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犬と僕の暮らし

とあるカフェ。普段はマスターだけがいるカウンターの裏、足下のラックを退かした狭いスペース。
 そこが、そのカフェで綱吉の定位置だった。おままごとのように小さなテーブルと、ふかふかのクッションがいくつか置かれたそこは子供が作った秘密基地のようで、実質、本当に秘密基地だった。
 その場所を知っているのは綱吉とカフェのマスター、それと綱吉にこの場所を教えたジョット、そしてジョットとマスターの共通の知人が、少し。それだけだった。
 ジョットもその場所を使いはする。だが、彼は他の客と同様にカウンターでコーヒーを楽しむことの方が多い。
「こんにちは」
「おう。いつものでいいか?」
「お願いします」
 昼過ぎ、人目を避けて店の裏口から上がり込んだ綱吉は店主に小さく挨拶して、その場所へ潜り込んだ。そして膝にナッツを乗せ、ふかふかのクッションに身を預ける。
 誰も気付かない空間。遠くに音がざわついて、温かな柔らかな空気が揺らぐ。
 この場所は、居心地がいい。しばらく待って、漂った甘い香りに綱吉は期待を膨らませる。
「ジャムは何にする?」
 湯気の立つパンケーキを手に姿を見せたマスターが、綱吉に聞いてきた。ほかに客がいないのか、マスターは声を抑えることもせず綱吉に話しかけている。
「いちごがいいな」
 答えれば、すぐにパンケーキの上にぼたりといちごジャムが盛られる。横に生クリームを添えて、パンケーキはちいさなテーブルの上に載せられた。
「どうした、急に」
 ジョットと喧嘩したか? マスターのそんな問いに、綱吉はナイフとフォークでざくざくとパンケーキを切りながら、首を振って答えた。
「こないだアラウディさんのお願いでお仕事して、なんかGさんのパンケーキが食べたくなったんです」
「あ?」
「ここのが、一番おいしいから」
「…………」
 見上げて綱吉が答えれば、マスターはわさわさと彼の髪を乱暴に髪をかき乱す。それを照れ隠しと分かって、綱吉はにこりと笑った。手が離れて、今度はビーフジャーキーが一本、ナッツの前に降ってきた。
「そいつにおやつだ」
「よかったな、ナッツ」
 がう、と嬉しそうにライオンは返事する。ジャムとクリームのたっぷりかかったパンケーキを口に運び、綱吉はおいしい、と口元を緩めた。ここでは何も起こらない。強請ればマスターがおいしいおやつをくれる。
 しあわせだな、と、綱吉はジャーキーに食いつくナッツを撫でて思った。
 それでいいのかと、ちくりと痛んだ心が問いかける。
 思い出すのは、夕日に灼かれた青年の瞳だった。あの薄茶色に宿る感情。そして、もうおぼろに遠い過去の記憶。
 その一端と、青年を結ぶ。
 それが事実かは定かではない。けれど綱吉自身は、薄々分かっていた。
「きっと、」
「……どうした?」
 マスターの問いかけに、綱吉はふるふると首を横に振って、隠すように笑みを浮かべる。
「ねえ、Gさん」
「ん?」
「調べものって、確かアラウディさんが得意ですよね」
 入れ墨のある頬を掻いて、マスターはそうだな、と答えた。
「まあ、あいつなら調べられねえものの方が少ねえだろうな。何かあるのか?」
「ちょっと、だけ」
「ジョットが心配するぞ。奴はお前にベタ甘だからな」
 フォークをくわえて綱吉はもぐもぐと口を動かし、飲み込んで、ぼそりと答える。
「内緒にする」
「……ばーか」
 こつんと綱吉の額を小突いて、マスターは笑った。
「ガキが大人振るな」
「おとなですよ、年齢的には。多分」
「お前は例外だっつーの。ったく、隼人といいお前といい…」
 小言を聞かないようにして、綱吉はまたパンケーキを口に運ぶ。マスターの溜息にくすくすと笑って、けれど思考は徐々に、別のことに浸食されていった。

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