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寂しいでしょう、と言われても、正直な話私にはただただ苦笑いを浮かべることしかできない。「…そんなことはないですよ。」なんてありきたりなせりふを口にしながら、私の視線は足元でかさかさと音を立てる落ち葉へと向けられる。 手にした竹箒の柄が冷たい。ついこの間までは暑くてたまらないとこぼしていた口で、今度は寒い寒いと呪詛のように呟く。ここのところ寒い日が続いたが、特に今朝はぐっと冷え込んだ。その証拠に、昨日までは何でもなかった庭の水道が、今朝になって蛇口を捻っても水一滴出てこなかった、なんてことがあった。 冬が来たのだ。 あんなことがあって、奥様もさぞお辛い思いをなさったでしょう。まさかこんなことになるなんて誰が思ったでしょうね…。 …ええ。 眉を下げ、悩ましげに口元に手を当てる彼女を、私はやはり曖昧な笑みで見つめ返すしかない。 そんな私に何を思ったか、彼女はさらにこう続ける。 …旦那様のことで落ち込む気持ちは痛いほどよく分かります。私も、早くに旦那に先立たれた身ですから。だけどね、こういう時ほど前を向かなきゃ。下ばっかり見て過ぎたことを悔やんでいてはいつまで経っても先に進めないもの。 一通りの挨拶を済まして部屋に入ると、ハンガーに掛けられた持ち主のいない白いワイシャツが目に入った。几帳面な彼の性格をうかがわせるような、皺のないノリの利いたシャツ。換気をしようとしてそのまま、朝からずっと開け放したままにしていた窓からの冷たい風に揺られてひらひらと袖を揺らしていた。そっと壁から外し、外してから、これ、どうしようか…と困惑する。 持ち主である彼はもういないのだ。このまま家においておく理由はない。だけれど、二三度着ただけのワイシャツなだけに捨てるのもなんだかもったいない気がした。かと言って私が着るわけにはいかない……。 ぼんやりと考え事をしながら何気なく、(本当に、そう、何気なく。)手にしていたワイシャツに顔を埋めた。ふわりと鼻孔をくすぐったのは家で使っている洗剤の香りと、冬の空気の冷たい香り。それから、微かに香った彼の匂いだった。 ああ、捨てるなんて出来ないと思った。 生前の彼の顔が浮かんで消えた。真っ白なワイシャツに袖を通す彼の背中が見えたような気がした。 伴侶に先立たれた女性は言う。『前に進まなくちゃ』と。だけど、どうしたらそんな気持ちになれるだろう。私は先に進みたくない。ずっとここにいたいしどこにも行きたくない。ずっと彼の側にいたかった。出来るのならどうか一緒に連れて行ってほしい。置いていかないでほしい。一人にしないでほしい。 皺だらけになってしまったワイシャツを洗濯機に入れてそっと蓋をした。 次にまた干した時も、そのまた次に干した時も、私はきっと、今日と同じ事を永遠繰り返してしまうんだろう。彼のいないこの部屋で、彼のことを恋しがるのだ。 やるせなくて目を閉じたら、堪えきれなかった涙が一粒ぽろりと頬を伝っていった。 寂しくなんかないですいとおしさは消えてはくれませんが 2011.12.3 ------------- 「獣」よりお題をお借りしました。 |
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