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ぐんじんかぞく。

「いいか、綱吉」
朝。広い玄関のエントランスで、ラルは膝を床につけると愛息子と視線を合わせた。綱吉の首に掛かるネックストラップ、その先に下がる魚のマスコットを手に持って、彼女は言い聞かせる。
「迷子札は絶対離すな。屋敷の中は……まあ好きに動いていい。だが、庭に出る時は誰かと一緒に行くこと」
「はあい、おかーさん」
片手を上げ、元気に頷いた綱吉にラルは母親の優しい笑みを見せて立ち上がる。
「コロネロが夕方には戻る。俺も、日暮れまでには帰ってこれるだろう。そしたら皆でご飯だ。いいな?」
「うん!」
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい、おかーさん!」
ぱたぱたと手を振る綱吉に見送られ、ラルは玄関――ボンゴレ屋敷の重厚なドアを開けた。


ひとり、綱吉はふかふかの絨毯を踏んでボンゴレ屋敷の廊下を歩いていた。
保育園をお休みして渡伊したのには、いくつかの理由がある。一つはコロネロのそう長くはない、けれど短くもない出張。一つはラルの、ちょっとした任務(綱吉はどちらもいつもの仕事とだけ聞いている)そして一つは単純に、九代目をはじめとするイタリア連中が綱吉に会いたがっていたから。
日本に来られると大騒ぎになる、と渋面になったラルがその代わりに、と任務ついでに一家そろってイタリアに行くと決めたのだった。
普段遊び相手になってくれるバジルも今日は、ラルと同じ任務にかり出されている。だから綱吉は一人で両親の帰りを待つことになった。
とはいえ、広い屋敷は物心つく前から出入りしていた上、今の綱吉にとっては好奇心を全開にできる格好の遊び場。不安もなく、彼は琥珀色の目を輝かせてあたりを見回す。
「どこいこーかなあ」
気の向く方へ。ぱたぱた立つはずの足音は絨毯に吸い込まれ、マフィアのアジトに似合わぬ子供は奔放に屋敷を巡り出す。
廊下をひたすら歩き回り、ある角を曲がったところで綱吉は突然、後ろから誰かに持ち上げられた。
「わああぁ‼」
「ししっ、いーもんみっけ」
両手足をぱたぱた動かして逃げようとした綱吉は、声に気づくとパッと表情を明るくして上を――彼を持ち上げた人間を見上げた。金色の、目元まで隠す長い前髪。頭の上にティアラ。その向こうに、見慣れた黒いフードがもう一人。
「ベルおにーちゃ! バイパー!」
「せーかい。久しぶりだなおちび」
「マーモンだよ。……まあ、おばかのおちびには理解できないと思うからいいけど」
ひょい、と綱吉を抱き上げたベルはししし、と上機嫌に笑って彼のほっぺたをつついた。くすぐったがる綱吉が身をよじってもお構いなしだ。
「相変わらずぷにぷにしてんな、おちび」
「うーやだーやめてよお」
「ヤダ。だって王子だし」
「ほどほどで離してやりなベル。……で、今日は一人なのかい?」
ベルの隣に立ち若干諫めたバイパーがフード越しに綱吉を見下ろしきょと、とした口調で聞く。綱吉はこくんと頷いて、答えた。
「おとーさんはね、しゅっちょー。おかーさんはおしごと」
「なるほどね。っていうか、何でこっちにいるんだい?」
「じーさまが遊びにおいでって。おとーさんのしゅっちょーもね、イタリアだったの」
なるほど。バイパーは内心納得して、けれどどうでもいいと結論付けた。特に思惑も困った事態も起きていないのだろう。何せ、バイパーは綱吉を見るまで一家がこっちに来ていると聞いてさえいなかった。コロネロはともかく、ラルはそういう所に関しては厳しい。
(裏があるなら多少は情報を寄越すだろうしね)
ふ、とバイパーはベルと彼の腕の中でおとなしくなった綱吉を見る。に、とベルがいつも通りに笑って。バイパーは止めもせずに二人の行動を追うことにした。
「んじゃ、行くぜおちび」
「どこに?」
まんまるの目でベルを見上げ、綱吉は問いかける。するとベルは当然、といった様子で答えた。
「そりゃもちろん――」




「ほい、とーちゃく」
いくつもの廊下を抜けドアをくぐり、ある部屋の前でようやくベルは綱吉を床に降ろした。部屋に入り視線をすこし上にやれば、銀髪の青年の背中が見えて。
ぱっと綱吉は目を輝かせ、そこに飛びついた。
「スクアーロ‼」
「ゔおおおおぉい!」
ばっと青年――スクアーロが綱吉を背から引きはがし、目の前に持ってくる。ぷらぷらと吊られながら綱吉は満面の笑顔でスクアーロに手を伸ばした。
「スークー‼」
「あー、ツナヨシ。そういや来てたんだったなぁ」
スクアーロは知っていたのか。二人のやり取りを見ながら、バイパーは気づいて、僅かに首を傾げた。情報の元は――それは、恐らく奥にいる彼以外ありえないか。
任務に関係ない話だったからこっちまで来なかったのだろうと、ぼんやりと思う。確かに、綱吉がイタリアにいると知っていようが、基本的に任務には何の関係も無い。
この子は無知な子供なのだから。
「うん‼ ベルおにーちゃとバイパーにつれてきてもらったの」
「あぁ?親はどうしたぁ?」
「おしごと! オレね、おるすばんなの。だからね、おやしきをたんけんしてた」
「そこを捕まえてきたってわけ。いい土産だろ」
「まあなあ」
自信気に言うベルに向け首肯し、スクアーロは指で奥の扉を指して綱吉に言った。
「あっち行ってみろ。ボスがいるぜぇ」
「ほんとお?」
喜色を浮かべて綱吉は奥へ走る。背伸びして扉を開き、また走って――そうして、部屋の奥、豪奢な椅子に座る男の足に飛びついた。男の傍らに寝そべる白いライガーが、ふいと目を開いて綱吉を見上げる。
「ザンザス‼」
「………………」
男の赤い目が、じろりと綱吉を見下ろした。けれど綱吉は怯え一つ見せずザンザスを見上げ、にこにこと笑った。やがてザンザスは綱吉をひょいと抱き上げ、膝の上に乗せる。ぽむ、と綱吉の跳ねる茶髪の上に手を乗せて、彼は言った。
「そういや来てたんだったな」
「うん! じーさまが、ザンザスおでかけっていってたよ。かえってきたの?」
かくん、と首を傾げて問う綱吉に、ザンザスは彼らしくなく、小さく頷いてきちんと答えてみせる。そうしないと面倒になると、随分前から気付かされていた。
この子供は、知りたがりだ。そして、兄代わりのあの可愛くない男の、可愛い実子。多少の情はある。
「……ああ」
「いつ?」
「さっきだ」
「おかえりなさい‼」
満面の笑顔でそんな事を言われ、ヴァリアーの首領はあっさりと陥落した。
「……ただいま」
ドアの影からその様子を覗いていたバイパー、ベル、スクアーロの三人は薄く苦笑いを浮かべて、顔を見合わせた。
「ボスは相変わらずだねえ」
「昔っからツナヨシには甘ぇからなぁ」
「内心でれでれしてるぜ、アレ」
ザンザスもまた、綱吉を赤子のころから知っていて、不器用にそれなりに可愛がっていた。綱吉もそれを分かっていて、強面の彼に怯える事無く、懐いている。
「まあ、おちびにとってはヴァリアーも兄代わりだからねえ」
バイパーは小さく呟いて、怖いものなしだよ、と嘆息した。
そんな部下達に気付かず、ザンザスと綱吉は奇妙なテンションの会話を繰り広げている。足元のベスターがあくびして、そこはなんだかとても、ヴァリアーらしくない空気を帯び始めていた。


コロネロがボンゴレ屋敷に帰ってきたのは、夕暮れも近い時間帯だった。
昼過ぎにバイパーから送られてきたメールに従ってヴァリアーの占有する部屋へ向かいながら、彼はぼやく。
「今日はバジルもいねえからどこ行ったかと思えば、ここかコラ…」
怖いもの知らずな子供だと、コロネロはバイパーと似たようなことを考え、我が子ながら感心した。――そうなった一端には首も据わる前からアルコバレーノに構われたことが関わっていると、彼は気付かない。
「ツナ迎えに来たぜコラ」
ノックもそこそこに部屋に入れば、そこは普段より、ずっと静かだった。隊員たちの個性が豊かすぎていつもはたいそう騒がしいのに、珍しいとコロネロは不思議に思う。
「早かったね」
「よお、バイパー。うちのはどうしたんだコラ?」
「あっち」
バイパーの指さした方を見て、コロネロは僅かに目を見開いた。
ライガーの白と黒の毛並みに埋もれるように、綱吉が眠っていた。歩き出す前にそんな風に自分より大きなぬいぐるみと寝ていたな、と懐かしく思ったものの、さすがに生物と一緒に寝ていると、驚きもする。しかも相手は飼い主がいるが、れっきとした猛獣だ。
「…………なんだあれ」
「ベスターと昼寝した」
その傍らで書類らしきものに目を通すザンザスが、コロネロ達を見もせずに答える。さらりとバイパーがそれに説明を足した。
「ベルがおちびを廊下で捕まえてね。ボスにおみやげにしたんだ」
「……ツナは物じゃねーぞコラ」
「そこは言葉の綾だよ」
聞き流して、コロネロはそっとベスターに近付き、綱吉を抱き上げた。するとうすらと琥珀色の目が開いて、とろけた色でコロネロを見上げる。
「……おとーさん?」
「ああ、迎えに来たぞコラ」
「んー。ザンザスと、ベスターとあそんでたの」
べたりとコロネロに抱きついて、綱吉はへらりと笑った。
「おかえり、おとーさん」
愛息子に笑顔を返したコロネロは、ザンザスにも忘れず声を掛ける。
「おう。ただいま。ザンザスも、世話になったなコラ」
「構わん」
ふい、とそっぽを向いたザンザスがぼそりと答える。相変わらず無愛想だな、と思いながらコロネロは息子と部屋を出ようとして、ふと腕の中の綱吉が思い出したように身を乗り出し、言った。
「ザンザス!」
「何だ?」
「ばんごはん、きょうはじーさまもおとーさんもおかーさんもいるの。ザンザスもいっしょにたべようね!」
ごはんを、みんなで。
子供らしい無垢な、けれどどこか気恥ずかしい提案に、ザンザスは渋い顔でこくりと頷いた。
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