犬と僕の暮らし
雲雀から話を聞かされた翌日。善は急げとばかりに、山本はその神社へ向かっていた。ロールは哲に任せ、次郎と小次郎は散歩ついでに連れていく。時雨金時も、一応持っていくことにした。振るのなら、やはりこれが一番手に馴染む。
「マジで誰もいないなら、うってつけの場所だろうしなー」
呟いて、山本は肩から提げた時雨金時を気にする。バットケースに入れて偽装はしているが、中身は結局武器だ。偽装してあるから、物珍しい目で見られるだけか。
そんな取り留めのないことを考える山本の横を、ひらりと一人の男が走り抜けた。黒の服をはためかせる薄い金色の髪に、見覚えがある。
「あれ……?」
男も山本に気づいたのか、ぴたりと止まって振り返った。同時、名を呼ばれる。それは、山本の予想通りの人間だった。
「山本武!」
「やっぱり。アラウディさん、そんなに急いでどうしたんスか?」
「時間、ある?」
山本の疑問に答えず、アラウディは短い問いかけをした。頷けば、彼は小さく息を吐いて、次の句を紡ぐ。
「少し、手伝って欲しいことがあるんだ。……早くしないとまずいことになる」
「どういう……」
「話は、向かいながらでいいかい?」
山本が頷くと同時にアラウディは殆ど走るような早足を踏み出す。それに倣って山本もいままでののんびりとした足を早めた。
アラウディの向かう先、それは昨日雲雀に教えられた、神社がある方向だった。その道すがら、アラウディは話し始めた。
「ある筋から、連絡があったんだ。あの子が危ないと――君は確かデーチモと呼んでいるかな」
「あいつが……?」
「あの子を止めて欲しい、とね」
話が見えない。
止めて欲しい、とはどう言うことだろう。そもそもどうしてデーチモとアラウディは親しいのだろうか。山本はふと思い出す。あの雲雀誘拐の一件も、仕掛けてデーチモを動かしたのはアラウディだった。
「よくない連中に遊ばれて、変なものを撃たれたらしい。理性が飛ぶとか自分がなくなるとか、そういった方向らしいね」
山本が分かっていないのを理解しているだろうアラウディは、詳しい説明を省いて話を進める。答えはくれないつもりらしかった。
脳裏に浮かんだのは、山本のよく知るデーチモの橙色の瞳と、彼のあまり知らない、琥珀色の瞳の少年だった。同じ人物なのに、性格が変わるというかやけに差が激しい。
「危険だから、人気のない方に行くと」
「人気……」
「この先に、やけに寂れた神社があるんだ」
「それ、雲雀に聞きました。それで散歩がてら行くとこだったんすけど…」
「ちょうどいいね。体を動かすのにはうってつけの相手だよ」
さらりと。アラウディは山本に爆弾を落とす。山本は薄色の目を見開いた。
「あいつと……戦うのか?」
「出来れば怪我の類はお互いに避けて欲しいね。僕の依頼されたことは、あの子を止めることだけだ。怪我とかは範疇外」
「……肯定、なのな」
言質を取ろうとする山本に、アラウディはあっさりとした頷きを返して。丁度いいもの持ってるのが見えたから、と言葉を付け足した。
「僕一人で行ってもいいけど、人は多い方がいい。出来るだけ早くしないとならないから」
ようやく見えた石段を、二人して駆けあがる。その先を見上げてアラウディは眉をひそめ、山本は舌打ちした。
石段を這うように、異様な気配が下に伝い降りている。
「あの子が戻れなくなることは、避けないといけない。だから止めないと」
「……どうして、アラウディさんはあいつを」
「知り合いの養い子なんだ」
横目で山本はアラウディを見る。雲雀によく似た横顔は、静かに鳥居を見ていた。その表情からはなにも、読み取れなかった。
*****
階段の終わりには、鳥居と青空が見える。その鳥居の根本でプルプル震えるものがあった。オレンジ色の毛玉は、いつもはデーチモの肩にいるあのいきもので。
「ナッツ」
アラウディが名を呼べば、子ライオンの尾がぴんと跳ね上がり、すぐに彼を認識して涙目で走り寄る。抱き上げるアラウディに山本は問うた。
「そいつは、どうもなってねーのか?」
「特に悪影響は受けていないようだね。……君も、逃げないのは勇敢なのかどうなのか」
「それよりも――」
二人は同時に神社の奥を見る。ちいさな社の前に、デーチモが立っていた。ひとり佇むデーチモは、琥珀色の瞳をした少年でも、橙色を額と瞳に灯すボンゴレの一人でもなかった。気配を察知したのか、彼が二人のいる方を見る。
燃える橙色の瞳は、普段よりも暗いくらい色をして、淀んでいる。
「てめえ、は」
その色を、山本は知っていた。
忘れもしない。幼い夏に焼き付いた、あの底のない暗さを燃やす橙。
「……てめえが‼」
「……………」
山本の叫びに、デーチモは答えなかった。アラウディの腕に抱かれた子ライオンが、不安そうな鳴き声を上げても、反応は無い。
「『その子』を知っているのかい?」
静かなアラウディの問いかけ。山本は、一つ頷くと刀を抜いた。昼の陽光に、時雨金時の刃が光る。
「次郎、小次郎……アラウディさんとこで待機だ」
静かな主の命に背くような二匹ではない。次郎はおとなしくアラウディの横に立ち、その頭にちょこんと小次郎が降りる。
「怪我のないように」
言葉に背を押され、山本は地を蹴った。
横凪ぎに放った一閃は、軽くかわされた。その動きを予測して山本はデーチモに迫る。間合いを詰めて、振り上げた刀でまた空気を裂く。これも、避けられると思っていた。けれどデーチモは引かない。
普段と違う動き。刹那、キンと金属同士が触れ合い弾ける音。
「……っ!」
手に伝わる衝撃と驚きで、思わず後ろへ跳びのく。デーチモの手には幅の広いナイフが握られていた。時雨金時の刃と違う質感の銀色が、日光を鈍く照り返している。
あんな物を、持っていたのか。普段のデーチモは拳に橙色の炎を宿して戦う。護身用としても、あれは大きすぎる。
「ったく、想定外ばっかなのな!」
毒づいて、活を入れる。山本は時雨金時を構えなおした。
デーチモが軽いステップで近づき、ぶんとナイフを振るう。もちろん素人の動きではなかったが、慣れた動きにも見えなかった。恐らくあのナイフは、デーチモの所有物ではない。そして彼はそれにまだ馴染みきってはいない。
それなら、負けはしない。大体刃物相手に愛刀を持って負けるつもりはない。
「時雨蒼燕流は最強無敵なのな」
また飛んでくるナイフの斬撃を刀で受け止める。打ち込んで受け止められ、けれど小柄な少年の体は揺らいだ。追撃はかわされ、重心を落としたデーチモが山本の懐に飛び込む。至近距離のナイフは時雨金時に阻まれた。
「やられっかよ!」
距離が離れる。再び山本に向けナイフを振り上げたデーチモの動きが、僅かに止まる。無表情のデーチモの顔が、奇妙に歪んだようで。それは山本には、泣き出しそうな幼い子供に見えた。
「――――?」
「隙あり、だよ」
刹那。山本の視界を舞ったのは、黒衣と、その肩に乗った子ライオンの揺れるオレンジだった。音もなくデーチモの背後に跳んだアラウディの手刀が少年の後ろ首を打つ。ぐ、と苦しそうな声を漏らし、少年の小柄な体が傾く。手から落ちたナイフがカランと石畳に落ちる。気を失ったデーチモを抱き寄せて、アラウディはふうと息を吐いた。
「なんとかなったようだね。助かったよ」
「……そいつは?」
「目が覚めたら元に戻ってるだろう。……そんなに信じられないかい?」
しぶしぶ、山本は時雨金時を竹刀に戻す。けれど彼はそれをバットケースにしまおうとせずに、アラウディに答えた。ぶす、と不満の色を隠そうともせずに返事をする。
「……そいつが起きるまでいる」
「好きにしたらいい」
答えたアラウディは狛犬の根本にデーチモをもたれさせる。そうしてアラウディの手から降り、心配そうにデーチモに寄り添う子ライオンを、ひと撫で。子ライオンはがう、と鳴いてデーチモにぴとりと張り付いた。
そうして山本に振りむくと、アラウディは小さく首を傾げた。
「聞きたいことがあるような顔だけど?」
素直に、山本は疑問をぶつけると決めた。だが尋ねたいことは山のようにあるのに、なかなか言葉にならない。どうにか掬い上げた言葉を、アラウディに投げる。
「あんたと、デーチモの関係は?」
「君とそう大差はないよ。ただ彼の方が見知った年月が長い」
知り合いの養い子、それは比喩でもなんでもなかったようだ。確かに山本は少年期を雨月と過ごした。それは、大事な時間だ。
けれどデーチモが誰かと一緒にいることが、なかなか彼には想像できない。彼の知っているデーチモはいつも――どちらの色の瞳でも、ひとりだった。任務の時にボンゴレ連中の名を挙げることもあったが、デーチモは基本的に一人で動く。
だが実際は違うのかもしれない。
(どーでもいいけど)
自分の解釈で結論付けて、山本は次の疑問符を拾い上げる。
「さっきのは?」
また、アラウディは首を傾げた。彼にも、分からないのだろうか。
「自我が失われた状態、とでも言うのかな。僕も話に聞いただけだった。本当、何を撃たれたらあんな暴走するんだろうね」
曖昧な回答。暴走、という単語が山本の感覚に引っかかった。確かにあのデーチモは尋常ではなかった。
化け物。山本は常々デーチモをそう呼んでいた。彼以外、所謂同業者という奴等もそう呼ぶことが多い。それが、間違いを含み、けれど間違いではなかったと確信する。
デーチモは、普段の彼は、化け物ではないかもしれない。けれどあれは化け物としか、呼ぶ気がしない。
「…………」
「それで……君は『あの子』を、いつ見たんだい?」
問いかけに、山本はゆっくりと口を開く。その瞬間だけ、嫌に空気が重く感じられた。脳裏に蘇る光景に流されまいと、手を強く握り締め、やっと答えを返す。
「……ガキの頃」
あの色を見間違える筈はない。背格好はずいぶんと違っていたが、向こうも自分だって子供だった。
「そう」
それが、何を指すのか。アラウディはただ頷いただけで、それ以上は何も言わない。沈黙を破ったのは二人ではなく、デーチモに寄り添う子ライオンだった。
「ガウッ!」
声に、山本とアラウディは目をデーチモへ向けた。山本は時雨金時を構えるように腰に手を添える。緊張が走る中か、デーチモは緩くかぶりを振って目を開けた。それは、琥珀の色をしてだるそうに瞬く。子ライオンがぽろぽろと涙をこぼして、少年に飛びついた。
「ナッツ? ……あー、そっかオレ……」
呟きに、アラウディはホッとしたように息を吐いた。彼は静かにデーチモに手をさしのべ、問いかける。
「ようやくお目覚めかい?」
「あ、アラウディさん。お世話になりました」
アラウディの手を握り立ち上がったデーチモは、ぺこりと頭を下げた。それが上がるのを待って、アラウディは山本を指さす。
「あっちにも礼を言いな」
「…………よ」
「や、山本⁉」
瞬間、デーチモはさあ、と青くなった。戸惑いの声を上げながら腕に降りた子ライオンをぎゅうと抱きしめて、少年はアラウディと山本きょろきょろ見比べる。おどおどとしたその様子に、気を失う前までの面影は皆無だった。
「手伝ってくれたんだよ」
「あ、ありがとう……ごめん! 怪我とか、ない?」
「ああ。……アラウディさんの手伝いしただけなのな」
それ以上デーチモの顔を見ていられず、山本は竹刀をバットケースにしまうと踵を返した。
「次郎、小次郎。帰るぞ」
「今日は悪かったね。気をつけて」
アラウディの声に頷いて、山本は石段を下りた。次第に足が速まり、降りきった後は駆け出す。けれどあの暗い橙が、振り切れない。
帰りついた雲雀の屋敷には、既に雲雀が帰宅していて。彼は玄関先で小鳥達に餌を遣っていた。荒い息で帰りついた山本に、黒髪を揺らしことりと首を傾げる。どこかアラウディに似た、けれどとても幼い表情。
「どうしたの、そんなに急いで」
「…………べ、別に。……なんでも、無いのな」
「そう」
いつもの雲雀だった。山本は急に、現実引き戻されていく気がした。膝を突いて雲雀を見遣ると、彼はぱんぱんと手に乗った餌を払う。そうして山本に近づいて、どうしたの、と聞く。
「変だよ、君」
「なんでもねえのな」
なんだか泣きそうになって。思わず、目の前の子供を山本は抱きしめた。すがりつくようだと自嘲して、けれどその温もりが彼を安心させる。
「……痛い」
不平を漏らした雲雀が山本の頭を叩いても、どうしてか安堵感が増すだけだった。
「マジで誰もいないなら、うってつけの場所だろうしなー」
呟いて、山本は肩から提げた時雨金時を気にする。バットケースに入れて偽装はしているが、中身は結局武器だ。偽装してあるから、物珍しい目で見られるだけか。
そんな取り留めのないことを考える山本の横を、ひらりと一人の男が走り抜けた。黒の服をはためかせる薄い金色の髪に、見覚えがある。
「あれ……?」
男も山本に気づいたのか、ぴたりと止まって振り返った。同時、名を呼ばれる。それは、山本の予想通りの人間だった。
「山本武!」
「やっぱり。アラウディさん、そんなに急いでどうしたんスか?」
「時間、ある?」
山本の疑問に答えず、アラウディは短い問いかけをした。頷けば、彼は小さく息を吐いて、次の句を紡ぐ。
「少し、手伝って欲しいことがあるんだ。……早くしないとまずいことになる」
「どういう……」
「話は、向かいながらでいいかい?」
山本が頷くと同時にアラウディは殆ど走るような早足を踏み出す。それに倣って山本もいままでののんびりとした足を早めた。
アラウディの向かう先、それは昨日雲雀に教えられた、神社がある方向だった。その道すがら、アラウディは話し始めた。
「ある筋から、連絡があったんだ。あの子が危ないと――君は確かデーチモと呼んでいるかな」
「あいつが……?」
「あの子を止めて欲しい、とね」
話が見えない。
止めて欲しい、とはどう言うことだろう。そもそもどうしてデーチモとアラウディは親しいのだろうか。山本はふと思い出す。あの雲雀誘拐の一件も、仕掛けてデーチモを動かしたのはアラウディだった。
「よくない連中に遊ばれて、変なものを撃たれたらしい。理性が飛ぶとか自分がなくなるとか、そういった方向らしいね」
山本が分かっていないのを理解しているだろうアラウディは、詳しい説明を省いて話を進める。答えはくれないつもりらしかった。
脳裏に浮かんだのは、山本のよく知るデーチモの橙色の瞳と、彼のあまり知らない、琥珀色の瞳の少年だった。同じ人物なのに、性格が変わるというかやけに差が激しい。
「危険だから、人気のない方に行くと」
「人気……」
「この先に、やけに寂れた神社があるんだ」
「それ、雲雀に聞きました。それで散歩がてら行くとこだったんすけど…」
「ちょうどいいね。体を動かすのにはうってつけの相手だよ」
さらりと。アラウディは山本に爆弾を落とす。山本は薄色の目を見開いた。
「あいつと……戦うのか?」
「出来れば怪我の類はお互いに避けて欲しいね。僕の依頼されたことは、あの子を止めることだけだ。怪我とかは範疇外」
「……肯定、なのな」
言質を取ろうとする山本に、アラウディはあっさりとした頷きを返して。丁度いいもの持ってるのが見えたから、と言葉を付け足した。
「僕一人で行ってもいいけど、人は多い方がいい。出来るだけ早くしないとならないから」
ようやく見えた石段を、二人して駆けあがる。その先を見上げてアラウディは眉をひそめ、山本は舌打ちした。
石段を這うように、異様な気配が下に伝い降りている。
「あの子が戻れなくなることは、避けないといけない。だから止めないと」
「……どうして、アラウディさんはあいつを」
「知り合いの養い子なんだ」
横目で山本はアラウディを見る。雲雀によく似た横顔は、静かに鳥居を見ていた。その表情からはなにも、読み取れなかった。
*****
階段の終わりには、鳥居と青空が見える。その鳥居の根本でプルプル震えるものがあった。オレンジ色の毛玉は、いつもはデーチモの肩にいるあのいきもので。
「ナッツ」
アラウディが名を呼べば、子ライオンの尾がぴんと跳ね上がり、すぐに彼を認識して涙目で走り寄る。抱き上げるアラウディに山本は問うた。
「そいつは、どうもなってねーのか?」
「特に悪影響は受けていないようだね。……君も、逃げないのは勇敢なのかどうなのか」
「それよりも――」
二人は同時に神社の奥を見る。ちいさな社の前に、デーチモが立っていた。ひとり佇むデーチモは、琥珀色の瞳をした少年でも、橙色を額と瞳に灯すボンゴレの一人でもなかった。気配を察知したのか、彼が二人のいる方を見る。
燃える橙色の瞳は、普段よりも暗いくらい色をして、淀んでいる。
「てめえ、は」
その色を、山本は知っていた。
忘れもしない。幼い夏に焼き付いた、あの底のない暗さを燃やす橙。
「……てめえが‼」
「……………」
山本の叫びに、デーチモは答えなかった。アラウディの腕に抱かれた子ライオンが、不安そうな鳴き声を上げても、反応は無い。
「『その子』を知っているのかい?」
静かなアラウディの問いかけ。山本は、一つ頷くと刀を抜いた。昼の陽光に、時雨金時の刃が光る。
「次郎、小次郎……アラウディさんとこで待機だ」
静かな主の命に背くような二匹ではない。次郎はおとなしくアラウディの横に立ち、その頭にちょこんと小次郎が降りる。
「怪我のないように」
言葉に背を押され、山本は地を蹴った。
横凪ぎに放った一閃は、軽くかわされた。その動きを予測して山本はデーチモに迫る。間合いを詰めて、振り上げた刀でまた空気を裂く。これも、避けられると思っていた。けれどデーチモは引かない。
普段と違う動き。刹那、キンと金属同士が触れ合い弾ける音。
「……っ!」
手に伝わる衝撃と驚きで、思わず後ろへ跳びのく。デーチモの手には幅の広いナイフが握られていた。時雨金時の刃と違う質感の銀色が、日光を鈍く照り返している。
あんな物を、持っていたのか。普段のデーチモは拳に橙色の炎を宿して戦う。護身用としても、あれは大きすぎる。
「ったく、想定外ばっかなのな!」
毒づいて、活を入れる。山本は時雨金時を構えなおした。
デーチモが軽いステップで近づき、ぶんとナイフを振るう。もちろん素人の動きではなかったが、慣れた動きにも見えなかった。恐らくあのナイフは、デーチモの所有物ではない。そして彼はそれにまだ馴染みきってはいない。
それなら、負けはしない。大体刃物相手に愛刀を持って負けるつもりはない。
「時雨蒼燕流は最強無敵なのな」
また飛んでくるナイフの斬撃を刀で受け止める。打ち込んで受け止められ、けれど小柄な少年の体は揺らいだ。追撃はかわされ、重心を落としたデーチモが山本の懐に飛び込む。至近距離のナイフは時雨金時に阻まれた。
「やられっかよ!」
距離が離れる。再び山本に向けナイフを振り上げたデーチモの動きが、僅かに止まる。無表情のデーチモの顔が、奇妙に歪んだようで。それは山本には、泣き出しそうな幼い子供に見えた。
「――――?」
「隙あり、だよ」
刹那。山本の視界を舞ったのは、黒衣と、その肩に乗った子ライオンの揺れるオレンジだった。音もなくデーチモの背後に跳んだアラウディの手刀が少年の後ろ首を打つ。ぐ、と苦しそうな声を漏らし、少年の小柄な体が傾く。手から落ちたナイフがカランと石畳に落ちる。気を失ったデーチモを抱き寄せて、アラウディはふうと息を吐いた。
「なんとかなったようだね。助かったよ」
「……そいつは?」
「目が覚めたら元に戻ってるだろう。……そんなに信じられないかい?」
しぶしぶ、山本は時雨金時を竹刀に戻す。けれど彼はそれをバットケースにしまおうとせずに、アラウディに答えた。ぶす、と不満の色を隠そうともせずに返事をする。
「……そいつが起きるまでいる」
「好きにしたらいい」
答えたアラウディは狛犬の根本にデーチモをもたれさせる。そうしてアラウディの手から降り、心配そうにデーチモに寄り添う子ライオンを、ひと撫で。子ライオンはがう、と鳴いてデーチモにぴとりと張り付いた。
そうして山本に振りむくと、アラウディは小さく首を傾げた。
「聞きたいことがあるような顔だけど?」
素直に、山本は疑問をぶつけると決めた。だが尋ねたいことは山のようにあるのに、なかなか言葉にならない。どうにか掬い上げた言葉を、アラウディに投げる。
「あんたと、デーチモの関係は?」
「君とそう大差はないよ。ただ彼の方が見知った年月が長い」
知り合いの養い子、それは比喩でもなんでもなかったようだ。確かに山本は少年期を雨月と過ごした。それは、大事な時間だ。
けれどデーチモが誰かと一緒にいることが、なかなか彼には想像できない。彼の知っているデーチモはいつも――どちらの色の瞳でも、ひとりだった。任務の時にボンゴレ連中の名を挙げることもあったが、デーチモは基本的に一人で動く。
だが実際は違うのかもしれない。
(どーでもいいけど)
自分の解釈で結論付けて、山本は次の疑問符を拾い上げる。
「さっきのは?」
また、アラウディは首を傾げた。彼にも、分からないのだろうか。
「自我が失われた状態、とでも言うのかな。僕も話に聞いただけだった。本当、何を撃たれたらあんな暴走するんだろうね」
曖昧な回答。暴走、という単語が山本の感覚に引っかかった。確かにあのデーチモは尋常ではなかった。
化け物。山本は常々デーチモをそう呼んでいた。彼以外、所謂同業者という奴等もそう呼ぶことが多い。それが、間違いを含み、けれど間違いではなかったと確信する。
デーチモは、普段の彼は、化け物ではないかもしれない。けれどあれは化け物としか、呼ぶ気がしない。
「…………」
「それで……君は『あの子』を、いつ見たんだい?」
問いかけに、山本はゆっくりと口を開く。その瞬間だけ、嫌に空気が重く感じられた。脳裏に蘇る光景に流されまいと、手を強く握り締め、やっと答えを返す。
「……ガキの頃」
あの色を見間違える筈はない。背格好はずいぶんと違っていたが、向こうも自分だって子供だった。
「そう」
それが、何を指すのか。アラウディはただ頷いただけで、それ以上は何も言わない。沈黙を破ったのは二人ではなく、デーチモに寄り添う子ライオンだった。
「ガウッ!」
声に、山本とアラウディは目をデーチモへ向けた。山本は時雨金時を構えるように腰に手を添える。緊張が走る中か、デーチモは緩くかぶりを振って目を開けた。それは、琥珀の色をしてだるそうに瞬く。子ライオンがぽろぽろと涙をこぼして、少年に飛びついた。
「ナッツ? ……あー、そっかオレ……」
呟きに、アラウディはホッとしたように息を吐いた。彼は静かにデーチモに手をさしのべ、問いかける。
「ようやくお目覚めかい?」
「あ、アラウディさん。お世話になりました」
アラウディの手を握り立ち上がったデーチモは、ぺこりと頭を下げた。それが上がるのを待って、アラウディは山本を指さす。
「あっちにも礼を言いな」
「…………よ」
「や、山本⁉」
瞬間、デーチモはさあ、と青くなった。戸惑いの声を上げながら腕に降りた子ライオンをぎゅうと抱きしめて、少年はアラウディと山本きょろきょろ見比べる。おどおどとしたその様子に、気を失う前までの面影は皆無だった。
「手伝ってくれたんだよ」
「あ、ありがとう……ごめん! 怪我とか、ない?」
「ああ。……アラウディさんの手伝いしただけなのな」
それ以上デーチモの顔を見ていられず、山本は竹刀をバットケースにしまうと踵を返した。
「次郎、小次郎。帰るぞ」
「今日は悪かったね。気をつけて」
アラウディの声に頷いて、山本は石段を下りた。次第に足が速まり、降りきった後は駆け出す。けれどあの暗い橙が、振り切れない。
帰りついた雲雀の屋敷には、既に雲雀が帰宅していて。彼は玄関先で小鳥達に餌を遣っていた。荒い息で帰りついた山本に、黒髪を揺らしことりと首を傾げる。どこかアラウディに似た、けれどとても幼い表情。
「どうしたの、そんなに急いで」
「…………べ、別に。……なんでも、無いのな」
「そう」
いつもの雲雀だった。山本は急に、現実引き戻されていく気がした。膝を突いて雲雀を見遣ると、彼はぱんぱんと手に乗った餌を払う。そうして山本に近づいて、どうしたの、と聞く。
「変だよ、君」
「なんでもねえのな」
なんだか泣きそうになって。思わず、目の前の子供を山本は抱きしめた。すがりつくようだと自嘲して、けれどその温もりが彼を安心させる。
「……痛い」
不平を漏らした雲雀が山本の頭を叩いても、どうしてか安堵感が増すだけだった。