Prelude

記憶



「メビウスに危険な因子が存在しているわ」

グラン・ギニョール。
ゴシック調で統一されたその空間は、荘厳さと不気味さを兼ね備える独特の雰囲気を醸し出していた。
そこへ集められたμとメビウスを支える存在『執拗報復オスティナートの楽士』達。

裏切り者のバーチャドール『アリア』が手を貸している存在……『帰宅部』。アリアにより、楽士達に対抗し得る力を手に入れた。
そして、既に末席の楽士である『カギP』を取り込んでいる。
どれをとっても、帰宅部という存在はメビウスを揺るがす脅威他ならなかった。

ソーンが楽士達に下した命令は帰宅部と、帰宅部により覚めてしまった遅滞者ラガードを捕らえ、ソーンの前に連れてくること。
命令を下すと共に楽士達に共有された帰宅部の顔写真。各々が狙いを定めている一方、ごく一部は目当ての人間がいないことを理由にやる気が削がれている者も。
尤も、その中にいようがいながろうが関係ないなんてことを言う者もいる。
ソーンはソーンで、帰宅部の中に獲物が居るようで『佐竹笙悟には手を出さないで』と釘を刺していた。

……さて、この空間の中でただ1人、黙っている楽士がいた。
白衣を身に纏う幸薄げな女性。
彼女はただ会議の行く末を黙って見守っていたが、ふと口を開いた。
もしかすると話の途中で、スマホを操作していたことが関係しているかもしれない。

「ソーンさん」
「何かしら『プシュケー』……『彼』はまた居ないようだけど」
『SyuRa』は……またどこかに行きました……そしてその彼からの伝言です」

『天ヶ崎愛菜には手を出すな』

彼女はある男の言葉を代弁した。
その言葉は非常に簡潔で、かつどこまでも傲慢だった。理由の推測さえも許さない、言葉を挟む余地すらない。
これにはやいのやいのと好き勝手話していた楽士達も口を噤んだ。

「おいおいおいおーい、あの野郎は会議にも全く出席しないくせに意見だけはいっちょ前かよ!?」

一番最初に口を開いたのはイケPだった。
彼の言い分は尤もだ。
あの少年ドールやウィキッドでさえ出席しているのに、SyuRaという男は一度だって顔を出したことがない。
メビウスの平穏を第一とするダークヒーローのシャドウナイフは憎々しげに口を開く。

「奴にはメビウスの守護者としての自覚が足らなすぎる、糾弾すべき怠慢さだ」
「ちょーっと協調性を感じられないわよねぇ」
「ふん、此処に協調性を必要とする仲間意識があったことある?参加不要なら次から来なくてもいい?」

漏れる不平不満。
溢れ出すSyuRaへの不信感。
そもそも実在するのか?とさえ思う梔子。

「……彼の自由を許しているのは私よ、文句なら私に直接言いなさい」

その一言に楽士は一瞬で口を噤んだ。
楽士のリーダーたるソーンが認めた事であるなら、反論の余地はない。
とはいえ不満が消える訳でもない。
そんな空気を感じ取ってかソーンはため息をつき、プシュケーに視線を向ける。

「……ただ、貴女から彼に伝えてくれるかしら……『たまには顔を出しに来て』と」
「……分かりました、伝えておきます」
「それから、ローグの再洗脳に貴女の力も貸して、数が多くなれば私の手だけじゃ足りなくなるだろうから」

プシュケーはそれにも快く頷いた。
そして彼女は「お先に失礼します」と軽く一礼して去って行った。
彼女はこの個性派揃いすぎる楽士達の中でも、梔子と同じくらいの常識人。
しかも自由すぎるSyuRaへの伝言役も頼んでいるため、よく板挟みにしがちだった。

……今度、少し労おう。
ソーンはそう決めた。


# # #


ぼんやりとした光景。
まとまりがなく崩れかけた世界だった。
世界が霧に覆われているのではない、世界そのものが霧になっているかのような不定形さ。
音もぼんやりとしていて聞き取れない。
水中に居るような。
いやそれよりもずっと酷い。

ぼやぼやした視界と音。
ただある音だけはしっかり聞き取れた。

「すまない」


悲しい声だった。
こちらの胸も酷く引き裂かれそうなくらい痛かった、辛かった。
どうしてだろう、大切な誰かなんだろう。
……思い出したいのに、分からない。

思い出そうとした。必死に。
だが、今度は別の声が邪魔をした。


『おっと思い出すにはまだ早い』

『悪いな、今壊れられると困るんだ』



「待って!!!」

手を伸ばして起き上がる。
しかし視界にあるのは崩れていない、しっかりとした世界。
……見慣れない場所だった。
ピアノがある、少し埃っぽくて古びた木の匂いがする。
愛菜はソファの上に横になっていたらしい。
辺りを見渡すと、こちらを心配そうに見る律達の姿が。

「天ヶ崎、大丈夫か?」
「愛菜ちゃんあの後倒れちゃったのよ、覚えてる?」

琴乃が傍にしゃがみこんで優しく教えてくれた。どうやらカタルシス・エフェクト解いてすぐ、意識を失って倒れたのだと言う。
今いるこの部屋は旧校舎の音楽準備室。
帰宅部の部室でもあった。
ここまで律が背負って運んでくれたという。

「……ごめん、なんか迷惑かけたっぽい」
「気にするな、お前のおかげもあって俺らは勝てたんだからよ……だが、もう無茶はするな、いいな?」
「はぁい……」
「それより……天ヶ崎先輩……その、すごく魘されてましたが……」
「もしかして、現実のこととか、思い出した感じですか?」

鈴奈と美笛の心配そうな問い掛けに愛菜は暫し押し黙った。
そして、静かに首を横に振った。

「逆なんだよね……何も、思い出せなかった」
「えっ、現実のこと覚えてないんですか?」

驚いたように何故か居る鍵介が声を上げた。
アリアも難しい顔をしていた。

「笙悟達は少なからず思い出してるはずなんだけど……」
「……誰かの声はしたんだよね……謝ってた……誰かまでは分からなかったけど……でも、多分、大事な人、なんだと思う」

夢は覚めてしまったが、あの胸の痛みはまだ残っている。
おそらく謝ったあの声の主は、愛菜にとって、とても大事な人だったに違いない。
それだけは確信できた。

「……なら思い出せるように俺達も協力する」
「え、いやいや、悪いって!いつ思い出すかもわかんないし!」
「遠慮しないで、貴女が私達を助けようって思ってくれるのと同じように、私達も貴女を助けたいって思ってるのよ?」

琴乃は柔らかく微笑んだ。
愛菜は少し押し黙ってから、つられて微笑んだ。ここで逆に否定をしていたら、それは不義理。彼らの親切心を踏みにじる行為だと思った。

「……ありがとう」
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