このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

犬と僕の暮らし

 次の日曜。山本と雲雀は連れだって、骸に指定されたカフェに向かった。閉店を示すプレートも気にかけずドアを押せば、それは軽く開く。からんとベルを鳴らして店内に入れば、カウンターには赤髪の男が、ぼんやりとグラスを磨いていた。男は山本を見てふっと笑い、声をかける。
「よお、ちゃんと来たな」
「来ねえと獄寺怖えのな!」
「そりゃあそうだ。アイツは上だぜ。……そっちのはどうするんだ?」
 雲雀を指して、男は問う。山本はんー、と考えて雲雀に聞いた。
「ここで待っててくれね?」
「いいけど」
 断る理由もなく、雲雀は頷く。すると山本はぽんぽんと雲雀の頭を撫でて、男へ顔を向けた。
「マスター、雲雀に飲み物とおやつ出してほしいのな」
「はいはい。とっとと行って殴られてこい」
 そうして山本が二階への階段を上り消えると、男――マスターは右の頬の赤い刺青も隠さないまま雲雀をまじまじと見つめ、やがてにやりと笑った。
「お前が、か。……本当にアイツそっくりだな」
「……誰に?」
「アラウディ」
 雲雀は目を丸くして意外そうにマスターを見上げた。てっきりもう一人の名かとばかり思っていた。考えていたことを口にせずに、彼は問う。
「…………知り合いなの?」
「ちょっとな。ああ、紅茶とパンケーキでいいか?」
「なんでもいいよ。……あの人、知り合い居たんだ」
「いるだろう、それは。カウンター座ってな」
 くつくつと笑い声を出して、マスターは一度奥のキッチンへ消える。しばらく待てば、彼は甘い香りと共にまたカウンターへ出てきた。そして皿に乗せたパンケーキに、仕上げをしてゆく。
 赤い瓶と、白いクリーム。手際よくマスターはそれを取り出して、瓶のふたを開けた。
「あー……ジャム切れそうだな。あいつこの味好きだから、買い足さねえと」
 いちごジャムをぼたりとパンケーキに落としながら、彼はそんな独り言をぼやく。
 そうして雲雀の前には、たっぷりのジャムと生クリームの乗ったパンケーキ、それに温かなミルクティが出された。
 雲雀が一口食べるのを待って、マスターは聞いてくる。
「うまいか」
「……うん」
 雲雀は素直にうなずいた。甘いが、しつこくない。こういう菓子は山本も哲も作れなくて、食べるのはアラウディの家を出て以来だったような気もした。
 もくもくと食べ進める雲雀を満足そうに見下ろして、マスターは自分用らしきコーヒーカップを手に、言う。
「奇妙な縁だな」
「何が?」
「雨月ん所を飛び出したあのバカが、アラウディの所を出ていったお前の家にいるとは」
「……飛び出した?」
 初耳だった。
 そういう過去の事情について、山本は雲雀に何一つ話そうとしなかった。雲雀も、あえて聞こうとは思わなかった。だから、知らなかった。
「ああ。高校を出た春にな。雨月を巻き込みたくなかったのかどうかは知らねえけど」
「あの人、何をしているの?」
 雲雀の疑問に、マスターは答えを寄越さなかった。静かに首を横に振り、彼は言う。
「あいつが言ってないなら俺にも言えねえ。あんまりいい話でもねえしな」
「……そう」
「それに――」
「にょおん」
 マスターの言葉を奪って響いた鳴き声に、雲雀とマスターの視線が同じ方を向く。そこには一匹の猫がいた。
「瓜、追い出されたのか?」
 言ってマスターは棚においた瓶からめざしを一匹取りだし、瓜と呼んだ猫の前に置いた。むしゃむしゃとそれをかじる猫の背を、彼は優しく撫でる。
「お前はジャーキーよりこっちが好きだな」
「にょん」
 瓜は機嫌よく答え、マスターの手に頭をすり付ける。よく懐いているらしい。長い猫の尾を見ながら雲雀は聞いた。
「いいの? 動物、店内にいて」
「ああ。こいつは利口だし、躾てる」
「……そう」
 瓜以外に動物の気配はない。何か違和感はあったが、その猫は例外なのだろうと思って、雲雀はまたパンケーキに手を伸ばした。
 そうして皿が空になり、雲雀がおかわりの紅茶を飲む頃。ようやく話が終わったらしい、ぎしぎしと階段が二人分の足音を立てる。
「終わったみたいだな」
マスターはにやりと笑って階段を見上げた。
「痛ってえ……獄寺、容赦ねえのな…」
「てめえが悪い」
 案の定、殴られたらしく右の頬を押さえた山本。彼と一緒に降りてきた銀髪の青年――獄寺は、雲雀をまじまじと見て、ふ、と首を傾げた。
「……どっかで見た顔だな」
「アラウディだろ」
「…………あー。じゃあお前が雲雀か」
「……そうだけど、なに?」
 険を持った雲雀の視線に獄寺は苦笑して、なんでもねえよ、と小さく答えると雲雀の頭をわしわし撫でた。嫌がって離れる雲雀に瓜みてえだ、と呟いた彼はマスターによく似た笑顔でこう言う。
「山本のことよろしくな」
 骸と言うことが同じだ。呆れて、雲雀はけれどこくんと頷いた。返事に満足そうな獄寺の横で山本が不満を口にする。
「なあ獄寺、俺の方がけっこー年上なんだけど」
「てめえは信頼がねえ」
「ひっでーの」
「元々無かったのが今回ので地に落ちたからな」
 容赦ない獄寺の言葉に、山本は眉を下げて苦笑して、けれど反論はしなかった。自覚があるだけマシだな、獄寺は慰めか何か分からない言葉を山本に掛けて、カウンターの椅子に座る。そしてポケットからスマートフォンを取り出すと、画面を確認しながら言った。
「次何かあったらすぐ俺か六道を呼べ。いいな」
「おう、誓っとく」
「…………いまいち期待できねえのはなんでだろうな?」
 皮肉か、正直な感想か。獄寺の問いかけに答えたのは、今まで静観していたマスターだった。
「お前等は素行が悪いんだ」
「てめえには言われたくねえ」
「どっちもひでえなあ、雲雀?」
「言われて当然だよ」
 冷たく突き放した雲雀に、山本はがくりと肩を落とす。そんな二人を、マスターと獄寺はよく似た笑顔で見守っていた。カウンターの上に上がった瓜も、からかうようににょおんと鳴いて。山本は眉を下げて苦笑するしかできなかった。


*****


 それからまた休みが明けた学校帰り、ふと聞こえたのは、聴きなれない笛の音色だった。学校帰り、不意に気が向いて足を向けた神社への道すがら。雲雀は足を止めて、石段の先を見上げる。
 この先にある神社は並盛神社と違って宮司もおらず、知る者も少ないのか人が来ることが稀だ。雲雀は偶然見つけ、それ以来たまにこの石段を登っていたが、人と会ったことはなかった。けれど笛の音は確かに神社の方から響く。誰かいるのだろう。
 変わり者だと、雲雀は自分を棚に上げて思った。こんな場所で、笛を吹いて。
「けれど……綺麗な音だね」
 誘われるように、雲雀はまた石段を登りだした。


 広いとは言えない境内。そこにいたのは、横笛を吹く男だった。
 幽霊かとも、思った。雲雀は自分に霊感などないと思っている。それでもそう、錯覚しそうになった。男は目を閉じ、静かな音色を響かせていた。落ち着いた紺の和服は上等の生地だろう、ゆるく結った黒髪は肩に流れて端が風に遊ばれている。
神社には非常に馴染んでいるが、正直それ以外の場では時代錯誤のような、古風さ。けれどそれは質量がある、イキモノだった。
 ふと、男が目を開き雲雀を見る。すると彼は唇から横笛を話すと、軽く一礼した。
「これは、申し訳ない。集中してしまったようでござる」
喋り方もまた古風だった。雲雀はまじまじと男を見上げ、小さく首を傾げて聞いた。
「何をしているの?」
「笛の練習を。友から、此処には滅多に人が来ないと聞いていたので」
 けれど可愛らしいお客様がきたものだ。優しい声で答える男はすたすたと雲雀の目前まで歩み、目線を合わせるように膝を曲げる。間近の黒い目が細く笑んだ。
「雲雀殿ですな。いつも武がお世話になっているでござる」
 ぱちりと瞬きをした雲雀は、すぐに男の言った言葉を理解し、驚いた。思い返してみれば、彼を名で呼ぶ人間に出会ったのは初めてだった。
「あなた、山本の……」
「師匠と、あの子は呼ぶでござろうな。私は朝利雨月。武の……ええと、元保護者と言ったところでござる」
 雨月という名は、アラウディや喫茶店のマスターが口にしていた。雨月の家から、飛び出したらしいことも。『元』保護者というのはその辺りを含めた回答なのだろう。
「あの子が八つの夏から、高校を出る春まで一緒に暮らしたのでござるよ。……そなたとアラウディと、そうは変わらぬ」
 聞かれないことまでぺらぺらと話した雨月はやはりにこやかにしている。アラウディの名をさらりと出したのは、彼と雲雀の関係を知っているからなのだろう。だが雲雀が気になったのは、それではなかった。
「……あの人の師匠なら、あなたも剣を?」
「おや、あの子は話したのでござるか」
 意外そうに。しかしどこか嬉しげに、雨月は言い、頷いた。
「少し事情があって、あの子には私が剣を教えたのでござる。てっきり、まだ話していないと思っていたが……そなたには余程、気を許しているのでござるな」
「そんなこと無い。ちょっと、きっかけがあっただけ」
 デーチモに誘拐され、アラウディの許まで運ばれた記憶は雲雀にとって苦いものだ。けれどあれが起きなかったら、きっと山本は未だにあの刀について、喋らなかっただろうとも思って、彼は首を横に振る。けれど雨月はそんな雲雀に優しく言う。
「いや。あの子がそなたの場所から離れぬのが、何よりの証でござる」
 家に戻ることも出来ただろうと、言われて初めて雲雀はそれに気がついた。山本は一度も、元住んでいた家について口にしないし、そういう素振りも見せたことはない。
「…………あの人は、何を…」
「さあ。それは私にも。あの子にも、何か考えがあるのでござろう。……不肖の弟子でござるが、よろしくお願いいたす」
「……うん」
 頷く雲雀は思う。この頃、よく大人達にそう頼まれているような気がすると。彼は今まで、どうやって暮らし、どう生きていたのだろう。
 知らないことが、分からないことが、やけに雲雀の心に重くのしかかった。


****


 アラウディから雲雀に渡されたハリネズミは、どういう訳かロールとか言う可愛らしい名前をつけられてそれなりに可愛がられている。そういえば、あの黄色の小鳥の名は山本は聞いたことがない。草壁がこっそりヒバードとか呼んでるけど。意外と洒落っけあるひとだったのか。そんなことを彼は考える。
 気まぐれに飛んでいく小鳥はともかく、ハリネズミなんて外に連れてはいけない。そんな理由で、ハリネズミは山本と一緒に、昼は留守番役をしていた。
「次郎、小次郎、ロールも……ひなたぼっことか、気楽なのな……」
 換気の為に窓を開けた縁側で、二匹と一羽はひとかたまりになっていた。最初は大きさがあんまり違う次郎やすばしっこい小次郎にびくついていたロールも、すっかり慣れて、針をぺたりと寝せてリラックスしてる。
「……まあ、いい天気だもんな」
 山本は仕方ない、と呟いた。大体、動物相手にツッコミ入れても虚しいだけだ。
「掃除終わったら雲雀におやつでも作るか…」
 気晴らしが料理と掃除、山本ははすっかり主夫じみしまっている。これでは、すっかり剣の腕がなまっているんだろうなあ――吠える銀髪の好敵手を思い出して、山本は無意識に溜息を吐いた。
デーチモに会ってしまった今、懸念は増えるばかりだ。いや、デーチモより見つかったら不味いことになるのが、その好敵手だ。
「国から出てこないで欲しいのな」
 彼との手合わせは山本は嫌がらないが、向こうがやりたがるのはそれ以上の――殺し合いだ。戦闘狂って皮肉ったら喜ぶような変人。
しかし山本は別に、殺し合いがしたくて剣を取ったのではなかった。
――殺したいのは、ただひとりだ。
「…………はあ」
 二度目の溜息。一人だと、山本は妙なことばっかり考えてしまうような気がする。雲雀がいるときは、思考の端にも上がりやしないのに。
「あー、ちくしょう、体なまってっからだ……!」
 適当に理由をこじつけた山本は、部屋から時雨金時を持ち出して、庭に降りた。竹刀のままでも素振りでもしたら。少なくともその間はそれに集中できる。
 彼の動きに気づいたのか、次郎がふと目を開けてこっちをみていた。けれどそれ以上は、動かない。山本の修練は彼らは慣れっこだ。
 広い庭の一角、木々が邪魔にならないような場所でひとしきり素振りして、体が温まったところで型に入る。おさらいのように、初式から丁寧に。
 師匠から一度きり教わった、時雨蒼燕流。
 けれど、これは彼の師匠――朝利雨月からから継いだ訳ではない。あの日、雨月はこれっきりでござる、と呟いて、自身のものではない型を山本にに見せた。
「………………」
 誰のかと、雨月が言うことはなかった。言わずとも知れた。
 考えに浸りかけた山本を現実に引き戻したのは、すっかり聞きなれた声だった。
「何してるの?」
「うわあ‼」
 真後ろからの声に、山本は心臓が出そうになるほど驚いた。振り向けば、ランドセルを背負ったままの雲雀が訝しげに山本を見上げている。
「お、おかえり雲雀…」
 答えて、しかし山本の動悸がなかなか治まらない。集中してたからかな、全然気づかなかった。いつから見てたんだろう。思いだせない。何となく末恐ろしい子供だ、やはり。
「うん。……で、何してるの?」
「……気晴らしに、素振り。腕なまっちゃいけねえし」
 とっくになまってるだろうけど。そこは、口からでる前に思い切り飲み込んだ。
「………………」
「雲雀?」
「あなた、引きこもりに向かない性格だよね」
 あきれたような溜息。くるりと、山本に背を向けて雲雀は歩き出す。ついていけば律儀に玄関から屋敷に入って、靴をそろえて置くとまた山本を見上げる。
「おやつ食べたいんだけど」
「お、おう! すぐ作るのな‼」
 山本も頷いて竹刀を片付けると大急ぎで台所に向かう。不思議と、もやもやと心を覆っていた暗いものが晴れてくのが分かった。雲雀がいるからだ。けど、どうしてそうなるのかは考えてもちっとも分からなかった。


*****


「気がねなく暴れたいなら、いい場所があるよ」
 竹刀姿の時雨金時を振っている姿を見られた後、おやつの席で雲雀は山本にそう言った。もぐもぐと頬張っていた蒸しパンを飲み込んで、山本は眉を下げる。
「暴れたいって訳じゃないのな……」
「じゃあ、修練とでも言い換えようか?」
 言いくるめられているような気がして、山本の眉がさらに下がる。逆に雲雀は楽しそうに、口元を緩めた。
「どっちにしても君に不都合の起こる場所じゃあないよ。人気のない神社があるんだ。そう人の来る場所じゃない」
 それは、まあ、剣を振るには適した場所だろう。山本は納得して、けれど別の疑問に首を傾げた。
「……何でそんなこと、教えてくれんのな?」
 二つ目の蒸しパンにに伸びようとした雲雀の箸が止まった。じっと、漆黒の瞳が山本を見つめる。数秒もせず、その視線がふっと逸れる。
 何を考えているのか、読むことは出来ない。
「あなたがあんまり暇そうだから。散歩にでも行ってきたらいいじゃない」
 追い出されてしまうのか。ふと浮かんだ考えを、山本は直接は問いただせない。ただ代わりに、曖昧な言葉を吐き出す。
「雲雀、俺がうちにいるの嫌か?」
「そうじゃない」
 すぐに飛ぶ否定。それに、ざわついた心が静まる。奇妙な安堵感に息を吐いて山本は続きの言葉を待った。雲雀は僅か首を傾げて、
「この家にはろくに娯楽もないし、あなたは最近様子がおかしいし。昼のあれ、習慣だったんでしょう?」
「……ああ」
 以前は、殆ど毎日何かしら剣を振っていた。修練でも、それ以外でも。
 雲雀は不思議な子供だと、山本は今更思う。ふとした瞬間はとても幼いのに、時折自分を見透かして、どこまでも見抜く。気づかれてしまいそうで、怖い。けれど、離れがたい。
「だからだよ。たまには外の空気でも吸って、気晴らししたら?」
「…………」
 提案に、他意はないらしい。山本は冷めそうになった緑茶を飲むとうん、と頷き笑った。
「そうしてみるのな!」
「うん。あとで場所教えてあげる」
 雲雀も静かに頷き返した。

9/21ページ
スキ