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林檎ステーション

「えーっと、瀬をはやみだ、ほら瀬をはやみ。」
「え?瀬をはやみ、ですか?」
「ほら、あの『瀬をはやみ 滝川われて 龍田川 紅葉の錦 神のまにまに』だったかな。この先も会えるよ、みたいな和歌。知っているでしょう?」
すると彼女はふふふと笑ってこう答えた。
「あら、『瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ』ではなくて?」
「あれ、そうだっけ?」
私も笑ってしまう。気付けば二人で大笑いしていた。
「あと純兵さん、これ恋人に送る和歌ですよ。」
なんとまあ大恥をかいてしまった。私は大変な間違いを犯してしまっていたようだ。しかし、幸か不幸か彼女は笑ってくれた。いやはや、間違いなく幸である。
「すみません、知らなかった。」
「いや、許しません。」
もう彼女の涙はとっくに止まっていた。
「責任を取ってもらいます。」
「え?」
彼女はそれっきり、また無言になってしまった。彼女の顔を一瞬見る。目を逸らされた。私は気まずさから空を見上げる。真っ赤な空にはシギが浮かんでいた。彼らは彼女と共に日本へと帰っていくのだ。莫斯科には、きっと来ない。見向きもしない。一心不乱に日本へと競争するのだ。彼らには、海も山も国境でさえも関係ない。私は羨望の眼差しを送る。が、彼らは素知らぬ顔で飛んでいった。
「手紙を書いて、送ってください。一ヶ月ごとに、送ってください。」
彼女は言った。今度は少し大きい声で。私が目線を戻すと、彼女の目線と衝突した。その目には星が住んでいた。そのことに気付いた私は一瞬たじろいだ。
「分かりました。必ず送ります。土産も、送ります。」
「待ってるわ、日本で。」
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