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悋気とはなんぞや。
恋とはなんぞや。
「確かに、世間一般に言えば女性というのは悋気を起こさない者が美しいとされるな。」
「……」
「妻の他に女を囲うなんてなにも珍しい話ではないだろう。浮気は男の甲斐性、とはよく言ったものだ。女だってそれを承知で惚れた男と一緒になるんだろう。」
「……斎藤先生もですか。」
「ん?」
「斎藤先生も、悋気を起こさないおしとやかな女性の方がお好きですか?」
「……」
「お梅さんみたいに。」
ぐずぐずと鼻を鳴らし、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を豪快に懐紙で拭う年齢不相応に男勝りなこの少女は、どうやら隊内屈指の剣の使い手である沖田先生に絶賛恋の真っ最中のようなのである。
ようである、などと言ってはいるが、実際、毎度彼女の恋の相談を受け、こうして助言を与えているのは今のところ自分以外の人物に思い当たる節がない。
彼女の気持ちを後押しし、その意中の相手を彼女に自覚せしめたのは他ならぬ俺自身だ。
女性関係の噂がとんとなく、一時期は衆道の気も疑われたことのある俺のような男に、わざわざ惚れた腫れたの相談を持ちかける彼女の気が知れない。
歩く瓦版と名高い永倉さんが、ここのところ目新しいネタがないからと、あることないこと面白半分に屯所中でふれ回ってことは未だ記憶に新しい。おかげで一時は、勘違いした頭のおめでたい輩にやれ厠だ やれ行水だ と毎日のように付きまとわれて、それはもうたまったものではなかった。極めつけは、稽古を付けて欲しいと言うから言われるがまま道場裏までのこのこ後を着いていったところを、念者になって欲しいと若い隊士から涙ながらに懇願された。変に否定すると余計怪しまれるからと全ての噂を黙って受け流していた俺も、流石に最後は永倉さんに掴みかかった。
まさか彼女とてあの噂を知らないわけではないだろうに。
根も葉もない作り話を信じられるのも迷惑な話だが、相談する相手ぐらいもっと選んだらどうなんだと、一般人と比べいささか感覚のずれている彼女が心配でならない。
部下だから身内だから構わないなどと、そういう問題ではないのだ。
自分含め、欲のない男なぞこの世に存在しないという事にそろそろ気がついて欲しい。
隣に座る男が、慈悲深い聖人君子でもましてや娘を見守る心優しい父親でもなんでもないということを彼女はそろそろ悟るべきだ。
鈍い奴め、と心の内で罵りながら、しかしいざ、その鈍さ故 実際に何か取り返しのつかない事態が彼女の身に起こるとしたら、誰よりも何よりも取り乱すのはきっと自分だ。それがまたやるせなかった。
見た目に似合わず、まるで繊細な乙女のような心を持つこの男装女子は、なにを血迷ったか、沖田先生がお梅と呼ばれる女性に想いを寄せているのだと言って憚らない。
お梅、と言われて真っ先に思い浮かぶ人物と言えば、菱屋太兵衛の妾、芹沢局長の愛妾のあのお梅くらいのものだが。
果たして彼女の話が真実だったとして、彼女の指す人物が自分の認識する『お梅』だったとして、あの沖田先生が、一端の商屋の妾に絆されてしまうという話はにわかに信じがたいものがある。
三度の飯より、傾国の美女より、刃を交えた命のかけ合いを何よりも愛するあの男が。
十中八九、ただの噂話に過ぎないのだろう。
どうせまた永倉さんかそこらへんが広めた、くだらない与太話に決まっている。
だというのに、そんな些細な与太話に、まるでこの世の終わりであるかのように嗚咽を漏らし涙で着物を濡らす彼女を見ていると、ここまで想われている沖田先生が無性に羨ましくてたまらなくなる。
なんで俺じゃあないんだろう、と彼女の背をさすりながらぼんやりと思った。
2013.5.5
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