Prelude

世界に刻まれた言葉



私にはもう私の苦痛のほかには何もない、
そして私はもうそれ以外のものは何も欲しない。
苦痛は私に忠実であった、
それは今なお私に忠実である。

___そんな悲しいことがあってよいのだろうか?

私にはもう私の苦痛のほかには何もない、
そして私はもうそれ以外のものは何も欲しない。
それは私のパンであり、私の飲みものである、
それは私の家であり、私のベッドである。
それは私を神の御もとへ導いてくれた、
それは私に涙を流すことを教えてくれた。

___そんな残酷なことがあってよいのだろうか?

それは私に言った、
『何も怖れるな、私はお前に平和を与えよう』
と。

___苦痛を受け入れることでしか平和を得られないというのか?


それはあまりにも不条理ではないだろうか。
この詩を耳にしたとき、まだ若かった頃の彼女はそう思い続けた。

平和とはだれもが普遍的に享受するべき権利のはずだ。
幸福になるために苦痛を味わなければならないという規則はあってはならないはずだ。

誰もが平和に生き、幸福を受け入れ、愛する者と共に明日を迎えることができる世界。それこそを愛するべきだ。
しかし、暫定現実主義者リアリストの大衆は言う。

「何を甘ったれた泣き言を」

度し難い。分かり合えない。
もういいもん、ふんだ。

言葉だけで終わらない、彼女は自分なりに苦痛を伴わない幸福と平和を実現する道を模索し続けてきた。
その途中で最愛の相手も見つけた。
彼を幸せにしたいと思った、共に生きていきたいと思った。

彼とならそれができると思った。
彼女自身がそれを約束したから、誓ったから。

だがそれを一方的に裏切りかけた。
たった一度の綻びは彼女と彼の関係性を歪めるには十分すぎるほど、深く重く大きかった。


危ない心理状態、深すぎる依存。
そして、知ってしまった永遠の別れに対する恐怖。

いつかたった二人で始めた物語と二人をつなぎとめるだけの生命線の上には多すぎる期待と希望がのしかかっていた。
二人でいられたらそれだけでよかった、それ以上を望まなかった。
なのに、安息を得られる楽園は暫定現実主義者達にとっても喉から手が出るほど欲しいものだった。

積み重なった有象無象の期待と希望は、やがてその安息を破壊した。


暫定現実主義者は権威主義でもあったようだ。
手のひらを返すようにこの安息という楽園は罪に煮凝りであると、温床で怠惰の苗床であると責め立てた。

そうして彼女はようやく気付いたのである。
苦痛を愛するための祈りはある意味、人間の本質と人生を的確に表現していたのだと。

安息を求めた。苦痛から逃げるために。
でもその安息は苦痛の後にやってきた。

しかし、やっぱり安息はまた苦痛によって破壊された。

これは当然のサイクルだったのだ。
そして、また訪れた安息。

だがこの安息は望んだものではない、死こそ最大の安寧だなんて人々は言うが、そんなものは死んだこともない愚か者の戯言ではないか。

彼女はそれを味わった、死というものが与える苦痛と痛みを。
死そのものに絶望があるのではない。
遺してしまう者がいる不安、やり遺したことがある悔しさ。
それこそが苦痛と痛みの正体だった。



結局のところ、人生とは安息を求めるほど苦痛が向こうからやってくる。

それに気づいたのは全てが崩壊してからのことだった。

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