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人のなかなか通らない、寂れた商店の間を縫うような小道だ。昼間でさえ数えるほどしか人の姿を見かけないそこは、当然、夜遅い時間ともなればほとんど無人といっていいほど閑散としている。太陽の光でさえ届かないような、気味の悪いじめじめとした薄暗さが、さらに人の足を遠ざけていた。
そんな怪しい道をバイト帰りの近道として利用していたわたしは、その日の夜も、いつものように大通りから右へ折れ、一本も二本も入った入り組んだその路地へ、なんの気なしに足を踏み入れたのだった。
いつもだったらわたしぐらいしか利用者のいないそこに、今夜は驚くほど多くの先客があった。
がたいのいい彼らは、手に手にバットやら角材やら鉄パイプやら、いかにも武器になりそうな物騒な代物を身に付けて、中心にいるたった一人の人物を取り囲むようにむさ苦しい大きな輪を作っていた。緊迫した空気に、リンチだ、と一瞬にして状況を悟ったわたしは息をのみ青ざめた。
わたしの立つ位置からは彼らに取り囲まれている人物の姿を見ることは叶わない。どうしよう、と頭の中でぐるぐると様々な思いがひしめき合い、わたしの足を動かそうとしたり、かと思えばその場に引きとどめようとしたり忙しなく働いた。どうすればいいのだろう、どうすれば…。
気が付いたときにはわたしの口は勝手に動いていて、そんな自分を客観視する頭の中の冷静な自分は、ああ、やってしまったと嘆くように呟いていた。
「お、お巡りさーんこっち!こっちでーす!」
マンガやなんかでよく聞く台詞だったから、考えもせずするりと口から飛び出したのだと思う。わたしの演技力がどうだったかはイマイチ分からないが、彼らがびっくりしたように一斉にこちらを振り返ったことから、少なからず彼らの気を引くことは出来たのだ、と余裕のない頭の隅でぼんやりと思った。
あとはよくある通り「やべぇサツだ!ずらかるぞ!」なんて小者のような台詞をはいて尻尾を巻いて彼らが逃げてくれればいい。それがわたしの描く最高のシナリオだ。そうであってくれなくちゃ困る。困るのだ。頼む、そうであってくれ。
一瞬の沈黙がまるで一分、いや、一時間近い途方もなく長い時間に感じられた。不意に顔を見合わせた彼らのうち、多分リーダー格だろうと思われる人物が、「おい」と、自分より格下であると思われる男に声をかける。「ちょっと見て確かめてこい。」と。
(お、終わったー…!)
当然、警察なんかいるわけがない。わたしの口から出たでまかせだ。今大通りを確認しに行ったところで、いもしない警察が待機している確率は限りなく0に近い。世の中そんなに甘くはないのだ。彼ら全員が全員「警察がきましたよ」「はいそうですか」で頷くはずがないことなんてよく考えればすぐ分かることなのに、マンガの中の主人公に自分の姿を重ねてとっさに良いカッコしてしまったわたしは、相当の馬鹿だ。自身の愚かさに絶望する。
なんてこった。
もう終わりだ。
とっさに自分の死を覚悟した、まさにその時だ。
「余計な真似ばっかしやがって……」
痛いくらいの沈黙を破り口を開いたのは、今ちょうど男たちに取り囲まれ窮地に陥っているはずの『彼』であり(実際声を聞くまでその性別すら分からなかったのだが)、本来なら一番混乱して取り乱しているはずの人物で。
だけど、姿の見えない彼から発せられたその声はなぜかひどく落ち着いていて、言葉の通り心底わたしに呆れている風な、少し苛ついたような声の調子は今のこの状況とひどくミスマッチだった。
どこかで聞いたことのある声だな、と思いよくよく目を凝らせば、人垣の向こうにちらりと見えた彼の制服はわたしの学校で指定された男子用の、黒に金ボタンの映える学ランで。
さらに驚いたことに、顔の見えない彼はまるで呼び慣れた言葉のようにわたしの名前を呼んだのだ。
「言ってんだろいつも。てめぇの親切とやらは他人からすりゃ余計なお節介なんだって。自分がトロいってことにちったぁ自覚もてよ。」
「そ、その声は…」
「俺のことなんざ放って黙って通り過ぎちまえばいいのによ。結局自分も上手いこと巻き込まれてヒィヒィ言わされてんじゃねぇか。馬鹿なのかあんた。あァ?」
「伊達君!」
わたしが彼の名前を呼ぶのと、彼が手近な男の顎を殴りその巨体をふっ飛ばすのとはほぼ同時だった。
男の手を離れ地面を転がった鉄パイプを拾い上げ、その感触を確かめるように右手で何度か握り直した彼を、周りを取り囲んでいた男たちは唖然として見つめていた。
「今のうちじっくり反省しとくんだな。」
鋭くぎらつく獣のような彼の眼光に、どうしよう、この人たちも伊達君もどっちもいやだな、と思ってしまったわたしは、伊達君の言うとおり少し自分の危機管理ができていないのかもしれないと今更ながら反省をした。
2012.2.21
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