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保健室の前を通りかかった時、中からぬっと手が伸びてきて、あれよあれよと言う間に中に引きずり込まれてしまった。その力は少し強引で、引かれる手首がちょっぴり痛かった。何すんだい、このやろう。目の前に広がる赤シャツに大体相手の予想はついていたが一応念のため顔を上げる。こちらを見下ろす不機嫌そうな表情。なんだかイライラしているみたいだ。保険医高杉先生、ご立腹。私の頭上、彼の手によって乱暴にドアが閉められた。
ガラガラ ピシャン
次いで鍵を掛ける音。
ガチャリ
これには正直少し焦った。
「何するの、先生。」
「あ?何するのじゃねぇだろ。」
低く唸りこちらへと視線を寄越す。
(あ、なんかやばいかも。)
先生の声がいつもよか低い。
両手を壁について私が逃げられないようにすると、僅かに首を傾け舐めるような視線を落とす。
「銀八から聞いたぞ。お前土方と付き合ってるんだってな。」
「…………」
「なぁオイ、どういうことか説明してもらおうか。」
怒ってる。
そりゃそうだ。彼にとって一応恋人である私が、何故か他の男と付き合っていることになっているのだから。
しかし言っておくがこれは決して浮気ではない。
なぜなら……
「先生は私に、好きだとも付き合おうだとも言ったことない。」
「は?」
「私たち、付き合ってるわけではない。そうでしょう。」
「…だったらなんだ。」
怯みそうになる自分を精一杯鼓舞して息を飲んだ。
(流されちゃ駄目よ、私。)
「私が、先生が抱える女の子たちの内の一人であるように、先生もまた私の中でそういうポジションにあるっていうことだよ。」
嘘。
土方くんと付き合ってるだなんて、本当は全くのデマだ。この噂だって実を言うと、私と銀八先生と土方くんしか知らない。私が彼らに無理言って口裏を合わせてもらったのだ。
本当に好きなのは、高杉先生。先生だけ。じゃあ、なんでこんなことするのか。答えは決まってる。
(“みんなの”高杉先生に耐えられる程、私は強くない。)
(これってただの私の我が儘なんだろうか。)
いらないと言われるならそれでもいい。そうすりゃきっぱり諦めがつくし(そりゃあ多少はショックも受けるだろうけど)、なにより今の私たちの、このよく分からない曖昧な関係が終わってくれるのだ。これから先、私は先生の一挙一動に傷つかなくて済む。例えどんなに先生が他の女の子と仲良くしようが、私には関係なくなるのである。ただの一生徒と、ちょっと格好よくて気になる保険医。それだけだ。先日、肉感的な、セクシーで美人の先輩方が保健室のベッドで先生に言い寄っていたことも、この間ついこっそり見てしまった先生の携帯のアドレス帳に結構な数の女の子の名前が登録されていたことも、いつかすっかり、きれいさっぱり忘れることが出来るはずだ。きっと出来る。そうでなきゃ困るのだ。
「残念。本命は先生じゃない、土方くんなんだよ。」
余裕がないなんて知られたくなくて、出来る限り平静を装って笑ってみた。ぎこちなさは拭いきれないが、うまく笑えたと、思う。
多分。
「ざけんな。」
先生がポツリ、呟いた。
聞き取れるか聞き取れないかの声だったけれど、確かに。
不意に腕を引かれた。
体が傾き、慌てて体勢を立て直す。なんなんだ。文句を言おうと思い口を開きかけたが、結局声は出ずに驚きで引っ込んでしまった。
彼が突然、私の腕を掴んで歩きだしたからだ。
「ちょ、」
「……」
「どこ行くの…?」
「土方のクラス」
「…………」
「言っとくけど、俺ァ認めねぇからな。なにが土方の彼女だ冗談じゃねぇ。」
「……………」
「……俺への一言も無しかよ。」
強気な言葉とは裏腹に、私を掴む先生の手にきゅっと力がこもった。そんな彼の骨張った指を見つめ、それからその後ろ姿をぼうっと見つめる。
細く見えて意外と逞しい背中。少し跳ねた髪。糊のきいた白衣。煙草の匂い。全部全部、先生の傍にいて初めて気付けたことだ。
不意に立ち止まり振り返ったその表情に、思わず息を呑む。
私を見つめる片方の瞳が、ゆらゆらと不安げに揺れていたのだ。少し紅潮した頬で、細められた瞳で、私を見つめている。
暫く漂わせていた視線を足元へ落とすと、行くなよ、なんて先生らしくもない弱気な台詞が漏れ聞こえた。
(……少しは期待してもいいのかな…?)
先程の台詞を頭の中でもう一度リピートさせてみる。
自信は、ない。
ないけど、だからって何もしないで指くわえて、先生がとられるのを傍観するのはやっぱり嫌かもしれない。…うん、絶対嫌だ。先生が私じゃない誰かの物になるなんてきっと私は耐えられない。私は、誰にも先生をあげたくないんだ。
かっこつけて相手を試したり、気のない振りをしたり、そういう腹の探り合いはもうやめよう。私は先生が好きだ。大好きだ。私がこんなにも先生を好きなこと、ちゃんと伝えたい。先生にだけはちゃんと知っていて欲しい。
口にする前から諦めて、何も言わずに逃げ出すのはもうやめだ。
ああ、私ってやつはこんなにも乙女だったのか。
先生、あのね
放課後の屋上。
私よりずっと綺麗で、私よりずっと可愛い女の子たちのアドレスが入った携帯を、先生は私の見ている前で躊躇なく破壊した。
「今週末携帯買いに行くから空けとけよ。」
と笑う先生の横顔が少年のように清々しくて、「いいよ。」と返事しながら私もつられて笑ってしまった。
2009.7.14
2020.3.1
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