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短編

 いつからか、愛おしいと思うようになっていた。
 突然現れて自分がなんなのかを、ただ問うた来訪者。記憶を失った私の世界の来訪者。私が作り上げた、……来訪者。
 でも彼といるとなんだか落ち着いたの。衝動を抑えきれないまま壊れてしまいそうだった私に、規則を与えた。壁男に与えられる規則はただ苦しくて嫌味ったらしいだけなのに、彼が私に与えたのは、ある意味では諦めに似たようなものだった。「お前は要らない」と直接言われたわけではないけれど、あまり変わらないでしょうね。ただ穏やかに衝動だけでは存在できないと、そう、私に教えた。不思議と納得できてしまった。
 消えるべきなのだと、気づいた。彼の道に私は要らないのだと。潔く消えようと思ったけれど、あぁ、見捨てないで。そうも思った。

「いい子で待っているから、だから、お願い、見捨てないで」

 少し驚いたように私を振り返った貴方の顔を見て、迷惑をかけてしまったと罪悪感を覚えて、私らしくないと自重気味に笑った。

「なんでも、ないの。気にしないで」

 足枷になってしまわないように彼を見送った。彼には本しかない冷えた部屋よりも正しさが吹き抜けるあの廊下の方が、きっと、きっと合うのでしょう。
 
「これは、……恋なのかしら」

 まさか。
 まさか、。
 気づいてしまった?
 あぁ、気づいてしまった。
 様々な小説で語られた恋。時に甘やかであったり胸を焼くものであったり、多様に語られた恋。
 こんなに痛くて悲しい恋もあるのね。知らなかったわ。
 溢れていく涙に、後から後から嗚咽が漏れる。自分がこれ以上存在し得ないと理解した瞬間に自覚した恋だなんて。なんて小説的なのかしら。

「できれば、もっと貴方といたかったわ」

 本心を床に垂らして。
 でももうどうしようもない。
 消えるより他はないの。
 もっと、と貴方を望んだところでもう意味はない。

「貴方と出会えたということが。貴方がここを訪れてくれたということが、唯一に慰めね」

 目を閉じる。
 さようなら。

「私はエス。貴方を愛したことだけが、ここに残ればいいわ」
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