表情で西鶴が飛び込んで来のであった。
+++
「悪い。」
食満の一言に
『いいよ。これぐらい。だって…。』
その言いながら振り返った西鶴は食満の顔を見るなりプッと吹き出して笑った。
『アハハハッ。よっぽど切羽詰まった声だったから、何事かと思うだろ。普通はさ。』
口元に手をやり、なんとか笑いを堪えようとしている西鶴を食満は不機嫌そうに睨む。
「笑いすぎだ。ったくお前だって似たような事してたじゃねぇか。」
『俺は、あの部屋でもっぱんが炸裂でもしたのかと思ったから、手伝っただけさ。しかし、あの時の食満ったらすげー顔してたぜ。』
あの時の状況を思い出したのか西鶴が再び笑い出す。
食満の退避!と叫ぶ声に驚いて部屋の引き戸を開けると、顔から出るもの全部出ている一年生に同じく目鼻を赤くした三年生の四人を抱え慌てて飛び出そとする食満がいたのだ。
さすがに食満でも、同時に四人一緒は無理だろうと、西鶴も後輩を運ぶのを手伝った。
廊下まで飛び出して、とりあえず新鮮な空気のある所まで彼らを運び出す。
そして今、事の詳細を食満から聞いた所だ。
『さすが善法寺と言うか、すごいなお前らの部屋は。あんな匂いがするのか。』
「仕方ないだろ。まぁ、あいつらの様子にもっと早く気づいてやれなかったオレもオレだけど。」
『自分が慣れてると他人も同じだとつい思ってしまうからな。』
西鶴も何か思う事があるのか、軽く苦笑する。
『瀬戸田もよく薬草を調合してたから、何となく分かるよ。』
「そういやぁ、そうだった。」
食満の言葉に西鶴は頷き、ポッリと囁くように呟く。
『もう、あの部屋はその残り香すら匂わないけど・・・。』
その声は僅かに寂しさを含むとても小さな呟きだった。
ハッとしたように食満が西鶴を見る。
西鶴が、先程見せた無邪気な笑顔は、いつもあいつらと一緒の時に見たものだった。
オレ達と居る時には、西鶴は一歩引いたようで、その笑顔を目にする事は少ない。六年間同じ組で過ごしたが、こんなん風に間近で見た事が殆どない気がする。
―― そういやぁ、こいつは、あいつらと離れて今は一人なんだよなぁ。――
それは、確かに寂しだろうと今更ながら気がついた。
普段から目立たない西鶴なので、そうゆう彼の感情にオレは気がつきにくいのだ。
それに彼自身がそうゆう感情を隠している節がある。
―― 西鶴にとって、そんなにもオレは頼り無い存在なのか。――
などと考えていたら、制服の裾を引っ張られて、そちらに視線を向ける。
そこには、遠慮がちに裾を引っ張る作兵衛がいた。
「あの、食満委員長。これからどうするんです。」
「作兵衛大丈夫なのか。もう、あの部屋では作業が出来ねぇし…。もう少ししたら、守一郎がもどってくるからな。
おい、西鶴。お前、何か用事があって来たんじゃねぇのか。」
留三郎の問いに西鶴も、そうだと用事を思い出す。
『物置小屋を掃除してて、雨漏りを見つけたんだ。用具委員会で修理してもらえないか。』
「雨漏りか。作兵衛、確か板の切れ端がまだ残ってたよな。」
「アヒルさんボートの修理に使った板ですね。用具倉庫に残ってますよ。オレ、今すぐに取って来ます。」
用具倉庫に駆け出す作兵衛に慌てて西鶴が叫ぶ。
『場所は、東外れにある物置小屋だ。慌てなくていいから。』
叫んだ声が聞こえたようで作兵衛から「はい!!。」と大きな返事が返ってくる。
『あの三年生は、いい子だなぁ。』
「そうだろう。でも、何があっても図書委員会に作兵衛はやらんぞ。」
その食満の発言に西鶴は目を丸くする。
そして、クスリと笑みを浮かべた。
『安心しろ。今更、図書委員に引き抜かないよ。俺はもう図書委員でもないしさ。しかし、食満がそんな事言うなんて……。』
そう笑う西鶴に食満は驚いた。
―― まさか!!。図書委員を辞めてたのか。――
流石に六年生にもなれば、一々皆で集まって委員会を決めたりはしない。だから辞めていたなんて事実は西鶴から聞かなければ留三郎は知るよしもないのだ。
同じ組の仲間であったとしても。
ましてや、西鶴と同じ委員会だった長次がその事を周囲に言いふらす事もないだろう。
留三郎は驚いたが、それでも間近で見た西鶴の笑みが、落ち着いた穏やか笑顔だったので密かに安堵した。
―― こいつが、辞めた事に落ち込んでいないなら、それはそれでいいか。――
留三郎も彼につられたように口元を緩めた。
+++
トントンとリズム良くカナヅチの音が屋根から聞こえ、西鶴は僅かに肩の力を抜いた。
―― 良かった。彼らに頼めて。――
屋根を見上げると食満と富松が雨漏りを修理してくれている。
西鶴の頼み事を用具委員の彼らはあっさり了承してくれたのだ。
―― こんなん事なら、つまらない意地なんて張らないで、これからも頼んだりした方がいいのかなぁ。――
そう思ったのは、過去を振り返ると素直に頼んでいれば、解決出来たであろう事柄があったと気付いたから。
思わず苦笑が溢れた。
何でも一人で出来ると思い込でいた。自分は一人でも大丈夫だと意地を張っていた。
でも、実際に一人になると出来ない事は沢山ある。
だからと言って、自分の秘密を守る為にも、周囲に壁を作る行為はやめれない。
でも、人との距離感をどう取ればいいのか難しくて悩んでしまう。
彼らから離れたいのに、彼らの傍にも居たい。
先程、七松に手を掴まれた時も今みたいに距離感が分からなくなった。
矛盾する感情が頭の中をグルグルと駆け巡る。
昨日の善法寺の時と同じように答えは簡単に出てくれない。
「「「先輩。せんぱーい。西鶴センパイ。」」」」
3つの幼い声が、西鶴を現実へと引き戻す。
「先輩、あの。これどうしますか…。」
平太が古い桶を手に持ち、首を傾げている。
「せんぱい。これが、ナメ太郎でね。あれが、ナメ之介、ナメ菊にナメ丸!!。あと・・・。」
ナメ壺を手に、一生懸命にナメクジ達の名前を紹介する喜三太。
「西鶴センパイ。何か食べ物持ってませんか。ぼくおなかすいちゃったー。」
と凄い音でしんべヱのお腹が鳴っている。
そんな三人を見てると
今は、悩んでいても仕方がないかと思えてくる。
少しづつ、この生活環境に慣れてゆくしかないのだ。
西鶴の苦笑で歪んだはずの口元が、自然に笑顔へと変わった。
+++
屋根の下から楽しそうな一年と西鶴の笑い声が聞こえ留三郎は僅かに安心した。
西鶴は、後輩達とは普通に接しているようだ。
「良かったですね。」
そんな作兵衛の一言に、一瞬ドキッとする。オレが西鶴を心配してるのがバレたのかと思った。
けれどそれは、オレの勘違いだ。
なぜならば、作兵衛は西鶴の事を言ったのではなく、今修理している雨漏りについて言っただけ。
その証拠に一言の後に
「この雨漏り、すぐに直せそうですよ。」
と言葉が続くからだ。
「そうだな。下の床板もあまり傷んでないし。最近、穴が開いたんだろう。」
オレは、動揺する事なく穴を修理しながら作兵衛に返事を返す。
修理を終えて下に降りると、西鶴が待っていた。
『終わったのか、お疲れ様。』
「あぁ、思ったほど雨漏り酷くなかったぞ。」
『そっかぁ。でも、助かったよ。俺じゃぁ直せなかったし。食満、ありがとう。』
素直に頭を下げて、西鶴からお礼を言われ、少し照れくさくなったオレは横を向く。
「あれくらいなら、いつでも直してやるよ。それより、お前はもう少しオレ達を頼れよ。」
オレは、西鶴が下げた頭をガシッと掴む。
「頼み事ぐらい、ちゃんと聞いてやるから。遠慮なんかするな!!。」
ほんの一瞬、力を込めただけですぐに手を退けた。
そのまま、西鶴に背を向けて作兵衛達が居る方へと歩き出す。
残された西鶴の顔がほんの少し赤く染まている事に気づかないまま食満はその場を離れた。
西鶴が見えない位置まで来ると溜め息混じりに苦笑する。
―― まさか、うっかり本音が出てしまうとは思いもしなかった。――
でも、言った事に後悔はしていない。
あのまま、西鶴が誰も頼らないままでいたら、一人ぼっちになり孤立してしまうかもしれない。
「あいつを、一人ぼっちになんてさせるもんか。」
留三郎は、呟く様に言った。
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