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私はただの女子高校生だ。日本中、探そうと思えばどこにでもいるような、平凡で面白味なんかこれっぽっちもない、ありきたりな女の子。
だから、なんていうか…。今の私の心境を端的に表すならば。正直、すごく帰りたい。今すぐこの場から逃げ出したい。そんなかんじだ。
ほんのりと薄暗い店内に淡いオレンジのライト。落ち着いた色合いで統一された内装。カウンターに並べられているのは店内の明かりにキラキラと輝く色とりどりのグラス。流れるように穏やかなクラシックの音色が耳に心地いい。
ふと顔を上げれば、こちらから少し離れたところにちょうど会社帰りとおぼしき一組のカップルがやってきたところだった。トレンチコートに身を包んだ女性をエスコートして、男性がそっと椅子を引く。意識しなくても聞こえてくる二人の会話。…どうぞ。ありがとう。…それにしても今晩は冷えるね。…ほんと。確か、今日は夜中から雪が降るとかニュースで言ってたな。…雪?うん、雪。明日の朝、電車止まらないといいね。いやぁ、そこまでは降らないんじゃないかな………でももし電車が止まったら、この間みたいに僕の家に泊まって出勤したら?え、それって…。…あ、あぁそうだ、ね、何頼もうか。メニューを手渡し、視線が絡む。照れたような笑み。にこり。それを受けた彼女もまんざらじゃなさそうで…。
なんだか分からないけど、聞いている私のほうが恥ずかしくなってきてそっと窓の外へと視線を外した。超高層ビルの45階部分にあるこのお店からは、東京のまばゆい夜景が一望できる。チカチカと光り輝く数えきれないほどのビルの明かりが、ぐるりと窓の外を囲む。この高さにもなるとほとんどの建物が自分の眼下に広がっている状態だ。先程、彼にほぼ無理矢理車に乗せられ連れてこられたあの道も、街路樹も、駅も、人も、豆粒くらいの大きさにしか見えない。
メインディッシュが終わり、食べるものがなく手持ちぶさたになった私は、無駄にキョロキョロと視線を彷徨わせ、何か話題になるものはないかと夜の東京に目を凝らす。
(…あ、皇居だ。)
お待たせしました、とウエイトレスのお兄さんが銀色のトレイを持って私たちの席へとやってきたことで、私の思考は一時中断された。後ろへ回られ、コトリ、と恭しく私の目の前のテーブルに置かれたのは、無駄に大きく真っ白なお皿にちょこんと据えられた苺のムースのミルフィーユだった。
(ミルフィーユ…)
「どうした、食わねぇのか」
「!」
そっと目の前の男性――片倉小十郎さんを盗み見ていると、不意に顔を上げた彼とばちりと視線がかち合う。びっくりした私は慌てて視線を反らし、いえ…、なんて、何とも情けない返事を返す。
食べないのか。
たしかに。ごもっともな質問だ。
(そりゃあ食べたいけど…)
食べたいのは山々だが、食べられない事情がある。
…どうしようか。
聞いてみようか。
いやしかし…
暫し悩む。
「…あの、」
「…あ?」
思い切って声を掛けると、ちょうどフォークを手に取ったところだった片倉さんが訝しむようにしてこちらをうかがう。
「あの…少し、変なこと、聞いていいですか。」
「…変なこと?」
元々深かった彼の眉間の皺がさらに深くなった。
「言ってみろ。」
「……えっと…」
「………」
「………、その、」
「………」
「………」
……いや、やっぱり、とんでもなく恥ずかしい…かも…。もし今ここに穴があるのなら、今すぐ潜ってしまいたいくらい。いやでもしかし…
一つ息を吸い、私は恥を覚悟で口を開いた。
「ミルフィーユって、どうやって食べるんですか…?」
きょとん、とした表情の片倉さん。そりゃあそうだ。ミルフィーユの食べ方だなんて、そんなこと。大人なら当然知っていて、聞くまでもないことなのかもしれない。よほど予想外の質問だったんだろう、彼の目が僅かに見開かれていた。
ああ、ほら。だから言いたくなかったんだ…
恥ずかしくて恥ずかしくて、思わず真っ赤になった顔を隠すよう俯き、肩をすぼめた。膝に置いた拳の中は尋常じゃないほどの手汗でじんわりと湿っている。
…いやいやいや。だって、しょうがないよね。私、こんなところでお食事するの、初めてなんだもの。私、片倉さんと違って、まだまだ子供なんだもの。
不意にフッと片倉さんが口端を持ち上げた。
「んなこと気にしてたのか」
「っ…」
言葉に詰まり、さっと目を逸らす。分かってるよ、自分でも。子供っぽいってことくらい…。
片倉さんといると、彼に比べて自分がひどく幼く思えてしまい、時々ひどく焦りを覚える。そうして一通り焦った後は、総じてどこか淋しい気持ちになるのだ。
いくらわたしが背伸びしたって、彼には一生届かないのではないか。わたしなんかでは、到底片倉さんと釣り合わないんじゃないだろうか。そんな気がしてしまうのだ。
「なまえ」
「…」
拗ねたようにそっぽを向き、決して自分と目を合わせようとしないわたしに、片倉さんはちょっと困ったようにため息を漏らした。そんな些細な彼の行動にすら、チクリと胸が痛むわたしがいる。
(迷惑かけてる…)
早く何か言わなくちゃ。何でもないよ、冗談冗談。さぁ食べようって。分かっていても、そんな簡単なことがなかなか出来なかった。顔を上げるのが怖い。呆れられて、面倒だと思われて、そうして、テメェみてぇなガキには付き合いきれねぇって、そう言われたら…
自分で想像しておいて、体が強ばった。
なまえ、と、片倉さんが再びわたしのなまえを呼んだ。
彼がこちらに手を伸ばしたのを気配で感じた。思わず目をぎゅっと固く瞑ると、ふわっと音が付きそうなほど優しく、わたしの頭に何かが触れた。一瞬なにがなんだか分からず茫然とする。少し遅れて、それが片倉さんの大きな掌だと分かった。
「なまえ、」
恐る恐るではあるが、今度こそちゃんと顔を上げる。
「そうやって無理に背伸びするこたぁねぇ」
「……」
「お前は普通にしてりゃいいんだ」
ゆるゆると頭を撫でられ、涙が出そうになる。
…好きなように食え、だって。
(なにそれ…)
嬉しいけど、ちょっとだけ悔しいような…。…ううん、やっぱり嬉しい。
優しく微笑み、わたしが欲しかった台詞を、欲しいタイミングで与えてくれる彼は、やっぱり大人だ。
細められた彼の瞳と視線がぶつかり、じわじわと頬が熱を持つ。好きだなぁ…と実感する。胸が苦しくなる。好きすぎて好きすぎて、頭がおかしくなりそうだ。
(ああもう…駄目だ、やっぱり早く帰りたい…)
恋人ごっこ
「好きなようにって、言っても…」
再びミルフィーユに向き直ったはいいものの、依然困惑している私を見かねたのか、片倉さんが自分の手元を見やすいように広げてくれた。
「ミルフィーユはこう、な。優しく寝かせて食うんだ。」
「へぇ………」
そうなんだ、知らなかったなぁ、と感心する気持ち半分。僅かな違和感半分。さっきの悔しい気持ちも手伝い、ちょっとからかってみようかなって気持ちになる。
「……」
「……」
「……なんだ、その顔。何か言いたそうだな。」
目を細め、訝しむようにこちらを見つめる片倉さん。
「…片倉さんが『寝かせて食う』だなんて言うと、なんだかいやらしく聞こえる…」
「馬鹿野郎、それはてめぇの耳がおかしいんだ。」
「『寝かせる』んじゃなくて、『倒す』んだ、きっと。」
「どっちだって同じだろうが。寝かすも倒すも。」
「………」
「………」
(あれ…?)
なんだろう。
冷や汗が…
「……自分で言ってて恥ずかしくなったんだろう。」
「!」
「くっ… なぁ、図星か。」
「…っ」
「なぁ」
「っ!う、うるさい!ですっ」
「…ガキ」
はっと鼻で笑われた。
く、くっそーまた子供扱い…!
先程のような不安な気持ちにはならないものの、やはり聞いていてあまり気持ちのいい単語ではない。
…大体そんなガキを一緒に家に住まわせて喜んでいるのはどこのどいつだこのエロオヤジ!
…と、言ってやりたい。…言えないけど。(だって言うとあとが怖いんだよ。)
「…お前今、すごく失礼なこと考えてただろう」
「うぇっ!」
「……」
「 …べ、別に」
「……」
疑っている…
「………そ、そうですね。ただ、のっぴきならない事情があるとはいえ、自分の生徒と同棲してて、しかも夜にこんな高級レストランに連れ出すような先生ってどんな変た……物好きかなぁって考えてただけです。」
「…テメェ……」
「!ヒッ…!」
「部屋戻ったら覚悟しとけよ」
片倉さんを言い包められたことにちょっとだけいい気になってふんぞり返っていたら、机の下で膝を思い切り撫であげられ、情けない悲鳴をあげてしまった。
恨みを込めて睨み付けてもどこ吹く風。片倉さんは何事もなかったかのようにさっさとミルフィーユへと手を伸ばしていた。
…前言撤回。
大概、この人も大人気ないと思う。
2011.2.21
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