このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

林檎ステーション

突然時計の鐘が鳴った。十七時。定刻。それに被さって、つんざくような笛の音がした。ホームに野太い異国語が響く。きっと「出発進行」、だろう。ぼうっと大きな煙を汽車は出した。出発の合図だ。目が覚めたばかりの汽車が、大きな体でのっそりと動き出した。よっこらせよっこらせと必死に進み出したのだ。
「純兵さん、『われても末に』?」
「『逢はむとぞ思ふ』。」
ふふっと彼女は笑った。まだ速度は全く出ていない。歩いて追いつける速さだ。
「そうだしず子さん、梅の花を送ってください。」
「桜じゃなくて?」
「梅です。徳島の梅をください。」
こくりと彼女は頷いた。歩きからだんだん小走りになる。
「あ!純兵さん、ハンカチ、ハンカチ忘れてますよ!」
彼女は叫んだ。そうしている間にも汽車は加速していっている。私は半身身を乗り出して、手をめいっぱい伸ばした。だが列車の風でハンカチがたなびいて、なかなか掴むことができない。活きのいい魚のようだ。彼女も全速力で走って、手を差し出している。勢いをつけて上から掴む。指に布が触れる。しかし、次の瞬間には空気を感じていた。空振り。逆に私が勢い余って窓から落ちそうになった。
「あげます!夏に返して!」
私は諦めて叫んだ。風と汽車の音で声が届きにくいのだ。
その頃には、彼女は私より少し後ろの方にいた。彼女は小走りから走りになっている。
「気を付けてね!」
私は返事の代わりに林檎を掲げてみせた。
ホームの端が見えたかと思うと、すぐに後ろに吹っ飛んでいった。そして遠くからは、ホームの端に立つしず子さんだけが薄らと見える。「さよなら」。私は呟いた。
6/7ページ
スキ