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犬と僕の暮らし


 かたかたと、耳慣れない音で雲雀は目を覚ました。あくびを、ひとつすれば黄色の小鳥が頭に乗る。こちらは、いつもの日常だ。
「オハヨウ」
「おはよう」
 挨拶を交わして自室を出れば、ふわりと美味しそうな和食の匂い。
 それを追ってたどり着いたのは台所で、そこには黒髪の青年――山本武。なぜかエプロン姿のそいつがコンロの前で何か働いている。
 そういえば昨日、拾ったんだった。雲雀は記憶をつまみ上げて思う。そこは、まあ、どうでもよかった。それより分からないのはその行動だ。
「何をしてるの」
 聞けば、山本はおたま片手に振り向いた。にかりと快活に笑う姿は昨日裏路地に居た時とは目の輝き方から違う。
「おはよ、雲雀。朝飯作ってんのな」
「……そう」
「もーすぐできるから、座ってな」
 言われるまま食卓につく。それから数分もせず並んだ朝食は、意外なほどおいしかった。味噌汁を一口すすった雲雀は目を瞬きさせて山本を見る。すると向こうは緊張した様子で、まじまじと食べ進める雲雀を見ていた。
「……うまい?」
「うん」
 素直に頷けば、安心したような笑み。
「よかった、不味いって怒られたらどーしよーと思ってたのな」
 皿や茶碗を綺麗に空にし、雲雀はごちそうさま、と手を合わせる。そして彼は山本に聞いた。
「お夕飯も貴方がも作るの?」
「雲雀がいいって言うんなら」
「ハンバーグがいい」
 きょとんと山本は動きを止め、すぐに満面の笑みになった。
「まかせとけ!」
 こうして、青年はそこに自分がいる理由をひとつ、捕まえた。
 さて、夕飯にハンバーグと強請られたが冷蔵庫には挽き肉が入ってなかった。その辺を学校にいく雲雀とほぼ入れ違いで現れたリーゼント頭の男――雲雀の傍仕えで生活の世話をする、名を草壁と名乗った――に言えば、
「好きに使ってください」
 と財布を渡された。――いいのか、こんなんで。流石に危機感が無さすぎると山本は驚くが、草壁は平然とした様子で言う。
「足りない物は好きにお買いください」
「いや、そこまでは……」
「この屋敷は物がありませんので」
 それは事実だった。雲雀の住まう純和風の屋敷は広いのに物が少ない。まるで雲雀しか住んでないようで、草壁の言うには事実、そうなのだった。
 しかし。山本は躊躇いがちに問う。
「俺が財布もって逃げるとか、考えてないわけ?」
「はい。恭さんの見つけた方ですから」
「……」
 結局、山本それに甘えることにした。衣服だって替えはないし、身の回りの品は足りないどころか何一つない。今、住まいにしているアパートへ戻るのは得策ではないだろう。昨日はあれだけ追われていたのだ、あの混乱で生きているのが幸運なくらいで、逆に今はいつもの場所へ足を向けるのは自分の為にはならないだろう。
 そうして人目を気にしながらも一人で山本は見知らぬ街へ出る。適当に買い物をしながら思うのは、相棒達のことだったり、ずっと大切にしてきた武器のことだったりする。
「あいつら……どうしてんだろ」
 燕の小次郎はともかく、見た目犬の次郎は首輪もついてないし、下手したら保健所送りだ。まあ、あいつ賢いからその辺は大丈夫だろうけど。変に呑気な予感を信じて、山本の考えは次の問題に移る。
次の問題は、己の武器――こちらは望みが薄かった。誰か身内にでも拾われてたら余程運がいいが、最悪折れている。刀とは持ち主を選ぶ。特に、あの刀は。
 まあ、拾えたところで雲雀の目から隠すのも苦労するしな、今は考えないでおこう。山本は思考を変えるように大きく息を吐いて、夕食の材料を考えた。
「挽き肉とパン粉と……あの家、玉葱あったっけな…?」
 ハンバーグなんて何年も作っていないから、必要なものを思い出すのに苦労する。材料を検索してみようかと思いついたところで、はたと携帯も落としてしまっていたことに気が付いた。大暴れした記憶はあるし確実に、壊れているだろう。
「……あー…こりゃあ誰にも連絡つかねえな」
 それもいいかもしれない。そうして過去の全部と決別したら、俺は――。
 山本はふと、そんなことを考えてしまう。それは何故だろうか、考えて思いついた答えは、フツウに憧れているかもしれない。そんなぽつりとした願いだった。
 あんな屋敷に住んでしかも山本ををあっさりと拾ってしまう雲雀がフツウの子供とは言い難いが、それでも山本の生い立ちから比べれば十分それに近い。
「…………らしくねーの」
 脳裏を掠めた幻影を振り切って、山本は草壁に持たされて使い始めたエコバッグを持ち直した。今は、晩飯のハンバーグだ。
「うまいの作んねーとな」
 朝見た雲雀の顔を思い出して、山本の頬は緩んだ。
 メニューを思い出しながらも作った夕食のハンバーグをはぐはぐと雲雀は食べている。山本の思いつきでチーズを乗っけてみたそれは、随分お気に召したらしい。
 付け合わせの焼き野菜とサラダも箸で示して山本は言う。
「ちゃんと野菜も食えよ」
「分かってる」
 雲雀は好き嫌いはあまり無いらしい。付け合せの人参やブロッコリーもちゃんと食べてくれる。しかもおいしいと零して。
 ああ、知らなかった。山本はふと気づく。食ベてくれる人がいるとこんなに作り甲斐があるのだと。山本の脳裏に思い出すのは、料理をふるまって、食べる様子をにこにこして見守っていた師の笑顔だった。
 そういえば、こういう風に誰かと家で飯を食うのはいつぶりだろう。山本は思う。多分あの頃以来か。そういう思考とほぼ同時、
「久しぶりだ」
 ぽつんと雲雀は呟いた。耳ざとく聞いてしまって、山本はつい、反射的に問いかけてしまう。
「何がなのな?」
 返事は躊躇いがちだった。
「……誰かと食べるの、ひさしぶりだった」
 そう言われて疑問に浮かぶのは、あの見た目に反しては物腰も柔らかく人のいい青年のことで。
「……哲さんは?」
「哲は僕の世話役だけど、他の仕事もあるから」
「そっか」
 山本はなんでもないように答えて、ハンバーグのおかわりを聞くことしかしなかった。そういう時、誰かを慰める方法なんて山本は知らない。
 どうしてか、そのことがちょっとだけ悔しかった。
「あなた、いつまでここにいるの?」
 食後の緑茶を飲んでた雲雀が、ふと聞いてきた。
「え?」
「ずっといてもいいよ。どうせここは僕しか使わないから」
 ありがたい申し出だと思う、けれど。山本は戸惑う。彼の事情に、雲雀を僅かとも巻き込みたくはなかった。この屋敷だって時機を見て離れないとならないだろうに。明かしていることよりも言えないことの方が多いのに。不都合だって増えるだろうに。
 それでも、どうしてか、山本はその申し出を喜んでしまった。
「……いいのか?」
「僕がいいって言っているんだ」
 山本を見上げる漆黒の目はあんまりにもまっすぐだった。
「だから――」
「ありがとな、雲雀」
 続く言葉を遮って。躊躇いはあっても、迷いはしなかった。
「世話になるのな」


*****


 週末。だんだんと雲雀の屋敷に慣れてきた山本は、なぜか掃除に目覚めた。
「今日は廊下をぴかぴかにするのな!」
 はりきる山本に、雲雀は訝しげな視線を送る。山本は必要最低限しか、外出しない。見た限り運動好きそうで、インドア派でも引きこもりでもないだろうに。何か、理由があるんだろうか。
 暇潰しに草壁の渡した料理本を広げて雲雀に何が食べたい、と聞いてきたり、答えればそれを作ってくれたり。庭に出ることさえ少ない。
 それでも数日の間に幾つかのことを知ることは出来た。洋食より和食が得意だということ、師匠という言葉を口から滑らせた辺り、誰かから何かを学んでいたこと。
 考えに落ちかける雲雀の視線、その先で山本が首を傾げるのが見えた。
「雲雀、どした?」
「なんでもない」
 答えるとどうしてか、ぎゅうと抱き締められた。
「なんかあったら言ってくれよな」
 雲雀の機嫌が下がったとでも思ったのか。山本の大きな掌は不思議と心地よくて、勘違いを訂正してやる気が起きなかった。
 けどいつまでも抱き締められてるつもりはない。邪魔、と突き放して雲雀は言う。
「僕、これから出掛けるんだけど」
「あ、悪い。気を付けてけよ」
 するりと手が離れ、雲雀の頭を撫でた。ここ数日思っていることだが、山本はスキンシップが激しい。しかも頼みもしないのに玄関までついてくる。
「いってらっしゃい、雲雀」
「……うん」
 草壁でない人間に、少し前まで他人だった男に見送られることに雲雀は慣れ始めていた。
 近所の公園で雲雀が小鳥達に餌をやるのは、週末の習慣のようなものだった。雲雀を怖がりもせず手に乗って餌をつつく小鳥達を眺めていると、ふと大型の犬が近寄ってきた。多分秋田犬、首輪も紐も無い。けれど毛並みはとてもつややかで、人間を怖がりもしない。ふんふんと鼻を鳴らして雲雀の匂いを嗅いでいる。小鳥も雲雀も、何だろうという視線で犬を見る。
 それはどこか、屋敷で大掃除しているだろうあいつに似ている気がした。
「君、どうしたの?」
 雲雀がそう、聞くと。
 犬は僕の目の前でおすわりして、わんと吠えた。同時、小鳥達がぱたぱたと飛んでいく。しかしそれが威嚇でないのはその鳴き方とぱたぱた振れる尻尾で雲雀には分かった。その数秒後、ぱたぱたと少年が犬に駆け寄ってきた。パーカーのフードをを被った小柄な少年だ。
「次郎、見つけたの⁉」
 問う少年に、犬は一声吠える。少年はそっか、と頷いて雲雀を見た。
「何?」
 聞いて、雲雀は少年を観察する。フードから覗くのはつんつんの茶髪に琥珀色の瞳。腕にオレンジのたてがみの生き物。
(……たてがみ…ライオン?)
 雲雀がまじまじとその生き物を見ているとライオンらしきオレンジの生き物はプルプル震えて目をそらす。そのたてがみを撫でながら、
「あのお、」
 少年はおずおずと切り出した。
「君、山本って人と知り合い?短い黒髪で、背が高い男の人なんだけど」
「……あいつがどうかしたの?」
 山本の関係者、なのか。雲雀は思う。自分の知らない、あいつの関係者。
 雲雀の返事に何を思ったのか、少年はぱっと目を輝かせた。大人しく座っている犬も雲雀を見る。少年は大型犬を指さして、言った。
「あのな、この犬……次郎って言うんだけど、山本の相棒なんだ」
 わん。また吠える犬。きょとんとしている雲雀に、まだ少年は言葉を紡ぐ。
「しばらくオレが預かってたんだけど、やっぱ主人のとこがいいと思って、知り合い探してたんだ」
「それなら、あなたが直接返せばいいじゃない」
 思い付きを雲雀がそのまま言葉にすれば、少年は眉を下げて苦笑する。
「オレ、仲悪いから」
 さらりした返答に違和感。あんな人懐こいあいつにも、そんな存在がいるのか。
「…………?」
「だから、お願い」
 手を合わせられる。断る理由を、雲雀は見つけられない。――もしかしたら、これが何かのきっかけになるかもしれない。そういう企みを考えて、雲雀は一つ頷いた。
「いいよ」
「ありがと! こいつ賢いからさ、何もしなくても着いてくから」
 ほっと息を吐いて笑った少年は、そして腰を曲げて犬に目線を近づけ、よかったなと呟いて犬の頭を撫でる。
 この少年は、何者だろう。ふと、雲雀は気になった。
「あなた、名前は?」
 ぱっと少年は視線を犬から雲雀に向けて、曖昧に笑う。彼は躊躇うように息を吸って、小さな声で答えた。
「……デーチモ」
「ワオ、偽名かい?」
 外見は殆ど日本人なのに、そういう名を持つはずがない。皮肉れば少年は思いの外素直に頷いて肯定をした。そしてポケットから小さなカードを取りだすと何か書き込み、僕に渡した。
「危害を加えない証」
 カードには『犬を返します』と一言手書きの文字、端に橙の蝋で貝とXを象る紋章。確認して顔を上げると、もうそこに少年は居なかった。


*****


 ぴかぴかになった廊下に満足して、山本が早くも夕飯の支度に取りかかった所で、玄関扉が開く音がした。何の声もない。きっと雲雀だろう。
 山本は料理の手を止めて、手を拭きながら玄関に向かった。
「おかえり、雲雀……?」
 そこで、山本の目は点になる。無言で靴を脱ぐ雲雀の隣、そこには物凄く見慣れた色と姿をした秋田犬がぶんぶんと尻尾を振っていた。
「次郎……?」
 秋田犬は返事をするように一声吠えた。見間違えるはずはない、そいつは間違いなく山本の相棒、次郎だった。
「ああ、本当にあなたの犬なんだね」
 次郎と山本を見比べて雲雀は他人事のように言う。
「……つか、何で雲雀が? 話してなかったろ」
「預かった」
「誰に?」
 さらに聞くと、雲雀は山本に向けて曖昧な表情を浮かべ、答えた。
「デーチモとかいう人」
「……デーチモ⁉」
 山本が思わず大声を出してしまい、雲雀は眉間に皺を寄せる。それにも気付かず、彼の肩を掴んで山本は問うた。
「雲雀、なんもされなかったか⁉」
「…………痛いんだけど」
「あ、悪い」
 ぱっと手を離した山本に、雲雀は首を横に振ってみせた。ほっと胸をなでおろす山本に向けて、雲雀はぽつりぽつりと答える。
「……何もされてない。今回は、しないって言ってた」
 そしてポケットに手を入れて、山本に何かを差し出す。それは小さなカードだった。
「これ、貰ったんだけどあなた宛だと思う」
「……カード?」
 そこには『犬を返します』という文字と、ボンゴレとデーチモの刻印。間違いなく奴から、という証。
 カードを握りつぶしたくなるのを堪えて、山本は食いしばった歯の隙間から呟いた。
「……訳わかんねえのな…」
 デーチモの目的が全く読めない。そもそも何で奴が次郎を連れていたのか。何もせずに返してきたのか。どうして雲雀を介したのか。何一つ、予想すらできない。
「次郎、奴になんもされなかったか?」
 不安になって山本は聞いてみる。すると次郎は何が、といった様子でしっぽをぱたぱた振っていた。これは無事だったというアピールだ。
「マジかよ……」
 天変地異か。そんなことすら考えてしまう山本に対し、雲雀は静かに問う。
「あの人、何者なの?」
 それは、山本にとってあまり答えたくない問いだった。
 山本は今まで彼のいた場所、やっていたことについて何も雲雀には話してない。巻き込みたくないし、軽蔑されるのも嫌だった。けれど、答えないと雲雀は引かないだろう。
 言えるのは、たった一つだった。
「奴は……デーチモは、化け物だ」
 それだけは間違いなく山本は言い切れる。回答に何を思ったのだろう。雲雀は瞬きして、やがてにやりと笑んだ。
「ファンタジーだね」
「マジだから。奴には要注意な」
 分かっているのかいないのか。ん、と頷いた雲雀はふと幼い表情を見せる。
「ねえ、お腹すいた」
「すぐ用意するのな」
 忌々しいカードをポケットにしまい、山本は新しい日常に身を翻した。


*****


 数日後の、晩。どこかで懐かしい音が聞こえて、山本は深夜、目を覚ました。
 見回してみるが部屋の中には何もない。明かりを付けるのが面倒で、彼は部屋を手探りで窓際に行く。
 カーテンを捲れば、外も闇色。音は外からだろうか。
「気のせい、じゃねーよな」
 試しに障子をと窓を少しだけだけ開けて、目を閉じ耳を澄ます。静かな夜に微かに、透き通った、笛の音色。フルートではない、植物の作る筒の生み出した柔らかな横笛の音。
「…………まさか」
 山本には思い当たる節がひとつ、あった。
 瞬間、まだ半分ぼんやりしてた頭がぱっと覚醒する。そのまま、彼は少しの間混乱をした。しかし音色は止まない。
 そのせいで彼の予想は確信に近づく。というかこれは、十八番のあの曲だ。間違いがない。
 ヤバイ。山本は呟いた。背に冷や汗が垂れるのを自覚して、どうして、と彼の口は動く。
「何事なのな……」
 それを、確かめないと。
 一度深呼吸して、山本は覚悟を決めた。雲雀を起こさないよう、足音を立てないように部屋から廊下に、そんで縁側から庭に出る。
 庭いじりに使ってるサンダルをつっかけて、彼が音を辿ろうと、した。その時。
 笛の音が止んだ。
「……本当に、ここにいたのでござるな」
 静かな声に、山本の肩がびくりと跳ねる。恐る恐るその方を向けば、片手に横笛を持つ和服の男が笑っていた。
 なんでいんの。ぱくぱくと口を動かして、山本はようやく言葉を紡ぐ。
「師匠……」
 和服の男は朝利雨月という名の、山本武の師だった。ずっと世話になっている、頭の上がらないひとだ。久しぶりに会う山本の師は、けれど何も変わっていない。笑顔も、若干時代錯誤な和服も。
 ただ、疑問なのは、山本がここに居ると、知っていることだった。
「何で、分かったのな?」
「友が教えてくれたのでござるよ」
 主語がない山本の問いかけにも、雨月はしっかり答えをくれた。
 師匠、謎に顔が広いからなあ。そんなことを山本は考える。しかし買い出し以外ろくに外出してねえのに、見つかるのが早すぎはしないだろうか。友というのも、山本には誰のことだかわからない。
「それより、武」
 減らないどころか次々と増える疑問に眉を寄せた山本の名を呼んで、雨月はつい、と闇に何か――布に包まれた長いモノを差し出した。その先端に、一羽の燕。
 それははぐれっぱなしだった、山本のもう一羽の相棒。
「小次郎……⁉」
 応えるように燕が羽ばたいて山本の指先に止まる、それを待って雨月は布包みを解いた。しゅるりと布が剥がれ、中には一振りの竹刀がある。ちゃき、と師匠が鍔を鳴らせば竹刀は刀に姿を変えた。
 それは、あの時紛失した山本の愛刀、時雨金時だった。
 雨月は静かに言う。
「落とし物でござるよ」
「時雨金時まで……」
「小次郎が見つけたでござる」
「…………もしかして小次郎、はぐれた後師匠んとこに行ったのな…?」
 燕は何にも答えない、だが雨月は『恐らくそうでござろう』と推定を答えた。きっと小次郎が雨月を時雨金時の場所まで導いてくれたんだろう。
「ありがとな、小次郎」
 山本は燕の頭をそっと撫でる。次郎も小次郎も、時雨金時さえ見つかった。俺はなんて運がいいんだろう。
 けど、俺は――。
「師匠……それ、預かっててくんねえか?」
「仕事道具でござろう」
 雨月の声に、山本は曖昧に頷いたそう、だけど。時雨金時は大事な愛刀だけど。
 今の山本は、この場所から離れるつもりが――雲雀と別れるつもりが、無かった。それに。まだ彼自身さえも理由を知らずにいるが、何故か、雲雀に嫌われるのが怖かった。
「なんか……今、色々あって」
 ぼそぼそと答えている間に師匠は時雨金時を竹刀に戻し、また布でくるくると包んで。そして、雲雀の家を見た。
「この家に厄介になって居ることでござるか」
 山本は躊躇いがちに頷く。いい加減慣れてきた、大きな屋敷。その主はきっと、夢の中だろう。物音には敏感だが、こんな時間に起きていられるほど大きくもない。
「……まあ、そーゆーことなのな。何にも、言ってねえんだ」
「それでも、持っておくでござる」
「え?」
 有無も言わさない口調で言って、雨月は布包みに戻った時雨金時を、山本の手に乗せた。あんまりにも唐突で、しかし雨月の瞳の真剣さに山本は拒否できず、それを握り締める。
 それに満足したらしい。雨月の表情がふ、とゆるんだ。声もまた、幼いころの山本をを甘やかす時みたいに柔らかくなる。
「武」
「……なんだ、師匠?」
「その刃は、守る為にも使えるでござるよ」
「…………うん」
 そんな使い方、したことないけれど。雲雀に、これを見せたくないけれど。
 山本はその言葉を、忘れないでいようと思った。

 朝いちばん。雲雀の声に、山本は苦笑いしか浮かべることが出来なかった。渡りをしない燕は珍しいが、この燕はそういう育ちだ。
「また増やしたの」
「それが、急に見つかったのな……」
 そうやって山本が言い訳がましくした説明によれば、雲雀がデーチモから預かってきた犬の次郎と同じで、彼の相棒。 名前は小次郎とか――何となく思った指摘を、雲雀はしなかった。
 この屋敷はどんどん増えていく。物も、生き物も。いろいろなものが。
 それは殆どが山本のせいだ。
 けれど。雲雀は奇妙な感覚を覚えていた。これまで、一人が、嫌だと思ったことは無かった。群れの方が嫌いだし、広い屋敷で一人でいて、不便に思ったことも無かった。
 逆を言ってしまえば、増えることを拒んでもいた。
 それなのに。
「…………増えていくばかりだね」
 気まぐれに人間を一人、拾ったあの日から。僕の生活に、色んなものが増えていく。
 物が、動物が、音が。いつの間に、賑やかになっている。けれど、それは嫌じゃなかった。
「お味噌汁、何?」
「今日はさつまいも入りだぜ」
「そう」
 一人がいいのに、一人じゃない。
 けれど、嫌じゃない。
「ちぐはぐだ」
 雲雀の呟きに、山本は首を傾げた。どうも、彼は耳ざとい所がある。
 山本は相変わらず、よく分からない人間だった。燕と一緒に何か持ち込んだらしく、最近ちょっとだけ様子がおかしい気がする。そして、それを雲雀にに悟られまいとしている――雲雀にはお見通しだが、あえて何も言わずにいてやっている。
「ん、さつまいも嫌いか?」
「嫌いじゃないよ」
 問われて、雲雀は首を横に振る。
 嫌じゃない。嫌いじゃない。今日の朝餉も、あなたのことも。後者は多分伝わらないだろう。分かって、雲雀はひそりと笑った。

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