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Ciao,il mio iride

突然の呼び出し、その相手に、室内に居たメンバーはツナを除き、一様に凍り付いてみせた。いくらボンゴレ本拠地でも、九代目直々の呼び出しなど今まで一度もがない。ここは諜報部ではあるがただの事務室で、其処に配属されているのも戦闘能力の低い、実戦経験などほとんどない者ばかりだった。
表に立たない分、目立つこともない。そのはずだったのに。
『沢田ツナくんは居るかね?』
内通電話からの声に、室長が面白いほど裏返った声で返事をする。ツナは内心呆れながら、その様子を見ていた。だから、そういう目立つ方法でコンタクトを取るなと再三言い聞かせていたのに。
「沢田!!」
「…………はい」
受話器を押し付けられ、ツナはげんなりしながらそれを耳に当てた。ここが自室だったら九代目に小言のひとつでも言えるが、今それを行うのは得策ではなかった。

ツナは誰にも言っていない。
親も家族も無かった彼女を拾い育て、ボンゴレの中に居場所を与えたのが、他でもないボンゴレ九代目だと。

「替わりました、沢田です」
事務的な口調で言うのはカモフラージュであり、ツナが九代目にできる唯一の嫌がらせだった。意図を悟られたのか(無理はない、向こうは超直感持ちだ)電話越しに苦笑いされる。
『済まないね、急用なんだ』
「構いませんが……何ですか?」
『直接伝えたい、私の執務室まで来てくれ』
ボスの命令は絶対。――の割にツナはやる気の欠けた声で了解、と答え電話を一方的に切った。彼女の願いはひとつ。うっかりボロを出してしまう前に逃げたい、この異様に室温が低く感じられる部屋から。できれば今すぐ。
「……室長」
「な、何だ……?」
電話の衝撃を引きずっているらしい、裏返ったままの声で室長はツナに聞いた。
「ちょっと、呼び出しがあったので行ってきます。ついでに直帰していいですか?」
どんなくだらない用件かはツナには予想できなかったが、あの、ツナを娘のように可愛がる九代目のことだ(その一因には彼に息子しか居ないことがあるらしい。だがツナはそんな事どうでもよかった)。開放されるのは夜になるに違いない。
「…………許可する」
「ありがとうございます」
さっさと荷物をまとめてツナは事務室を後にした。それまで――ツナの予想ではその後も、其処は凍結したままだった。


***


九代目の執務室へ歩を進めながらツナは思案した。一介の事務部員でしかない彼女が執務室に辿り着くには、相当な手間がかかる。荷物もチェックされるだろうし、事情を事細かく言わされるだろう。
呼び出された理由なんてツナにも分からない。
「あー、もう、サボっちゃおうかな。でも……室長に知られたら困るし…」
これで「ツナに会いたかっただけだよ」なんて言われたら一発殴ってやろうと拳を握り締めて誓ったツナに、不意に声が掛けられた。
「沢田ツナさん、ですか?」
「へ?」
声の主――深い紺の髪に赤と青の色違いの目をした美系さんにツナは覚えが無かった。一度見たら忘れられない様な青年だ、物覚えの悪い彼女でも初対面だと把握できる。
「そう……ですけど、」
すると青年は綺麗に笑って、ツナの手を取った。
「九代目のおつかいで貴女を迎えに来ました、さ、行きましょう」
青年の白衣が揺れる。半ば強引に、ツナは彼に連れて行かれた。顔パスでも利くのか、青年を呼び止める者は居ない。歩幅の違う青年を小走りに追いかけながら、ツナは問うた。
「あなたは…?」
「申し遅れました、僕は六道骸です。よろしくお願いします、ツナさん」
「六道……先生?」
白衣、だからという理由で先生と敬称をつける。すると骸は少し首を傾げた。そう呼ばれ慣れないのだろうか、僅かな戸惑いが見える。しかし彼はその表情を覆い隠した。
「間違いじゃありませんね。でも僕は医師でなく、研究者です」
「研究ですか。…あの、何を研究してるんですか?」
「そこは、今のところ秘密です」
人差し指を口元で立て、そう答えた骸はオメルタに関与しているのだろうか。不用意に秘密に近づくのは危険だと、ツナも分かっている。追求を止めた彼女に今度は骸が聞いた。
「貴方は……ボンゴレの人間なんですか?」
「はい、って言っても事務ですけど」
ツナが答えると、骸は思案の表情を浮かべた。そしてぽつりと呟く。
「……珍しいこともあるんですね」
「六道先生?」
「あ、失礼しました。何でもありませんよ、独り言です」
「そうですか……」
なんだかはぐらかされた感覚もあったが、ツナはそれ以上考えないことにした。
骸の奇妙な反応も気になる、しかしそれ以上に、九代目がわざわざ彼女を呼び出した理由が気に掛かっていた。


「じゃあ、僕はここで」
九代目の執務室前につくと骸は繋いでいた手を離した。
「え?」
「僕のおつかいはここまでなんです。あんまり研究室から離れていられなくて」
申し訳なさそうに言う彼にツナは気にしないでくださいと首を横に振り、次にぺこりと頭を下げた。
「あ、ありがとうございました」
「いえ。ではツナさん、またお会いしましょう」
色違いの目を細めて骸は答え、来た道を戻っていく。
白衣が角を曲がるまで見送って、ツナは執務室の豪奢な扉に手を伸ばした。


***



こんこん、ノックをして返事を待つ。
「どうぞ」
「失礼します。九代目、お久しぶりです」
「ああ、元気にしていたかい?」
久しぶりに会う九代目は、いつもと変わらぬ柔和な笑みを浮かべていた。そんなときに限ってとんでもない事を言い出すのが目の前の人間だとツナは知っている。自分には比較的甘いのも気付いているが、だからといって安心は出来ない。
九代目の後ろには見知らぬ、ぼさぼさの黒髪にくたびれた白衣の男が立っている。彼はツナを見て一瞬戸惑いの表情を浮かべた気がした。
「はい。……あの、今日はどうしてオレを……?」
「ボンゴレの研究室が代理母の募集を掛けている。君にその検査を受けてもらいたい」
「はあ……」
「彼はその担当医のシャマルだ」
「はじめまして、かな。お嬢ちゃん」
男――シャマルが軽薄な笑顔を浮かべて挨拶する。それに会釈を返しながら、ツナは九代目の言葉を必死に理解しようとしていた。動きの鈍い脳をフル回転させ、彼女はようやく理解にいたる。
途端、ツナは叫んだ。
「だいりはは……って、代理母!? オレに子供産めっていうんですか!」
驚きに目を見開いた彼女を宥めるよう手を動かし、九代目は言う。
「無理にとは言わないよ、ただ考えて欲しいだけだ」
「……仕事とか、は」
「休むことになるだろうな。シャマルの都合もある、それに万一があってはいけないだろう?」
「…………」
九代目が何を考えているのか、ツナにはよく分からなかった。あの人はいつもこうだ。
けれど、彼がそれを薦めるのなら、
「受けます」
「…………!」
しっかりとした声で答えたツナに、シャマルは笑みを凍りつかせた。九代目は僅かに眉を下げてもう一度聞く。
「……いいのかね?」
「オレがお役に立てるなら」
「死んでしまうかもしれないよ」
「お言葉ですが九代目、人はいつか死ぬものです」
深々と九代目は溜息を吐いた。額に手を当て、彼は苦笑いを浮かべた。
「…………君は相変わらずだ、ツナ」
「九代目も相変わらずだと思いますよ」
九代目につられたのかツナも苦笑交じりに答えた。シャマルひとりが無言のまま、難しい顔で二人を見ていた。


***



医務室だろうか、シャマルに案内され奥の部屋に通されたツナは言われるがまま検査服に着替えた。
薄いカーテン越しにシャマルが声を掛ける。
「あんまり緊張しないでくれ。検査ったって、病気がなけりゃいいんだ」
「そうなんですか?」
「ああ。…………なあ、ツナちゃん。ツナちゃんは呪いって信じるかい?」
ツナはあっけに取られた。呪い。ボンゴレには少なからず術者と呼ばれる存在が居るのだから、呪いなんてものもあるのかもしれない、けれど、まさかそういうものとは無縁であろう白衣の医師からその言葉を聞くことになろうとは思いもしなかった。
しかも、シャマルは真面目にそれを問いかけているようだった。
「……呪い? ……うーん、少しは信じます」
「そっか」
「それって検査に関係あるんですか?」
答えた瞬間に唐突に薄くなった関心が気にかかり、問いかける。しかし彼は首を否定に振った。
「無えよ、俺が聞きたかっただけだ。じゃ、採血からな」
どうでもいい話、という様子で話題を打ち切ったシャマルは注射器を片手に言う。ツナは目を閉じ、身を硬くしながら腕を出した。明らかに採血を怖がっているその様子に、シャマルは笑う。
「注射怖いのか? 病気になったとき大変だぜ」
「……オレ、丈夫なのだけがとりえなんです」
「そりゃあいいな。ま、女の子相手に痛くはしねえから」
自信ありげにシャマルは言う。事実、ツナが恐れていたほどの痛みは無かった。ほっとしながら、それでもツナは赤の面積を増やしていく注射器から必死で目をそらしていた。
検査も終わりに近付いてきたとき、思い出したようにシャマルが聞いた。
「九代目と知り合いなのか?」
「えっと……」
ツナは少し躊躇って、うまい言い訳も思いつかず
「すごく、お世話になってるんです」
とだけ答える。シャマルは何か気になることがあるのか、はたまたツナ自身に関心があるのか矢継ぎ早に質問を続ける。
「んじゃあ、普段は何してんの?」
「諜報部で事務をやってます」
「……へえ、意外だな」
「オレが何に見えるんですか?」
「食べちゃいたいくらい可愛いお嬢ちゃん」
「セクハラです」
ツナは白い目を向けて突っ込みを入れたが、シャマルは意に介す様子すら見せなかった。




通知が来たのは数日後だった。検査結果は合格。
早いうちに手術を行いたいというシャマルの意思に従い、ツナはすぐにそれを受けることになった。前回と同じ奥の部屋に彼女を連れ込むと、シャマルは最終確認だと言った。
「もとから母体の生存率は低い。……危険な場合にはお前を見捨てて子供だけ助けることになる、それでもいいな?」
ツナは頷いた。琥珀色の目が強い意思を持って光る。
「構いません」
「……いい子だなツナちゃんは」
シャマルは大きく息を吐いてツナの頭を撫でた。彼は何故か、哀れむような表情を浮かべていた。
「手術は寝てるうちに済む、心配すんな」
手近のベッドに寝せられ、腕をとられる。針が刺さった場所がちくり、と痛んだが、それも直ぐに薄まり、ツナの意識も闇に引き込まれた。




目を覚ますとツナは見知らぬ白い部屋に寝かされていた。誰かの気配を感じて頭を動かす。
「起きたか」
そこに居たのはシャマルだった。手術はうまくいったぜ、と言った彼にツナは起き上がると笑みを返す。
「そうですか、ありがとうございます」
「ま、これからが大変だ。なんかあったらすぐに連絡入れてくれ。あとは――これか」
シャマルはツナに手を出すよう言い、彼女の掌に長めのチェーンに繋げられたドッグタグを乗せた。
銀色のプレートに黄色のラインが入っているそのタグにはArcobaleno-Gialloと刻印がされてあった。
「それはツナちゃんが代理母っていう証だ。医務室やここみてえな奥の部屋とかに入るパスにもなるからいつも下げといてくれ」
「はい、分かりました」
首に通すとしゃら、と音が立つ。ひどく軽いタグは、それでもツナには重いものに感じられた。

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