Prelude

理想を捨てて現実へ帰る



流石にメビウスの本当の姿に気づいてしまった鳴子を放置はできないため、鼓太郎達に安全な場所まで連れて行ってもうことにした。
その間に律達は一足先に向かうことに。

「あれ、峯沢氏だ」
「……その氏ってつけるのはやめてくれないか」
「だってさんとか君とかは私的にしっくりこないし、そっちも下の名前で呼ばれたくもないっしょ」

峯沢維弦。学校一の美男として名高い男子生徒だ。
たまたま話すきっかけがあって以来、たまに言葉を交わす程度の中になっていた。
尤も、大抵は世間話程度である。

「なんだ、お前ら知り合いだったのか…本当に人脈広いな」
「……またあんたか」

どうやら笙悟も知り合いだったらしい。
維弦の方はややうんざり、といった具合だが。
聞いたところによると笙悟は何度か、彼に帰宅部へ入らないか勧誘をしていたらしい。が、そのたび振られているようだ。
なので今回も断られてしまった。

「あ、峯沢氏、そっちは女子多いから別のとこから行った方がいいよ~」
「……そうか」

維弦、方向転換。
そして去っていった。

「……次からは峯沢の勧誘お前に任せていいか?」
「え?なんで?」
「会話できてるから」

うーん。この。
笙悟の言っている意味は理解できている。
だが会話ができるといっても本当に世間話程度なのだが。
愛菜は悩みに悩んだ末「善処します」という魔法の言葉を切り出した。

「というか峯沢氏も気づいてる側だったんだ」
「…愛菜ちゃんってたまに鈍いところがあるのね」

否定できなかった。
なんなら少し前まではNPCの顔のモザイクをオシャレか何かかと勘違いしていたのだから。

さて、鳴子を安全な場所まで送り届けてきた鼓太郎達と合流し、放送室があるフロアにたどり着いたのは良いのだが。
放送室につながる扉にはロックがかかっていた。
つまりカギを見つけ出さないことには放送室には行けない。

「ははーん、あそこまで余裕たらたらだったのはすぐには到着できないって分かってるからだなー?」
「それだけじゃないと思うぞ」

律から冷静に指摘された。
ともあれ、迷路のようになっているフロアを探索してカギを探さなければならない。
……のだが、案外あっさり二つの鍵を解除できてしまった。

「もっと迷うと思っていたんだけど…」
「いやぁ、天ヶ崎先輩凄いですね!さくさく進んで、しかも道正解でしたし」
「なんとなくこう、びびっときた」

勘だった。
いずれにせよ放送室への道は開けたのだから良し、である。

「ただ天ヶ崎、戦うときはあまり前に出たら駄目だぞ」
「なんか、式島君お父さんみたい」
「真面目に聞いてくれ?」
「…わかったわかった」

律の心配はよくわかっている。
カタルシス・エフェクトでなければデジヘッドには対抗ができないし、なにより愛菜は原因不明の虚弱体質を持っている。
それを案じてのことであるのは愛菜も十分に承知していた。

ただ、頭ではわかっていてもそれよりももっとずっと深いところ。
深層心理とかいうより深いところにある何かが愛菜を突き動かしてもいた。その何かが何なのかはわからない。
使命めいた何か、義務感を帯びた何か。
いずれにせよ言葉では説明できそうになかった。

放送室へ入ると、何とも異様な空間が広がっていた。

「ようこそ先輩、入学式以来ですね。あの時はどうも」

律を見据え、人の顔を見て逃げ出すなんて…と傷心したふりをする響鍵介ことカギP。
突然見えている世界がおかしくなったら誰でも逃げるだろう。
逃げず驚かずなのは愛菜のような変人だけだ。

メビウスという世界においてはその世界の正体に気づき、畏怖すること。それそのものが『おかしい』のだとカギPは言う。
現実に戻ればくだらない大人になる。しかしメビウスにいれば子供のまま、自由に、自分の可能性を信じ続けられる。
それがカギPがメビウスにしがみ付いている理由だった。

「あー、うん、そっちの事情は概ね分かったから。別に君に対して現実に帰るべきだーって説法といてるわけじゃないんよ私らは」
「邪魔しないから俺達だけ現実に帰してくれねーかな、一生やってていいからよ」

しかし、いずれの言葉も却下だった。
むしろ、帰宅部という前例が存在することでメビウスが揺らいでしまう、と。

「一度招かれたものは誰も帰さない。それがμと、我々オスティナートの楽士の総意です…どうしても出て行くと言うなら、力づくでマインドホンをかぶってもらいましょうか!」

その言葉を皮切りに、大きな浮遊盾シールドビットを4つ展開したカギP。手には歪な形の大剣。
今まで戦ってきたデジヘッドとは違う。強いという事実が伝わってくる。
あの挑発的な言葉も口先だけというわけではなさそうだ。

「3人とも、私達の後ろに下がっててね」

同時に律達もカタルシス・エフェクトを解放した。
カタルシス・エフェクトを未だ使うことができない美笛、鈴奈。
そして愛菜は4人が戦っている姿を見ることしかできない。

デジヘッドや楽士と戦うには4人と同じ力がなければ土俵にすら立てない。それは頭ではわかっている、再三言われて従ってもいる。
だが人間とは時に、理屈や道理だけでは感情や行動を制御できないこともある。
愛菜場合、それは『助けになりたい』という心からだった。

カギPが巧みに操る浮遊盾はバリアを展開して律達の行動を妨げるだけではない。攻撃が弾かれ僅かに生じてしまった隙を突き、シールドで強打する、大剣で斬りつける。
4人なら糸口を見つけて勝ってくれる。
それを疑うわけではない、だがもしも。
もしも4人が少しでも苦痛なく、勝利する一助になることができたなら。

「言いきっちゃったからなぁ…助けが必要なら、助けるって…」
「愛菜……もしかして…!?」

感情が湧き上がる。本能が叫んでいる。
動け、救え、助けろ。
私の『力』はそのためにあるんだ_____!

アリアの調律が、その心の咆哮を力に変えた。

「Go Liiiiiive!!!」

手に握られた、長杖。
その意匠は音符、五線譜、そしてコンデンサーマイク。
μを絶対の歌姫とした世界で発現した、異端の象徴にも等しい形のカタルシス・エフェクトだった。

「これが、私の……」

戦い方、力の使い方、自分の役目。
最初から知っていたかのように、自然に扱えた。
カギPが操る浮遊盾の攻撃から、バリアで包み律を守る。

「!天ヶ崎…?」
「ご安心召されよ式島君!これで私も戦える!」
「1人増えたからって、調子に乗らないでもらいたいですね!」

愛菜にできることは、攻撃的な行動ではない。
前に出て戦う律達を支え、励まし、後押しすることだった。
彼らは帰るために命を懸けている、だから彼女も力を振り絞る。

カギPが作り出した曲で支配された空間。
息を大きく吸う、メロディはない。
ただ、それでも、この歌が律達が勝利するための一手を引き出せればいいと思った。

「『透き通る波 映る僕らの影は蒼く遠く あの日僕は世界を知り それは光となった 僕は歌うよ』」

力強い歌声。空間を支配していたはずのμの楽曲をかき消すほどの。
アリアですら目を見開いた。
戦っている律達にとっても驚きは大きく、当然それはカギPも同様だった。

「なんですか、その、歌は___!」
「よそ見をしている余裕があるのか」

愛菜が与えてくれたのは、応援だけでもない。
律に最後の一撃を与える力を与えてくれた。
カギPを宙高く蹴り上げ、防御も反撃もできない無防備な体勢へと持ち込む。そして銃口を向け、無数の弾丸で彼を撃ち抜いていく。

「終わりだ___!」

最後の銃弾は彼の体の中央を撃ち抜いた。
重力に従って地面に落下した拍子に、彼が使っていた浮遊盾も大剣も消える。
誰が見ても明らかな帰宅部の勝利だった。

「…そんな…僕が、まさか…」
「おっしゃあ!どうだ?目が覚めたかよ!」

敗北はした。
だがカギP、響鍵介にはまだ理解ができなかった。
メビウスはすべての人間の楽園、ここでならどんな人間も特別になれる。
どうしてそんな理想の楽園から、地獄のような現実に帰りたいと思うのか。

「家に帰るのに特別な理由が必要なのか?」
「特別……か」

鍵介はすっかり毒気が抜かれたようで、帰宅部を止める気にもならなかったようだ。

…さて、戦闘が終われば鼓太郎の次に騒ぎそうな人物が沈黙していた。
愛菜だ。戦闘を終えてから一度もまだ話していない、言葉を交わしている間に律は彼女を見た。

「天ヶ崎?大丈夫か?」
「……あー、平気平気、ちょっとぼーっとするだ、け…」

言い切る前に彼女はふっと、糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。幸いにも、傍にいた律が受け止めてくれたおかげで地面に激突はしなかった。

愛菜の世界から徐々に音が遠のく。
名前を呼ばれている気がする。

(そういえば、前にもこんなことがあったなぁ…)

だが、その『前』を思い出す前に、彼女の意識は真っ暗闇に落ちた。
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