ぐんじんかぞく。
コロネロにその一報が入ったのは、珍しく彼が書類仕事をしている時だった。アルコバレーノ連中や余程親しい仲になった人間しか知らない、個人的な携帯電話が唐突に鳴き出す。
「……こっちが鳴るのは珍しいなコラ」
しかも、ディスプレイに表示された名前はリボーンで。本当に珍しいこともあるものだと、逆にコロネロは感心してしまう。いっそ直接やってきそうな男だ、何かあるのだろうか。
「どうしたコラ」
「今、出られるか?」
「あー。まあ、無理じゃねえな」
かりかりとペンを走らせながらコロネロは返事する。そう大事なものでもない。急でもない。次の任務も先だ。
そうか、とリボーンは電話越しに頷いたようだった。
「今から言う場所に来い。緊急だ」
短くリボーンが住所と共に告げたのはある病院だった。どうしてそんな場所に。それがコロネロの口から疑問としてでる前に、リボーンは答える。
「ラルが撃たれた」
瞬間、コロネロの世界から音が消えた。
ひたすらに、走る。
指定された病院は、世話になったことはなかったがボンゴレの関与しているものだと耳にしたことのある場所だった。入り口に、見知った少年の姿。おそらくリボーンが連絡をしたのだろう。同類に珍しくも感謝して、コロネロは少年を呼んだ。
「バジル‼」
「コロネロ殿、こちらです!」
手招かれるまま、裏手のドアから病院へ入る。するとそこにはエレベーターがあって、コロネロはバジルの後をついて、それに乗り込んだ。バジルはぱちぱちとボタンを操作し、エレベーターが動き出すと振り向いてコロネロを見上げる。
「どういうことだコラ」
問えば、バジルは眉を下げて拙者も詳しくは聞いていないのですが、と前置いて答えた。
「親方様と任務に出て、その帰りに襲撃にあったとのことです。犯人は逃走、そちらは親方様とターメリックが追いました」
「ラルは?」
「命に別状はないそうです。ですが……頭を打ったようで、目覚めるのに何日か掛かるかもしれないと」
「……そうか、コラ」
安堵と、不安と。かいなまぜになってコロネロはただ頷く。じりじりと上昇するエレベーターが今はひたすらにもどかしかった。
通された病室は、静かだった。オレガノと替わって入ったコロネロは、ベッドの上で眠るラルを見て、立ち尽くす。
白く血色の足りない頬と、閉じた瞳と。死んでしまったのかと錯覚して、コロネロはそっとシーツの上に投げ出された手を握る。
ほのかな温みに、ようやく安堵の息をこぼした。
「……んなわけ、ねえよなコラ…」
自分を嘲笑って、けれどコロネロはその手を離すことができない。こんなに細い柔らかい手だったかと、ふと思う。自分の手が固くなったからか、門外顧問の任務のせいか、わからない。
昔は、どうだっただろうか。
どうしても、思い出せなかった。思い出したのは他愛もないことばかりだった。
師であった彼女に惚れたのはコロネロで、紆余曲折アルコバレーノの騒動に巻き込まれつつも距離を縮めていった。アルコバレーノ連中も面白がりながら、何となく邪魔がりながらも、適当な応援をしてくれていた。
だから。そういう新しい日常に慣れて、コロネロはすっかり忘れてしまっていた。
ラルは――もちろん自分も――いつ死ぬか分からない場所に立っているのだと。
門外顧問だろうが軍人だろうが、もちろん一般人だって同じだ。人は、いつか死んでしまう。
時に、唐突に。
時に、偶然に。
「…………なあ、ラル」
自分の声が震えていることに気づいてコロネロは苦笑いする。ぎゅうと拳を握って、彼はどうにか言葉を続けた。
「死ぬんじゃねえぞコラ」
その日から、コロネロはほぼ付きっきりでラルの病室にいた。理由はいくつかある。
一つは、まだ片づいていない襲撃事件の騒動にオレガノやバジルも駆り出されているから。一つは、その件で念のためラルに護衛をつけねばならないから。
そしてもう一つの理由は、単にコロネロがラルから離れたくないからだった。
日に日に安定していく数値に安堵しながらも、コロネロの不安は晴れない。ラルはまだ、目覚めない。
「このまま眠り姫とか、アンタの柄じゃねえだろ」
強がって笑って、コロネロはシーツに投げ出されたラルの手を握った。あの時よりは温もりを取り戻した彼女の手。
けれど、もうそれでは足りない。
「俺が王子ってのも無しだぜコラ。んなことしてたら一生リボーンに笑われるからな」
静かな病室にコロネロのつぶやきだけが落ちる。力ないラルの掌を両手で包み込み、コロネロは祈るようにそこへ額を寄せた。
コロネロが口をつぐめば、もう音は些細なものばかりになる。しんとした空間に浮かぶのは悪い結末ばかりで、コロネロは恐怖に耐えきれず、また口を開いた。
「まだ言ってねえこと、いっぱいあるんだぜ、ラル……」
「…………なに、がだ?」
かすかな、ちいさな声。
びくんと震えたコロネロは勢いよく顔を上げた。そして、黒の瞳と視線が合う。
「…………ラル?」
コロネロの青い目はまん丸になっているのだろう。ラルはそれに少し驚いて、すぐに状況を理解したようだった。
「ああ、そうか。……やらかしたな」
目覚めたばかりのラルが余りにもいつもの彼女で、コロネロは少しだけ呆れて――それ以上の安堵に、胸がいっぱいになった。笑顔を浮かべて、彼女の名を呼ぶ。
「っ、ラル……‼」
言葉がうまくでなかった。それに、まぶたが熱い。最初にコロネロが気づいた変化はそれだった。瞬く間に視界がにじみ、ラルの掌を包んだままでいる彼の両手に、雫が降り注ぐ。
泣いてるのか。
遠くで思って、コロネロは崩れた笑顔のまま、青の瞳から雨を降らせる。見上げてラルは僅か眉を下げた。
「大の男が、泣くな」
「止めらんねえよコラ……!」
「……みっともない」
するりと、コロネロの両手からラルの手が抜け出す。その指先がコロネロの眦を拭った。ずっと動かなかったあの手が、濡れた頬を僅か叩く。
「しくじって心配をかけたのは詫びる。だからもう、」
「なあラル、一緒に生きようぜコラ」
言いかけたラルの声を遮って、コロネロは言った。はあ、と呆れた声が耳に入って、彼はもう一度笑って言う。
「アンタ一人ほっといてたら、心配で見てらんねえぜコラ。だから……勝手にどっかいくんじゃねえコラ」
「……………………」
ラルは無言でその言葉を聞いていた。彼女はおもむろにコロネロの頬から手を離すと、ベッドに乗ったままうごかずにいた彼の手に、自分の手を重ねる。
黒の瞳が再びコロネロを見上げた。そこに、強い意志の光が宿る。
「お前こそ、俺を置いていくなよ?」
「あ、当たり前だぜコラ‼」
白い病室、静寂はもうどこにもなかった。
***
それから数日後。襲撃の首謀者がボンゴレに捕まり、これで一安心と少しだけ緩んだ空気の流れる日。ラルの見舞いに来たのは、ルーチェだった。
どこから噂を聞きつけてきたのか。内心胡乱に思いながらもラルは旧友にして同類へその突っ込みはせずにいた。アルコバレーノのネットワークはこういうときに限って何より早い。
「はい、お見舞い。お花は勝手に飾っておくわね」
どこから持ってきたのか花瓶に持ってきたばかりの花束を飾りながら、ルーチェはふいとラルの手に目を落としてふわりと笑った。
「素敵な指輪ね」
ラルの右手薬指。そこに、シンプルなシルバーのリングが光っていた。目敏いルーチェに内心舌打ちして、ラルは視線を窓へ逸らして答える。
「泣き落とされた」
「いいじゃない。それだけ想われているってことだもの」
ラルはルーチェに何も答えず、ただ窓から外を見ている。その頬が真っ赤になっているのにルーチェはくす、と笑い、彼女と彼のしあわせを、祈った。
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