犬と僕の暮らし
ぴんぽん。
あまり鳴らないインターホンがが来客を告げる。山本は思わず眉を寄せ、ぼやくように言った。
「今回は何なのな?」
ふいの来客がデーチモだったあの日の記憶が脳裏をよぎる。けれど出ねばなるまい。来ると言われてはいないが、万一雲雀の客だったら困る。
何がでるやら。考えながら玄関を開ければ、そこに居たのは意外すぎる人間だった。
「こんにちは、山本武」
金の髪、黒のピンストライプスーツ。オレンジ色のやさしげな瞳がにこりと細まる。山本は呆然として、客の名を呼んだ。
「……ジョットさん?」
「ああ。少し、お前に用があってな。Gにこの家の住所を聞いてきた」
ジョットの言う用件が、山本には分からない。そもそも彼はあの日喫茶店で偶然知り合っただけで、それっきり何の関係もないはずだ。
戸惑う山本にやはりジョットは笑みを浮かべたまま、頭を下げた。
「ありがとう」
「へ…………?」
何を、ジョットさんは言っているのだろう。山本は混乱してただ彼を見た。迷っていた自分にヒントをくれた恩はあっても、彼に礼を言われる理由は皆目見当がつかない。
礼を言うのはこっちだし、誰かと自分を間違えてはいないだろうか。
「な、何がなのな?」
しどろもどろになって問えば、ジョットは苦笑に眉を下げて、答えた。
「感謝している。あの子を、殺さないでくれて」
「…………あの子?」
一人立ちして殺すの殺さないののやりとりをしたのは数知れない。けれど雲雀の許に来てからそういうことをしたのは、ただ一度きりだった。
先の満月の晩、デーチモに刀を向けた時だけ。それ以外、答えが思いつかない山本はそれをそのまま言葉にする。
「あんた、まさかデーチモの知り合いか?」
「……ああ。あの子はね、俺の末の家族だよ」
頷いたジョットの続けた言葉。それに、山本は驚愕した。デーチモの家族、それはジョットがボンゴレの一員であるということも示す。そして彼は山本が問う前に言った。
「俺は、ボンゴレのプリーモと呼ばれている」
「……っ⁉」
「黙っていたのは詫びる。俺自身はジョットという名の方が気に入っているのだけどね。だから、これからもそう呼んでもらえると助かる」
平然と言ってのけるジョットは、まだ驚きから立ち直れずにいる山本に向けて首を傾げた。
「どうした? そんなに驚く必要はないと思うが」
「いや、それはあんたの思い違いなのな……」
山本は呆れ半分に返した。ボンゴレの首領、裏の世界では泣く子も黙る大物だ。呆れて言葉を返せばジョットはそうか?と不思議そうにしている。山本はジョットの正体に、ふと彼と初めて会った時を思い出す。
ジョットと、会ったとき。山本は彼に相談をした。迷っていると、素直に口にした。そしてジョットはそんな山本に、望むままにあれと言った。
けれど。もしかして、彼は。
予感がして山本は聞く。
「なあ、あんた……あの時俺がデーチモを殺そうとしてたの、気付いてたのか?」
「そうだね。あの子もしばらく前から随分と様子がおかしかったから、案じていた時だった。そしてあの子とお前がアラウディに依頼をしたのも、その結果も知っている。……あれは俺も手伝ったから」
アラウディの調査が難航したのは俺の責任でもあったからな。手伝わざるを得なかった。
そこまで言い切ったジョットに、山本は問いを重ねた。
「じゃあどうして止めなかったんだ?殺すなって、俺に言うことも簡単だっただろ」
死なせたくないのなら、殺されなかったことに感謝するなら、はじめからそうすればよかった。訴えるよう疑問を投げた山本にジョットは曖昧に笑う。それは何故か、どこか、嬉しそうだった。
「俺達はね、手を出さないと決めていた。そして俺は、あの時お前にならできると思ったんだ。お前なら、あの子を止められる、あの子を変えられると。――その通りになったようだね」
山本は、それには答えられない。何も、言葉が出てこなかった。目の前の青年はこの未来が見えていたのか、それとも万が一の賭けだったのか、それすら分からない。不思議な人だと、改めて思う。
じゃあ、と山本が聞けたのは、デーチモのことだけだった。
「……あいつは今どうしてんだ?」
ぱちりと瞬きして、ジョットはくすくすと声を立てて笑った。口元に手を当てて、それでも隠せない笑顔を浮かべて彼は言う。
「家にいる。デーチモとしてはしばらく謹慎だ。それに、あの子も色々と考えることが多い。……だがそろそろナッツも飽きているだろうし、またすぐに外に出るだろう」
「謹慎って……」
「うちの者にこっぴどく叱られてな。しばらくは仕事をさせるなと。だが家事手伝いはしているな」
「…………ボンゴレが?」
「ああ」
山本の想像に反してボンゴレとはアットホームな組織らしい。プリーモとその招待であるジョット、そして彼の話すボンゴレ。その想像と現実のギャップにいい加減山本は疲れて、思わず眉を下げた。そんな彼に、ジョットは微笑む。
「……縁が、変わればいい。俺はそう思うよ、山本武」
ジョットの言葉が、その奥にあるだろう本心が山本には分からなかった。けれどそれ以上の説明をするつもりはジョットにはないようで、彼は片手に持っていた紙袋を山本に差し出す。
「ほら、詫びといっては何だが、これはお土産だよ。雲雀の子とおやつにでも食べなさい」
押しつけられ、山本はなすがままそれを受け取らされた。
「あ、ありがとう……」
「いや。こちらこそ、ありがとう。お前には何度言っても言い足りないよ」
笑うジョットはどうしてもボンゴレのプリーモとは思えなくて、山本は狐につままれたような表情で、ジョットのオレンジ色が輝くのを見ていた。
*****
「なあ、雲雀」
とある日。洗濯物を干し終えた山本が、居間で動物たちと遊んでいた雲雀に声を掛ける。雲雀と、それにつられて数匹の視線が山本へ向き、思わず彼は苦笑した。
「何?」
「喫茶店行かね? 大した用事じゃねえんだけどさ、天気もいいし」
「……いいよ。僕も暇なんだ」
頷いて立ち上がる雲雀は頭に小鳥、肩にロールを乗せてきょとりとする。雲雀からは見えない視線を感じ、山本は小さく首を傾げた。
「お前等も行くか?」
「オサンポ!」
「キュウ!」
「わふ!」
「ぴい!」
「おっしゃ、決まりだな。それなら皆で行くぜ」
手分けをしててきぱきと戸締まりをし、山本と雲雀、そして二匹と二羽は揃って雲雀の屋敷を出た。
「いい天気なのなー」
晴空を見上げて山本が青に手を伸ばす。隣を歩きながら雲雀はのんきだね、といつも通りのトーンで返した。小鳥が頭上で雲雀の真似をするのも、いつも通り。
「ところでどうして喫茶店?」
「んー、いろいろ報告もあるし。今日骸来てるらしいからさ、まとめて済ましちまおうとか思ってもいるのな」
「そう」
「だからってさ、変わるわけじゃねえけどな」
雲雀を見下ろして、山本は優しく笑った。狭い子供の歩幅に合わせながら彼は歩き、言う。
「前の仕事も戻るつもりはあんまねぇし――まあどうでもいい簡単なのなら手伝ってもいいのな?」
「どういうこと」
「これからもよろしくってこと!」
「ふうん」
「何それ、冷たいのな」
淡々とした相槌を山本は追求をしようとして、けれど叶わない。それは向かいから二人組が歩いてくるのに気付いたからだった。
見慣れた人間が、二人。けれど山本は不思議に思う。よく考えれば、それぞれとの面識は重ねていても、二人が一緒にいるところを見たことはない。
それは雲雀も同じようで、子供は山本の隣で首を傾げ、片割れの名を呼んだ。それはいつも通り黒い服を着込み薄金の髪を日に光らせる、雲雀恭弥の後見人の名。
「アラウディ?」
「やあ、恭弥。それに山本武も。……ちょうどよかったね、雨月」
アラウディは気楽に答えて、隣の連れに声をかける。もうひとり――和服姿の朝利雨月はにこにことして、頷き返した。
「そうでござるな、ちょうどよかった」
「どうしたのな、師匠。アラウディさんと一緒とか」
肩でぴいぴい鳴く小次郎とぶんぶんとしっぽを振って今にも雨月にじゃれつかんとしている次郎を押さえて、山本は聞く。
「アラウディとは偶然会ってね。目的地が同じだったからご一緒しただけでござるよ」
「そうだよ。と言うわけで恭弥、これを君に。――君の願いことを聞くのは何時ぶりだろうね」
「……ありがとう、アラウディ」
雲雀はそっけなく答えてアラウディから紙袋を受け取る。その様子を見ていた山本はぱちりと瞬きをして、これが用事? と呟いた。耳ざとく聞いて、アラウディはそれを肯定する。
「君の家に行くつもりだったんだ。そうしたら丁度君達がやってきた」
「師匠も?」
「ああ。私の用事は、頼みごとでもあるけれど」
少しだけ申し訳なさそうに答えて、雨月は山本に、風呂敷包みを差し出した。くるくると巻いたような包み方を見た限り、山本には長くて繊細なものに見える。
「一つはお前達に、なのだけれど。もう一つはGに持っていってはくれないかい?」
「いいぜ。丁度あの喫茶店に行くところだったのな!」
快諾して山本は風呂敷包みを受け取る。よかった、と雨月はにこりと笑みを戻し。その中身を告げた。
「弟子やアラウディに分けてもらったベリーをジャムにしたのでござるよ」
「そっか、うまそうなのな」
「ふふふ、そうだといいのでござるが」
照れ笑いをして雨月は目を細める。友の頼みだったのだよ。付け足された言葉を聞いて山本は納得をした。師は結構、そういうところに律儀な人だ。
「Gによろしく頼むでござる」
「もちろん!」
「…………喫茶店に行くんだ。君も?」
「そうだよ」
アラウディの言葉に、雲雀は頷く。その頭上で黄色の小鳥もこくこくと頭を動かしぴい、と鳴いた。
「じゃあ、そうだね。……ゲームをしよう」
指の先でそっと小鳥の頭を撫で、アラウディは淡く笑う。
「かくれんぼだ」
「カクレンボ?」
ぴいぴいと鸚鵡返しする小鳥に、彼は頷いた。
「見つけてごらん。鬼は君達だ」
「ぴい!」
「何、それ?」
「見つけられたら分かるよ。じゃあ。行こう、雨月」
「また挨拶に行くでござるよ」
並んで歩いていく二人の背を見送り、山本はふいと、雲雀に聞く。
「そういえば、それ何なのな? アラウディさんに何か頼んでたのか?」
「まだ秘密」
疑問を一言に断ち切り、雲雀はまた歩きだした。迷い無く喫茶店へ向けて進む子供を、山本は慌てて追った。
喫茶店にはすでに骸が来ていて、彼はカウンターに陣取りカフェラテを片手に文庫本を読んでいた。
カラン、と鳴ったドアチャイムにも二人の気配にもすっかり気付いていたようで、振り向いた彼は赤と青のオッドアイをわずか笑みに歪ませて声を掛けてくる。
「思ったより早かったですね」
「よお骸。ここに来るって仕事か何かあったのか?」
「いいえ。師のお使いのようなものです。もう渡しましたが」
「……あんたも?」
「来たな山本。雨月から話は聞いてるぜ、とっとと出せ」
皆まで聞き終わらないうちに、カウンターの奥からマスターが出てきて山本に手を出した。
「あ、ああ」
山本はしゅるりと紺の風呂敷を解き、赤いジャムの詰まった瓶を一つ、マスターに手渡す。マスターは検分するように瓶を光に透かし、やがてぼそりと言った。
「相変わらず甘そうだな」
「そうでないと日持ちしませんからねえ」
骸がやけにのんびりとした相槌を打つ間に山本はもう一度風呂敷を結び、雲雀はカウンター席に座るとロールをテーブルにおろし、小鳥を見上げた。
「かくれんぼ?」
「カクレンボ! サガス!」
ぴい、と鳴いて小鳥はヒバリの頭から飛んだ。止めるつもりは無いらしいマスターは、あきれ半分で小鳥を見上げる。
「店内であんまり暴れさせるなよ。で、注文は?」
「俺コーヒーな」
「僕は……ミルクティー」
「分かった、座ってろ」
山本も雲雀の隣の席に着き、小次郎を肩から降ろして黄色の小鳥を見上げる。骸も、文庫本に栞を挟んで小鳥を目で追っていた。
「……あれは、何をしているのですか?」
「かくれんぼだって。アラウディさんが言ってたのな」
「アラウディ? ……彼ならさっき、ここに来ていましたが」
「え?」
素早く反応したのは、雲雀だった。漆黒の幼い瞳に不穏な色を滲ませて骸を見上げ、問う。
「どうしてあの人が?」
「紅茶の葉を持ってきたのですよ。何でも知り合いの頼まれごとだそうで」
「ふうん」
その返事だけで、とりあえず雲雀の様子は落ち着いて。逆に山本は不思議そうに、手元に残った風呂敷と、その中に収まるジャムを見た。
「うちの師匠に骸んとこに、アラウディさんも? やけにいっぱい集まってるのな」
「理由があるのかもしれませんね。想像もつきませんけど」
また文庫本に目を戻した骸は、けれど本を開くことはせずにその表紙を撫でる。一瞬生まれた静寂は、けれどすぐにかき消された。
「ミツケタ!」
「うわああああ‼」
甲高い声。いつのまにカウンターにまで入っていた小鳥はピイピイ鳴いて。直後、どこかで聞いたことのある、少年の悲鳴。
「――っ⁉」
「え?」
反応したのは骸と山本だった。骸は椅子から立ち上がり悲鳴の方を睨みつけ、山本は目を見開いてあっけにとられている。
唯一大きな反応を見せなかった雲雀はそれでもぱちぱちと目を瞬かせた。しかしなにか理解したのか、やがてカウンターのほうへ声を掛ける。
「かくれんぼは終わり。出てきなよ、じゃないとその子がうるさいよ」
「え、え、なんで⁉」
カウンター裏でがたがたと音が立ち、戸惑いの声が返ってくる。やがて顔を出したのは困り果て眉を下げたデーチモだった。腕に子ライオンを抱き、一人と一匹は涙目で三人分の視線を受け止めている。
「デーチモ、どうしてここに?」
害意を隠そうとしない声で問う骸を、山本が片手で制止した。おろおろしている少年をあまりいじめてやるつもりにはなれなかった。
「どうしてあなたが止めるのですか?」
「ちょっと訳ありでな。それの話で来たんだが……まっさか張本人がいるとはなあ」
「六道骸に山本に雲雀さん……というか、何で分かったんですか」
「僕に聞かないでよ。その子にかくれんぼの鬼役を吹き込んだのはアラウディ。見つけたのはその子だよ」
雲雀の答えに、デーチモはさっと顔を青ざめさせて叫んだ。
「アラウディさんのばか‼」
騒ぎは広がるものらしい。騒動を聞きつけたのか、二階の居住空間から獄寺が下りてきた。彼もやはり、カウンターの中で立ち尽くすデーチモを視界に入れるなり驚愕して警戒姿勢をとる。
「うるせえよお前等……って、デーチモ⁉」
「おー。獄寺、よお」
「なにてめえはこの事態にヘラヘラしてんだ阿呆!」
「いや、落ち着けって。大丈夫なのな」
「無理に決まってんだろ!」
「大丈夫って」
獄寺と山本の会話が見事な膠着状態に陥る中、ようやくマスターがトレーを手に戻ってくる。
「お前等何騒いでやがる」
「Gさん!」
悲痛な声に呼ばれ、デーチモを見たマスターは紅色の瞳をふ、と緩めて笑った。
「なんだ、もうかくれんぼは終わりか?」
「グルか‼」
悟ったデーチモがきっ、とマスターに向ける視線だけ、厳しい。マスターはそれをさらりと流して山本と雲雀の前にカップを置く。そして、全員を見回してこう言った。
「とりあえず座れ。話はそれからだ。……勿論てめえもあっち側だぞ」
言われたデーチモは深い溜息を吐いて諦観に頷いた。
「……はい」
そうしてカウンターに五人が並んで座り。いつの間にかコーヒーポットを持ち出していたマスターは獄寺にも彼のマグカップでコーヒーを出して――並んだ顔にけらけらと笑った。
「笑い事じゃねえ!」
眉間に皺を寄せた獄寺のつっこみにも、マスターは動じることなく笑っている。そして彼はデーチモを指して言ってのけた。
「いやあ、まさかあんな簡単にこいつが見つかるとは思ってなくてな」
大袈裟に溜息を吐いた骸が、冷ややかな視線で問いかけを投げた。
「そこの説明から頼みたいですね。どうやら貴方はデーチモがそこにいたことを知っていた」
「ああ。此処の主は俺だからな」
ごく当たり前なことじゃねえか、とマスターは答え、ビニルで包まれたシガレットケースを片手でもてあそぶ。骸は更に、問いを投げた。
「どうして許容できるのです?」
「そいつの保護者が俺の親友だ。ほら、お前らも知ってるだろ、常連の金髪野郎」
「ええ」
「よくカウンターでてめえにたかってるやつだろ」
「奴が俺の親友だが、まあ正体がボンゴレのプリーモだ」
場の空気が、デーチモを発見した時とは違う温度で凍り付いた。コーヒーを呷ろうとしいた獄寺は咳き込み、骸はぎょっとして両目を見開く。一人、事情を知っている山本は骸もめっずらしい表情するもんだな、と友人達を見て、雲雀はそんな大人達をつまらなそうに見ている。デーチモは相変わらず眉を下げて、成り行きを見守っている。
「もともとは奴のヒミツキチだったんだがな、まあ最近はもっぱらこいつの隠れ家だったってこと。――っていう訳でこいつも常連だ。てめえもいつまでも膨れるんじゃねえ」
「だ、だって……騙されたし」
「あー。ちゃんと詫びは用意してる。大体、文句はジョットに言え」
早口に言って、マスターは奥へと引っ込む。その素早さに次の句を告げられず黙り込んだデーチモに、また嘆息した骸が、仕方無しに話しかけた。
「正直、経緯はどうでもいいですが。どうしてそもそも貴方は此処にきたのですか?」
「……ナッツも家にいるの飽きてたし、ジョットにいい加減外の空気吸ってこいって、布団干すついでに追い出されて……」
しおしおとした態度で答えるデーチモに、骸も獄寺も首を傾げた。どうも、調子が合わない。
というよりも、彼らの知る『化け物』たるデーチモと目の前の少年がちっとも一致しないのだ。おかげで骸は改めて確認するハメになる。
「ちなみに聞きますが、貴方はデーチモに違いありませんよね?」
「…………うん」
「見えねえな」
「……よく言われる」
「それで、山本武」
ふいと渦中に引きずり出されて、山本は骸を見やって首を傾げた。
「なんだ?」
「君は彼を憎んでいませんでしたか?」
まっすぐすぎる発言にデーチモはたじろいで、反対に山本は笑った。その表情にぎょっとする獄寺と骸に向けて、山本は言う。
「それなんだけどさ、終わったんだ」
「は?」
「仲直りしたもんな!」
「……え?」
「しただろ?」
「……う、うん」
「……またてめえは超絶理論でなんかやらかしやがったな‼」
決めつける獄寺と傍観を決め込む骸と、あわてるデーチモ。一人楽しそうな山本。雲雀は心から呆れて、次郎とその頭に止まる小次郎に聞いた。
「君達の主人って、いつもああだよね」
くうんと、次郎は気まずげに鳴いた。
それから少し後。甘い香りと共にようやく出てきたマスターは五人の状況があまり変わっていないことにまた笑い、片手に持っていたトレイをデーチモの前に置いた。
「ほら」
「わー……」
その中心、分厚いパンケーキが三段盛られた皿を見て、獄寺はげんなりとした表情を浮かべる。骸と雲雀は無言のまま、山本はただ感心している。その視線の中でデーチモはいそいそとフォークとナイフを手にした。
「すっげーのな」
「見てるだけで胃がもたれるぜ」
溜息をコーヒーで飲み干す獄寺の横で、幾つか視線を動かして思案していた骸がふむ、と納得した様子で口を開く。
「……なるほど、おつかいは君の懐柔のためでしたか」
「え?」
デーチモはぱちりと瞬きをして、オッドアイを見返した。
「僕が持ってきたのはチョコレートソース、山本武のおつかいがジャム、アラウディは紅茶……。どれもそのトレイに乗っているじゃありませんか」
「正解」
肯定をマスターは返す。まあそいつらだけじゃねえけどな。ぼやくように彼は言葉を足した。
「…………俺もこう良いタイミングで全員分揃うとか思ってなかったけどな」
「いただきます」
小さく言って、ほとんどクリームに埋まったパンケーキにナイフを突き立てたデーチモに、雲雀はぽつんと、言った。
「そういえば」
「どうしました雲雀さん」
「かくれんぼ見つかったら、罰ゲームだよね」
カチン、とナイフと皿がぶつかって音を立てる。あわあわとしているデーチモは琥珀色の瞳を見開いて、雲雀に聞いた。
「何ですかそれ⁉」
「今決めた」
「ひどい‼」
「見つかる方が悪いよ。そうだね……君の名前を、教えてもらおうかな」
「……デーチモ、ですよ」
「違うね」
答えを、雲雀はきっぱりと否定する。
「それはあなたの本当の名ではない。そもそも、偽名を肯定したのはあなただよ」
「…………」
「名がないわけでは、無いでしょう」
漆黒の瞳でじっと見上げられて、デーチモはたじろいだ。
彼の言っていることはすべて事実で、だからこそ彼は怯える。だって、あの人は言っていた。
『君の世界は変わるだろうね』
どこから乗せられていたのだろうか。考えようとしたが、デーチモはすぐに思考を止めた。すべて、世界の流れだ。
小さく息を吸う、そして、膝の上の温もりに力を借りて、答えた。
「さ……沢田、綱吉」
「そう。じゃあ改めて。僕は雲雀恭弥、あっちのは山本武」
「それは分かってるけど……あれ、そういえば、雲雀さんと山本の関係って、何なんですか?」
「………………かぞく、みたいなものかな」
「……そうなんだ」
ぱち、と瞬きをしてデーチモは――綱吉は、ふんわりと笑ってみせた。
「オレのとこと同じた」
「まー驚いたけど、なんとかなってよかったのな」
「半分はあなたのせいでしょう?」
「そうか?」
夕方、帰り道。己の吐いた爆弾発言に全く自覚のない山本はからりと笑顔で、溜息を吐いて雲雀はやれやれと首を振った。手に持つモノも揺れ、そうだ、と彼は呟く。
「忘れないうちに……これ、あげる」
手渡されたものを見て、山本は首を傾げた。黒い革紐が通された、銀色のちいさなプレート。そこには二羽の鳥が――まあるい小鳥と燕が彫り込まれていた。
「なにこれ……ペンダント?」
「首輪」
「な⁉」
「冗談。でも、覚えておきなよ」
慌てる山本に雲雀はふいと笑んで、漆黒の瞳が山本を見上げてくる。いつもよりそれが楽しそうに、嬉しそうに輝いているのは、気のせいなのだろうか。
「何処に行ってもいい。けれど、君の帰る場所はここだよ」
「……ソクバク?」
「咬み殺すよ」
「冗談なのな! でも……ありがとな」
大事そうにペンダントを握る山本に、雲雀は当然だと頷く。
「うん」
「じゃ、帰ろうか。晩飯つくんねえと」
「そうだね」
夕焼けに背を向ける。伸びる影法師を追いながら、二人と四匹は我が家へ、また歩き出した。
あまり鳴らないインターホンがが来客を告げる。山本は思わず眉を寄せ、ぼやくように言った。
「今回は何なのな?」
ふいの来客がデーチモだったあの日の記憶が脳裏をよぎる。けれど出ねばなるまい。来ると言われてはいないが、万一雲雀の客だったら困る。
何がでるやら。考えながら玄関を開ければ、そこに居たのは意外すぎる人間だった。
「こんにちは、山本武」
金の髪、黒のピンストライプスーツ。オレンジ色のやさしげな瞳がにこりと細まる。山本は呆然として、客の名を呼んだ。
「……ジョットさん?」
「ああ。少し、お前に用があってな。Gにこの家の住所を聞いてきた」
ジョットの言う用件が、山本には分からない。そもそも彼はあの日喫茶店で偶然知り合っただけで、それっきり何の関係もないはずだ。
戸惑う山本にやはりジョットは笑みを浮かべたまま、頭を下げた。
「ありがとう」
「へ…………?」
何を、ジョットさんは言っているのだろう。山本は混乱してただ彼を見た。迷っていた自分にヒントをくれた恩はあっても、彼に礼を言われる理由は皆目見当がつかない。
礼を言うのはこっちだし、誰かと自分を間違えてはいないだろうか。
「な、何がなのな?」
しどろもどろになって問えば、ジョットは苦笑に眉を下げて、答えた。
「感謝している。あの子を、殺さないでくれて」
「…………あの子?」
一人立ちして殺すの殺さないののやりとりをしたのは数知れない。けれど雲雀の許に来てからそういうことをしたのは、ただ一度きりだった。
先の満月の晩、デーチモに刀を向けた時だけ。それ以外、答えが思いつかない山本はそれをそのまま言葉にする。
「あんた、まさかデーチモの知り合いか?」
「……ああ。あの子はね、俺の末の家族だよ」
頷いたジョットの続けた言葉。それに、山本は驚愕した。デーチモの家族、それはジョットがボンゴレの一員であるということも示す。そして彼は山本が問う前に言った。
「俺は、ボンゴレのプリーモと呼ばれている」
「……っ⁉」
「黙っていたのは詫びる。俺自身はジョットという名の方が気に入っているのだけどね。だから、これからもそう呼んでもらえると助かる」
平然と言ってのけるジョットは、まだ驚きから立ち直れずにいる山本に向けて首を傾げた。
「どうした? そんなに驚く必要はないと思うが」
「いや、それはあんたの思い違いなのな……」
山本は呆れ半分に返した。ボンゴレの首領、裏の世界では泣く子も黙る大物だ。呆れて言葉を返せばジョットはそうか?と不思議そうにしている。山本はジョットの正体に、ふと彼と初めて会った時を思い出す。
ジョットと、会ったとき。山本は彼に相談をした。迷っていると、素直に口にした。そしてジョットはそんな山本に、望むままにあれと言った。
けれど。もしかして、彼は。
予感がして山本は聞く。
「なあ、あんた……あの時俺がデーチモを殺そうとしてたの、気付いてたのか?」
「そうだね。あの子もしばらく前から随分と様子がおかしかったから、案じていた時だった。そしてあの子とお前がアラウディに依頼をしたのも、その結果も知っている。……あれは俺も手伝ったから」
アラウディの調査が難航したのは俺の責任でもあったからな。手伝わざるを得なかった。
そこまで言い切ったジョットに、山本は問いを重ねた。
「じゃあどうして止めなかったんだ?殺すなって、俺に言うことも簡単だっただろ」
死なせたくないのなら、殺されなかったことに感謝するなら、はじめからそうすればよかった。訴えるよう疑問を投げた山本にジョットは曖昧に笑う。それは何故か、どこか、嬉しそうだった。
「俺達はね、手を出さないと決めていた。そして俺は、あの時お前にならできると思ったんだ。お前なら、あの子を止められる、あの子を変えられると。――その通りになったようだね」
山本は、それには答えられない。何も、言葉が出てこなかった。目の前の青年はこの未来が見えていたのか、それとも万が一の賭けだったのか、それすら分からない。不思議な人だと、改めて思う。
じゃあ、と山本が聞けたのは、デーチモのことだけだった。
「……あいつは今どうしてんだ?」
ぱちりと瞬きして、ジョットはくすくすと声を立てて笑った。口元に手を当てて、それでも隠せない笑顔を浮かべて彼は言う。
「家にいる。デーチモとしてはしばらく謹慎だ。それに、あの子も色々と考えることが多い。……だがそろそろナッツも飽きているだろうし、またすぐに外に出るだろう」
「謹慎って……」
「うちの者にこっぴどく叱られてな。しばらくは仕事をさせるなと。だが家事手伝いはしているな」
「…………ボンゴレが?」
「ああ」
山本の想像に反してボンゴレとはアットホームな組織らしい。プリーモとその招待であるジョット、そして彼の話すボンゴレ。その想像と現実のギャップにいい加減山本は疲れて、思わず眉を下げた。そんな彼に、ジョットは微笑む。
「……縁が、変わればいい。俺はそう思うよ、山本武」
ジョットの言葉が、その奥にあるだろう本心が山本には分からなかった。けれどそれ以上の説明をするつもりはジョットにはないようで、彼は片手に持っていた紙袋を山本に差し出す。
「ほら、詫びといっては何だが、これはお土産だよ。雲雀の子とおやつにでも食べなさい」
押しつけられ、山本はなすがままそれを受け取らされた。
「あ、ありがとう……」
「いや。こちらこそ、ありがとう。お前には何度言っても言い足りないよ」
笑うジョットはどうしてもボンゴレのプリーモとは思えなくて、山本は狐につままれたような表情で、ジョットのオレンジ色が輝くのを見ていた。
*****
「なあ、雲雀」
とある日。洗濯物を干し終えた山本が、居間で動物たちと遊んでいた雲雀に声を掛ける。雲雀と、それにつられて数匹の視線が山本へ向き、思わず彼は苦笑した。
「何?」
「喫茶店行かね? 大した用事じゃねえんだけどさ、天気もいいし」
「……いいよ。僕も暇なんだ」
頷いて立ち上がる雲雀は頭に小鳥、肩にロールを乗せてきょとりとする。雲雀からは見えない視線を感じ、山本は小さく首を傾げた。
「お前等も行くか?」
「オサンポ!」
「キュウ!」
「わふ!」
「ぴい!」
「おっしゃ、決まりだな。それなら皆で行くぜ」
手分けをしててきぱきと戸締まりをし、山本と雲雀、そして二匹と二羽は揃って雲雀の屋敷を出た。
「いい天気なのなー」
晴空を見上げて山本が青に手を伸ばす。隣を歩きながら雲雀はのんきだね、といつも通りのトーンで返した。小鳥が頭上で雲雀の真似をするのも、いつも通り。
「ところでどうして喫茶店?」
「んー、いろいろ報告もあるし。今日骸来てるらしいからさ、まとめて済ましちまおうとか思ってもいるのな」
「そう」
「だからってさ、変わるわけじゃねえけどな」
雲雀を見下ろして、山本は優しく笑った。狭い子供の歩幅に合わせながら彼は歩き、言う。
「前の仕事も戻るつもりはあんまねぇし――まあどうでもいい簡単なのなら手伝ってもいいのな?」
「どういうこと」
「これからもよろしくってこと!」
「ふうん」
「何それ、冷たいのな」
淡々とした相槌を山本は追求をしようとして、けれど叶わない。それは向かいから二人組が歩いてくるのに気付いたからだった。
見慣れた人間が、二人。けれど山本は不思議に思う。よく考えれば、それぞれとの面識は重ねていても、二人が一緒にいるところを見たことはない。
それは雲雀も同じようで、子供は山本の隣で首を傾げ、片割れの名を呼んだ。それはいつも通り黒い服を着込み薄金の髪を日に光らせる、雲雀恭弥の後見人の名。
「アラウディ?」
「やあ、恭弥。それに山本武も。……ちょうどよかったね、雨月」
アラウディは気楽に答えて、隣の連れに声をかける。もうひとり――和服姿の朝利雨月はにこにことして、頷き返した。
「そうでござるな、ちょうどよかった」
「どうしたのな、師匠。アラウディさんと一緒とか」
肩でぴいぴい鳴く小次郎とぶんぶんとしっぽを振って今にも雨月にじゃれつかんとしている次郎を押さえて、山本は聞く。
「アラウディとは偶然会ってね。目的地が同じだったからご一緒しただけでござるよ」
「そうだよ。と言うわけで恭弥、これを君に。――君の願いことを聞くのは何時ぶりだろうね」
「……ありがとう、アラウディ」
雲雀はそっけなく答えてアラウディから紙袋を受け取る。その様子を見ていた山本はぱちりと瞬きをして、これが用事? と呟いた。耳ざとく聞いて、アラウディはそれを肯定する。
「君の家に行くつもりだったんだ。そうしたら丁度君達がやってきた」
「師匠も?」
「ああ。私の用事は、頼みごとでもあるけれど」
少しだけ申し訳なさそうに答えて、雨月は山本に、風呂敷包みを差し出した。くるくると巻いたような包み方を見た限り、山本には長くて繊細なものに見える。
「一つはお前達に、なのだけれど。もう一つはGに持っていってはくれないかい?」
「いいぜ。丁度あの喫茶店に行くところだったのな!」
快諾して山本は風呂敷包みを受け取る。よかった、と雨月はにこりと笑みを戻し。その中身を告げた。
「弟子やアラウディに分けてもらったベリーをジャムにしたのでござるよ」
「そっか、うまそうなのな」
「ふふふ、そうだといいのでござるが」
照れ笑いをして雨月は目を細める。友の頼みだったのだよ。付け足された言葉を聞いて山本は納得をした。師は結構、そういうところに律儀な人だ。
「Gによろしく頼むでござる」
「もちろん!」
「…………喫茶店に行くんだ。君も?」
「そうだよ」
アラウディの言葉に、雲雀は頷く。その頭上で黄色の小鳥もこくこくと頭を動かしぴい、と鳴いた。
「じゃあ、そうだね。……ゲームをしよう」
指の先でそっと小鳥の頭を撫で、アラウディは淡く笑う。
「かくれんぼだ」
「カクレンボ?」
ぴいぴいと鸚鵡返しする小鳥に、彼は頷いた。
「見つけてごらん。鬼は君達だ」
「ぴい!」
「何、それ?」
「見つけられたら分かるよ。じゃあ。行こう、雨月」
「また挨拶に行くでござるよ」
並んで歩いていく二人の背を見送り、山本はふいと、雲雀に聞く。
「そういえば、それ何なのな? アラウディさんに何か頼んでたのか?」
「まだ秘密」
疑問を一言に断ち切り、雲雀はまた歩きだした。迷い無く喫茶店へ向けて進む子供を、山本は慌てて追った。
喫茶店にはすでに骸が来ていて、彼はカウンターに陣取りカフェラテを片手に文庫本を読んでいた。
カラン、と鳴ったドアチャイムにも二人の気配にもすっかり気付いていたようで、振り向いた彼は赤と青のオッドアイをわずか笑みに歪ませて声を掛けてくる。
「思ったより早かったですね」
「よお骸。ここに来るって仕事か何かあったのか?」
「いいえ。師のお使いのようなものです。もう渡しましたが」
「……あんたも?」
「来たな山本。雨月から話は聞いてるぜ、とっとと出せ」
皆まで聞き終わらないうちに、カウンターの奥からマスターが出てきて山本に手を出した。
「あ、ああ」
山本はしゅるりと紺の風呂敷を解き、赤いジャムの詰まった瓶を一つ、マスターに手渡す。マスターは検分するように瓶を光に透かし、やがてぼそりと言った。
「相変わらず甘そうだな」
「そうでないと日持ちしませんからねえ」
骸がやけにのんびりとした相槌を打つ間に山本はもう一度風呂敷を結び、雲雀はカウンター席に座るとロールをテーブルにおろし、小鳥を見上げた。
「かくれんぼ?」
「カクレンボ! サガス!」
ぴい、と鳴いて小鳥はヒバリの頭から飛んだ。止めるつもりは無いらしいマスターは、あきれ半分で小鳥を見上げる。
「店内であんまり暴れさせるなよ。で、注文は?」
「俺コーヒーな」
「僕は……ミルクティー」
「分かった、座ってろ」
山本も雲雀の隣の席に着き、小次郎を肩から降ろして黄色の小鳥を見上げる。骸も、文庫本に栞を挟んで小鳥を目で追っていた。
「……あれは、何をしているのですか?」
「かくれんぼだって。アラウディさんが言ってたのな」
「アラウディ? ……彼ならさっき、ここに来ていましたが」
「え?」
素早く反応したのは、雲雀だった。漆黒の幼い瞳に不穏な色を滲ませて骸を見上げ、問う。
「どうしてあの人が?」
「紅茶の葉を持ってきたのですよ。何でも知り合いの頼まれごとだそうで」
「ふうん」
その返事だけで、とりあえず雲雀の様子は落ち着いて。逆に山本は不思議そうに、手元に残った風呂敷と、その中に収まるジャムを見た。
「うちの師匠に骸んとこに、アラウディさんも? やけにいっぱい集まってるのな」
「理由があるのかもしれませんね。想像もつきませんけど」
また文庫本に目を戻した骸は、けれど本を開くことはせずにその表紙を撫でる。一瞬生まれた静寂は、けれどすぐにかき消された。
「ミツケタ!」
「うわああああ‼」
甲高い声。いつのまにカウンターにまで入っていた小鳥はピイピイ鳴いて。直後、どこかで聞いたことのある、少年の悲鳴。
「――っ⁉」
「え?」
反応したのは骸と山本だった。骸は椅子から立ち上がり悲鳴の方を睨みつけ、山本は目を見開いてあっけにとられている。
唯一大きな反応を見せなかった雲雀はそれでもぱちぱちと目を瞬かせた。しかしなにか理解したのか、やがてカウンターのほうへ声を掛ける。
「かくれんぼは終わり。出てきなよ、じゃないとその子がうるさいよ」
「え、え、なんで⁉」
カウンター裏でがたがたと音が立ち、戸惑いの声が返ってくる。やがて顔を出したのは困り果て眉を下げたデーチモだった。腕に子ライオンを抱き、一人と一匹は涙目で三人分の視線を受け止めている。
「デーチモ、どうしてここに?」
害意を隠そうとしない声で問う骸を、山本が片手で制止した。おろおろしている少年をあまりいじめてやるつもりにはなれなかった。
「どうしてあなたが止めるのですか?」
「ちょっと訳ありでな。それの話で来たんだが……まっさか張本人がいるとはなあ」
「六道骸に山本に雲雀さん……というか、何で分かったんですか」
「僕に聞かないでよ。その子にかくれんぼの鬼役を吹き込んだのはアラウディ。見つけたのはその子だよ」
雲雀の答えに、デーチモはさっと顔を青ざめさせて叫んだ。
「アラウディさんのばか‼」
騒ぎは広がるものらしい。騒動を聞きつけたのか、二階の居住空間から獄寺が下りてきた。彼もやはり、カウンターの中で立ち尽くすデーチモを視界に入れるなり驚愕して警戒姿勢をとる。
「うるせえよお前等……って、デーチモ⁉」
「おー。獄寺、よお」
「なにてめえはこの事態にヘラヘラしてんだ阿呆!」
「いや、落ち着けって。大丈夫なのな」
「無理に決まってんだろ!」
「大丈夫って」
獄寺と山本の会話が見事な膠着状態に陥る中、ようやくマスターがトレーを手に戻ってくる。
「お前等何騒いでやがる」
「Gさん!」
悲痛な声に呼ばれ、デーチモを見たマスターは紅色の瞳をふ、と緩めて笑った。
「なんだ、もうかくれんぼは終わりか?」
「グルか‼」
悟ったデーチモがきっ、とマスターに向ける視線だけ、厳しい。マスターはそれをさらりと流して山本と雲雀の前にカップを置く。そして、全員を見回してこう言った。
「とりあえず座れ。話はそれからだ。……勿論てめえもあっち側だぞ」
言われたデーチモは深い溜息を吐いて諦観に頷いた。
「……はい」
そうしてカウンターに五人が並んで座り。いつの間にかコーヒーポットを持ち出していたマスターは獄寺にも彼のマグカップでコーヒーを出して――並んだ顔にけらけらと笑った。
「笑い事じゃねえ!」
眉間に皺を寄せた獄寺のつっこみにも、マスターは動じることなく笑っている。そして彼はデーチモを指して言ってのけた。
「いやあ、まさかあんな簡単にこいつが見つかるとは思ってなくてな」
大袈裟に溜息を吐いた骸が、冷ややかな視線で問いかけを投げた。
「そこの説明から頼みたいですね。どうやら貴方はデーチモがそこにいたことを知っていた」
「ああ。此処の主は俺だからな」
ごく当たり前なことじゃねえか、とマスターは答え、ビニルで包まれたシガレットケースを片手でもてあそぶ。骸は更に、問いを投げた。
「どうして許容できるのです?」
「そいつの保護者が俺の親友だ。ほら、お前らも知ってるだろ、常連の金髪野郎」
「ええ」
「よくカウンターでてめえにたかってるやつだろ」
「奴が俺の親友だが、まあ正体がボンゴレのプリーモだ」
場の空気が、デーチモを発見した時とは違う温度で凍り付いた。コーヒーを呷ろうとしいた獄寺は咳き込み、骸はぎょっとして両目を見開く。一人、事情を知っている山本は骸もめっずらしい表情するもんだな、と友人達を見て、雲雀はそんな大人達をつまらなそうに見ている。デーチモは相変わらず眉を下げて、成り行きを見守っている。
「もともとは奴のヒミツキチだったんだがな、まあ最近はもっぱらこいつの隠れ家だったってこと。――っていう訳でこいつも常連だ。てめえもいつまでも膨れるんじゃねえ」
「だ、だって……騙されたし」
「あー。ちゃんと詫びは用意してる。大体、文句はジョットに言え」
早口に言って、マスターは奥へと引っ込む。その素早さに次の句を告げられず黙り込んだデーチモに、また嘆息した骸が、仕方無しに話しかけた。
「正直、経緯はどうでもいいですが。どうしてそもそも貴方は此処にきたのですか?」
「……ナッツも家にいるの飽きてたし、ジョットにいい加減外の空気吸ってこいって、布団干すついでに追い出されて……」
しおしおとした態度で答えるデーチモに、骸も獄寺も首を傾げた。どうも、調子が合わない。
というよりも、彼らの知る『化け物』たるデーチモと目の前の少年がちっとも一致しないのだ。おかげで骸は改めて確認するハメになる。
「ちなみに聞きますが、貴方はデーチモに違いありませんよね?」
「…………うん」
「見えねえな」
「……よく言われる」
「それで、山本武」
ふいと渦中に引きずり出されて、山本は骸を見やって首を傾げた。
「なんだ?」
「君は彼を憎んでいませんでしたか?」
まっすぐすぎる発言にデーチモはたじろいで、反対に山本は笑った。その表情にぎょっとする獄寺と骸に向けて、山本は言う。
「それなんだけどさ、終わったんだ」
「は?」
「仲直りしたもんな!」
「……え?」
「しただろ?」
「……う、うん」
「……またてめえは超絶理論でなんかやらかしやがったな‼」
決めつける獄寺と傍観を決め込む骸と、あわてるデーチモ。一人楽しそうな山本。雲雀は心から呆れて、次郎とその頭に止まる小次郎に聞いた。
「君達の主人って、いつもああだよね」
くうんと、次郎は気まずげに鳴いた。
それから少し後。甘い香りと共にようやく出てきたマスターは五人の状況があまり変わっていないことにまた笑い、片手に持っていたトレイをデーチモの前に置いた。
「ほら」
「わー……」
その中心、分厚いパンケーキが三段盛られた皿を見て、獄寺はげんなりとした表情を浮かべる。骸と雲雀は無言のまま、山本はただ感心している。その視線の中でデーチモはいそいそとフォークとナイフを手にした。
「すっげーのな」
「見てるだけで胃がもたれるぜ」
溜息をコーヒーで飲み干す獄寺の横で、幾つか視線を動かして思案していた骸がふむ、と納得した様子で口を開く。
「……なるほど、おつかいは君の懐柔のためでしたか」
「え?」
デーチモはぱちりと瞬きをして、オッドアイを見返した。
「僕が持ってきたのはチョコレートソース、山本武のおつかいがジャム、アラウディは紅茶……。どれもそのトレイに乗っているじゃありませんか」
「正解」
肯定をマスターは返す。まあそいつらだけじゃねえけどな。ぼやくように彼は言葉を足した。
「…………俺もこう良いタイミングで全員分揃うとか思ってなかったけどな」
「いただきます」
小さく言って、ほとんどクリームに埋まったパンケーキにナイフを突き立てたデーチモに、雲雀はぽつんと、言った。
「そういえば」
「どうしました雲雀さん」
「かくれんぼ見つかったら、罰ゲームだよね」
カチン、とナイフと皿がぶつかって音を立てる。あわあわとしているデーチモは琥珀色の瞳を見開いて、雲雀に聞いた。
「何ですかそれ⁉」
「今決めた」
「ひどい‼」
「見つかる方が悪いよ。そうだね……君の名前を、教えてもらおうかな」
「……デーチモ、ですよ」
「違うね」
答えを、雲雀はきっぱりと否定する。
「それはあなたの本当の名ではない。そもそも、偽名を肯定したのはあなただよ」
「…………」
「名がないわけでは、無いでしょう」
漆黒の瞳でじっと見上げられて、デーチモはたじろいだ。
彼の言っていることはすべて事実で、だからこそ彼は怯える。だって、あの人は言っていた。
『君の世界は変わるだろうね』
どこから乗せられていたのだろうか。考えようとしたが、デーチモはすぐに思考を止めた。すべて、世界の流れだ。
小さく息を吸う、そして、膝の上の温もりに力を借りて、答えた。
「さ……沢田、綱吉」
「そう。じゃあ改めて。僕は雲雀恭弥、あっちのは山本武」
「それは分かってるけど……あれ、そういえば、雲雀さんと山本の関係って、何なんですか?」
「………………かぞく、みたいなものかな」
「……そうなんだ」
ぱち、と瞬きをしてデーチモは――綱吉は、ふんわりと笑ってみせた。
「オレのとこと同じた」
「まー驚いたけど、なんとかなってよかったのな」
「半分はあなたのせいでしょう?」
「そうか?」
夕方、帰り道。己の吐いた爆弾発言に全く自覚のない山本はからりと笑顔で、溜息を吐いて雲雀はやれやれと首を振った。手に持つモノも揺れ、そうだ、と彼は呟く。
「忘れないうちに……これ、あげる」
手渡されたものを見て、山本は首を傾げた。黒い革紐が通された、銀色のちいさなプレート。そこには二羽の鳥が――まあるい小鳥と燕が彫り込まれていた。
「なにこれ……ペンダント?」
「首輪」
「な⁉」
「冗談。でも、覚えておきなよ」
慌てる山本に雲雀はふいと笑んで、漆黒の瞳が山本を見上げてくる。いつもよりそれが楽しそうに、嬉しそうに輝いているのは、気のせいなのだろうか。
「何処に行ってもいい。けれど、君の帰る場所はここだよ」
「……ソクバク?」
「咬み殺すよ」
「冗談なのな! でも……ありがとな」
大事そうにペンダントを握る山本に、雲雀は当然だと頷く。
「うん」
「じゃ、帰ろうか。晩飯つくんねえと」
「そうだね」
夕焼けに背を向ける。伸びる影法師を追いながら、二人と四匹は我が家へ、また歩き出した。
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