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名前変換
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彼に会いたい
一度そう願ってしまえばもう居ても立ってもいられず。
私の足は思うより先に家を飛び出し、坂を下り民家を抜け、賑やかな商店の前を過ぎ畑道を越え、私が初めて彼と出会った場所、彼の畑へと向かっていた。
道中、私の頭の中を占めていたのは先日の『あのこと』。
考えれば考えるほどに気分は落ち込んだ。
「景綱さん」
見知った背中に声をかけると、こちらを振り返ったのは予想どおり彼だった。
自分の名前を呼んだのが私だと気が付くとわざわざ立ち上がりこちらまで歩いてきてくださった。
畝の間を縫うように、彼の大切な野菜たちを傷つけないように足を進める。
近くまで来ると彼が私に手を差し出し、戸惑う私を余所にさっさと手を捕み、力強く彼の傍まで引き寄せられた。一瞬寄せられた体にぼんっと顔から火が出そうなくらい恥ずかしくなったのだけれど、そんなことを考えているだなんて彼には悟られたくなくて、よろけたふりしてさっと彼から距離をとった。…ああ、心臓に悪い!
「…こんにちは景綱さん」
「ああ」
また来たんだな、と口端を上げるそのお顔がまた渋くていらっしゃる。
「精が出ますね。」
額に浮いた汗を手の甲で軽く拭いつつ、ぎらつく太陽を背にこちらを見下ろす彼を目を細め仰ぐ。
「…まぁな。 今がこいつらにとっちゃ一番重要な時期だからな。この時期の手の掛けようで今年の収穫が決まるって言っても過言じゃねぇ。世話するほうにも自然と力が入るってもんだ。」
野菜について語る景綱さんは、本当に楽しそうだ。普段あまり変化のないように見える固い彼の表情も、この時ばかりは優しく見える。
こういう、彼の何気ない一面を発見することが嬉しいと思うようになったのはいつ頃からだったろうか…
「なまえ」
「はい?」
不意に名前を呼ばれて、少しぼーっとしていたわたしはあわてて顔を上げた。そこには、こちらを見下ろし眉間に皺を寄せ、少し怖い顔をした景綱さんの姿があった。内心ドキリとする。
その顔をされると、毎度のことながらまるで自分が悪戯をして叱られる子供のような気がしてきてしまう。肩をすくめ、恐る恐る彼の顔色をうかがい、なんでしょう、と蚊の鳴くような声で問うた。と、彼の眉間に更に皺が寄る。(あああっ…!)
「…なにがあった」
「…………え?」
「なにかあったからここに来たんだろう」
疑問じゃない、どこか確信めいた口振りで彼は言う。
「婿入りした二つ上の兄貴のことか」
「い、いえ…」
「働き者の父親や母親になにかあったか」
「そうではなく…」
「じゃあ、なんだ」
ちらり、と彼の方をうかがう。…怒っているわけではない、この人は心配してくれているのだ。
その証拠に、彼の凛々しく吊り上がった眉が今は若干困ったように寄せられていた。
(わたしがなにかに悩んでいるということは確定なんですね…)
いや、実際のところその通りなのだけれど、まさかこんなにもあっさりと見破られるとは思ってもみなかった。
(今日は、こんなつもりでここに来たわけじゃないのに…)
口にしてしまえばきっと楽になれる。だけれど、だからって、その分彼を心配させてしまうのはあまり嬉しいことではない。心配した優しい彼が気をもむことがほとんど目に見えて確実だから、尚更。
「なまえ」
ああ、でも。
どうしてだろう、この人といるとどうしても安心して頼りにしたくなってしまう。彼のそういう雰囲気が、わたしをまたどうしようもなく聞き分けのない我が儘にさせる。この人に名前を呼ばれることに、私はとことん弱いのだ。
それに、ここまできてシラを切り通すのも既に限界に近い。
「………じ、」
「……」
「実は…」
「おう」
「……、」
「…実は?」
「、……」
ああ、困った…
言うべきか、言わざるべきか。
どうしたものかと散々悩み、頭を抱えんばかりにうんうんと唸り続ける。そんな私の耳に、微かに聞こえてきたのは誰かの静かな笑い声。
………………
…ん?
見上げた彼は、何故かくつくつと喉で笑っていた。
「か、景綱さん…」
なぜ自分は笑われているのか、そもそもわたしは笑われるような事をしただろうか。わけが分からず首を傾げる。未だ口元を拳で押さえる景綱さんを若干恨むような気持ちで見つめるわたしに、すまねぇ、と景綱さんは無遠慮に笑ってしまったことを詫びた。
「いや…こう言ったらお前は怒るかもしれねぇが」
ちらりとわたしを見、景綱さんはまた肩を震わせた。(この人がこんなに笑うだなんて珍しい。)
「理由はなんにせよ、随分必死だなと思ってよ。」
(笑いどころそこですか…)
なんて、そんなこと、私には到底言えやしないが。
ただ、今の会話のおかげで少しだけ気持ちが楽になったことも確かだった。
決心が固まったところで一つ大きく息を吸い、きちんと景綱さんの目を見つめ口を開いた。
「実は…わたし、明日から暫くここには来られなくなりそうで」
「あ…?」
ちょっと驚いた顔の景綱さん。可愛い…じゃ、なくて!
「なんだ、いい奴でも出来たか」
「ち、ちがいますっ!いい奴とかそんなんじゃ…!そうじゃなくて、…いえ、その、ただ、」
「…………」
「………、」
会話の途中でごにょごにょと段々段々尻つぼみになっていく私の発言。
ああもうなにが言いたいんだか自分でもわけが分からなくなってきた………。
私、一体何をしにここへ来たんだっけ?景綱さんに悩みを相談するため?ただ単に世間話がしたかったの?ちがうでしょう?もっと他に伝えたい、大事なことがあったはずじゃないか。
もうこうなったら自棄だ、本当は言うつもりなんてなかった本当の本当の本音を、今ここで正直に言ってしまおう。一度決心してしまえばあとは速かった。
そろり、視線を逸らし大きく息を吸い込んだ。
「………」
「………………、か、景綱さんに会えなくなるのは、寂しいなぁと、思ったら…その…自然と足がこちらに向かっていたんです……」
「……………」
「そ、…それだけ、なんですけども……」
おずおずと相手の表情を窺う。
「……そうか。」
はにかむ彼の顔は心なしか寂しげで、つられてこちらまで眉が下がってしまう。不謹慎だということは百も承知だが、自分のせいで景綱さんがこういった表情をしてくれることが嬉しい、と思っている自分がいることもまた事実で…。
「理由を聞いても…?」
うっ…
もっともな質問だと思う。思うが…。一瞬返答に窮し、そろりと視線を彼から逸らす。
「じ、実はですね…」
「…」
「…わたし、明日からお城で働かせていただくことになりまして…」
「…」
な、なに、城だと!??お前一体なにしでかしたんだ?!
そんな反応を想像していたのだけど…
「…は?」
景綱さんの反応は予想とは大きく異なった。
「か、景綱さん?大丈夫ですか…?」
「あ?…ああいや……なんでもねぇ。続けてくれ。」
「……………」
…なんだか様子がおかしい。
「…それで、なんでまた城なんかで働くことになったんだ?」
「え?ああ…その、景綱さんは伊達政宗様をご存じですか?」
「げほっ」
「ほ、本当に大丈夫ですか?!」
ついにむせちゃったよ景綱さん!本当に大丈夫だろうか、なんだかすごく心配になってきてしまった。
「今日はもうお帰りになられたらどうですか?また日を改めて…」
「いや、平気だ。それより、政宗様だと?」
「え?お知り合いなのですか?」
「そ、そうじゃねぇ。そういうわけじゃあねぇんだが、ただ…」
「?ただ?」
「……いや。で、政宗様がなんと?」
「はぁ…それが、先日、わたしの家にお城から使いの方がいらっしゃいまして、恐れ多くもお殿様から文を頂戴したのです。」
「…で?」
「…『突然文なんぞ寄越して悪かった。あんたにどうしても頼みたいことがあってこうして筆をとった。 俺の腹心に片倉小十郎という男がいるのだが、そいつがまたもうどうしようもないくらい堅物で、俺が妻を娶るまで女はいらないと言う。誰か他に好いている奴がいるのかと聞いても全く口を割らない。そこでこちらも自棄になって調べあげたところ、なんとあの小十郎に想い人がいて、それがあんただと分かった。そういうわけで、あんたさえ良ければ取り敢えずは城で働いてみてはくれないだろうか。小十郎とどうなるかはあんたに任せる。』と。」
「っはぁぁぁ……」
脱力しきったようなため息を吐いて、景綱さんが己の額を手で押さえた。肩をがっくり落としてなにやら良からぬことをぶつぶつ呟いている。
なんだか、すごくお疲れのようだ。
「…本当は、本音を言うと、わたしはあまり、お城へは行きたくありません。しかし…お殿様の命とあらば背くわけにもいきません。」
「………」
「しかし、行くからには、自分に与えられた仕事はきちんとこなそうと思っております。片倉小十郎様とのことも、検討させて戴くつもりです。」
「…………そうか」
ふっと景綱さんが微笑んだ。
「真面目だな、お前は」
「そ、そうでしょうか…」
「ああ。だからそんな男なんかに目ぇつけられんだ。」
「め、目をつけられるもなにも、お会いしたことすらないのですが…」
「会ったことなら腐るほどあるし、そいつのことは俺がよく知っている」
「お知り合いないのですか?」
「まあ、そんなところだな。」
「どういったお方なのでしょう」
「…さぁな」
心底おかしそうに彼が笑って、この話はこれきりで仕舞いとなった。
「また来いなまえ、次は美味い野菜たんと用意しといてやる。」
いつもだったら嬉しいはずの彼からの提案も、今日ばかりはひどく苦しくて、切ない。
「…ごめんなさい、景綱さん。それは出来ません。片倉様という方がおりますのに、こうして景綱さんとお会いすることは」
「俺がいいっつってんだ…ってああそうじゃねぇ」
チッ…めんどくせぇな
景綱さんが舌を打って空を仰いだ。
「…景綱さん、お慕いいたしておりました。」
ずっと言えなかった言葉が、思いも掛けずすんなりとわたしの口から零れ落ちた。
こちらを向いた景綱さんがわずかに目を見開いている。しかし、なにより一番驚いているのはこのわたしだ。
「なまえそれは…昔の話か」
「いいえ、今も。…だけれど明日になったら、全て過去の話にいたしたいと思います。」
「……そうか そうだな」
彼が優しく目を細めた。
「…今まで、お世話になりました」
一度頭を下げ、目を合わさぬよう彼に背を向け歩きだす。
「なまえ、」
名前を呼ばれて、振り向いてしまいたくなる。だけど振り向けない。こんな顔、見られたくない。
「またな」
また、があればいい。
だけど、それはそれでわたしが苦しむだけだ。
振り返ることが出来ないわたしは、何度も頷くだけで精一杯だった。
なんちゃって
「で、俺がその“片倉”なわけだが」
「………」
「何か、俺に言いたいことはねぇか?」
にやりと口角を上げる片倉様、もとい景綱さん。
言いたいこと?ありますよ、そりゃあ。沢山。
「…く、悔しいです」
「そうか」
「こんなことなら昨日あんなに泣くんじゃなかった」
「ああ」
「目が腫れてしまったし」
「そうだな」
「…悔しい」
「おい、そこで泣くのか」
「悔しい…好き…」
「……」
「…片倉様なんて嫌いですわたしは景綱さんが好きです」
「はいはい」
「片倉様にこんな風に抱き締められたって嬉しくなんか…」
「はいはい」
2011.8.27
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