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長いこと団長のもとでパシられてきて一つ分かったことがある。いつも崩れることのないあの笑顔にも実は非常に僅かではあるけれど彼の感情が隠されているということだ。
口元のつり上がりや目元の微妙な動きでかろうじて分かる程度なので大抵の人には理解できないようであるが、冷笑したり笑ったり冷笑したり、団長は実に様々な表情をする。(…あれ、冷笑してばっかじゃね?)
そんなかの暴君神威さんは、そうは言ってもなかなかな思考をしておいでであるから、表情は読めても腹の底までは見て取ることができない。一体全体普段彼が何を思索しどう感じているのか、推し量ることは到底不可能だと言っていいだろう。
しかし、しかしである。
今目の前で私を見つめる神威さんはどこからどう見てもご機嫌で、おや面白いものを見つけたぞとその心の内を表情全体で語っているように見えた。
残念なことにこの人がこういう表情をしている時、決まって私はろくな目にあったことがない。大抵ろくでもないことを言い渡され、そして散々な結果に終わるのだ。
以前、ジンベイザメと人間はどちらが強いか知りたいという理由のためだけに巨大水槽の中に蹴り落とされたことがある。もしあの時阿伏兎さんが私を引き上げてくれていなければ、きっと私は今頃ジンベイザメと戦わずして溺れて死んでいたであろう。
(あの時の阿伏兎さんの私を憐れむような視線はきっと一生忘れない。)
『阿伏兎ざん助げ…ぐふっ』
『ちょ、団長何してんだなまえ溺れてんじゃねーか!』
『んー?』
『んー?じゃねえよ!!白目剥いてるぞアレ!ちょ、待ってななまえ、…ほらこれに掴まれ。』
『はっ、はぁ、はぁ、おええっ…あ、阿伏兎ざぁああん!!』
『おうおう泣くな泣くなみっともねぇ。っつーか何?話が全く読めねえんだが。』
『だ、団長が、ジンベイザメが、』
『おいおい落ち着いて話せよ。何、ジンベイザメが?』
『どっちが強いか…って…!』
『?』
『阿伏兎さん後ろ!!』
『…は?』
ばっしゃーん
『あ、阿伏兎さぁあああん!!』
『ははは。だめだなぁ阿伏兎隙ありすぎ。』
『な、なんでこんなことするんですか団長!』
『……なんとなく?』
『な、なんとなくって!』
『…ぷっは!おいこらてめっ団長!なにしやがんだ殺す気か!』
『あははははそんなんだから神楽にも負けるんだよ阿伏兎。女にデレデレしすぎ。』
『おい、それとこれとは話がちげーだろうが!』
『違わないよ。』
『…………』
『このロリコン。下心見え見えなんだよいっぺん死ね。』
『(え、ちょ、ええええ何で団長キレてんの。)』
『……お、おいおい団長。別に俺はなまえのこと…』
『…あ、』
『?』
『阿伏兎下、下。』
『へ?…うおおっ!?』
ざっぱあああん
『え、ええええええ?!!』
『ははは、阿伏兎のやつ食われてやんの。』
『ちょ、笑い事じゃないですよ団長!!しかもあれ、ジンベイザメじゃなくて普通にシロナガスクジラじゃないですか!!でかっ!』
『でかいね。』
『ですよねー……じゃなくて、ちょ、阿伏兎さぁああああん!!』
(ああ、今思い出してもぞっとする。)
唯我独尊、俺様何様神威様である彼の無理難題なんて、今に始まったことではないのだけれど。
(きっとまた、ろくでもないことを言い渡されるんだろうなあ…。)
どこか嬉々とした表情を浮かべる目の前の神威さんに自然と足が後退した。
防衛本能って何?と聞かれたら今なら少しだけ答えられる気がする。
「ねえなまえ。」
「な、なんでしょう…?」
にこにこと張りつけたような笑顔を浮かべ、尚も迫り来る神威さん。
ああ、悲しいかな。嫌な予感しかしない。
感情の読めない彼の、弧を描いていた口元がやるりと歪み、その無駄に爽やかな声が発せられるまでの数秒間が、私には数時間の事のように感じられた。
「ちゅーしよっか。」
それは死刑宣告
「え、い、嫌だ。」
即答した途端、十字固めが見事に決められたことは言うまでもない。
「ちゅ、う、し、な、よ、」
「いだだだだだ死んでも嫌です!」
「じゃあ死ね。」
「うわぁああ勘弁してください今のは言葉のあやです!」
なんなんだこの人もうわけ分からん!
背中にまたがる神威さんを思い切って(ある意味命がけで)睨み付けてみようと首を捻ったところ、そのままがっちりと手で頭を固定されてしまった。
「じゃあさ、俺とちゅーすんのと、阿伏兎に『めちゃくちゃにして…』って言うの、どっちがいい。」
「どっち取っても最悪じゃないですかぁああ!!」
「阿伏兎ならきっと望み通りにしてくれるヨ。」
「望み通り臓器という臓器をめちゃくちゃにしてくれそうですよね。嫌ですよそんなの!」
「じゃあ俺とちゅーする?」
「それも嫌だ…!」
「我儘だねえ、なまえは。」
「うっ…」
「かっわいいなぁー」
突然、ぎゅうぎゅうと抱き締められ頬ずりされて、恥ずかしいやら驚愕やらで体がぴしりと石よろしく硬直し、瞬きすら出来なくなってしまう。ぱくぱくと開閉される口からは空気が漏れるばかりで肝心の声が出てこない。神威さんてば、一体全体どういうつもりなんだろう。やっぱり、私のことをからかってやっているのかな。きっとそうだ。こんな、抱き締められるだなんて私、慣れてないのに…。もうやだ今絶対顔赤いよ!ああ何で私ばっか、こんな、
「安心しなよ、仮にあんたが阿伏兎に『めちゃくちゃにして…』って言ったところで、めちゃくちゃになるのは阿伏兎の方だから。」
「なぜ!?」
そんな無駄な攻防戦を繰り広げていた時だった。私たちの目の前をまるで何事もなかったように阿伏兎さんが通り過ぎようとした。ここで彼という救世主をみすみす逃す手はないだろう。私は渾身の力を込めて彼の団服の裾を掴んだ。
「あ、阿伏兎さんナイスタイミングです…!」
「……………ちっ」
「舌打ち?!」
あーあ、こいつ余計なことしてくれやがってと言いたげな阿伏兎さんの視線がぐさぐさと痛い位私に刺さった。そ、そんな顔されたって、私だって結構必死なんですよ…!
「なに阿伏兎…じゃないやロリコン、まさかお前なまえのこと助けちゃったりするわけ?」
「だからロリコンじゃねえって何度も言ってんだろうが!つうかいじめてる自覚があるならやめてやれよ。」
「あ、阿伏兎さん……!」
あの神威さんに尻込みせずずばっと自分の考えを口にできるその姿勢といったら、もう!信じてた、私阿伏兎さんだけは私の味方だって信じてたよ!貴方はやっぱり正真正銘神の申し子だ…!
感動にうち震え言葉に詰まる私の体の上で、神威さんが飄々とした態度で口を開いた。
「え、なに、自覚が何だって?聞こえなかった阿伏兎、もう一回。」
「…は?だからいじめてる自覚があるなら、」
「え?」
「…………だから、」
「え?」
「…………」
「…………」
「……………悪ィなまえ。」
「阿、阿伏兎さんんん?!」
ちょっ、さっき貴方のことちょっぴり見直したばっかりなのに!基本事なかれ主義の阿伏兎さんはものの数分で見事に私の淡い期待を裏切ってくださいました。そこはさぁ、もうちょっと粘ってくれてもいいじゃない!阿伏兎さん一応歳上なんだし!
そしてこれはそれとは全く関係がないことだが、さっきから私の肩辺りに何かが思いっきり食い込んでいる。何だろうこれ、めっちゃ痛い!無理な体勢に必死に耐える己の体に鞭打って、ギシギシ軋む首を恐る恐る回しちらりと振り向けば、爽やかな顔して私に腰掛ける神威さんが目に入った。どうやら私の肩に置かれていたのは彼の手、だったらしい。服にそれはもうぐしゃっと皺が出来ていた。………うん。なんか神威さん、怒ってない、か…?
「賢明だね、阿伏兎。」
「……そりゃどうも。」
いや、怒っているだなんて、そういうレベルじゃなかった。なんでもっと早く気が付かなかったんだろう。よく見てみれば阿伏兎さんも顔面蒼白だ。ちらりと一瞬こちらを振り向いた阿伏兎さんの口が、神威さんにばれない程度に小さく動いた。『ばかやろう』。ああ、ごめんなさい阿伏兎さん。
「あのっ…神威さん!」
「んー?」
「あ、わ、私、ちゅーはさすがに出来ませんけど、(恐れ多くて)」
「………」
「他のことなら色々出来ると思いますよ。」
「……ふーん。例えば。」
「例えば…!そ、そうですね、美味しいご飯が作れます。」
「あれが?美味しいって?」
「うっ……。」
「あはははは、まあいいや。」
大して気にした様子を見せずけろりと態度を変えた神威さんは、よいしょと私の背から腰を上げると同時に思い切り私の腕を引いた。
「そういえば俺、今すごく腹減ってるんだよね。」
「えっ」
「作ってよ。美味しいんでしょ。」
力強く彼に腕を引かれるまま慌てて立ち上がった。これはもしや、神威さんご機嫌取り作戦成功……?
恐る恐るその横顔をうかがう。
…よしよし、何だかよく分からないけどうまくいったみたいだぞ!思わず阿伏兎さんに小さくブイサインをして見せた。やりましたよ、阿伏兎さん!
そのまま意気揚々と立ち去るなまえと、その背を押す神威。
しかしなまえは知らない。去り際、ほっと胸を撫で下ろし溜め息を吐いていた阿伏兎の表情が、ちらりと振り返り薄く笑った神威の顔を見た途端ぴしりと凍り付いたことを。
その口が音もなくぱくぱくと告げる。
『後で覚えてなよ、阿伏兎。』
声にこそ出していないが、言わんとしていることは何となく分かってしまった。
「転職するか…。」
2009.11.17
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