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犬と僕の暮らし

 最近、山本のマイブームは庭の草むしりだった。草壁の雇う業者が庭木の手入れをしているが、それでは物足りないらしく庭に出ては汗をかいている。やはり元々室内だけで事足りる性分ではないらしい。雲雀は静観しつつ、家庭菜園の計画だけはおじゃんにした。
 それは、良く晴れた今日の日もおなじだった。
「今日もするの?」
 あきれた様子の雲雀にめげず、山本は頷いた。諦めたのか何なのか、雲雀はそうと返事をするだけだったが、彼は山本の後に続いて庭に下りる。
 山本はかくんと首を傾げた。そんな彼に、雲雀は足下に懐く次郎を撫でて言い訳のように答える。
「気が向いたんだ」
「そっか」
 深く追求することをしない山本は次郎と仲良くな、とだけ言うと庭先にしゃがみ込んで雑草を抜く。しばらくすると退屈しのぎか、雲雀から話しかけてきた。
「そんなに暇なの?」
「一応、うちの中は綺麗にしたのな」
「知ってるよ。哲が驚いていた」
 広い家だ。手伝いの人間が入っても掃除が追いつかず、また雲雀が元々他人を家に入れることを嫌うのもある。ここまで片づくのは珍しいと哲が目を丸くしていた。
「そりゃ、よかったのな」
「……まあね」
 片付くことが、嫌ではない。ただ。気になるだけ。
「あなた、外に出ないの?」
「んー。そろそろかとは思ってるのな」
「そう」
 雲雀は聞こうとしない。その理由を、山本は掴みかねている。
「――なあ」
 疑問の欠片を聞こうと口を開いた、瞬間だった。とん、と地に着く音。山本と雲雀が同時にその音に振り向けば。
「…………デーチモ⁉」
 額に橙の炎を灯した少年が、立っていた。
 唖然とする山本はすぐに身構え、薄色の瞳で少年を睨めつける。その隣に走った次郎が低いうなり声をあげる。雲雀もデーチモを見た。
 炎と同じ橙の瞳、つんつん跳ねる茶の髪。同じ少年のはずなのに、この間会った――次郎を預かったときと、纏う気配があまりに違う。けれどその肩にはこの間と同じ、オレンジのもふもふしたライオンが乗って。
 デーチモはまっすぐに、雲雀を見た。射抜くような黒の瞳が睨見返して、けれど橙の瞳は何の色も浮かばない。その声も、温度を持たなかった。
「雲雀恭弥だな」
「そうだけど、何?」
「…………」
 雲雀が頷くのを見るなり、デーチモは素早く雲雀に近づき、小柄な子供の身体を抱き上げると、山本を見て言い切った。
「借りる」
「は?」
 返事も待たず、デーチモは地を蹴った。重力を感じさせない身のこなしで彼は屋根へ登る。とん、と立つ音の微かさに山本は我に返って叫んだ。
「っ、小次郎、追え‼」
 鋭く鳴いて燕がデーチモを追う。一方の山本はどたばたと戸締まりをすませ、部屋に隠していた愛刀をこっそり手に入れたバットケースに隠し持つと掛けだした。
「いくぜ、次郎!」
 追わないと。感じた焦りの理由を、山本は考える暇もなく、走った。


****


 雲雀の屋敷を脱出したデーチモはたんたんと小さな音を立てて屋根を蹴り、常人離れした動きで空を進む。小脇に荷物のように抱えられ、雲雀は不満の声を上げた。
「ねえ、離して」
「断る。……暴れると落ちるぞ」
「暴れてない」
「……そうだな」
 この間次郎を連れてきた時とは違い、デーチモは雲雀に淡々と言葉を返す。今は橙色だが、この間は琥珀色の瞳をしていた。ぼんやりと雲雀は回想して、聞いた。
「これは誘拐?」
「違う。借りて、連れていくだけだ」
「その割には手荒だね」
「そこはすまないと思っている」
 意外なほど素直に謝って、デーチモはふと後ろを振り返った。青を纏う燕が一羽、彼の後を追っている。
「……小次郎?」
 雲雀が名を呼ぶと、燕は答えるように一声鳴いた。デーチモが僅かに舌打ちするのが雲雀にも聞こえる。
「追われたか」
「……まあ、誘拐に見えただろうからね」
「ちゃんと借りてくと言ったが」
「そうは見えないよ。それにあいつ、あなたのこと嫌ってるから」
「自覚はしている」
 燕から距離をとるようにデーチモは空を駆ける。だが、向こうも追うことを止めたりはしない。捕まるのが早いのか、それとも、到着の方が早いか。
「ところで、誰の依頼?」
 デーチモの考えを遮る雲雀の問い。彼は小さく息を吐くと子供を見下ろし、問いかえす。
「何の話だ?」
「誰に、僕を連れてこいと言われたの?」
「…………言うなとは、言われなかったな」
 躊躇いなのか独白を漏らして、けれどデーチモはぼそりと依頼者の名を告げる。その名を聞いた途端、雲雀は眉間に皺を寄せて口を曲げた。
「……あの人は」
「面白い話を聞いたと言っていた」
 デーチモの声に、雲雀は更に不機嫌そうな表情を作る。もう呆れて何も言えない。おそらく、依頼者は知っているのだろう。山本を、拾ったことを。
 彼はそういう人間だ。
 燕が高い声で鳴く。自分の位置を、教えているのか。
「キリがないな」
 鳴き声に立ち止まる、デーチモ。振り返って彼は小次郎を見据え、苦々しげに呟いた。しばらく逡巡して、デーチモはポケットから携帯電話を取り出すと片手でそれを操作して、耳に当てる。
「……厄介なのに追われているが、どうする?」
 しばらくの無言。電話越しに答えを聞いたのか、デーチモは僅かに息を吐いた。
「了解、少し遅れる」
 電話を切ったデーチモは今度は片耳に付けたインカムを操作した。その間、デーチモの肩に乗るライオンがぐるると唸って燕を警戒している。
 燕は動かない。雲雀は耳を澄ませたが、山本らしき気配も見つけられなかった。通信を繋げたのか、デーチモが口を開く。
「ノーノ、オレだ。少しルートを変える……ああ、後ろのも連れてこい、だと」
「…………全く」
 雲雀は一人、諦めに似た溜息を吐いた。


*****


 急に、デーチモの動きが変わった。
 ナビゲートしながら追跡を続ける小次郎を追いながら、山本は考える。
 さっきまで割と本気で逃げている様子だったが、急に速度が変わり、ルートも屋根の上から地上に降りたらしい。
 子供を抱えて目立つだろうに。何か、狙いでもあるのか。追いつけるか、と足を早めたがデーチモとの距離は一定を保ったまま埋まらない。
「まさか、雲雀に何かするつもりじゃねえんだろうな……」
 脳裏をよぎってしまうのは最悪の予想で。山本はバットケースにしまったまま肩からさげた愛刀を抜く覚悟をして、燕を追う。
 しばらく走り、住宅街を抜け、人家もまばらな町外れにたどり着いた。相変わらずデーチモの姿は見えないが小次郎は山本を導くように高度を下げる。そして不意に曲がると、洋館の敷地に入る。
「この中か?」
 それを追って角を曲がり、その敷地に入った瞬間だった。
 ぐい、と山本の腕が掴まれた。
「――っ⁉」
「捕まえた」
 少年の声。はっと見ればライオンを頭に乗せた少年が、山本を見上げていた。にこりと笑みに細まる、琥珀色の瞳。――橙色ではない。
 山本の後ろでわん、と鳴いた次郎はぱたぱたと尻尾を振って、少年はひさしぶり、と犬に声を掛けた。
 デーチモ、なのだろうか。見たこともない彼の姿。橙に燃えていた瞳は優しげな琥珀色を灯して、けれど少年の頭に乗るのはデーチモの連れているライオンに違いない。
「何なのな、あんた……」
「デーチモ、別人に見えるかもしれないけど。……これでいいですか?」
 苦笑して、デーチモは後ろを振り返った。つられて山本もその方をみる。そして、目を丸くした。
「上出来だよ」
 そこに立っていたのは雲雀によく似た青年だった。薄い金色の髪と、涼やかな青の瞳。その色さえ彼の身に纏うコートのような漆黒に変えてしまえば、雲雀と瓜二つだ。そして男の傍らには、デーチモに連れ去られた当の雲雀が、不機嫌そうな表情を隠さずに立っている。
「雲雀、無事なのか?」
「当たり前だよ」
 ぶす、と雲雀はぶっきらぼうに答えて。そしてぼそりと傍らの男に聞いた。
「山本が目的だったんだろう」
「違うよ。来るかどうかは分からなかったからね。……まあ、見てみたかったけれど」
 飄々とした男の返答に、雲雀の不機嫌さが増す。
 どういうことだ。状況が理解できないまま、けれど山本は雲雀の無事にほっと息を吐く。
「よかった……。何かあったらどうしようと思ってたのな」
「借りてくって言われたでしょう」
「けど、こいつは」
 相変わらず腕を掴んだままのデーチモを見る。するとデーチモは苦笑して、するりと山本から手を離した。
「雲雀さんを連れてこいって言うのが、依頼内容。それ以外のことはしないよ」
 山本を見てそう、まっすぐに言って。少年ふっと視線を逸らすと男に言った。
「じゃあオレ、帰りますね。帰りは心配いらないでしょ」
「そうだね。……ああ、これ持っていきな。あれにも食べさせて」
 男はデーチモにぽんと紙袋を渡した。中をそろりと見て、デーチモは喜色を浮かべて男を見上げる。
「月餅……こんなにいいんですか?」
「気にしないで。あれに、よろしく」
「はあい、ナッツ帰ろ」
 頭から肩に降りたライオンに声を掛けて、デーチモは男に一礼すると紙袋を抱えて走り去る。
 その姿は、どうしても山本の知るデーチモと重ならなかった。
「……あれが、デーチモ?」
「あの子も訳ありでね」
 すたすたと山本の側に寄って、男はふと口元をゆるめた。初対面の人間にも尻尾を振る次郎と、山本の肩に乗った小次郎、そして山本を順に見て、男はようやく自らを名乗った。
「僕はアラウディ。この子の……何だろうね。まあ、後見人と思ってもらって構わないよ」
「あ、俺は、」
「山本武」
 山本が名乗り返す前に、アラウディは彼の名を呼ぶ。ぱちりと瞬きして山本はアラウディを見た。
 初対面であろうに、どうして。
「え?」
「……知ってるの」
 雲雀の問いに、アラウディは頷いて、山本に尋ねる。いや、それは問いというよりは事実確認のような口調だった。
「君、雨月の弟子でしょう」
「師匠のこと知ってんのか?」
「古い知り合いでね。よく君の話は聞いてたよ」
「…………恥ずかしいのな」
 頬を掻いて山本は苦笑する。自分の知らないところで離される自分のことに、想像がつかないまま、湧いたのは照れだった。
 それにも、なぜか雲雀は不機嫌そうにして、すたすたとアラウディから山本の側に場所を変える。
「どうした、雲雀」
「なんでもない」
「…………ふうん。まあいい、話は中でしようか」
 お入り。アラウディに導かれるまま、山本と雲雀は洋館に入った。玄関に次郎を留守番させ、書斎とおぼしき部屋に通されて。雲雀と山本は来客用に置かれたらしいソファに並んで座った。アラウディはというと、それを見届けると待っいてて、と言い残して部屋を去る。
 無言がたゆたう静かな空間に、山本はぽつりと言葉を吐いた。
「本当に、何もされなかったのか?」
「何のこと」
 見上げる雲雀の表情は純粋な疑問の色。山本は一度瞬きをして、息を吸うとまたぼそりと答える。
「デーチモに」
 何も。雲雀は首を横に振って答える。雲雀にとってはデーチモは、敵意を持つ存在には値しなかった。彼はまだ、雲雀を傷つけようとしたことはない。
 けれど、山本はそうとは捉えない。
「……あなた、よっぽどあの人嫌いなんだね」
「ああ、あいつは――」
 その時、山本の瞳に灯った感情を、雲雀ははっきりと読み取ることが出来なかった。あまりに暗い、くらい色。
 その薄茶色の瞳さえ、曇ってしまうような。
「……………」
「あいつは、」
 そこで、山本の言葉は途切れた。声を遮るように開いた扉から、アラウディが戻ってくる。その手にはティーポットとカップの乗ったトレーを乗せていた。
 彼は、はっと自分を見上げた山本に、小さく首を傾げて問う。
「紅茶は平気かい」
「あ、はい」
 そう。頷いて、アラウディは三つのティーカップに紅茶を注ぎ、そのうちの一つにはたっぷりのミルクとひとかけらの角砂糖を落とす。、乳白色に染まった紅茶は雲雀の前に置かれた。
「恭弥にはミルクティ」
「子供扱いしないで」
「子供じゃないか」
 軽口を笑みでかわして、アラウディは二人の正面に座る。
「じゃあ、改めて。ようこそ、山本武」
「はい。…………あの、雲雀の後見人ってどういう…」
「この子が産まれて直ぐに親戚筋から預かって。小学校に上がる春までは、ここで一緒に住んでいたんだ」
「小学校って……」
 独り立ちするにはどう考えても早すぎる。山本の戸惑いを見越して、アラウディはその理由を自ら話し出した。
「あの家に戻るって言って聞かなくてね。仕方ないから、草壁をつける条件で許した」
 まあ君と似たようなものだよ。
 さらりと足された言葉に、山本はう、と息を詰まらせて、おずおずと聞く。目の前のアラウディと繋がっているらしい、彼の師が話した内容について。
「……どんだけ、聞いてるんすか」
「それはもう、たくさん。あれは君のことを、ほんとうに大切にしているから」
 ぽっと照れた山本に、アラウディはほんのりとした笑みを浮かべる。彼の視線は次に、黙ってミルクティを飲んでいた雲雀へと向いた。
「けれど意外だね、恭弥」
「何が?」
「お前が他人をあの家に入れるなんて」
「……強そうだったから」
「そう。強いだろうね、今のお前よりはずっと」
 ちら、とアラウディの澄んだ青の目が山本の持つバットケースに向けられる。びく、と身を固くして山本はそれを握り締めた。
 戦えば敵わない相手だと、山本の本能が警告している。けれどアラウディに殺気や動く気配はなく、彼の視線はまた雲雀に戻る。それに気づいて雲雀は聞いた。
「それで、今日は何の用なの。わざわざ、あんな強硬手段まで使って」
 毒をたっぷり注ぎ込んだ雲雀の声。けれどアラウディは余裕を崩さないまま、足元に手を伸ばした。
「お前に渡すものがあったんだ」
 そして、雲雀の目の前に小さな藤編みのバスケットを置いた。
 がさがさと、バスケットの中から音。それに反応したのか、山本の肩で小次郎が一声鳴いた。答えるように、またバスケットの中が動く。
「……ああ。そういえばそうだったね」
 訳知り顔で小次郎とバスケットを見比べるアラウディに、雲雀はまた問うた。
「なに、これ」
「開けてごらん」
 答えはなく、催促だけが返される。バスケットに小さな手が伸び蓋を開けて。
 雲雀とバスケットの中にいたそれとの、目が合った。キュウ、とそれは鳴く。背にとげを生やしたちいさなちいさな身体。雲雀の隣からバスケットを覗き込んだ山本が呟く。
「ハリネズミ?」
「ポルコスピーノ・ヌーヴォラ――まあ、ハリネズミだよ」
「どうして?」
「必要だから」
 形にならない疑問符と答えにならない回答。この二人にはまともな問いも返事もないのかと、山本は微妙な気持ちで良く似た大人と子供を見守る。
「…………」
 その位置からはバスケットの中は見えないだろう。しかし、アラウディはそこを見透かすように視線をやって、黙り込んだ雲雀に言う。
「まだ早いとも思ったんだけどね。……まあ、いい機会だ」
 まじまじと、ハリネズミと雲雀は見つめあう。くりくりとしたハリネズミの瞳は一心に雲雀を見上げて、時折不安そうにキュウキュウと鳴いてみせた。雲雀の手がハリネズミに伸びる。それを後押しするように、アラウディは、静かに言葉を紡いだ。
「――恭弥。君の為の子だよ」
「…………そう」
 雲雀はハリネズミの、その小さな鼻先をそっと撫でて囁きかけた。その横顔が綻んだのを、山本ははっきりと目撃して、そっと笑みを浮かべる。
「よろしくね」
 キュウ、とハリネズミは嬉しそうに鳴いた。


*****


 バスケットごとハリネズミを連れた雲雀と、次郎と小次郎を連れた山本が外に出ると、もう空は夕暮れ色に染まっていた。
「またおいで」
 軽く言ってのけるアラウディにそっぽを向いた雲雀は挨拶もなしに歩き出す。それを追おうとした山本の肩を、ふとアラウディが押さえた。
「な、なんすか?」
 全体的にトーンの薄いアラウディの顔が山本に近付いて、動きを止めた彼にそっと耳打ちをする。
「恭弥を、よろしく」
「……はい!」
 つよく、頷いて。山本は一礼すると雲雀の後を追った。
 夕暮れに影法師をふたつ作る山本と雲雀の姿を、アラウディは消えるまで見守っていた。


*****


 アラウディさんの洋館から戻るなり、雲雀は山本のバットケースを指さして、問いかけた。
「それ、何?」
 漆黒の視線は、まっすぐ山本を向いている。対デーチモ用に持ってきたものが逆の効果を生み出してしまうとは、慌てていた山本には考えもつかないことだった。
「あー…………」
「それが、僕に隠してたもの?」
 隠しごとも、お見通しだったようだ。山本はバットケースを握ったまま、ひとつだけ頷く。
「そうなる……のな」
「中身は?」
 雲雀の質問は全く躊躇が無かった。逆に尋問されているような気にもなって、山本は言いづらそうに身じろぐ。答えが返ってこないことに痺れを切らして雲雀は素早く動くと山本の手からバットケースを奪い、そのチャックを開けてしまった。
「ちょ、雲雀!」
「……竹刀?」
「ま、まあ……そうなのな」
 ただの竹刀ではないが、山本はそれを雲雀に伝えようとはしない。竹刀――時雨金時をじっと見つめて、雲雀はまた聞いてきた。
「貴方はこれで、戦うの?」
「……ああ」
「斬れないのに?」
 どうも、雲雀はこういう所が異様に聡い。山本のことも「強そうだから」で拾ったし、もしかしてこいつ、思ったより手が早いのか?と山本は考えてしまう。見た目は只の無表情な子供なのに。
 時雨金時を返してもらった山本は、呟くように答えた。
「斬れるのな。けど、その為には覚悟しなきゃなんねえ」
「…………覚悟?」
「例えば、雲雀に嫌われちまう覚悟」
 追いかけたときは考えにも浮かばなかった、けれど。もし雲雀の前でデーチモとドンパチやらかしたら、もしかしたら恐がられてしまうかもしれなかった。……それか、別の視線を向けられるか。それは今の山本には分からない。
 雲雀はきょと、と漆黒の目を瞬かせて、首を傾げた。
「どうして僕があなたを嫌うんだい」
「内緒なのな」
 どこまで雲雀が山本のことを許容してくれるか分からない。だから、山本には何にも答えられない。しかしそれが、気に食わなかったらしい。雲雀は急に立ち上がると、山本へに飛びかかってきた。
 とっさにかわせば耳元でぶん、と空気を裂く音。見れば雲雀の両手に金属の武器――どこからかトンファーが握られている。
「貴方のそういう所は、嫌いだな」
「ちょ、待てって!」
「待たない」
 小柄な身体を身軽に動かして、雲雀は山本に襲いかかる。広い屋敷とはいえ、野外に比べたらもちろん狭い。竹刀を握るが、山本は雲雀相手に刀を出す気にはなれっこなかった。――無論、振り回すのも危険で、結局は雲雀の方が有利だ。
 山本は防戦一方で、壁に追いつめられる。
「抜きなよ」
 ぎらりと、凶暴な色に輝く瞳。
 フツウの子供とは思ってなかったけど、ここまでとは予想してなかった。
 しかも、雲雀は言ったら退かない。今ここで下手に誤魔化す方が、機嫌を損ねる可能性が高い。
(何か、それは、イヤだな。)
 そう思ってしまった自分に、山本は驚く。――俺ってこんなに雲雀に嫌われたくなかったのか。それだけ、ここが居心地がいいのだろうか。
「で、どうするの?このまま僕に咬み殺されるか、それとも――」
「……分かった」
 覚悟をして鍔を、鳴らせば。俺の手の中で、竹刀は刀へと姿を変える。雲雀は動きを止めて、時雨金時を見た。
「触るの禁止な。これであんたを傷つけるつもりはねえ」
「うん」
 こくりと頷いた雲雀はじっと刃を見つめて。山本もつられてそこに視線を落とす。彼にとっては見慣れた、涼やかな銀色の刀身。
「ふうん。……まあ、今回は許してあげる」
 いうと同時、雲雀の手元からトンファーが消える。それを待って、山本も刀を竹刀に戻した。雲雀が次の行動に出る前にそそくさとバットケースに納めて、何となく背に隠す。
「別に没収はしないよ」
「……そうなのな?」
「だって、あなたのじゃないか」
 返答に瞬き。そんな山本に呆れたように息を吐いて、雲雀はくるりと身を翻した。
「部屋に戻るよ。晩の支度ができたら呼んで」
「お、おう。今日は……んー、親子丼な」
「そう」
 雲雀が、部屋から去って。なんだか深いため息が出てしまう山本だった。

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